第三十七話 少年と少女、(少しだけ)分かり合う

少年と少女、(少しだけ)分かり合う-1

 桐花はどこにいるんだろう。

 携帯に返信もなければ、既読もつかなかった。


 コートを着ていなかった桐花は校舎内に戻っているはずだ。

 自治会室に寄ろうとも思ったが、あんなに寒い空間に逃げ込むとは思えなかった。


 だが、女子の寝床として割り当てられている教室の中に桐花はいなかった。


「あ、BL委員長! 面白かったよー!」

「うるさいな!」


 声をかけてきた女子に反抗的な返事をしてしまうが、ゲラゲラと笑われるだけだった。

 ちょっと美味しいと思っている自分も嫌だ。


 自治会室へ戻って誰かのコートを借りないと。

 桐花は自分のコートをどこに置いているか知らないが、着ていなかったら凍えてしまう。


「……あ」


 自治会室へ戻って窓から真っ暗な空間へと入り込むと、人の気配があった。


 はぁ、どうも俺は自分の思い込みに溺れることがあるんだよな。

 暗く狭い自治会室の中、毛布を被った何かがいた。


「桐花」


 山がびくりと動いた。

 中身は桐花で間違いないらしい。


 毛布を引っ張ってみたが、引っ張り返された。

 手探りで電気ストーブの電源を入れると、毛布の山がオレンジ色に照らされた。


「ていっ!」


 今度は思い切り毛布を引っ張るが、やはりすごい力で引っ張り返された。

 中を確認するまでもない。


「顔見せてくれよ」


 返事がない。

 もういい加減疲れた。

 この手段は使いたくなかったが、仕方ない。


「そうだよなぁ。こんなブッサいキモヲタと同じ空気吸うのも嫌だよなぁ。はーあ。ついに嫌われたか。生まれてごめんなさい……え!? あ、ちょっと!?」


 毛布の化け物のまま襲ってくるなよ!


「痛いって! 殴るな! お前が顔出さねえからだろ! 俺の顔が見たくないんだろ!」

「うぅ!」


 何だその唸り声は。


「ちゃんとしゃべれよ!」

「そういうこと言わないで!」


 くぐもった声で怒鳴られても。


「そんな風に俺の顔を見ないってことはお前がそう思っていようとなかろうと一緒なんだよ!」


 我ながら無茶苦茶だ。


「……ゲホ」


 なんてインテンショナルな咳だ。


「もういい。ここまで嫌われてるとは思わなかった」


 なんで俺も感情的になっているんだ。

 毛布の化け物は電気ストーブへと近付いて電源を切ってしまった。


 まるで見えているみたいだな。

 布団を巻いて歩く自称宇宙人みたいだぞ。

 毛布が落ちる音がすると、化け物の中身の輪郭がやっと現れた。


「寒いだろ」


 コンセント差し直して桐花へと向き直ろうとした瞬間、視界が真っ暗になった。

 俺に毛布を被せてどうするんだよ。


「うぇ、くっさ!」


 毛布に阻まれて戻ってきた俺の息がやべぇ。

 トイレで何度もうがいしたのに吐瀉物その匂いそのままだ。

 宜野はこんな匂いに耐えてたのかな?

 そういえば会長も……うわ、忘れてしまいたい。


「毛布取るぞ?」

「そ、そのままで、お願い……します」


 なんだ、突然敬語使いやがって。


「あ、あのさ、俺のバッグの中のミント取ってくれない?」


 ミントケースが毛布の中へと差しこまれた。


「ゲッホ!」


 しまった、大量に食べ過ぎた。


「ゲホッ、辛っ! も、毛布取るからな」


 自分に覆いかぶさった毛布を剥がして、手探りでストーブのスイッチを入れる。

 ぺたりと座り込んだ桐花の背中が見えた。


「か、髪、切ったの?」


 何から質問して良いものか分かったものじゃなかった。

 黒髪の桐花が、恐る恐るこちらを振り向いた。


 耳が半分出る程度のショートヘアはなかなかの破壊力だ。


「け、毛先、ちゃんと染まらなくて、切られちゃって」

「そ、そっか」

「あ、あの、グェホ!」


 大量にミントが鼻を突いてうまく言葉が出ない。


「……それ、いつ染めたんだ?」

「……さ、さっき、美容院、行ってきた」

「お、お前学校抜け出したのか!?」

「午後以降は自由参加だもん」


 あぁ、そうだった。

 一応放課後扱いだし。


「な、なんで? あの、その前に、見せてくれよ」


 体ごとこちらを向いた桐花は、驚くほど印象が変わっていた。


「なんか、大人っぽいな」


 金髪は輪郭がはっきりしないからか、ふんわりした少女のような印象が拭えなかった。

 今の桐花は黒い髪の毛のお陰で、顔立ちまではっきりしているように見えた。


「ほ、ほんとに?」

「ほんとだよ。なんか、可愛いっていうより、大人っぽい」


 褒め言葉の語彙力が足りない。

 普段から人を褒めていないから、良い言葉が出てこないんだ。


「か、可愛くはない」


 どうして可愛いという言葉を頑なに否定するんだか。


「と、とにかく、染めた理由はなんだよ?」

「……ぎ、宜野から聞いた、くせに」


 体育館の非常階段で聞こえていた足音は桐花だったのか?

