『クリスティニア』を日本語でいうと?-3
「へぇ」
丸めようと破り取ったメモは陽太郎に奪い取られていた。
「い、いや、ちょっ!?」
「え? 苗字も考えてる! 前田……向井……? あんた相変わらずこういうの得意過ぎでしょ。やっぱ話振って正解だったわ」
嗣乃も褒めてくれるのはいいけど、ただの頭の体操目的だぞこれは。
「マジで!? キモヲタの考えた名前とかどんな感じ!?」
瀬野川さんストレート過ぎやしませんか。
何故かフロンクロスまで少々興奮気味にメモを見ていた。
恥ずかしい。黒歴史ノートを見られている気分だ。
「この丸つけてあるキリカって良くないかな? ちゃんとお父さんとお母さんの名前も含まれてるし……キリストにお母さんのケイティニアさんの頭の『Ka』をつけているんだよね?」
「いや、アンタ実際すげーわ。ここまでうまいこと考えだすなんて」
瀬野川すまん。
『Ka』は白馬が勝手に言っているだけなんだ。でもそれを言い出しにくい雰囲気だな。
「キリカねぇ……あとはいい漢字考えないとねぇ」
多江は決まったかのような言い方だ。
漢字は大事だが、とにかく本人がオーケーしないことには何も進みはしない。
今俺の走り書きのメモを持っているのはそのフロンクロス本人だ。いいよ、俺を嬲り殺せよ。
「ど、どう?」
フロンクロスが頭を大きく上下に振った。
そして、メモから目を離さずに固まってしまった。まあ本人が気に入ってくれたなら良いんだけど。
別にこれはあだ名みたいなもんだ。役所で登録する訳でもないんだ。
「うーん……漢字にしやすいから色々思いつくなぁ」
嗣乃のいうことはもっともだ。
俺は勝手に『霧香』という当たり障りのない漢字を考えていたが、真面目な雰囲気の中では言い辛かった。第一、俺一人で決めてしまうなんてリスクを背負い過ぎだ。
「し、シンプルなのが」
いかにもフロンクロスらしい要望だ……と思うほどフロンクロスのことは知らなかった。知ったかぶりしたい年頃なんだよ、ごめん。
「これなんてどうかな?」
陽太郎がメモ帳に書いて見せたのは『桐花』という至ってシンプルな字だった。正直、すごく良い。
虫系の魔術師の家系っぽい漢字なのもまた良い。
『とうか』と読んでしまいそうにはなるけど。しかしまあ、こう言う時に俺の天の邪鬼が騒ぎ出すんだよなあ。
「うーん、桐は良いんだけど花の方は音読みなんだよな……」
重箱読み? いや、この場合は湯桶読みか。指摘する俺のつぶやきに案の定嗣乃が渋い顔をする。
「そのすぐ難癖つけるクセはどうにかなんないの?」
嗣乃の怒りはもっともだ。
俺だって直したいよ。
しかしそれを制したのは意外な人物だった。
「つーぐー? さっきなんでつっきーに手刀叩き込まれたのか忘れたかな?」
嗣乃を制したのは多江だった。
「あ、ご、ごめん。クリス……キリカにもごめん」
嗣乃も素直に引き下がる。
「それでいいのだ」
バカボンのパパかと突っ込みたいがそういう空気ではない。というか、もう『キリカ』って呼ぶの? すげえよ嗣乃。
案の定、キリカと呼ばれたフロンクロスの瞳孔がまた開きまくっている。
「じゃあ、やっぱりこっちかな? 香りって書けばどうかな?」
良いんだけど、花に比べると普通過ぎる。
「ちょいと待ちな」
瀬野川が横槍を入れる。
「アタシは桐に花がいいと思うけどね。つっきーの言いたいことも分かるけどさ、アタシの名前なんておもっくそ当て字だよ? ウチの一族郎党横文字の名前付けるブームみたいなのがあってさ。気にしすぎとは言わないけど、アリなんじゃね?」
「僕もそう思う。すごく合うよ。桐の花って白くて可憐な花だからイメージもぴったりだし」
「「恥ずかしいセリフ禁止!」」
桐花以外全員で白馬に突っ込む。
特に俺は感情を相当に込めた。美少年キャラめが!
