少女の不満、少年の狼狽-3
神社仏閣が嫌いなヲタはいない。
俺は勝手にそう思っているんだが、あながち間違いではないと思う。
静謐な雰囲気はヲタを詩人化させるし、歴史が深ければ深いほど邪気眼がうずく。
セミの声に支配されたこの神社も、一千年を超える歴史があった。
でも、心は躍らなかった。
家族以外の女子に初めてヲタ関係以外で誘われた先が、祭り準備中の神社とは。
しかもだ。その誘い出した金髪娘ときたら、現地を見たいから俺一人で来いという出頭要請をチャットで送りつけてきたのだ。
俺に話があるのは明らかだ。
神社の境内は誰一人として祭りの準備作業をしていなかった。
こんな高温の中では危険だからだろう。
そろそろ日陰に逃げたいが、言い出しづらかった。
サイクリングウェアに身を包んだ金髪娘は、ノートに屋台の見取り図を書いていた。
境内には既にライン引きで屋台の場所がマークされているから、見取り図はもう作成されていると思うんだが。
見取り図を描いていたはずの桐花が、俺を顔を見ていた。
無言で人の顔を眺めてる時は大体、どうかしたのかと質問したい時だ。
「あの、涼しいとこ行かない?」
桐花は勢いよく頷いた。
不意に桐花が俺の腕を取って、ぐいぐいと神社の本尊の方へと引っ張っていく。
ボディタッチはやめてくれ。勘違いしちゃうから。
本尊横の社務所へと連れて行かれるのかと思ったら、そのまま本尊を通り過ぎてしまった。
高床倉庫のような建物の前で、桐花が止まった。
「こんな建物あったっけ?」
なんとも趣深い建物だった。
人の背くらいある縁の下は、安っぽい緑の金網に覆われていた。
恐らく子供や動物が縁の下に入らないためだろうが、美しい建築に見事な興醒めを演出してくれていた。
桐花はそのフェンスを背もたれに、体育座りをしてしまった。
そして、自分の隣を指さす。隣に座れってことか。
「え? すごいなここ」
高床倉庫風建築物の縁の下から吹く涼しい風が、優しく身体を冷ましてくれた。
「もしかして、秘密の場所?」
桐花が頷く。
得意げな顔だ。
「俺なんか連れて来ていいの?」
首を傾げられてしまった。
そんな質問をされるとは思わなかったようだ。
まあとにかく、気安い気分に乗じて疑問を解消しておくか。
「あの、そろそろなんで俺に怒ってるのか、聞いてもいい?」
「……コホン」
桐花が少し咳払いをしてから俺の顔を見詰めた。
そして、かさついた小さな声を出した。
「怒ってない」と言ったようだ。
「不満とか?」
少し思案してから、桐花が頷いた。
「えっと、思い当たる節が多過ぎるんだけど」
「二つしかない」
かさついてはいるが、やっと桐花の声を聞いた。
「な、なに? 不細工? ヲタ? 気持ち悪い? 変態? 存在?」
「全部」
「分かった、逝ってくる」
「真面目にして!」
一瞬乗ったくせになんだよ。
桐花がいつものように押し黙ってしまったので、桐花の前に置いてあるクリップファイルを拾い上げて内容を眺めると、全部英語で記載されていた。
『Water balloon fishing』って、ヨーヨー釣りだろうか。
桐花はひざの上にあごを乗せて、こちらを思いっきり睨んでいた。
さっきの得意げな顔からの落差が激しかった。
こちらからの言葉を待っていたのか。
「あの、ちゃんと謝るから、理由だけでも」
桐花の視線が外れた。
砂地にできたアリジゴクの巣を指でつつきながら、ようやく口を開いた。
「……多江のこと」
たどたどしい口調だが、俺の精神を大きく削る質問だった。
「た、多江がどうしたって?」
「まだ、多江のこと……なのに」
途中がよく聞こえなかったが、なんとなくは分かった。
「なんで、もう、そうじゃないって」
俺が黒板に嘘を書いたと言いたいんだろうか。
多江と俺の接し方を見て、俺が未練を断ち切っていないとでも?
死にたいくらい恥ずかしいけど、誤解は解いておくか。
「説明するけど、ざまー見ろと思ったら思いっきり笑えよ?」
「笑いません!」
びっくりした。
そんな大声が出せるなら出して欲しいな。
正直、頭の中の整理は付かなかった。まずは俺の立場を知ってもらうか。
「えと……その、好きな人っているの?」
桐花が考え込んでしまってから、びくりと上半身を跳ねさせた。
「す……ゲホ!」
しまった。なんて質問だ。
「ゲホッ! ゲホッ!」
むせる桐花の背中を叩くが、白い顔が真っ赤になってしまっていた。
「ご、ごめん! いてもいなくてもいいんだけど! い、いるとして考えてくれると!」
むせながら桐花が頷いてくれた。
「あ、もしかして、誰かから聞いたの? 俺が、その、多江をまだ、好き……だって」
桐花は頷き続けていた。誰に聞いたんだか。嗣乃? 瀬野川? どうせ皆察してたんだろうな。
それで、俺が例の黒板に書いた図の線を消したこと自体を嘘だと思ったのか?
