謹慎少年、全力で後ろ向き-3

「いよぉし!」


 多江は気丈な態度で立ち上がった。


「休んでなくて大丈夫か?」


 手近な椅子に座って、スマホ画面で進捗状況を確認する多江の顔は複雑だった。


「……そうだねぇ。一応、大丈夫よ。実行委員会だって自分達のできることをやってるんだけど」


 多江の顔は疲れていたが、まだ目には光が見えた。


「ああもう! すげーな依ちゃん!」


 急に両手を宙に投げ出した。なんだよ一体?


「来年結婚できる!? 無理っしょ!」

「へ? いや、してくれるならするかもなぁ」


 養ってくれるならな。

 そもそも俺にはそんなチャンスないし。


「えーそんなもん!? 結婚すると男は不利だよ!?」

「夢のないこと言うなよ。

「あはは、すまんね。波長合っちゃったのかなぁ? 依ちゃんと交野さん。仲いいし」

「かもなぁ」


 そう考えると困ったもんだ。

 思い浮かんだのはどこか波長が合わない嗣乃と陽太郎だ。

 でも、あの二人の波長を乱しているのは俺だったとも思い当たった。


「……つっきーは最近どうよ?」


 ニヤニヤしやがって。

 俺がどれだけ心折れているか知らんのか?


「お前の近況をまず教えろよ」

「え!? い、いやぁ、何もねぇですよ?」


 やっぱり何かあるのか。


「……まぁそのぅ、大変だなぁって思い始めたくらい……かなぁ?」

「なんだそりゃ?」

「あの、つっきーにも関わる話だし、あたしの人格、疑ってもいいけど、その、嫌わないで仲良くしてくれる?」


 俺に対して言葉を選ばなくて良いんだが。


「誰かが嫌いとかそういう話でないなら構わねぇよ」

「そ、それなら平気。でも……誰かが傷つくかも」

「傷つかない人付き合いなんてねーだろ」


 知った風なことを言ってしまった。

 でも、多江は安心したようだ。


「き、昨日の作業終った後、と、とーくんにその、告白的なの、されちゃってさ。ど、怒鳴られて、嫌われたと思ったから、びっくりしましてねぇ」


 ふむ。

 そりゃまた一つ肩の荷が下りたな。


「な、なんとか言えよぅ!」

「良かったですねぇ。お多江はんは美人ですしねぇ」


 俺、本当に喜んでるよ。

 杜太が俺に気遣いも相談もせずに踏み出したことが嬉しいんだ。


「……び、美人って煽りはよしとくれ! こ、高校入ってこんなに色々変わるとは思わなくて、結構きついんだよぅ!」


 まぁ、確かに変わったな。


「な、なんか、つっきーは遠くなるし、とーくんが急に身近になるし。にーはなっちゃんとやっとうまくいったし」


 最初が聞き捨てならん。


「俺が遠いってなんだよ?」

「いやぁ、そりゃあたしも性癖以外はふつーの中学女子だったからさぁ。なんてのかなぁ?」


 話が整理されていないが、中学の頃との変わり様を言いたいんだろう。


「んと、ね、この際だから、洗いざらい話すよ」


 多江の顔は俺とは違う方を向いてしまった。


「あたしはさ、中学の頃はね、きっと、その内つっきーと付き合ったりすんのかなーなんて考えてたんよ……一番身近な男子だったからねぇ」

「え? あ……そう」


 心臓に悪いな。

 なんだよ、言ってくれれば良かったのに。

 言わなかったのは互い様なんだけど。


「……でもねぇ、無理だったんよ」

「そりゃそうだろ。ネトゲ仲間がたまたま男だったってだけだし」

「そ、そうじゃないってば。つぐとにー以外の数少ない話せる子に何気なくそういう話しちゃったらさぁ……どうして安佐手の方なの? 普通瀞井でしょって言われちゃってさ。そこからずっとつっきー批判されて。何であたしはつっきーの悪口をずっと聞かされないといけないのかなって」

