一年委員長と初めての(恥辱に満ちた)朝礼台-7

 やっと終わってくれた。


 朝礼台を降りようとしたところで、笹井本会長と目が合った。

 何を求めているかはすぐに分かった。

 仕方なく、エスコートの真似事をして朝礼台から降ろした。


「つっきー、私のバイクの後ろに乗ってくださいな。自転車で来ていないんでしょう?」

「は、はいぃ?」


 何で知ってんの?

 本気で下僕感が出ちゃうから嫌だ。


「い、いや、それは……あいた!」


 胸の辺りにぶつかった物を慌ててキャッチした。

 この鍵は見覚えがある。


 桐花の自転車の鍵だ。


「サドル、線に合わせて!」


 大声でそう告げてから、桐花は朝礼台から飛び降りて走り去ってしまった。

 要するに自転車を貸してくれるってことか。

 サドルの高さを変えたら、線が書いてある場所に戻せってことかねぇ。


「じ、自転車で、追いかけます」

「えぇー? フラれてしまいましたかぁ。なんだか無骨なキーホルダーですねぇ」


 桐花の自転車の鍵に付いているのは折り畳み式の六角レンチセットだ。

 ロードバイクはサドルの高さを変えるのも六角レンチが必要なのだ。


「はーあ。ねぇ、つっきー」


 すっと生徒会長氏が手を伸ばしてきた。

 まだエスコートをしろっていうのか。


「この人海戦術を考えたの、あなたですね?」


 会長氏の柔和な目つきが突然鋭くなった。


「宜野ですけど」

「違います! 僕は演劇部に話を持っていっただけです!」


 即座に否定するなよ。

 お前が演劇部に話を持っていかなかったら、こんなにうまくはいかなかったぞ。

 褒めるのは癪に障るが。


 冷静になった今、こんな稚拙なアイディアを俺が考えたなんて胸を張って言いたくはなかった。


 会長の腰を離そうとしたが、腕を掴まれてしまった。

 通り過ぎていく生徒達が興味深そうにこちらを見ていた。


 演劇の内容がどこからが真実でどこからが虚構か計りかねているんだろう。


「宜野ではないのは分かっているわ。だから……ムカつくの」


 突然の低い声に、少し背中がゾクっとした。


「資材は当校のスクールバスで運ぶ算段になっていたんですよ。言い忘れていましたけど」

「え……?」

「……あなたをたっぷり困らせてから救い出して、今後はこちらからの願いを断りづらくしてやろうと思っていたのに。あなたのそういうところ、本当にムカつく」


 低く、暗い声だった。


「会長、冗談にしても笑えませんよ。あなたはそんなことを言う人じゃないでしょう!」


 宜野が羨ましい。

 人のどんな気持ちも好意的に解釈できるのは素晴らしい才能だ。


「冗談? そんな時間の無駄はしませんよ」


 会長氏の目論見を潰した俺への怒りはかなりのものだろう。


「ねぇ、このままでは私の気持ちが収まらないわ。やはり私のそばにいてくれませんか?」


 あら、これなんてエロゲ?

 なんてな。


「お断りします」


 顔が良いって得だな。

 ふくれっ面に悩殺されそうだ。


「なら、私の恋人になってください。ちょうど異性ですし」


 背中に悪寒が走った。

 これは、なかなかきつい。


「か、会長! こんなところでそんな……!」


 お花畑から出てこい宜野の馬鹿野郎。

 この怒りに満ちた笑顔が、愛の告白をする可憐な女の子に見えるのか?


