第12話 犯人


  ③

 一連の騒動から数時間後。


 契が目を開いたとき、最初に映ったのは真っ白で無機質な病室の天井――などではなく、良く見知った自室のそれ。


 そして泣き腫らしたような瞳で自分を見下ろしているクロマの姿だった。


「契っ!」


 名前で呼ばれたのは初めてかも知れない、とぼんやりした頭で思う。


「っ……あんたいつまで寝てるつもりだったのよ!? しん――ぱいなんか全然してないけど、当たり前だけど、あたしのパートナーならそんなんじゃ困るんだから! ……馬鹿ぁあ!」


「くおっ」


 腰の辺りに思いっ切り頭を振り下ろされた。痛い。が、それでのろのろと再起動作業を進めていた脳みそが一気に覚醒したらしい。視界と同様に意識もクリアになっていく。何があったかも問題なく思い出すことができた。


 しかし現状を把握し切るには至らない。


 だって……あの状況を二人とも無事に切り抜けられる方法なんて果たしてあるだろうか。たった一つの冴えたやり方、などと呼べるほどの切り札すらないのに。出し惜しみも何もなく、どう足掻いても勝ち目はなかったはずだ。


 契のお腹に顔を押しつけたままぐりぐりしていたクロマが起き上がるのを待ってから訊ねる。


「……あれからどうなったんだ?」


 ようやく目を合わせてくれたクロマは何か物言いたげなジト目。数秒のあいだお見合いした後に「まあ後でいっか」と零しながら溜め息を一つ吐くと、唐突に部屋の入り口の方を指差した。


 ……今さらだが、どこも壊れた様子はない。やはりあの光景は現実ではなかったようだ。


「それについては、この人が説明してくれるらしいわ」


 そんな不満げな声を合図にドアを開けて姿を現したのは――ひどく見覚えのある顔だった。


「……久我? どうしてここに」


 契の親友たる久我弘臣。彼がいくら面倒見の良い性格をしているからと言って、ここに来る理由などないように思える。


 コトは天使やら悪魔やらの関わる非日常の世界の話だ。久我が解説役に適しているとは考えにくい。


 しばらく黙っていた彼は、契のいるベッドまで近づいてきて、その凶悪な面相を少し歪ませながら深く頭を下げた。


 その様子からは憔悴の色が窺える。普段の彼はその見た目に反して穏やかだが、今は何らかの感情を押し殺しているのだろう。


 それは激情を抑えるような静かな声音だ。


「……最初に、言っておくことがある。……悪かった。今回の件は、全面的に俺の責任だ」


 疑問符を浮かべる契の目の前に彼が差し出したのは――顔全体を覆えるような、硬質のマスクだった。




 契の部屋では何かと手狭だったので、三人でリビングに移動した。……いや、三人というのは語弊があるか。


 一度会釈したきり黙り込んだままだが、久我の後ろにはやや俯きがちな天使の姿が見えていた。単にそういう性格なのかも知れないし、あるいは従順であるよう何かしら洗脳まがいのことを施されているのかも知れない。


 クロマが一瞬だけ辛そうに顔を歪めたのが分かった。


 対面に腰掛けた久我がゆっくりと切り出す。


「まず前提から説明するが、俺はいわゆる政府所属のエージェント、ってやつだ。……そういや、政府がどうやってエージェントを選出してるかは知ってるか?」


 政府所属のエージェント。契とクロマが真っ向から対立している彼らは、実際のところ多くの部分が謎に包まれている。


 噂や都市伝説の類ならいくらでも存在するが、それらは全て憶測の域を出ないのだ。〝存在だけ〟を周知させるために情報操作しているような節さえある。


 だからそれは、本来部外者に漏らしてはいけない情報なのだろう。


「いや、知らない」


「そうか。……健康診断ってあるだろ。学生でも社会人でも、まあ毎年かなりの人数が受けてる。


 あの一連の検査の中に、実は簡易的な〝適性〟チェックが含まれてやがるんだ。天使との適性がわずかでもあるかどうか……ここで是と出りゃあ第一審査突破って感じだな。予選通過者はその内どっかの施設に呼ばれて詳しい検査を受ける。


