第三十四話 謹慎少年、全力で後ろ向き
謹慎少年、全力で後ろ向き-1
昨日の元お嬢様学校突入作戦は、重量物を手で運搬したことについて両校の先生方にこっぴどく叱られた。
確かに、あんな重たい物を足の上にでも落としたら骨折では済まない。
処分は免れないと思っていたが、二度とやるなと誓わされただけで済んだ。
資材が届いたお陰で、今日の準備は急速に進んでいた。
広い校庭は何列もの模擬店で埋め尽くされ、おびただしい数の生徒達ががやがやと何かしら叫び合っていた。
自治会室のしっかりした寒冷地仕様のプレハブも、人の声を防ぐようにはできていなかった。
「……はぁ」
「……はぁ」
「……はぁ」
俺の吐いたため息に、陽太郎と嗣乃のため息が重なった。
「空気ワリいなぁオメーら」
「三人ともどうしたの?」
瀬野川と白馬は罪の意識を感じていないのか?
あの演劇のせいで俺達は学校一の変態にされたんだぞ。
「……どうしたもこうしたもねぇだろ」
「あ……今のつっきの台詞いいなぁ」
いいだろう陽太郎。
完璧なタイミングと完璧な用法だ。
「また変なこと言って。瀞井君と汀さん、一年生の出し物手伝いに行ってくれるかな?」
「やだ」
「えぇ?」
やる気の塊のような嗣乃がこんな反応をするとは思っても見なかったんだろう。
桐花と愛し合ってますなんて調子に乗って宣言したばかりに、昨日からずっと桐花に避けられている。
避けられているのは俺も同じなんだが。
お嬢様学校から帰ってから自転車の鍵を渡そうにも、桐花は見当たらなかった。
チャットにも返事がなかった。
当初は俺が無視していたのが問題なんだけど。
しかも、気がつけば自転車が駐輪場から消えていた。
予備の鍵くらい桐花なら持っていて当然だ。
「三人とも! 書類はいつでもいいんだよ! 今しなきゃいけないことをしてよ!」
白馬はうるさいなぁ。
「金髪分が足りなくて動けねぇわぁ」
「エロ姉分が足りなくて動けねぇわぁ」
「宜野とBLし足らなくて動けねぇわぁ」
白馬が呆れ顔だ。
だけどお前の彼女が蒔いた種だぞ。
その瀬野川には何の罪の意識もなさそうだけど。
「のめしこいてねぇで去ね!」
突然ローカルな言葉を使うな。
怠けてねえし。
「お前ら行って来い。いーんちょーめーれーだぞぉ」
こんな言い方したくないなぁ。
でも本当に忙しくて無理なんだよ。
どうして先生方は途中経過の報告なんて無駄なモンを欲しがるんだろう。
報告できる程度には進行しろってことだよね。知ってた。
「嗣乃、行こう」
「……うん」
どうしたんだ嗣乃は。
なんだか二人の間に微妙な距離感が生まれている気がした。
「安佐手君は中間報告書作ってるんだっけ?」
「そうだよ。それだけは自治会の仕事なんだとさ」
杜太と多江から頻々とチャットが飛んできた。
各団体の模擬店の出来やら計画の進み具合やらを二人に報告させ、俺がまとめるというやり方を取っているからだ。
「それはさておきつっきーよぉ、あんなド美人よく振ったな! 妄想はかどるわ!」
既に周知の事実だ。
そんなに俺の声は響き渡っていたんだろうか。
「あの超ド級美人にウルセーブスとかいうんだもんな! アタシもお口にチャックできなくて皆に知れ渡っちまったよなー!」
「また瀬野川か!」
スーパーハカー疑惑でわりと困った中学時代を忘れてねぇぞ!
