第三十九話 少年と小さな訣別
少年と小さな訣別-1
朝五時。
自治会室の磨り硝子の外は真っ暗だった。
あと一時間もすれば、おびただしい数の集会テントを設置を開始しなくてはならないのか。
もう少し寝ておきたいのに、これ以上眠れる気がしなかった。
首と肩が痛くて仕方がなかった。
昨日の最後の仕事は、厚紙で大量の『警備』と書かれた腕章を作る雑用だった。
これをスタッフ全員に巻かせるというのが、多江による単純極まりない人海戦術だ。
全員に手配書も持たせる予定なんだそうだ。
その仕事が終わると、依子先生に寝袋を投げ込まれた。
大人数がいる空間で寝るのは苦手だからありがたいんだけど、夜中の学校で一人ってのは結構怖かった。
桐花は女子部屋の教室へと行ってしまった。
行ってしまったはずなんだけど。
「あ、あのさ、」
起きたらその桐花が背後にいるんだから、困ったもんだ。
「……おはよう」
「お、おはよう……な、何してんだよ?」
「寝てた」
そうじゃなくて、どうしてここに寝袋を持ち込んで寝ているんだ。
「こんなところ見られたらまずいだろ」
「別にいい」
「良くないから女子部屋に戻れよ」
声が不機嫌だ。
何かあったのかな。
「……教室、居辛かった」
居づらかった?
クラスの連中とは結構打ち解けていたと思うんだけど。
「先生が、言いふらしてて」
「へ……?」
「みんな、安佐手を探せって騒いでて」
何考えてんだあのクソ教師!
だから俺にここで寝ろなんて言ったのか?
いや、それよりも気にすべき問題がある。
「ち、ちょっと、先生止めないと自治会に居られなくなるぞ!」
「落ち着いて」
どう落ち着けってんだよこの状況。
でも、桐花の声がとげとげしくて指摘できなかった。
生活指導の教師に変な風に伝わったらお終いだぞ。
「先生、守ってくれるって言ってた。その代わり、来年も委員長やれって」
「え……? あ、そう」
それはもう覚悟していたから良いけど、担保を取られてしまった気分だ。
「そ、そろそろ起きよう。あの、着替えたいんだけど」
「後ろ向いてる」
「そういう訳にはいかないだろ。お前も着替えなきゃいけないし」
「試着室使う」
そうだった。
だから自治会室には背の高いパーテーションが設置されたんだった。
「い、いや、そういうことじゃなくて」
「使っちゃいけないなんて言われてない」
桐花の声音から察するに、不満ゲージがかなり溜まっていそうだ。
身に覚えはないが、俺が悪いんだろうな。
「……質問」
「は、はい、どうぞ」
男が一人しか居ない場所に来るなんて行動に出たのは多分、何か気分を害するような事態があったからだ。
「おでんくれた人……誰?」
「へ?」
なんでまた。
警備腕章を作っている最中に、おでんを差し入れてもらっていた。
「あの人は女バスの部長さんだよ。練習場所の件でバド部と交渉を仲介したの感謝してくれてて」
「……フルーツの缶詰くれた人は?」
「それは、女バドの人」
女バドの部長さんはデザートと称してフルーツ缶を差し入れてくれた。
出し物は確かクレープなので、材料のあまりをくれたんだろう。
「甘酒、持ってきてくれた子、仲良さそうだった」
「……手芸部の人だけど」
手芸部から編みぐるみ部として独立しようとしたが、瀬野川にねじ伏せられてしまった女子生徒の一人だ。
「多江と何話してたの?」
「は? 大事な話してたのに聞いてなかったのかよ?」
多江は警備腕章を回収しに来ただけだ。
自分から毛布を被って多江の質問攻めから逃げたくせに、
「……俺達の仕事の割り振りだよ。旗沼先輩と多江が変えまくってて。おかげで今日はどう動いていいか分かんないんだよ」
桐花が不満げな表情は回復しなかった。
「もっとたくさん話してた」
ああもう!
自分で壊滅的な非モテ男を選んでおいてそこまで疑うか?
「あ、あのなぁ! お、俺だってお、お前が宜野に遠慮無く話してるの見てて、すげぇ気分悪かったんだからな!」
「……い、いつ?」
恥ずかしいことこの上ないけど、事実だ。
「お前がクラウドの使い方とか議事録の取り方必死に教えてただろ」
いや待て。
言うに事欠いてなんてことを言ってるんだ俺は。
「あ、いや、えと! あんなに前から勝手にその、こういう関係のつもりでいた訳じゃ、ないから!」
我ながら気持ち悪いなぁ。
夏頃からもう桐花が気になってたってことかもしれないぞ。
「……心配ない。宜野、怖いから、話したくない」
「へ? あんなキャラが?」
急に悲しげな声を出した桐花の顔が、見たくてたまらなくなった。
反対を向くと、寝袋に半分埋まった顔がこちらを見ていた。
「いっつも、一人にしてくれなくて」
桐花の声がどんどんか細くなっていく。
近寄らないと聞き取れなかった。
「宜野が近くにいるだけで、他の子から、嫌なこと言われる」
俺達って驚くほど似ているな。
顔面偏差値以外。
「宜野のこと、好きかって質問されて、好きじゃないって言ったら、失礼とか言われて。好きかもしれないって言ったら、笑われて。お前みたいなのがって……全然好きじゃないのに」
加虐目的だけの質問は本当に心を削られる。
俺も多江と二人で歩いているだけで言いたい放題言われたな。
宜野は周囲の心無い攻撃を防ぐ力はなかったのか、宜野の視線を独占する桐花をよく思わない奴がいると気づけなかったのか。
今の桐花は守ってくれる友人がたくさんいるから、心無い連中に揶揄されることはない。
俺は揶揄されるような見た目のままだ。
でも今は、自治会の委員長という地位がある。
委員長という他人から色眼鏡で見られる地位を保てれば、少しは桐花も男の趣味が悪いと言われなくて済むんじゃないだろうか。
「宜野のこと、ほんとに好きじゃないから」
「う、うん。わ、分かってるから、とにかく起きて、テント設置しないと」
はぁ、俺はどこまで心が狭いんだ。
桐花から宜野という言葉を聞くだけで、心臓に針を刺されるような気分だ。
「あ、あの、」
「な、何?」
急に遠慮がちになられると、どう対応して良いか分からないな。
「……女の子と、話してるの、不安になる」
「へ?」
何も心配することなんてないのに。
「あの人達は『一年委員長』に用があるんであって、『安佐手月人』に用はないのは分かるだろ?」
桐花は寝袋から這い出て、俺に顔を近づけてきた。
「本当に?」
「ほ、本当だよ」
桐花は俺の顔をじっと見ていた。
俺は、桐花の色も厚みも薄い唇から目が離せなかった。
桐花の顔がゆっくり近づいてきた。
駄目だと言わなくちゃいけないのに、欲求に抗えなかった。
でも、桐花の顔はあと数センチというところで止まってしまった。
桐花は俺の頭の後ろに手を伸ばし、何かを掴んだ。
「……封筒?」
封筒を開けると、小さなカードがぽろりと落ちた。
「カップルシート招待券……?」
ご丁寧に、安佐手月人様と向井桐花様と、名前も書かれていた。
誰かがここに投げ入れたんだ。
というか、完全に覗かれたんじゃ?
あれ? 終わった?
俺の委員長の地位どころか、高校生活終わった?
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