冷めた理由

 うん、知ってるよ。私が「病気で介護が必要な夫を捨てて逃げた人でなし」だって噂が流れてることくらい。

 そうだよね。その通りかもしれないよね。でもね、耐えられなかったんだよ。いや、介護じゃなくて、別のことが。


 三十年も一緒に暮らしてきたのに今更、って思うかもしれないけど、だからこそ耐えられなかったんだよ。

 何があったのかって? そうだね…… うん、私を心配してこんなところまで来てくれたあなただものね。信じて話すよ。




 先週ね、夫…… A太がベッドから起き上がるのを手伝いながらふと訊いてみたの。「どうして私を好きになってくれたの?」って。

 なんでそんなタイミングだったんだろうね。本当にふとした感じで何故か口にしてたの。長いこと一緒にいて訊いたことなかったのかと思うかもしれないけど、意外と気恥ずかしくて訊けないもんよ?

 ともあれ訊いてみたわけよ。そうしたらあの人、昔話を始めたの。




 高校生の頃、テニス部に所属していたA太には、ライバルがいたんだって。同学年の人。テニスもその他のスポーツも、勉強だって難なくこなせちゃうし、明るくて人気者だったんだって。

 A太はそんなライバルに勝とうと、部活も勉強も人間関係も頑張ったけれど、どうしても叶わなかったんだって。


 けれどある時、ライバルに好きな人がいることを知ったんだって。同じ塾に通ってる、他校の子。A太も同じ塾に行ってたから、その子のことは知っていた。

 チャンスだと思ったって。これなら、勝てるかもしれないと思ったんだって。

 だから、それを知って以来、A太は塾で会う度にその子に積極的にアプローチをかけた。事情を知らないその子は、徐々にA太に惹かれていって、やがて付き合うことになったんだって。そのことをライバルに報告したら、ライバルは口では「おめでとう」って言ってくれたけど、表情はすっごく悔しそうだったんだって。

 「自分はついにライバルに勝てた。ライバルが手に入れることができないものを手に入れられたんだって思った」って、A太笑ってた。

 で、ライバルとは高校卒業と同時に疎遠になったけど、その子とはその後も交際を続けて、結婚して、今でも一緒にいるんだって。そうすることで、自分はライバルよりも上なんだって優越感と自信を持ってここまで生きてこれたんだって、A太は…… 言ってた。




 分かってくれたかもしれないけど、その他校の子っていうのが、高校生の時の私なんだよ。

 つまり、A太は私を愛してたわけじゃなく、私をライバルに勝つための道具としてしか考えてなかったんだよ。今まで。三十年もの間。ずっと。


 ねえ、私の三十年にも及ぶ結婚生活、何だったの?


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