謹慎少年、全力で後ろ向き-2
自治会室のドアが乱暴に開かれた。
「おいつっきー!」
「……うるさいなぁ」
「てめぇなんだその態度は? その毛布よこせ」
なんだ依子先生か。
一時間ほど眠ってしまっていたようだ。
「寝てるんで後にしてください」
「状況見て言え」
毛布を少しだけずらすと、依子先生は顔が青ざめた多江に肩を貸していた。
「た、多江、どうした!?」
「い、いやぁ……大したことねぇでさぁ」
床にへたり込んだ多江を慌てて支えた。
「つ、つっきー、謹慎食らって泣いてたの? 辛かったねえ、よしよし」
何を他人のことを心配してるのか。
突然、多江の両目から大粒の涙が流れ始めた。
もう何本も涙の線が付いている頬に、線が増えていく。
「ど、どこか怪我した!?」
「違ぇよ。一年の出し物間に合わねーから多江に指揮させてたんだけどよ、指揮権取られた一年の実行委員会連中が取り囲んでてさ。一歩も引かずによく持ち堪えたよ」
実行委員会は使えない連中なのは知っていたが、ここまで馬鹿な真似をするとは。
「あははー……べ、別に囲まれて怖かったって訳でなくて、よーちんとつぐが、いてくれないと、指示、聴いてくれないんだなって……悔しくて、ねぇ」
「よーと嗣乃は何してたんだよ? 杜太は?」
「み、みんな、各教室の出し物、チェックしてて、全体は、あたしと、つぐが見てるんだけど……」
「少し休みな。つっきーに聞きたいんだけどよ、嗣乃はどうしたんだ? 今朝はボロボロだぞ? 多江と杜太の護衛はあいつの仕事だったのに」
ボロボロ? 嗣乃が?
今日も元気に自転車通学したぞ。
ここで仕事をしていた時も変わった態度なんてなかったぞ。
「い、いや、思い当たらないですけど」
「ふ、不甲斐なくてすまぬ……つぐとにーの庇護がないと何もできぬ身ゆえ」
依子先生が首を振った。
「ちげーよ。アイツらが正論と行動でねじ伏せるから、多江を攻撃して一矢報いたような気分でいるのさ。間違いを正面から指摘し過ぎるのも問題なんだよ」
くたびれたジャージ姿の依子先生も、疲れた顔をしていた。
連日疲れるのは生徒よりも教師だ。
そこに女子サッカー部事件までねじ込まれたのだから、疲労もピークだろう。
「あ、あの、依ちゃんさ、あたしのこたぁいいから、つっきーが謹慎食らったほんとの理由は何なんですか? 暴言ってのは分かるんですけど、なんか、納得いかなくて」
「……テメーらには色々教えていいかもな」
多江は自分の状況を分かってそんな質問してるのか?
「先生、多江を休ませてくださいよ」
「へー。あのクソ生徒会長が何モンか教えてやろうと思ったのに。アイツがなんでねーねー様なんてアタシを呼ぶ理由は聞きたくねぇのか?」
う……それは聞きたい。
でも無視だ。
「ん? なんで床にティッシュ箱落ちてんだ? お前まさかこんなとこでシコ」
「ってねえよ!」
はい俺の負け。
反応しちゃった俺の負け。
「つっきーよぅ、泣くほど凹んでる理由はなんだよ?」
「うるさいな……人から前夜祭奪っといて」
「ハァ?」
まぁ、「ハァ?」と言われるよな。
「前夜祭出れねぇくらいで凹んでんじゃねぇよ。アタシ達みたいな
ぐぬぬ。
その通りなんだけど。
毛布をかぶり直すと、毛布越しに頭を軽く叩かれた。
「ったく、この程度で済んで良かっただろうが」
「……こんなとこ閉じ込めておいて、でも報告書は書かせようなんて随分なことしてくれてありがとうございましたぁ」
「つ、つっきー、どうしたよ?」
多江と思われる手にぐいっと毛布が引っ張られた。
なんとか引っ張り返す。
「あーのなぁ。オメェは誰にケンカ売ったと思ってんだよ?」
「笹井本かとりに一方的にボコられたんですけど」
口に出すだけで悔しいな。
「はぁ……お前らの父ちゃんは本社が県外の企業だし、かーちゃん達は笹井本家の若手にデカい貸しがあるから問題ねーだろうけどよぉ、ここらの農家も商店も企業も大体瀬野川と笹井本の世話になってんだよ。刃向かいそうな奴がいたら御注進する馬鹿が必ず出るんだよ。下手すりゃ仁那にも迷惑かかるんだからな。ま、今回はアイツが言い降らし過ぎたんだけどな」
瀬野川には迷惑かけ通しか。
いや、この件はおあいこだな。
「……先生はやっぱり実家が怖いんですか?」