「いやぁだってもうあれ完全にあの二人がつっきーを奪い合ってる的な感じに解釈できちゃうんだもん!」
宜野と会長氏の二択だったら会長氏を取るに決まっているだろうが。
「あの性癖の設定は演劇部の主宰さんと仁那ちゃんが話して決めたんだよ。条辺先輩も加担してたけど」
白馬、知っているなら止めてくれよ。
しかし、よく短時間であんなシナリオを準備したもんだ。
「あとつぐの性癖設定もね」
「はぁ!?」
ほくそ笑みやがって。
俺の反応が予想通りだったんだろう。
「ま、気を悪くしないで聞けや。アタシとなっちが連れ立って歩いてるのはどうしてか分かるか?」
「学園祭でどいつもこいつも脳内お花畑だからだろ。お前らモテるし付き合ってんの見せてんだろくそ!」
益体もない話をしに来やがって。
「なんだ、分かってんなら話がはえーわ」
「へ……?」
非モテを殺しにかかってるのか?
「……オメー、初めて人を振った感想はどうよ?」
「い、いや、バカにされたから言い返しただけで振ってはねぇだろ……あぁ、うん」
瀬野川の言いたいことが分かった。
俺に対して害意がある人間でも、他人を拒絶するのは気分が悪かった。
「……よーと嗣乃に告白なんて画策してる奴だらけってことか?」
「そゆこと」
それで陽太郎と嗣乃のヤバい部分を白日の下に晒したのかよ。
「ま、それである程度はガチだって吹聴したんだけどさぁ」
「なんで俺まで巻き込むんだよ!」
陽太郎と嗣乃は見目麗しい隠れヲタで済むが、俺は正真正銘ブサヲタだぞ。
そこに余分な要素を足さないでくれ。
この社会はマイノリティに不寛容なんだぞ。
「は? たりめーだろ」
「何が当たり前だ!」
立ち上がろうとしたところで、白馬に両肩を抑えられる。
「もう僕ら安佐手君のチャットID聞かれてるんだからね?」
「委員長権限で便宜でも図って欲しいってんだろ。教えても構わねぇよ」
「違うよ。安佐手君ってどんな人かって聞いて回る女の子が何人かいるんだよ」
なんだそんなこと。
「へぇ、俺のモテ期潰してくれてありがとな。昨日も宜野との本当の関係性について根掘り葉掘り質問されたんだぞ」
本当のセクシャルマイノリティの方々に大変申し訳ないよ。
「そうじゃなくて、安佐手君と仲良くなりたい女子がいるってこと! お節介は承知だけど、軽い気持ちで近付いて来る人はお断りしたいんだよ」
「なっち考え過ぎ。このやさぐれにモテ期なんて来ねーし」
瀬野川の言う通りだ。
俺は言い寄られて相手が期待するような反応は示せない。
そもそも俺に近づく目的は陽太郎に近づくための踏み台という可能性だって十分ありうる。
「そんなこと言って。安佐手君にちょっかいかけようとする子を一番必死に追い払ってるのは仁那ちゃんなのに」
「それをバラすなし!」
何してくれてんだよ。
年末ジャンボ宝くじに当たるより低い確率の事態を潰さないでくれよ。
「……ま、アタシはかるーい気持でアンタに近付いてかるーい気持で切り捨てるような奴は絶対近寄せねぇよ。コイツのメンタルガラス通り越して飴細工だし」
う……。
まぁ、その通りだ。
修復不可能なくらい傷つくだろうな。
「もう……安佐手君、性格歪んだ小姑でごめんね」
「そんなに褒めないでよぉなっち!」
褒めたのか今の?
なんだかんだで俺、仲間には恵まれているんだな。
「そ、そういえば、桐花はどこだ?」
「え? 今日は見てないよ」
昨日から鍵が返せなくて困ってるのに。
たった十数時間無視されているだけなのに不安になってしまう。
俺は桐花のことを便利な小道具とでも思っていたんだろうか。
「安佐手君?」
「ん? な、何?」
そんな心配そうな目で見ないで欲しいな。
「もう聞き飽きただろうけど、休みなよ」
そうは言われてもなぁ。
「……なら、散歩して来ていいか?」
「それは駄目」
はぁ、俺が出歩くと仕事が増えると思われているのかね。
「安佐手君……明日の前夜祭が終わるまでの時間なんだけど」
「ん? なんだよ?」
突然、白馬と瀬野川が土下座姿勢をとった。
「「本っ当にごめんなさい!」」
「へ!? だ、だからなんだよ!?」
一体何のつもりだ?