「私の気持ちはあなたに傾いています。あなたの好きなように私をしてくれてもいいんですよ?」


 この甘言に「はい」と応じれば本気にするなと嘲笑され、断れば臆病者やら身の程知らずやらと結局嘲笑される。


 これは会長氏によるいじめや嫌がらせの類いではなく、刑罰のようなものだ。

 十人並みの容姿に生まれたことを悲観し、異性の気を引くような努力を一切しなかった俺への罰だ。


 俺はこの美人に特別な感情を抱けない。

 あわよくば女子と仲良くなりたいなんて思いは山ほどある。

 だけど俺はこの人物については考えを重ねてきて、近づかないべきだという結論に達している。


 きっとこのお美しい方に名前を覚えられ、好きだなんだと言われるだけでも並の男子高校生なら簡単に陥落してしまうだろう。

 それが正常な反応だ。

 でも、俺はそこでブレーキがかかってしまう。

 この人に好かれたくないと、本気で思ってしまっている。


 この人が俺について一つだけ気づいていないことがあって、良かった。

 俺が俺自身をあきらめていることなんて、この人は知らないだろう。


 例え自分が本当に好かれたい相手がいたとしても、自分がその相手に好まれないことくらい重々分かっている。

 自分の見た目を最大限駆使して人の気持ちを弄びやがって。


 この人が言われるとは夢にも思わないような、今まで一度として浴びせかけられたことなんてない精一杯の罵声を浴びせかけてやる。


「うるせーブス」

「え、なんですか?」

「うるせーんだよ! このブス!!」


 空いた口が塞がらないって顔だな、会長さん。


「安佐手君!? な、何を突然……!」

「お、俺よりモテなさそうな奴、初めて見ましたよ。お、俺は、会長さんとエロいこととか、で、できないですよ。気味が悪すぎて!」


 大嘘。超絶嘘。

 こんな美人に迫られたら前かがみの姿勢を崩せなくなるよ。


「あらまぁ、素敵なお言葉。いいんですか? 私、ムキになってあなたを追いかけますよ? 勇気を出して告白したのに、振られて泣きそうです」


 そんな言葉、あんたが思う通りに受け取らないんだよ。

 それに、あんたのそういう鼻っ柱を挫く悪口だってちゃんと用意しているんだ。


「あ、ああ、そうですか……それでも断ったらどうします? 笹井本の力を使って、俺の一族郎党潰しますか?」

「……ふぅん」


 怖ぇぇ……今すっげぇ怖い顔しやがった。

 どうやら自分の家を嫌っているのは本当らしい。


 心拍数が一気に上がり、鼻腔だけでは酸素が足りなくなってきた。


「今のあなたの言葉、少々効きましたよ。でも、あなたへの気持ちを変えるまでには至りません」


 本当は人を傷つける言葉なんて言いたくないよ。

 心にも無い罵詈雑言を投げかけた罪悪感で頭と心臓が同時に割れそうだ。


 だけど、会長氏も怒りに任せて俺を貶めようとしたんだ。


「う、うるさいですよ。お、お、お嬢様の癖に、庶民をいじめて楽しいですか?」

「あらぁ、おかしいですねぇ。あなたを困らせようとしたのに、あなたがどう答えても否定して笑ってやって……でもすぐに私の欲望のままにあなたの唇を奪って甘い唾液を味わおうと思っていたのに。うまくいきませんねぇ」


 笹井本会長の体から吹き出る怒りは、もう隠しきれないものになっていた。

 全身に震えが走るが、俺が言い放ってしまった言葉は消せない。


「やっと、本当の意味で愛されてみたい相手に出会えたのに」


 戯言ばかり吐きやがって。

 何を袖で涙を拭う素振りをしていやがるんだ。

 あれ? 俺も泣いてる。

 