「話の持って行き方が下手過ぎだぞ」
自覚してるよ。
どうしても笹井本かとりの言い捨てた言葉が気になって仕方がなくなってきた。
笹井本かとりの年の離れた姉とは、依子先生のことで間違いないんだろうか。
「え? 依ちゃんの実家がどうしたの?」
多江は何も知らないか。
「仕方ねぇ。久々に惚気けたいから聞け。多江も身内以外に漏らすんじゃねぇぞ? 笹井本かとりはアタシの妹だよ」
「まままじっすか!? でもおっぱいデカい以外全然似てな……あ痛ぁ!」
案の定、多江の頭に依子先生の拳が叩き込まれた。
先生は胸がコンプレックスだっていい加減覚えろよ。
「ま、姉弟なんてたくさんいるし。瀬野川家はもうちょい健全だけどよ、笹井本は本家が断絶してから子供を多く作った分家が実権握れるんだよ。だから昔から男のヤリたい放題だよ。嫁もいれば
なんだ、それは。
ややつり目で眼光が鋭い依子先生の顔つきと、柔和でいつもニコニコ笑っている笹井本会長氏に共通点なんて見いだせなかった。
「アタシは家にいると分家の男共に襲われるから早いとこ飛び出したんだよ。一応筆頭分家の長女扱いだからな。アタシをゲットすると出世レースには有利だし」
「へ、へぇ、もしかして、大学卒業してすぐ結婚したとかですか?」
多江が興味深そうに突っ込む。
あのヲタ丸出しの旦那氏もやるなぁ。
「ちげぇよ。結婚十五年目の記念イヤーだよ祝え」
「「えぇ!?」」
「だ、だ、だって、先生って31歳じゃ……引く15、じゃなくて引く14……17歳!?」
多江が動転した声を上げた。
思考が追いつかん。
あの旦那氏、高校生と駆け落ちしたのか?
「そーだよ。仁那も言ってたろ。中学くらいになると分家の皆様がご子息連れて家に来るんだよ。実家は未だに
依子先生の口の軽さはまるで他人事だ。
「高校にもなると野郎共が発情期でいよいよ危なくてさ。嫡子じゃねぇから襲って服従させてやろうってのがいてよ、担任だったゴリラに保護されてここの宿直室に保護されてたこともあるさ。保護動物に保護されてたんだなアタシ。プッ!」
全然笑えねぇ……。
「えと、それって、せめて教頭先生の家じゃ駄目だったんですか? 学校なんて誰が入ってくるか分かりませんし」
多江の疑問はもっともだ。
この学校は広いし、警備も薄い。
「何日かは泊まってたさ。でもなんてーの……まぁ、人間なのにゴリラに恋しちゃってたんだよなぁ。純情可憐だったからさぁ」
「え……えぇ……!?」
声を上げる多江以上に俺は混乱している自信があるぞ。
恋愛感情って難しいなぁ。
「父親に父親らしいことしてもらってなかった反動だったって後から気付いたけどな。今でも父親代わりみたいなもんだよ。アタシは未だに親離れできてねーんだ」
金持ちの家というのは生きるのに困らないかもしれないが、自分の思うとおりには生きられないらしい。
しかも女に生まれたら、人としての尊厳すら奪われてしまう。
「まーその頃にゴリラの教え子だった旦那が教育実習に来てさ、コイツなら信用できるってんで、アタシは旦那の下宿で寝泊まりさせてもらってたんだよ」
どんな人生辿ってるんだよこの人。
自分の人生をモチーフに漫画描いたら絶対売れそうなんだけど。
「二週間くらいだったかな。教育実習終わった週末にさ、どっか連れてけって旦那にせがんだんだよ」
多江は何故か目に涙をたたえていた。
感情が高ぶった直後だから、少し感情移入の度合いが強いのかもしれない。
「そしたらあんにゃろ、元々予定に入れてた声優のライブに連れていきやがったんだよ。当日券ダダ余りの大したことない声優だったんだけどさぁ、その声優がこともあろうに『ヤッて孕んだから結婚して引退すんねー!』的な発表しやがって、旦那が分かりやすく凹んじまってさ」
なんと可哀想に……。
今まで買ったCDをバキバキ割るだけじゃ足りないだろう。
「うっわぁ、誰ですか? そんな空気読めないの?」
「言えねぇなぁ。交野家では箝口令敷かれてるんだよ」
多江は興味深そうに聞いていたが、俺は話の展開に心臓が割れそうだ。
「もう無理。生きていけないから一緒にいてくれ、俺と結婚すれば笹井本じゃなくなるから良くない? なんてプロポーズされて。出会って二週間で結婚してそのまま十四年だよ」
軽っ!