「これ……依子先生から」
白馬が差し出した茶封筒には、依子先生のキャラに合わない綺麗な字で『バカの安佐手月人へ』と書かれていた。
「な、何これ?」
中には便せんが一枚入っていた。
『安佐手月人を前夜祭終了までの間、謹慎とする。委員長の権限を瀞井陽太郎へ委譲し、自治会室にて待機せよ』
「……は? え?」
『事由:他校生徒への暴言』
あ……あぁ、会長氏への『うるせーブス』……だよなぁ。
「その、なんての、アタシがちょっとばかし、言いふらし過ぎた……かなぁ? つっきーその、すげー格好良かったからさ……ごめん、ほんとごめん」
これは瀬野川の責任でもなんでもないな。
「……瀬野川のせいじゃないだろ。あんだけ人がいたんだし。要はここから動かなけりゃいいんだろ?」
「う、うん……交野先生にはそう言われてる。一応、看過できないから処分の扱いにはなるって。僕達としても安佐手君にはゆっくりしてて欲しいし……欲しい情報は必ず持って来るよ」
白馬が話している横で、瀬野川の目に涙が溜まっているのが見えた。
そんなに気に病まないで欲しいんだが。
気分が悪くなってきた。
「二人ともこれからの仕事は?」
「一年の出し物の手伝いだよ。終わりが見えなくて」
「とりあえず真っ暗にすること重視で頼む」
「う、うん。仁那ちゃん、行こう」
白馬は俺の気分を多少察してくれたのか、瀬野川を引っ張って出て行った。
はぁ、やっと静かになったか。
「さて、と」
飲みかけのペットボトルを全力でロッカーに投げつけると、ガン! という派手な音を立てた。
うーん。気が済まない。
もう一度投げつけてみたが、同じような音がするだけだった。
「……うわ、俺泣いてる」
俺のつぶやきは誰にも聞かれることなく、自治会室の中で消えた。
いくら拭いても、涙が止まらなかった。
あの会長氏には煮え湯を飲まされ続けた。
挙げ句、なけなしの反撃をしたら謹慎処分を喰らうとは。
別に勝負をしているつもりはないんだが、俺の完敗だ。
皆が必死に準備を進めて、前夜祭を楽しむ時間もここにいなきゃいけない。
前夜祭なんて学園祭のたったの一部に過ぎないのは分かる。
でも、一部であっても参加させてもらえないのが悔しくてたまらなかった。
「勘弁してよ依ちゃんよぉ……」
床に転がってティッシュと毛布に涙と鼻水を吸わせる以外、何もできないのか。
机の上で携帯が頻々と震えていた。
杜太と多江には申し訳ないけど、今はそれを処理できる余裕がなかった。
『後は任せた』
そう一言送って、携帯を放り出した。
そうか、トイレくらい行ってもいいか。
しかし、ドアを開けた向こうには奇妙な光景が広がっていた。
「な、何してんの……?」
「おう安佐手! 演劇部のチケット販売って時間通りなのか? そろそろ始めねーとヤバいんじゃね?」
クラスメイトのテニス部員を初めとする一年生が列を作っていた。
まさか演劇部のチケット買うために並んでるのか? 二十人はいるぞ。
「い、いや、時間通り販売だけど……四時からだよ? まだ時間あるから列解散してくれよ」
「しっ! 委員長のくせにバカかお前! そんなこと言ったら暴動が起きるだろ!」
「え?」
放置するしかないのか。
そもそも今の俺には委員長権限なんてないんだった。
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