 これはまずい。


「ど、どこまで聞いてた!? あ、あの、よ、依子先生がバットで人を殴ったって話は誰にも言うなよ?」


 桐花の目が大きく見開かれた。


「あ、いや、その……忘れてくれ!」


 しまった。今のは完全な失言だ。

 桐花は先生の昔話なんて知らないのに。


「あの、あのな、こ、今度詳しく聞かせるから、絶対言うなよ!? 先生は先生ですげー大変だったんだからな? 嫌いになったりするなよ?」

「な、ならない!」


 脇が甘いな俺も。


「ええと、その、話戻すけど、どうして髪の毛染めたんだよ? ぎ、宜野の言ってる意味だけじゃ分からないんだけど」


 どうして桐花は俺を睨むんだ。

 質問の仕方が悪かったか?


「で、できたから」

「できた?」

「ちゃんと、お断り、できた!」


 そうか。

 宜野のレッドカーペット付きの告白なんて、俺が邪魔しなくても不発だったのか。


「そ、そっか、ごめん」


 俺の余計な行動が、桐花の覚悟を潰してしまったのか。


「い、言えなくても、宜野が、嫌いな、黒い髪の毛、見せれば……!」


 桐花が不意に言葉を切ってしまった。


「え? あいつは黒髪嫌いってことはないだろ」


 桐花の不自然な髪色が嫌だと言っていただけだ。


「だ、だって、中学の頃、先生に言われて、黒くしてたら、宜野が、それは良くないって……みんなも、すごく騒いで……黒が、良かったのに」

「黒髪を強要されたのは聞いたよ。お前は黒くしてた方が良かったんだろ?」


 なんで四月に会ったばかりの俺に分かることが、宜野には分からなかったんだろう。


「なんで、宜野に聞いたの?」


 なんだその質問は。


「そりゃ、興味あるからだけど」


 そしてまた変な回答をしてしまう自分も良く分からない。


「な、なんで、聞いてくれないの?」

「え? お前に直接ってこと? 教えてくれるの?」

「……お、教える!」


 逡巡してからのそれは信じがたいけど。


「なら、その、俺が思ってたことは正しいのか? 本当は黒がいいの?」

「……怒らない?」

「怒らねぇよ」


 怒る理由がない。

 何をじっと考え込んでいるんだか。


「も、もし……つ、嗣乃が、金髪にしたら?」

「ん? 馬鹿にするかなぁ?」

「そうじゃない!」


 なんで怒るんだよ。

 的外れな質問をしたのは桐花なのに。


「あいつが金髪しかいないような国に留学して髪の毛の色変えたってぇなら普通だろ」


 そんな国があるとは思えんけど。


「なんだよ? お前は髪の毛黒くするとキャラ変わったりするのか?」

「……変わるわけない」


 そこは真面目に返事しなくて良いところなんだけど。


「なら、構わねぇよ。うちの学校は髪色厳しくないし」


 流石に天然じゃない金髪は指摘を食らうかもしれないが。

 瀬野川の明るいアッシュベージュだかいう髪色にしているし、多江も瀬野川の差し金でグリーンブラウンという髪色にしている。

 他の女子も明るい髪色は多いのに、教師は誰一人指摘しない。


「……ほんとに?」

「ウソつく必要ないだろ」


 やっと桐花と目が合った。


 正直、不自然だ。

 髪の色は真っ黒で重いし、瞳は黒じゃない。


「このままでも、いい?」

「はい?」


 俺に聞かれてもな。

 自分で決めろと言いかけて口をつぐんだ。


 桐花は別に許可を求めているのではなくて、俺に善し悪しを聞きたいだけだ。


「……駄目?」

「い、いいよ!」


 なんだか、しどろもどろな口調になってしまった。

 本当に良いかなんて分からないけど、桐花は心根はそうしたいと言っているんだろう。


「……お母さんに、怒られなかったら、このままにする」

「う、うん」


 やっと桐花の表情が和らいだ。

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