「あ、あのな、確かにその、多江はのことは、す……ええと、好きだ……だったよ」
「……どんな好き?」
そこに切り込むかぁ。
「ええと……つ、付き合いたいっていうのだけど、もういいんだよ。あいつは全然そう思ってなかったから」
「ち、違う。だって、多江も話し方、気をつけてるから、多分……」
「えと、多江が俺に気を使ってるってこと?」
「お、お互いに、大事に思ってるからじゃ、ないの?」
俺達の距離感が変わってしまったことに、桐花もちゃんと気付いていたのか。
こんな短い付き合いなのに、よく見ているんだな。
「いや、その、気がついたんだよ。多江に、よーが気になるって相談されてさ、俺はその時になってやっと、本当は多江をどう思ってるか気がついたんだよ」
涙が出てそうだ。
汗だと言い訳できるかな?
桐花が黙って聞いてくれるのは嬉しかった。
白々しいフォローなんて俺には必要ない。
「……多江に、御宿直君がす……好きって伝えたの?」
俺が黒板の図に近づけようとしているのか、という質問だろうか。
「伝えてない。代わりに、よーから一歩引いてみろとは言ったよ」
卑怯な行為だ。
多江の味方のふりをして。
「俺、取り返し付かないことしちゃったよ。多江の味方のふりして、よーから一歩引けって言って」
「違う」
「へ?」
違うってなんだ。
俺のやったことが違うというなら納得するけれど。
「多江が決めたのに」
俺の意見を受け入れたのは多江自身だ。
でも、納得がいかなかった。
「俺の意見聞き入れたのは多江だけど、そもそも俺がそんなこと言わなかったら」
桐花の視線は、まっすぐ前を向いていた。
「多江、泣いてた?」
「え? 泣いては、ないけど」
少なくと、も俺の前では泣いていなかった。
「多江があのままだったら、もっと辛いと思う」
言ってから、桐花は目を伏せた。
「多江は、その言葉、待ってたんだと思う」
「一歩引けって言葉を?」
桐花が頷いた。
そんなことが、あるんだろうか。
多江はこれからも気持ちを押し殺して、皆と楽しく接していけるんだろうか?
どうして俺の額にブーメランが刺さっているんだろう。
あぁ、気持ちを押し殺しているのは俺も一緒だった。
「多江も、同じだったら?」
「へ?」
「瀞井君が好きって言ったけど、その時に……別の気持ちに、気づいてたら」
桐花の言わんとしていることは分かった。
多江は俺に陽太郎が気になることを打ち明けた瞬間、自分が本当に好きだった相手に気づいてしまった。それが俺なんじゃないかと。
残念だけど、違う。
そんなラブコメ展開、さすがにあり得ない。
でも、新鮮な考え方ではあった。
冷え切っていた心の奥底が、暖かくなったような気分だった。
「あ、ありがとう。違うとは思うけど、なんか、気が楽になった」
桐花の目がまたこちらへ向いた。
どうして俺は人への感謝すら素直に言えないんだ。
「相談されるの、嬉しいから」
あぁ、良かった。
話している内に下を向いてしまう桐花はもういないんだ。
今の桐花は他人に関わらないようにするのではなく、積極的に人と関わろうとしている。
そういえば、見た目も随分変わった。
最近は顔にも何かを塗っていて、頬のそばかすもあまり目立たなくなった。
伸び放題だった髪の毛もすっきりさせて。
……あ。
「と、突然だけど……髪切った?」
タモさんか。
だが、桐花が抱いていた不満の内の一つだったようだ。
小さな頬が膨れ始めていた。
「あ、あの、誤解のないように言っておくけど、気づいてたからな! お、俺みたいなのが上から目線で褒めたら気持ち悪いだろ?」
「……気持ち悪くありません」
完全に目を伏せられてしまった。
そして、携帯に激しくテキストを打ち込み始めた。
いつか殺すリストに登録してるんだろうか。
でもとりあえず言い訳くらい聞いて欲しいよ。
「あのだから! いや、なんか色々言いたいけど!」
「……どうせ変です」
「そうじゃないって! 可愛いって、恥ずかしくて言いづらいというか……!」
「……可愛くはないです」
照れやら恥ずかしさやらを押しのけて言葉にしたつもりなんだけど。
そこを否定されたら立つ瀬がないんだけど。
人を褒めるって難しい。
褒められたら悪い気はしないんだから、褒めるべきなのは分かっているんだ。
桐花は『お前に言われたくない』なんて言い方をするはずがないんだから、はっきり褒めるべきなのに。
桐花と俺の携帯が同時に鳴った。
「嗣乃? 昼飯の支度始めるから二人共帰って来い……? つっきはコロス……?」
死んだ。俺、死んじゃった。
髪を切った桐花を褒めなかった俺は裁判もなく、死罪判決が下されたようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます