少年と小さな訣別-2

「死なないように気をつけてね」


 旗沼先輩は優しい笑顔を浮かべつつ、恐ろしいことを口にした。

 校門前は開門前からたくさんの人でごった返していた。


『学園祭はこれより開場致します! 絶対に走らないでください!』


 注意喚起の放送も虚しく、学園祭初日の開門は筆舌に尽くしがたかった。


 お客様に大変失礼なのは承知だが、開門した瞬間はゾンビものの映画かアニメの世界に放り込まれた気分だった。


 門に殺到していた来場者は誰一人走るなという警告を聞かず、目当ての場所へと突っ込んでいった。


 それは如何に屈強なスポーツ部の会場整理でも、多大な予算を割いたプロの警備員の皆様にも抑えることなど叶わなかった。


「『高校生が教える実技授業補習講座』は抽選です! 走らなくても大丈夫です!」

「危険ですから階段は駆け上がらないでください!」


 自治会メンバーと実行委員会メンバーはTシャツ一枚だというのに、会場整理だけで汗だくになってしまった。


 気づけば時間は十二時を回っていた。

 七時前に始まったテント設置から、ほとんど座っていなかった。


 スタッフの詰め所の大会議室は、体操マットと寝袋数巻に支配された雑魚寝スペースと化していた。

 体操マットは硬かったが、疲れた体には十分ありがたかった。


「……午前、何したんだっけ?」

「あはは、僕も……あまり覚えてないよ」


 ぼさっと座る俺の前に、湯気が立つ紙袋が置かれた。

 しかし、それを開けるのも億劫だった。


 気がつけば、口の前にホットサンドらしき物が差し出されていた。

 袋の中身はこれだったのか。

 ありがたくかぶり付く。


「あ、危ないよ!」


 白馬の一声は遅かった。


「あっづぁ!」


 熱々のチーズに舌を焼かれた。

 素早く差し出されたペットボトルのお茶で舌を冷やしたが、しばらくは治らなそうだ。


 あらゆる想定を超えた事態が起き続け、実行委員会も俺たち自治会も青息吐息だった。

 午前が終わる時点で来場者数は想定の倍を超え、あらゆる物資が不足してしまった。

 食材の緊急追加はもちろん、小型プロパンガスタンクの追加も発生した。


 演劇やコンサートは消防法による定員ギリギリの立ち見まで出し、椅子が足りない食事スペースや休憩所には踏み台やビール瓶ケースまで設置した。

 それでも、まだ足りなかった。


『北門仕入れトラック到着』


 全員の携帯にメッセージが届く。

 たった一台のトラックがチャーターできずに苦しんだのは何だったんだ。


 フリーマーケットの売れ行きや、食材の大量追加購入に気を良くした地元農協は配送や野菜類の洗浄とカットまで買って出てくれたのだ。

 おかげで物資はどんどん追加されていく。


「あっづぁ!」


 また差し出されたホットサンドにかぶりついて火傷をしてしまった。

 熱々に熱されたスライストマトを引きずり出してしまったらしい。


「二人とも、いい加減怒るよ?」

「はい……? あ、そ、そこまでしなくていいって!」


 白馬の怒りでやっと正気に戻った。

 桐花に口まで拭かれていた。


 他の生徒達は疲れ切っているからか、女子に介護される一年委員長を指摘する気もおきないようだ。


「ところで向井さん、どうしてここでのうのうとしていられるの? 食べ終わったんだよね? これからの予定は?」


 白馬が冷たい声で桐花に質問する。


「し、白馬君と、体育館警備の指揮!」

「よくできました」


 一度転ばせて怪我させたことがあるからか、桐花は白馬に従順だ。


 はぁ、遠慮なくイチャつけるまでは二日以上先か。

 思った以上に楽しみ……なんて、浮ついた気分にはなりきれなかった。


「……はーあ」


 いい加減、俺の兄妹二人は連絡くらいくれないかねぇ。

 合間合間にひたすらチャットを投げているが、一切反応はなかった。


「安佐手君、仕事」

「は、はい!」


