156話


 晴天に恵まれた船着場には所狭しと並ぶ商船の旗がたなびき、荷卸しに勤しむ水夫たちの姿と積荷を受け取る為に立ち会う商人たちと連なる荷馬車……それらは港街ではごくありふれた光景ではありながらも、商業区画と隣接するこのシャリアテ港の賑わいはセント・バジルナに勝るとも劣らない活気に満ちていた。

 中でもセント・バジルナに明らかに勝る点を挙げるとするならば、港に停泊する商船の国籍の多様さであろうか。

 オーランド王国の主要都市であるセント・バジルナ、そして王都ライズワース……それら二都市での流通を目的とした商船の大半が自国の商会の商船であるのに比べ、直轄領にかけられている高い関税を嫌い直接的な取引相手として関税の低い地方領の、このシャリアテでの商いを主とする他国の商人たちは多い。

 自国内において減税の対象である商会と他国の商人……或るいは大陸間にある支店が積荷を経由させる事により高額な関税を逃れる為に行われる減税処置の一環としての大手商会の積荷の移動……それら多くの商人と商会の思惑の下、地方領という過酷な環境下にありながらシャリアテは飛躍的な発展を遂げてきた。

 貿易高、経済規模においてシャリアテはセント・バジルナには及ばない……しかし多国間貿易の規模、そして拠点として今やシャリアテがオーランド王国にとって欠かせぬ主要都市の一つであることは紛れもない事実であり、それ故にだろうか、多種多様、雑多な人種が溢れるシャリアテは北部域の多くの都市とは一風異なる、何処か無国籍な雰囲気と街並みを持つオーランド王国でも特異な都市となっていた。


 「じゃあな小娘共、縁があればまた顔を突き合わせることもあろうさ」


 船上で見せていた動揺など微塵も感じさせぬ、そして別離の言葉にしては酷くあっさりと、ヴォルフガングは人混みを避ける様に移動していた波止場の一角で、唐突に……だが当然の帰結であるとでも言うかの如く自然にエレナに別れを告げた。


 傭兵という稼業だけに当て嵌まる話ではないが情報の伝達手段が著しく後退した現在の大陸において約束を交わさぬ別れは今生の別れすらも意味するほどに両者が再び出会える可能性は低い。

 シャリアテというこの都市内ですら日時や場所を予め指定でもしない限り、偶然に再会出来る確率など万分の一程度の、余程の幸運にでも恵まれぬ限り実現は難しいそんな確率に頼らねばならない。まして此処で別れれば大陸を移動するエレナとライズワースを拠点とするヴォルフガングの道が再度交わる可能性など、陸路の現状を考えても皆無に等しいだろう。


 だがそんなヴォルフガングの姿にエレナは微笑みを浮かべて返す……それはヴォルフガング同様、この場には似つかわしくないとすら思える程に、知己との別れに際して見せる名残惜しさや寂しさなどを感じさせぬ晴れ晴れとした曇りのないそんな美しい笑顔であった。


 二度と出会えぬかも知れぬ知人に対して余りにも素っ気無いとすら思えるヴォルフガングの態度……しかしそれがエレナには自由人たる傭兵らしい偽りの無い姿に映り、憧憬の念にも似た感情すら胸に湧き上がる。

 その者と別れ難いと思うのならば共に在ればいい……そうできぬのならば結ばれた縁に期待し笑顔で別れを告げる……傭兵特有のそうした価値観は一般的には受け入れ難いものであるのかも知れない。だがそう生きれなかったエレナには、そんな自由な傭兵の生き方が宝石の様に眩しく映るのだ。


 エレナにとって友とは常に傍らに居る者たちを指す言葉ではない。この続く空の彼方、果て無き空の下、例え二度とは出逢えぬとしても瞼を閉じれば其処に彼らは存在する……色褪せぬ記憶と思い出はエレナ・ロゼという魂に刻まれ共に在り続けるのだ。

 故にエレナは笑顔を向ける……エレナにとってヴォルフガングもまた紛れもなく友の一人であったのだから。

 

 「当面の目的地が一緒なのに此処で別れたがるのには何か訳でもあるのかしらね」


 別れの場に相応しくないやや冷やかなアニエスの声音が場に流れ……予期せぬ横槍にヴォルフガングとクルスは平静を装うが、二人の背後に居た傭兵たちがあからさまにエレナから視線を逸らす挙動不審な姿にアニエスの疑念が確信へと変わる。

 元々が誤解を与え易い冷たさを感じさせるアニエスの切れ長の緑の瞳に獣を見る様な侮蔑的な色が浮かぶのを見て取ったヴォルフガングはやれやれ、とばかりに野太い指で鼻を掻き同様にクルスも苦笑を浮かべ、そんな二人の背後で猛者たる傭兵たちは母親に叱られた子供の様にエレナの顔色を窺う様な仕草を見せる。


 エレナもアニエスもヴォルフガングやクルスから既に詳しく事情を聞いている……そしてそれを聞いたエレナの性格からしてもシャリアテに着いて真っ先にガラート商会の門戸を叩くであろう事はアニエスの想像に難しくはなく、また情報に聡い商人ならば現在の内陸部の状況やベルナディスたちの安否の確認の意味においてもエレナのその選択が自分たちに有益なものになるであろうという思いもまたアニエスにはある。