 天使にも力の強弱やら方向性みたいなもんがあるらしくてな、どこまで受け入れられるか、どんなタイプと相性が良いかが判断されるわけだ。


 ここで幸運にも評価が悪ければ、まだ戻ることが出来る。上の連中としては、必要というほどでもないが居て困ることもない、ぐらいの扱いだ。ある程度の情報を明かして、希望するなら採用となる。


 だが高評価――強い力を振るうことの出来る天使、珍しく扱いの難しい天使との適性が認められた奴に退路はねぇ。一応政府機関だから態度自体は紳士的だが……脅迫だ、あんなもんは」


 何か苦いものでも噛み締めるような表情を浮かべる久我は、おそらく後者だったのだろう。


 しかしそれにしても、今の話が真実なら、政府は天使の力を充分に引き出せる才能を日本全国から手当たり次第にかき集めているということになる。それは、ほとんど解体されかけている悪魔勢力を追い詰めるには明らかに過剰だ。


 単なる防衛だけでなく、この便利に過ぎる力を独占して甘い蜜をすすりたいという意図が露骨に透けて見えている。


「……あ……」


 無意識の内に険しい表情をしていたのかも知れない。不安そうに赤い瞳を揺らして覗き込んでくるクロマに気付いて慌てて咳払いをすると、契は誤魔化すように口を開いた。


「それにしても、さっきの幻覚はすごかったよ。もしかして久我ってかなり強い方? 引き抜かれたってことは特待生とか幹部候補生みたいな、そんなエリートコースに乗っかってるのかな」


「ああ、いや……そうだったら、まだ少しは良かったのかも知れねぇな」


 溜め息交じりの返答は少し予想と違っていた。


「組織は確かに実力主義の階級制だ。一番上にいるのは権力を握ってる大人たちだが、エージェント内での上下関係はそいつの受けている評価によって決まる。要はどれだけの悪魔を仕留めてきたのかって意味だ」


 剣呑な台詞にまたもクロマが肩をすくませる。落ち着かせようと頭を撫でてみると、一瞬気持ち良さそうにしていたのに突然我に返って突き放された。理不尽じゃないだろうか。


 そんなクロマの様子に久我が少し口調を和らげる。


「悪い、怖がらせるつもりはなかった。……しかし、気にはなってたんだがその子の服装はお前の趣味か? 危険すぎるように思うが」


「……危険?」


 さすがにパジャマは脱いで、いつもの黒装束を纏っているクロマに視線を向けた。……契の目からは、そんなに露出が多いようには思えないが。それでも色々と扇情的な格好と言えなくもないのかも知れない。


「ううん、最初からこの服だったよ……なんとなく悪魔っぽいし、こんなものじゃない? まあ確かに目のやり場に困るような感じはするけど」


「っ!?」


 言った途端に凄まじい反応速度で距離を空けられた。首筋まで真っ赤に染め上げたクロマは必死でスカートの裾を抑えている。視線が気になるのか、もじもじと足を擦り合わせている様は普段よりむしろ官能的だった。


「あ、あんた、あたしのことそんな目で見てたの!?」


「……全くそんな事実はない、と言ったら嘘になるけど。日常的にっていうわけじゃないよ」


 そもそも言葉通り人間離れしていると形容しても良いくらい可愛く蠱惑的な容姿なのだ。気の迷い、の類を起こすほどの勇気――そんなエネルギーは契にはないが、それでも無関心ではいられない。どうしても言い訳がましくなってしまうが。