「えぇー?」
様式美に乗っ取った受け答えが出来たから許してやろう。
「肝心のご本人はどうなのー?」
杜太の言うとおりだ。名乗るのは本人だし。
「……」
フロンクロスさん? 何故そこで陽太郎と俺を見比べるの?
まぁ、確かに陽太郎対俺みたいな構図かもしれんが。
「……花がいいと思うよ」
なんで俺が折れたみたいになってるんだか分からないが。
「じ後は自分で考えてね。気に入るまで何度だって考えるから! こいつが!」
「……死ぬ気で絞り出したのにこれ以上どうしろってんだよ」
嗣乃は俺を便利に思いすぎだ。
もう無理だよ。これ以上の名前なんて出ないっての。
「向井さん、はい」
書道経験者の白馬がメモ帳に大きく『向井 桐花』と書いてフロンクロスに渡した。
もう向井さんって呼んでるし。
「むかい……」
フロンクロスがちらちらと周りを気にしつつ、自分についた名前を見ていた。
スマブラのポーズ画面を表示しているテレビを地上波のチャンネルに変え、静かだった空間に別の音を入れる。
「ちょっと何よ?」
嗣乃に咎められるが、知らん。
フロンクロスが俺と同じネクラなら、静かな空間で人に注目されている状態に弱いんだよ。
結局、クリスティニア・フロンクロスは『桐花』を選んだ。
流されたという訳ではないはずだ。多分フロンクロス、もとい桐花は俺達に決めてもらいたかったのかもしれない。
俺もそうだから分かるが、周囲が良いと言ったものは良いと同調してしまう面は確かにある。でも、今回のケースはそれには当てはまらないとは思う。
一連の出来事を眺めつつ、俺は別のことに気を取られていた。
嗣乃はやっぱりすごい。
身内贔屓かもしれないが、嗣乃は本当に凄い奴だとしか言いようがない。
自分の殻を破れずに四苦八苦していたクリスティニア・フロンクロスの殻を簡単にぶち破っただけでなく、その懐に何の躊躇もなく飛び込んだ挙げ句にその信頼を勝ち取ってしまった。
俺は嗣乃のパワフルさを俺は誰よりも信じているし、頼りにもしている。
だから、フロン……向井桐花も、嗣乃が味方でいる限りは大丈夫だ。
だが、実際色々問題はある。
この名前を定着させられるかと、俺なんかが考えた名前で良かったのかということだ。急に呼吸がし辛くなってきた。
「あ、安佐手君、顔色悪いよ? 大丈夫?」
「へ? いや、寝不足?」
この程度の返答が限界だった。
何かとてつもない物を背負ってしまった気分だ。
吐き気すら覚えているのはなんだ。
「桐花、大丈夫?」
嗣乃、もうその名前で呼ぶの?
それよりも、フロンクロスが両手で顔を覆っていた。泣いてる?
俺なりに本気で考えたんだよ。今まで何番目かに入るくらいの本気だよ。泣くことないだろ。これだけ本気を出しても泣かれるのか?
「あ、安佐手君も震えてるよ!」
全然大丈夫じゃねぇ。
吐き気に勝てなくなってきた。
フロンクロスに眼を戻すと、嗣乃に抱きしめられ、多江と瀬野川に
「どしたの? そんなに気に入った?」
瀬野川止めてくれ。そんな質問しないでくれよ。
「つっきーなんて顔してんのアンタ? 気に入ったって言ってんだよ素直に喜べバーカ!」
向井桐花がかくんかくんと首を首を縦に降っているので、俺も同じくかくんかくんと首を縦に振るしかなかった。
やはり、向井桐花は俺以上に色々なことをあきらめてきたんだろう。
友達を作ることとか、周囲になじむこととか。あきらめることで、自分を保ってきたんだ。
『向井桐花』が気に入っていることが分かって、少し気持ちが軽くなった。だけどまだ、頭の中がまとまらない。泣かれるという行為はやっぱりきつい。
ただ、今はとにかくフロン……向井桐花を救い出さなくては。
「せ、瀬野川、そろそろそいつ引き剥がさないとやばい」
やっと絞り出した言葉がこれとは。
「えへへ……かわえぇのう」
「つぐてめぇ! 何桐花の尻触ってんだよ!」
俺を襲う心の重みは嗣乃の性癖に救われた。
というか、全員呼び方変えるの早くない? 俺いつ変えればいいのかな。
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