「ふぅん」


 別にさもありなんって話だ。

 俺は女子のサンドバッグとして優秀だった自覚はある。


「あたしも馬鹿でさ……あたしがつっきーから遠ざかれば、つっきーがこれ以上嫌われないと思ったんよ。んで、話し合わせるくらいのつもりでよーちんが好きになったとか試しに言ってみたら大喜びされちゃってさ。あぁ、これが正しいのかって思っちゃって。我ながら情けないよ」


 多江はやはり他人の言葉に弱い。

 でも、俺はその判断は妥当だと思ってしまう。

 多江をひどいいじめから助け出した立役者は陽太郎なんだし。


「……よーちんはどうせつぐの物になるから、それであたしは無罪放免って思ってたんさだけどね」


 多江は突然床に寝転がって毛布を被ってしまった。


「だけど、だけどねぇ、余計なことに気づいちゃったんだ」

「余計なこと?」

「つぐってよーちんのこと、好きじゃないってこと」

「え!? いや、そんな……!」


 まて、落ち着け。話を聞け。

 多江は必死に自分の気持を整理したがっているんだから、それに協力しろ。


「つっきー、あたしは何もよーちんをつぐから奪いたくて言ってるんじゃぁないからね? その、よーちんのことは好きだよ? 付き合ってみたい。ボケッとしてて可愛いし、優しいし。あ、腐女子耐性もあるし」


 陽太郎の良いところを見てくれているのは嬉しいけれど、嗣乃が陽太郎を好きではないというのはどういう意味だ。


「そもそもよーちんがあたしに興味ないからどーでもいいんだけど」


 そんなことはないんだけどな。

 多江のベタベタ攻撃は陽太郎にクリティカルヒットしていたことは本人も認めるところだ。


 ところが、その光景を嗣乃はなんの行動も起こさなかった。

 それどころか、電動補助自転車を手に入れた多江に陽太郎を任せて置いていってしまったことすらあるんだ。


 祭りの時だってそうだ。

 瀬野川と陽太郎は来年の例祭のポスターにカップル形式で登場するのが確定しているのに、嗣乃はそれを知っても表情一つ変えなかった。


 陽太郎と一緒に神輿乗れと言った時も、まるで乗り気ではなかった。

 いつも陽太郎が近くにいるのに、俺の頬に噛み付いたり……。

 もう思い出すな。あの二人はちゃんとどうにかなるって!


「つっきー、逃げないでよ」

「に、逃げるなってなんだよ!」


 つい声を荒らげてしまったが、少しだけズレた毛布から見えた多江の視線にひるんでしまった。


「つぐはね、つっきーのことは……なんていうのかな? とにかく、思い入れが深過ぎるんだよ。そこによーちんは入り込めてないって感じなんだと思うんよ」


 それは俺には分からない。

 多江から見た嗣乃は、俺の知っている嗣乃とは違うかもしれない。


「あのさぁ、つぐが痴話喧嘩してたとか、ニキビ潰し合ってたとか、そういうのの相手が全部つっきーだっていう話、結構伝わって来てるよ?」

「ま、マジか……」

「だからつぐはつっきーと付き合ってるか、もう秒読みって思われてるんよ?」


 いや、それはおかしいだろう。

 嗣乃が俺とどうこうなりたいって思うのか?


「で、でも、なんで俺? だって、何がいいんだよ……これの……?」

「怒られたいかね?」


 もう怒ってらっしゃるよお多江さん。

 俺も混乱していることは分かって欲しいのに。


「……あのさぁ、あたしはつぐじゃないからどうしてかなんて分からないけど、とにかくつっきーが大事なんだと思う。多分ね、つぐ自身分かってないんだと思うよ。ずっとつっきーとよーちんがいるってのが普通の状態なんだから。でも、今はよーちんよりつっきーの方が心配なんだよ」


 返す言葉が見つからなかった。

 嗣乃は本当に俺との未来を考えているんだろうか。


「い、いや、俺を気にする切っ掛けがそもそもないだろ。長く一緒にいる以外。よーはその、見た目いいし、最近やっと地に足ついてきて、しかも嗣乃のことが、ちゃんと好きなんだぞ?」