「わ、分からないなら何度でも言いましょうか? 俺はあんたの……!」


 すっと宜野が俺の前に立ちはだかる。


「あ、安佐手君! 代わりに僕が謝ります! お願いですからもう勘弁してあげてください!」


 宜野もおかしな奴だ。

 偽りの涙を拭く女を擁護してどうなるんだ。

 しかも、俺に頭を下げながら怒りを隠し切れていない。


 でも、俺も怒ってるいんだよ。泣いてるんだよ。

 ここまで馬鹿にされて、こけにされて。


 初めてだよ。こんなに悔しいと思ったのは。


「宜野、大丈夫ですって。さぁ、私の後ろに乗らないというなら、さっさとあの金髪の彼女の自転車を取ってきてくださいよ。目障りです」


 ああ、やっと解放された。

 やっと尻尾を巻いて逃げられる。


「あ、あのフロンクロスさんは安佐手君の彼女って訳では!」


 宜野の顔は怯えていた。

 多分、これ以上俺を刺激したくないんだろう。

 代わりに否定してくれるとは良いサービス精神だ。


「あらぁ、そうなんですか? 隣が埋まっているのかと思いましたぁ」


 俺は無意識に駐輪場へと突っ走っていた。


 呼吸がまったく整わない。

 涙が止まらない。

 なんで俺の気はこんなに小さいんだ。


 相手が俺を傷つけるつもりで攻撃をしてきたから反撃しただけなのに。

 その相手にわずかな反撃をしたというだけで、泣きながら逃走するなんて。


 すぐに桐花の自転車を見つけ、六角レンチでシートポストのネジを緩めた。


 サドルから伸びた黒いシートポストに、白いマーカーで線が書いてあった。

 後でこの高さに戻せば良いということか。


「え……?」


 シートポストを伸ばすと、白い線がもう一本書いてあった。


 間違いない。

 一度だけ借りた時の位置だ。

 わざわざ線を書いておいてくれたんだ。

 線のところって、俺のサドルの高さに合わせろという意味だったのか。


 どうしてだよ。

 これから一人に慣れていかなくちゃいけないのに、どうしてだよ。

 いつも桐花は簡単にその気持ちを崩してしまう。

 俺にこんな風に気遣って、どうするんだ。

 今すぐにでも会って泣き言を言いたくなっちまうじゃないか。


「つ、つっきー大丈夫!? 熱とかあるんじゃ!?」


 電動補助自転車を引っ張り出そうとしていた多江に見つかってしまった。


「……あ、ああ、大丈夫。あの、か、会長にいじめられて泣きべそ、かいてたっていうか……」


 素直に認める。まあ、泣きそうなのは、また乗らせてくれる事を暗に示してくれた桐花の配慮に対してなんだけど。


「そうかそうか。辛かったのぅ」


 ばたばたと駆け寄ってきたのは杜太だった。


「さ、さっき話してたの、それだったの!?」


 いつになく杜太の言葉がはっきりしているな。


「え? あ、まぁ、うぇ!?」


 急に杜太に抱きしめられてしまった。

 あぁ、やばい。


「な、何してんのとーくん!?」

「つ、月人、ほ、本当に大丈夫?」

「あ、まぁ、多分。なんとか、チャリくらい漕げる。荷物とか持てるか、わかんないけど」

「ね、ねぇ!本当に大丈夫なの!?」


 多江が狼狽しまくっているということは、俺の顔はひどいことになっていそうだ。


「ふぅ、ふぅ、あの、あの人、俺……」


 杜太の呼吸が荒い。

 俺を抱きしめる手も強くなる。

 本当に泣くぞ。


「と、とーくん、サービスショット過ぎでっせ!」


 突然、杜太が俺を解放した。


「……多江ちゃん、お、俺、多江ちゃんが和まそうとしてるのは、分かる。でも今は、そんな場合じゃないの! 月人の気持ち、考えてよ!」


 珍しく大きな声での杜太の一喝に、多江が息を呑んだのが分かった。


「あ、安心して。実行委員会で話して、つ、月人にもう、会長さん近寄らせないから、そうするから!」


 なんでそこまで優しいんだよ。


「な、何黙ってるんだよ! つ、月人に謝れよ!」


 また杜太が声を荒らげた。

 多江に向かってだ。


「ご、ごめん、とーくん、あたし、く、空気、読め……うっ」


 まずい。

 多江がいじめられた理由は若干空気の読めない態度だ。

 当然、今も引きずっている。


「あれ……? ごごごめん多江ちゃん! そんなつもりじゃ!」


 やっと杜太が正気に戻ったらしい。

 こんなに前後不覚な杜太を見たのはいつ以来だろう。


「杜太、俺にしたことと、同じことしてやれよ」

「う、うん!」


 杜太は多江の頭を自分の胸のあたりに抱き込んだ。


「ご、ごめん。あの、月人とはそういう関係じゃないからぁ」

「そうじゃねぇよ!」


 はぁ、少し気が楽になった。


「び、びっくりした……びっくり……した。ご、ごめん、つっきー、ごめん……」


 多江は震えっぱなしだった。

 杜太もすごいな。

 人目も気にせず女の子抱きしめちゃって。


「杜太、多江の自転車はお前が漕げ。多江は荷台に拡声器持って載ってくれ。左側通行と追い越し禁止、あと停止の時は声掛けを徹底させてくれ」

「が、がってん!」


 良かった。

 多江はすぐ持ち直してくれたようだ。

 俺の体の震えはいつの間にか収まっていた。


 体の不調はまだ全て改善してはいないが、ほぼ平坦な往復十キロくらいは楽にこなせるだろうと思えるくらい心は持ち直していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る