少年と小さな訣別-3
雨は思った以上に強くなった。
雪やあられにならなかっただけ良かったとはいえるんだけれど。
グラウンドのぬかるみやすい場所に段ボールを大量に敷き、その上に使い古した体育館マットで通路を確保した。
客に滑らないようにと注意を促し、足が不自由な来場者にはマンツーマンで付き添った。
結局、陽太郎と二人きりになれたのは終了時間後だった。
「……つっき、これはまずいんじゃないかな?」
自治会室に入った陽太郎に言われて気づいた。
狭い空間に、丸められた寝袋が二つ。
奥には俺と桐花のバッグが置かれていた。
「な、なんもしてないからな!」
「ヘタレ」
「うるせぇ!」
節度を守っているんだよ。
さっさと報告書の作成をしつつ、何をしていたか聞き出すか。
「あれ? 今日の分結構できてるじゃねぇか」
「ほんとだ、嗣乃と向井がやってくれたんだね」
嗣乃も帰ってきてくれたのか。
「やることねぇな。ちょっと寝るわ」
「え? 俺達が何してたか尋問しないの?」
「気が変わった」
尋問される側が積極的になってどうする。
嗣乃が元気なのが分かって気が抜けたんだよ。
どうせまた俺が突き落とされるかもしれないなんて、あり得ねぇ話をされるだけだしな。
「え?」
陽太郎と嗣乃が無事ならどうでも良いんだよ。
寝袋に体を突っ込むと、本当に眠気が襲ってきた。
「お前も寝袋入れ。一時間くらい寝てても大丈夫だろ」
「……向井と上手くいったから、俺達はお払い箱ってこと?」
何怒ってんだよ。
「そうだよ」
「冗談でも気を悪くするよ?」
面倒くさいなぁ。
「じゃー何してたんだよ? 委員長閣下に教えてみろよ」
「雑に質問しないでよ」
「あのなぁ……やぶれかぶれになった女子サッカー部の取り巻き共に階段から突き落とされるぅ! なーんて馬鹿な話を聞かされる俺の気持ちになってみろよ……なんだよ?」
陽太郎の目は一切笑っていなかった。
しかも俺の倍はありそうな陽太郎のでかい手に、頭を撫でられていた。
「良かった……つっきが無事で」
「は、はぁ?」
普段なら陽太郎の手を振り払うところだが、できなかった。
「まさか、本当だったなんて言わないだろうな?」
「……本当だよ」
聞きたくなかったな。
でも、狙われている俺を除け者にするってどういう了見だよ。
「……どうして、はっきり教えてくれなかったんだよ?」
「そんな重圧に耐えられるの?」
痛いところを突いてくれる。
間違いなく耐えきれない。
寝袋の中で全身が震わせているのはもうバレているだろう。
「お、お前も狙われてたんだろ? 嗣乃も」
「狙いはつっきだったよ。全員と接触して話したから、確実だよ」
びくりと体が跳ねてしまった。
「ぜ、全員と接触した?」
「うん。止めるにはそれくらいしか思いつかなくてさ。笹井本会長にも女子サッカー部にも、笹井本杏先輩にも協力させたよ。全員大きな処分は無しって伝えて回ったんだよ」
地道だが、確実な手段だ。
「……な、なんで俺が?」
「つっきが魅力的だったんじゃないの?」
「は、はぁ……?」
陽太郎の説明にあまり納得はいかないが、連中は女子サッカー部潰しの黒幕は俺だと信じて疑わっていなかったようだ。
ちっこくて目立たない一年生が、瀬野川本家跡取りの瀬野川仁那を差し置いて一年委員長という地位に就いてしまった。
しかも、瀬野川仁那は文句の一つも言わずに付き従っていた。
それに飽き足らず笹井本マコトを懐柔し、自分達が危害を加えた笹井本かとりまでも籠絡させてしまったのだ。
こんなキモヲタ丸出しの奴がだ。
実際はどうだったかを聞かされたら、奴らも正気に戻るだろうよ。
瀬野川は隠れ陰キャで、他人から盲信されてしまう自分が前に出ることはしないだけだ。
笹井本マコト部長氏は条辺先輩への思いから自治会に好意的なだけだし、笹井本かとりは俺を便利な道具として手に入れたかっただけなんだけど。
まったく、面白い勘違いをしてくれるね。
ゲームとかラノベとか好きそうだなぁ。
「……分かんねぇなぁ」
「何が?」
「俺を突き落としたところで、あいつらに何のメリットがあるんだよ?」