 だからこそよりヴォルフガングたちがエレナと共にガラート商会へと赴かぬことをアニエスは不審に感じていた……ガラート商会の会頭にして今回の依頼人であるレイリオ・ガラートとエレナの関係を思えば、要らぬ気遣いを強いられかねぬ面倒事を避け日をずらすという主張はある意味ヴォルフガングらしいとはいえたが、それは完璧に依頼をこなした者が言ってこそ真実味を持つ言葉であり、今回の顛末を考えれば甚だ不自然さを抱かせる物言いであると言わざるを得ない。

 何故ならば今エレナが健在である事とヴォルフガングたちが依頼を果たしたという事は必ずしも同異ではないからだ。

 どれ程の額の成功報酬を約束されていたかは知らないが、依頼主であるレイリオに順序立てて説明して尚ヴォルフガングたちが正当な報酬を得る資格があるかと言えばかなり微妙であると、ごり押しにも近い要求を通す為には当事者たるエレナの後押しが必要なことくらい部外者のアニエスでさえ分かる簡単な道理であった。

 ましてエレナの方からガラート商会へ出向くと公言しているこの状況に喰いつかぬなど、金に執着する傭兵として本気で報酬を得ようとしているとは到底思えないヴォルフガングたちの行動に不審を抱かぬ方が難しい。いくらエレナが義理堅いとはいっても、ヴォルフガングたちが直接頼まぬ限り本来不要な出費となる金銭の譲渡をレイリオ・ガラートに頼む程エレナもお人好しではない……筈なのだから。


 船上での道中、どういった心境の変化に見舞われたかは知らないが、所詮傭兵とは欲望に正直な故に単純な生き物だ……金が行動原理の一番である傭兵がそれ以外の理由で、報酬を棒に振っても良いと思えるだけの理由など自ずと限られている。


 酒か――――だがあれ程船内で浴びるほどの酒盛りを繰り返していた連中が、今更シャリアテで飲み明かす為に報酬を二の次にするとは甚だ考え難い……となれば後の理由など一つしかない。


 それは――――。


 「傾国傾城――――比類なき美姫……シャリアテ一の娼館が誇る大陸一の美女か……男としてはこの機会を見逃す手はないよね」


 何気ないエレナの一言に周囲の男たちの表情が固まり……アニエスは不快げに男たちを見やる。

 シャリアテの港に降り立ってから此処まで水夫や人工たちのみならず商人たちの間でも一般に開放されていた高級娼館の催しの最終日である今晩が国を傾かせるとまで語られる、傾国傾城とすら謳われる美姫のお披露目の話で巷の男たちの話題は持ちきりであったのだ。

 嫌でも耳に入る話題を切り出したエレナには本当に他意はない……娼館という施設は大小を問わずどの街にも必ず存在し女たちが金の為に身体を売る場、という一般的には如何わしい生業を斡旋する場として特に同性の女性たちには好ましくは思われていないのであろうが、例えそれが本質であったとしても、必ずしもそれのみが全てであるとはエレナは思わない。

 少なくともエレナが知るそうした娼婦たちの多くが、生き抜く術として、家族を養う手段として戦い続ける強き女性たちであった。彼女たちの身の上を哀れむ事は簡単だ……だがそれは彼女たちに対する最大の侮辱の様に思われ、男の欲望の捌け口とされる不憫な女性たち、という認識をエレナは持つ事が出来ない。

 勿論その感覚が今だ男としての意識を色濃く持つ自分だからこその、ある意味男側の言い訳染みた考えであることは理解はしていたが、そうした感情論を別にしても観光都市でもあるシャリアテの様な大都市では歓楽街を束ねる組合の影響力は強く、待遇面を含め確固たる職業としての娼婦という地位を確立しているというのは間違いない事実の一つではあったのだ。


 「アニエス、私たちも時間があったら ――――」


 無論の事エレナは冗談のつもりでそうアニエスに切り出し……自分に向けて薄っすらと笑みを浮かべながらもまるで笑っていない剣呑なアニエスの眼差しを前に最後まで言葉を続ける事が出来ず無言で視線を逸らす。


 「此処で下らぬ話をしていても時間の無駄でしかないわね……私たちは行きましょうか、エレナ」


 ぽん、とアニエスの細い指先がエレナの小さな肩に添えられ……はいっ、とエレナは背中から伝わるアニエスの気配に気圧されたように小さく頷く。

 

 アニエスに背を押される様に別れの挨拶も交わす間も無く、とぼとぼと人混みの中に消えていくエレナの小さな背を、見送られる筈であったヴォルフガングたちが何故か見送ることとなり、呆然とその光景を眺めやるクルスたちの中、ヴォルフガングは遠ざかるそのエレナの背に口ずさむ。

 其処には別れを告げる響きは微塵もなく、詩篇の様な小さな呟きはエレナの耳に届くことなく雑踏の中へと消えていった。


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