出会って二週間? そんなんで良かったの?
「そ……その時もう交野さんのこと好きだったんですか?」
下世話な質問なのは分かっているけれど、俺の口は勝手に質問していた。
その質問を待っていましたと言わんばかりに、依子先生の口角が上がった。
「いや全然。一つ屋根の下で生活してたとは言ってもよ、会って二週間の声豚に惚れろってのも無理だろ。でもさ、言われた瞬間気付いたんだよなぁ。アタシはコイツを好きになる準備はできてたんだなって」
「……準備?」
「そうだよ。ゴリラの背中ばっかり見てたガキの視野狭窄がさ、他の奴に結婚してくれって言われた瞬間にかっと開いたっての? ま、だから愛の告白って大事なんだよ。相手にマジで自分のことを考えさせるためにはさ」
話の趣旨からガッツリずれている気がするけれど、覚えておこう。
一生役に立つ気がしないけれど。
「さーて本題中の本題だ……旦那はさ、教師になるのが夢だったんだよ。でもなれなかったんだ。アタシのせいでね」
依子先生の声は少し沈んでいた。
「旦那は強引に十七の娘を手篭めにしたようなもんなのに、アタシの父親は旦那をむしろ気に入ってんだよ。それこそ町内会の青年部長に任命して例祭の運営任せてるくらいにさ」
交野さん、格好良いなんてレベルじゃないな。
名家に喧嘩売って依子先生をかっさらったなんて。
「たださ、アタシの父親が許しても世間はそうはいかねーんだ。旦那の教職採用はどこ行っても門前払いだったよ。みんな怖がっちまうのさ。笹井本に刃向かった奴って評判が広がっちまっていたからね。すっかり心が折れた旦那はさ、こともあろうに代わりに教師になれってアタシに言い始めてさ。気がついたらこのザマよ。
話が大きすぎて、本題が霞んでいるんだけど。
「どいつもこいつも瀬野川と笹井本が『なんとなく恐い』んだよ。オメェは笹井本の筆頭分家の本妻の子に暴言吐いたんだから罪を償ってる姿くらいは見せねーとこのムラじゃ生きていけねぇんだよ。敵は作るなよ? いや、敵ができちまうのは仕方ないんだが、手に余る相手を敵にするんじゃねぇぞ」
依子先生は立ち上がって俺が座っていた椅子に座った。
そして、自分で書いた処分通知に何かを書き加えてからまた封筒に戻した。
「少し削ってやったからこれで我慢しな。演劇部の裏ゲネの時間には間に合うようにな。その代わり、つっきーに頼みがある」
「な、なんですか?」
プレッシャーかけてくるなぁ。
でも、先生なりの方法で俺を守ってくれていることには報いたい。
「多江を見りゃ分かるだろうがよ、実行委員会がマジで不甲斐ねえんだ。一年の出し物が遅れ過ぎてる。だから助けてくれ」
「……労働力を差し向ければいいんですか?」
依子先生が頷く。
「そう。人が足りてるところを洗い出せ」
「は、はい」
自治会室内でやるにはなかなか難しいけれど、遊んでる人間を探せってことか。
「やっぱりアンタはなんか頼んだ時の方がいい顔するわ。不甲斐ない顧問を持ったって後悔しな」
「し、しませんよ」
「多江、三十分くらい休んどけ。後でアタシと一緒に行動するからな。あと弁当先に食っとけ!」
多江にはきついだろうが、先生が一緒なら安心だ。
「は、はーい。ご迷惑をおかけしました」
「ご迷惑は奴らだよ。オメーじゃねぇ。三十分後にまた来るからな」
先生が出て行ってしばらくしても、俺も多江も圧倒されて口を利けなかった。
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