「うーん……イーグルベアラーくらいの武器でもドロップすると思ったんじゃないの?」
「持ってるわきゃねーだろ」
FPSゲームの超レアアイテムをもらえたとしても、階段から落ちるなんてご免だが。
やり場のない怒りを理由も理屈も飛び越えて他人にぶつけるなんて、意味が分からない。
反省するのが癪に障るなら、自分の怒りの根源を探ってみないのかな。
女子サッカー部とその取り巻き共は出席停止の処分だけで済んだ。
しかし学校にはそっぽを向かれ、家族にも多大な迷惑をかけてしまった。
自分達を追い詰めた首謀者を階段から突き落とせば、少しは気分が晴れるとでも思ったのだろうか。
とんでもなく安易で馬鹿馬鹿しい発想だが、一つ一つの小さな怒りや猜疑心は寄り集まると大きく膨らんで歯止めが利かなくなっていく。
集団心理というやつだ。
この学校は大きい。
こんなことは今後もあり得る。
それを肝に銘じて、生徒に不満が溜まらないような運営をしないといけないってことだ。
いや、自治会ごときにそれは荷が重いか。
「……つっき、ごめん。俺、ちょっと疲れたみたい」
「起こすから寝とけよ」
俺の頭から手を退けて欲しいんだが。
「あぁ、そうだ、つっき、一個だけ質問があるんだけど」
「なんだよ?」
薄目を開けた陽太郎に目を合わせる。
「明後日なんだけど、俺と嗣乃、夕方の仕事がないんだよ」
「は? またスケジュール変わったのかよ」
また簡単に予定を変えてくれるなぁ。
俺は何の仕事をさせられるんだろうね。
「でさ……俺、嗣乃から返事もらってないんだ」
質問って言っておいてなんだよ。
……ん?
「はぁ!? な、なんで!?」
「試着室使ってる人がいるから、静かに」
ここに来て何を抵抗していやがるんだ嗣乃の馬鹿は。
「痛いって」
口元の傷を指で触られた。
誰にやられたか察していそうだな。
「俺、どうしよう?」
「はぁ?」
どうしようも何も、どんな手段を使ってでも嗣乃を大事にしてくれよ。
「俺、嫌われてないかな?」
「ねぇよ……それが質問ならもう寝るぞ」
不安そうな顔をするなよ。
心配でたまらなくなるだろ。
「そ、そんなこと言わないでよ」
「分かったよ。なんでも助けてやるから言えよ」
「う、うん。彼女持ちは度量が大きいね」
「え? あぁ……うん、お、お前よりも先に彼女作ったぞ! とにかく、なんだ?」
何だこの嬉し恥ずかしって気分。
浸ってる場合じゃないのに。
「明後日の夕方、嗣乃が秘密の場所で待ってるって。分かったって答えちゃったんだけど……秘密の場所なんてたくさんあり過ぎて、どこか分からなくて」
「何言ってんだあいつ……他にヒントは?」
陽太郎の暗い表情を見ると、無いようだ。
「そんな顔するなよ」
「……俺、情けなくて」
はぁ、良かった。
良くはないけど、良かった。
あんな滅茶苦茶をやらかした陽太郎が遠く感じていたが、根っこの部分はヘタレの陽太郎のままだった。
「とにかく寝ろ。こんな相談したのは絶対嗣乃に内緒にしてやるから。考えつく場所ローラー作戦でいくぞ。今は寝ろ。な?」
「う……うん」
「とにかくお前は何でもいいから嗣乃と話せよ。えと、なるべく嗣乃とペアで動くようにしてやるから」
「それは多江がやってくれてる」
さすが多江。
何してんだよ嗣乃の奴。
もう少し自分に素直になれないのか。
陽太郎がやっと真っ直ぐ向き合っているのに。
「よー、大丈夫か? 駄目なら言えよ?」
陽太郎がすぅっと大きく息を吸い込んだ。
「うん。あと少し、頑張ってみる」
良かった。
まだ陽太郎の心は折れていなかった。
「あ、さっき向井と話したんだけど……ほんとに向井のこと、大事にしてたんだね」
「へ? まぁ、うん」
いつそんな話をしたんだよ。
そうだよ、桐花が大事でたまらないよ。
「俺も、早くそんな風になりたいよ」
「わ、分かった。まずは寝ろ。俺みたいに倒れるなよ?」
陽太郎は何の反応も示さずに、目を閉じてしまった。
陽太郎も嗣乃。
この二人の間には何が足りないんだろう。
俺はどうすれば、この二人の間にある障壁を取り除けるんだ。
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