 旗沼先輩に声をかけられ、飛び上がるように立ってしまった。

 これから部活棟で『高校生が教える実技授業補習講座』の見学兼警備だ。

 一年委員長はすべての出し物を見ておけというのが、山丹先輩からの司令だったからだ。


 それにしても、どうして旗沼先輩がわざわざ後輩を連れに来るんだか。

 優しい旗沼先輩ならしてくれそうにも思えるが、無駄をしないのも旗沼先輩だ。


 こういう小さな違和感は覚えておいた方が良い。

 小さな違和感に気づくことが、案外自分や他人を救うことがある。

 うん、今の台詞格好良い。



 部活棟の前は既に人だかりが出来ていた。


「オメーら付いて来いよこれくらいよぉ! はいそこの親達! 一緒に踊りなよ! こんな経験できねーっしょ!?」


 テニスコートの中はネットが取り払われ、実技講座の一つであるダンスを条辺先輩と創作ダンス部の連中が教えていた。

 条辺先輩は相変わらず無茶苦茶なことを叫んでいるが、できれば俺も教わりたいくらいだ。


「ふふ、気になるなら明日混ざってみたら?」

「い、いや、いいです」


 ガン見していたのが旗沼先輩にバレてしまった。


 ここからは研修モードだ。

 学園祭の一つ一つの出し物を全部見て覚えて、メモをしなくては。


 せっかく気合いを入れたのに、最初に入った教室の光景は意味不明としか言いようがなかった。


「……高校生が教えるんじゃないんですか?」


『高校生が教える実技授業補習講座』の教室で講師をしていたのは、依子先生の旦那だった。


「受験生の講座は毎年ボランティア講師をお願いしているんだよ。うちの先生は入試問題を作っているから、ちょっとね」


 なるほど、それで人気があるのか。

 しかし、『高校生が教える』のアイデンティティが崩壊し過ぎのような。


「おおーつっきー君! みんな覚えとくといいよ! 彼は安佐手月人君って言ってね来年の生徒会長さんだかんね! 今から超媚びといた方がいいよぉ!」


 慌てて頭を下げてしまった。

 生徒会長じゃなくて、二年生の委員長になるだけなんだけど。


 俺の方を振り向いた中学生達の顔は、『怪訝』という言葉がぴったり合っていた。

 思った三倍は冴えない奴だと思われていそうだな。


「皆さんこんにちは。私達は生徒自治委員会と言いまして、参加は通常の委員会と同じ希望入会ですが、いわゆる生徒会と似た活動をしています。当校への進学の暁には是非参加をご検討ください」


 旗沼先輩は言い終えてから、咎めるような視線を俺に向けてきた。

 紹介に預かった俺が言うべき言葉だった。


「よ、宜しくお願いします!」


 何とか言葉を絞り出したところで、ガラガラと教室の引き戸が開いた。


「おお、このイケメン君も覚えておくといいよ!」


 さすが我が兄弟、一瞬にして女子を魅了してしまった。


 はぁ。

 今の今までどこで何をしていたんだよ陽太郎君よぉ。


「瀞井陽太郎と申します。来年は二年副委員長を務める予定です」


 受験生の邪魔をしてもいけないので、そそくさと教室を出た。


「お帰りなさい瀞井君。抜けた分はしっかり働いてもらいたいところだけど、それは明日からにしようか」

「すみません、ありがとうございます」


 旗沼先輩は無造作に紙製の警備腕章を引きちぎった。

 そして心底安心したように、陽太郎の頭に手を置いた。


 俺の遙か頭上で何をしてくれているんだ。

 俺以外の全員は、陽太郎が何をしていたか知っているんだろう。

 みんな俺に気を遣いすぎだよ。


「おーいよーちん! つっきー! 沼っち先輩も! 雨降ってきたから急いで校庭!」

「静かに!」

 

 こちらへ走ってくる多江に注意しつつ窓の外を見ると、確かにまとまった雨が降り始めていた。


 陽太郎からは色々と聞き出すのはもう少し後になりそうだった。

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