 それはまぁ、俺もだったんだけどな。

 つい数日前に思い知らされたよ。

 痛みが減ってきた脇腹の傷を気にしてしまうほどには。


「何言ってんの? ここは現実だよつっきー。あたしも乙女ゲーとかラノベとか好きだから人に惹かれるには切っ掛けがなきゃって思うんだけど、人の好き嫌いって原因と結果じゃないってとーくんに気付かされたんよ」

「と、杜太に?」

「うん。つっきーと同じだよ。あたしなんかのどこがいいの? って、聞いちゃったんだよね。そしたら、『わ、わかんないです』……って言われちゃった。初めて会った時は変な人だと思ってて好きじゃなかったから、一目惚れじゃないって。ただもう、今はその、お付き合いしたい好きなんだってさ。いやはや、困ったねぇ」


 困る必要はない。

 自分の思ったように返事をすれば良いだけなのに。


「つっきーって、その、もしかして、もしかしての話だよ? あたしと同じようなこと思ってたことって、ある?」


 嫌なところ切り込んでくるね。


「あるよ。ずっと一番気になってたよ」


 はーあ、なんだこの状態。

 せっかく過去形にできたのに。

 自分の中で踏ん切りがついた気分でいたのに。


「……ごめん。あたしが振り回しちゃったね。もうずいぶん昔に思えるけど、自治会入った時くらいだったっけ? よーちんが気になる……なんて相談しちゃって」

「なんでお前が悪いことになるんだよ?」


 悪いのは多江じゃない。

 多江は例え周囲からの勧めでとはいえ、陽太郎に気持ちを向けようと行動を起こしたんだ。

 俺の悪口を多江が聞かされ続けるたのは俺が悪口を言われるような奴だったからに過ぎないのに。


「い、いやぁ、もっとあの時つっきーのこと、分かってたらなぁ。あんな風によーちんの話なんてしなかったなって。つっきーはよーちんと比べるようなこと言ったら、絶対に引き下がるって知らなかったんよ……それをにーに聞かされて、いやぁ、あの時は凹んだなぁ」


 自分でもそんな部分があることに気付いていなかった。

 瀬野川はすごいな。

 俺の卑屈極まりない部分を察知していたとは。


「……で、でも俺、嗣乃に言われたんだよ。お前からあの相談受けた後さ、俺がもし多江と付き合っても、うまくいかなかったもしれないってさ……お互いちゃんとしようって空回りしてさ」

「ほぉう、あたしに勝るとも劣らぬ女子力胴体着陸のつぐがそんなことを? ちょっと腹立つねぇ」


 地面擦ってるのかよ。


「俺に多江は望みが高過ぎと思ったんだろ?」

「違うよ。つぐはね、つっきーを少しでも苦しめそうな相手は嫌なんだと思う。納得いかないかね?」


 納得いかない。

 全くいかないぞ。


「なんで多江が俺を苦しめるんだよ」

「苦しめるよ。もしつっきーとそういう関係になって、また外野から色々言われたら気持ちが揺らいじゃうよ。そういう奴なんだよ、あたしは」


 心底悔しそうに言われてしまうと、反論し辛い。

 俺も同じだからだ。

 多江と二人でいるところを目撃されては疑問を呈されていた。


「つぐはね、あたしのそういう性格良く知ってるもの。その上で仲良くしてくれてるから、あたしはつぐが大好きなんよ」


 少し納得してしまった。

 嗣乃の一番の希望はもしかすると、三人で変わらずにいることなのかもしれない。


「でもね、」


 ドンドンとドアを叩く音が響き、多江の言葉が止まった。


「は、はい!」


 依子先生だった。


「え? 依ちゃんノックなんてしなくても」

「いやさぁ、ちょうど多江もつっきーも弱ってるしぃ、なんか間違い起こしてたら面白いけどぉ、見ちゃったら無粋だなぁと思ってよぉ」


 何を早口で言っているんだこの人は。


「多江、行くぞ。休憩所と仮設便所の整備状態の確認だ。一年のところは行かねーから安心しろ」

「は、はい!」


 多江は何を言いかけたんだろう。

 桐花に話してしまった俺の本音は、嗣乃の隣にいたいという本音はまだ俺の中に燻ったままだ。


 だから、陽太郎には早く決着を着けて欲しい。

 早く俺を一人にしてくれ。

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