少年少女と暗闇と、降り注ぐ花火-2
携帯の液晶が切れると、星以外はほぼ見えなくなってしまった。
「真っ暗なのは平気? 俺は平気っていうか、結構好きなんだけど」
隣から服が擦れるような音が聞こえた。
頷いたのか首を横に振ったのか分からなかった。
「口に出してくれないと分からないよ」
「は……はい。好き、です」
なんで敬語。
ん? しかも意外な回答だ。
「好きなの? 暗いの」
「う、うん。嫌なら、ライト……」
「いや、俺も好きだよ」
桐花が暗闇を好きな理由は俺と同じかもしれない。
次元は違うだろうけど。
「小学校三か四年の時だったかな。嗣乃がよーと俺とは少し違うんだなって気づいてさ。そしたら嗣乃が皆で布団被ろうって言い出して」
嗣乃は俺達と違うということに、心が追い付いていなかったんだろう。
「真っ暗になっちゃえば、みんな一緒でいられたんだよ」
桐花の方から、少しがさがさと動く音が聞こえた。
「五年生くらいになったらさ、もう結構変わっちゃったんだよ。よーは背が伸び始めてかっこよくなって、嗣乃は俺達と違う色の服着るようになって。しかも二人ともすげー人気あってさ。俺は存在しないみたいだったよ。俺達が平等になれる状態って真っ暗な部屋の中だけだったんだよ。俺超可哀想」
詩的に語る自分が恥ずかしくなって、少し茶化してしまった。
「世の中真っ暗で、見た目が気にならないと楽だよな。でかいとかちっちゃいとか、イケメンとかブサメンとか考えなくていいんだし」
心までブサメンな俺は尚更世の中から排除されることになるのだろうけど。
でも、その時は声を出さずに生きれば良い。誰にも見つからずに済む。終わってるな、俺の発想。
「おわ!」
突然桐花の体が覆い被さってきた。
目の前に桐花の顔があることだけは分かった。
「今、どう見える?」
はっきりした声だった。
なんとなく顔があるのが見える。真っ暗で眼の色もわからない。
ただ、輪郭だけだ。
「な、なんも分かんない。桐花……だよな?」
もう目が慣れて髪の色の薄さは見えていたけれど、あえて言う必要はない。
「真っ暗だと、他の人と一緒に見える?」
「こ、声で桐花って分かる……けど、見た目は、わ、分かんない?」
すっと桐花の顔と体が離れていく。
心臓が爆発するかと思った。
どうして嗣乃と同じコンディショナーの香りなのに、桐花からするというだけで心臓に悪いんだ。
「暗いって、いいね」
「あ、明るい声で言うなよそんなこと。あ、あと男にこういうことするなよ」
男扱いされてないのは分かるんだけど。
チャックを開ける音がして、スプレーの音が聞こえた。
この匂いは虫除けか。用意がいいな。
「腕と足」
「え、うん」
腕や足に虫除けスプレーをかけられた。
そして桐花の手が塗り伸ばしていく。数秒前に男に気安く触るなと言ったつもりなんだけど。
昨日のお返しのつもりなのかもな。
そういえば、昨日の俺は気安く女子の手足に触れていた。あまつさえ顔まで拭いていた。お互い男女って感覚がお留守なんだろうか。
「じ、自分でやるから」
「口開けないで」
「はい? うぇ!」
自分の手にかけた虫除けを顔に塗られた。
「あ、ありがと……にげぇ」
桐花は自分にもスプレーをかけてから、隣に腰を下ろした。
「……日本語、訛ってる?」
「へ? 桐花の日本語?」
相変わらず、話の脈絡がない。まぁ、構わないんだけど。
「ちゃんとしてると思うけど。東京でも行かない限り」
自分は普通の言葉をしゃべっているつもりだが、多分訛りはある。
「……今なら、日本人に見える?」
見えるも何も、真っ暗なんだが。
「え? ええと、外人要素は見た目だけだし。それが見えなきゃ全部日本人だな」
「ここにいて、いい?」
「当たり前だろ!」
大きい声になってしまった。
隣の桐花は少し驚いたのか、ガサッという音がした。
昨日のアメリカに住む叔母さんの話の延長だということはすぐに分かった。
「お、大声出してごめん。俺はだけど、いいと思う」
「ほんとに?」
「本当だよ」
隣から鼻水をすする音がした。
暗闇に慣れ始めた眼に、桐花の顔がぼんやりと見えた。
「見た目、こんななのに?」
「え? いや、うん」
どうして俺にそんなことを聞くんだろう。
「来月、アメリカに連れて行かれる予定だった」
「旅行に?」
「……旅行じゃなくて、叔母さんの家に住む予定だった」
「え!?」
突然、なんて告白をしてくれるんだ。
「叔母さんが勝手に決めてて、あっちの家で、お世話になって、九月に学校入る予定だった」
「え、いや……え……?」
「お父さん達、それを断るために、あっちへ行ってて」
「そ、そっか」
何と言葉を返して良いか分からなかった。
本当に桐花がここにいて良いのかという疑問に支配される。
自分のルーツがある国へと帰って、見識を広げる大きなチャンスかもしれない。
桐花に行くべきだと告げるべきだというべきかもしれない。
「まだ……迷ってて。もう、手続きしてるって」
「なんで叔母さんに気を遣ってんだよ?」
きつい言い方になってしまった。
でも、自分の言葉を止められなかった。
「ごめん、叔母さんがどんな人か知らないけど、お前は行きたくないんだろ? 人の行く末勝手に決める人に気を遣うなよ!」
落ち着け。
自分の口さがない親戚のジジイどもへの怒りは桐花に関係ないのに。
「桐花がいきなり行きたいって言い初めても、それがお前の意思じゃないって分かったら止めるからな」
止める権利なんてないのに、俺は何を言っているんだろう。
