感動運動会

 さあ、いよいよこの運動会最大のイベントが始まる。長年受け継がれ続けてきたイベントが。

 我が子の活躍を余すことなくビデオや写真や眼に収めようと身を乗り出す保護者達。車椅子や杖を使用している者が多い。


 緊張の面持ちの小学生達。中にはすでに泣き出している者も少なくない。

 そんな彼らの前に運ばれてきたのは、教室くらいの大きさの一枚の分厚い板。無数の釘が尖った方を上に向けてびっしりと固定されている。


「よーい、ドン!」

 教師の弾んだ声の合図。本当は嫌だ。絶対に嫌だ。でも、行かないと怒られる。

 子ども達は、ある者は泣き叫びながら、ある者はすべてを諦めたような顔で板へと駆け寄る。


 ずぶり。ぐさり。べちょり。

 そんな音を立てて、たくさんの小さな裸足に釘が容赦なく突き刺さり続ける。

 絶叫しながら、けれど無理やり足を釘から引き抜き、前に一歩、一歩。さらに別の釘の上へと進んでいく子ども達。


「すごーい! うちの子、あんな痛そうな顔しながらも頑張ってる! 感動!」

「あんなに血まみれになってもなお諦めないなんて! 流石私の子! 感動!」

 ズタボロになりつつもゴールを目指す我が子を見ながら感涙する保護者達。

 中には転倒し、その身を大量の釘に突き刺し、そのまま動かなくなる子どももちらほらいる。そういった者も、「命を懸けて努力した」ということで、それはそれで感動の対象になる。


 ゴールした時には、子ども達の足は原型をとどめていないのが常だ。そこに笑顔など一つもなく、あるのは嗚咽と悲鳴と、感情を失った無の表情と、血の海。それくらいだ。


 一方で、別の意味で涙を流す保護者達。

 自分の子どもが、他の子達と一丸となって一つの目標に向かう。たとえ傷だらけになっても、自分を捨てて、この伝統行事を今年も守れたことを我が事のように誇りに思う。


 こうして、大人達は今年も大きな感動を得られたのである。

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