「……でも、日本人じゃ、ないし」
「いや、お前みたいな日本人がいたっていいだろ。ハーフなんていっぱいいるし、同じように暮らしてる人もきっといるよ。なんで見た目で諦めなきゃいけないんだよ」
俺の額に『見た目』と書かれたブーメランが突き刺さったが、気にしていられなかった。
少なくとも俺は桐花の見た目から来る違和感は当然あるけれど、そんな桐花が居るのは当たり前になってしまった。
「……ほんとに?」
「ほんとに」
即答してしまった。
もしかしたら、俺は桐花に抱いてはいけない感情を抱き始めているのかもしれない。今は心を開いてくれている桐花に対して、俺は段々多江に対する感情に似たものを覚えているのかもしれない。
だったら、早くこんな感情は断ち切らないと。
数分の沈黙の後、目はすっかり暗闇二慣れてしまった。
もう、桐花はいつもの欧米人の見た目に戻ってしまった。
「桐花はその、その見た目で、その見た目だから、いいと思う」
桐花がこちらを見ていた。
きっとパニックしているんだろう。
俺自身も、こんな言葉を吐いてしまったことにパニックしていた。
「……この見た目じゃなかったら、嗣乃は、声、かけてこなかった?」
心臓にチクリという刺激を感じた。
本当はその見た目だから、嗣乃が声をかけたんだと言いたかった。
でも、そんなことはないかもしれない。
もし桐花が日本人の見た目で同じ性格なら、嗣乃はその心をこじ開けてやろうとするかもしれなかった。
でも、今はそんなことを考えても仕方がなかった。
「そ、そうかもしれないよ。だから、いいんだよ。今の桐花で」
「……本当に?」
「う、嘘つく必要ないだろ」
それくらい信じて欲しい。
誰も桐花の見た目を否定なんてしていない。俺の知っている範囲ではだけど。
「その、俺みたいに残念極まりない奴に言われたくないだろうけど、俺は本当にそう……うわ! ちょっと眩しいって!」
突然ライトを点灯したかと思ったら、顔に向けられた。
「何!? ブサメン退散!?」
「違います!」
また怒らせたんだろうか。
どうして俺は桐花の地雷を踏んでしまうんだ。
「な、なんか、怒らせること言った……?」
「言った! 自分のこと、そんなふうに言わない!」
「お前も自分のこと可愛くないとかいうだろ!」
図星を突きすぎたのか、ライトが消されてしまった。
慣れた目が元に戻ってしまった。
「それは……事実なので」
「客観的に見てその顔で可愛くないってのは贅沢だぞ。お前から見て俺の見てくれはどうなんだよ? よーとか杜太とか白馬に比べて」
間が空いた。
「……他人は他人です」
「認定された! ブサメン認定された!」
「ち、違う!」
再びライトが点灯した。
今度は地面に向けてだった。
「えと……が、外人だから、分かんない?」
「お前日本人だろ!」
都合の悪い時だけ外人ぶりやがって。
クリスマスツリーと表現しそうなところをモチモチの木と表現する昭和初期みたいな日本人だぞ。
「……怖くないから、良い」
「は、はい?」
威厳なら永遠にお留守だけど。
低身長も相まって。
「い、威圧感? ある人は苦手だから」
「俺は威圧感がないって?」
すぐに頷かれた。
怖がられてないのは嬉しいな。
こうなると他の連中のこともどう思ってるか気になるな。
「えと、よーはでかいけど、怖いか?」
「……細いから、そこまでは。でも、怒ると怖い」
よーも威厳がないからな。
怒ると怖いが。
「嗣乃と瀬野川は? かなりうるさいけど」
直情的で感情をぶつけることを全く躊躇しない奴らだ。
「仁那も嗣乃も、可愛いから。たまに怖いけど、優しいし」
あの二人は美人以上に憎めない部分が多い。
「なら、白馬なんて俺より威圧感無いぞ? 女子っぽいし」
困った顔してるな。
案外あいつに気があったりするのか?
「……怒ると、すごく怖い」
ああ、そうだった。
白馬は結構短気な奴だった。
「杜太と多江は?」
桐花の表情が曇った。
「御宿直君、あんまり話してくれないから、分からない」
「あぁ、杜太ってかなり人見知りだからな。もう少し時間あげてよ」
「……多江は、すごく可愛いし、優しいから、もっと、仲良くなりたい」
「多江には『すごく』ってつけるの?」
変なところで引っかかってしまった。
勢いよく頷かれた。
「あんな顔、なりたいかも」
「へぇ」
俺と趣味が合うな。
女の子の好みが同じという女子に初めて会ったかもしれない。
「……言いたいこと言い合うのって、なんかすっきりするな」
桐花が頷いた。
「俺はほら、毎日よーと嗣乃がなんでも聞いてくれるからさ、もし、なんか言いたいことあったらいつでも言ってくれよ。ちゃんと聞くから」
言ってから後悔した。
なんだこの上から目線のダサい台詞。
「ほんとに?」
「うん。あ、ただ、答えを期待しないでくれるなら」
はぁ。格好悪い。
何が答えを期待するなだよ。
「……夜でも?」
「いいよ別に」
一瞬、嗣乃にも協力してもらおうかなんていうことを考えたが、駄目だ。
例え嗣乃であろうと、この大役を共有してたまるか。
「夜中……起こしても?」
「へ? も、もちろん」
桐花と夜中に話をする日が来るんだろうか。
いや、瀬野川の入れ知恵か。
「いいよ。いつでも」
なんだか嬉しかった。
俺に遠慮しなくて良いのかと質問されたのと一緒に思えた。
崖の向こうから、ブザーのような音が響いた。
花火が始まる合図だ。
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