「ふうん……見てるんだ……」


「う」


「……そろそろいいか。話を脇道に逸らす原因を作ったのは確かに俺だが痴話喧嘩を見せられても対処に困る。後で思う存分やってくれ」


 痴話喧嘩ではないと思うが。


 クロマのジト目は久我が痺れを切らして遮るまで続き、その後も時折視線が頬に突き刺さるのを感じて少しだけ居心地が悪い。


 仕切りなおすための咳払いを一つ。契と久我のそれはほとんど重なった。


「俺が言った危険ってのは露出がどう、とかいうことじゃねぇよ。その子の服装――まあ見りゃ分かるが黒衣だ。さっきお前も悪魔っぽいとか言ってたが実際その通りでな」


 久我はそこで一旦言葉を区切る。クロマもさすがに話が自分について言及しているからか真剣に聞き始めたらしい。


「政府に所属してる天使は全員白い服しか着ねぇんだ。細かい部分のカスタマイズやらはエージェントそれぞれが勝手にして良いことになってるが、上の意向ってやつで白って部分だけは変えられねぇ。


 逆に言えば〝平行異界の第一深層に黒い服の何者かがいる〟となれば、それは知らない天使なかまかも知れない、じゃなく悪魔てきで確定だ」


「……なるほど」


 平行異界の第一深層は、悪魔や天使に関わっている人間なら誰でも覗き込むことができる。それが白装束ならエージェントと遭遇しても誤魔化せるが、黒だと一発アウト。見つかっただけで悪魔だと断定され襲撃されると。


 ふむ。


 ……危なかった。


「あのさ、もしかして、僕が学校にクロマのこと連れて行った時点で色々と察しは付いてたの?」


 契が雪菜と久我にそれとなく悪魔のことを訊いたとき、興味津々に耳を傾けていたクロマの姿もばっちり見られていたわけだ。そう考えると少し恥ずかしい。


「まあ、な。正直、平静を装うので精一杯だったくらいだ。他のエージェントに見つかる前にどうやって忠告しようかと悩んでたんだが……」


 久我曰く、あの先輩の話をしたのも『あの人はエージェントだから近付くな』的な意味合いだったようだ。もし仮に契が積極的にエージェントを倒す理由を持っていなければ、確かにそういう風に受け取ったかも知れない。


 実際はすぐに行動に移る原因になってしまったわけだが。


「まあこんなに早く目を付けられてるようじゃ、どんなに言っても無駄だっただろうがな」


「目を付け……って、それはどういうこと?」


「今日……いや日付で言えばもう昨日か。学校の屋上でエージェントと戦っただろ、お前? ただ巻き込まれただけなのか何かしら目的があるのかは知らねぇが、あれはかなりマズい。


 エージェントは一応政府所属だから、万が一天使を失うようなことがあれば当然報告義務が発生するんだ。まあそんなことはそもそも滅多に起こらねえし、起こったら起こったで逃げ出す連中が多いんだが……あのド真面目な先輩はすぐに報告したらしいな。


 それで即座に〝エージェントを一人無力化した悪魔憑き〟の討伐指令がこのエリアのエージェントに通達されたってわけだ」


「と、討伐……」


 今時ゲームの中でしか目にしないような単語が飛び出してきた。そしてその矛先が自分に向いているというのだから余計に貴重な体験だろう。まったくもって良い知らせではないが。


 迂闊だったかも知れないが、報告すら届かないようにするとなると、エージェントの命を絶つ他に方法がなくなってしまう。それを選択肢から除外している以上、いずれこうなることは避けられなかっただろう。


 いずれにせよ、これで契とクロマの二人は本格的に政府率いる天使軍に敵と認知されてしまったわけだ。


「じゃあ、その指令っていうのを遂行するために久我はここに来たってことか」


「ん? ああ、まあそういうことだ。だがそれより先に、お前に一つ言いたいことがある……何故あんなことをした?」


 久我はあまりその話を長く続けたくない、といった様子ですぐに話題を転換した。声の調子が一段階低くなり、眼光もいつもより二割増しで鋭い。


「あんなことって」


「決まってんだろ、お前はさっき自分からナイフを首に突き立てようとした。演技だなんて言わせねぇぞ、俺が直前で逸らしてなければお前はもうこの世にいない」


 その瞳に宿るのは怒りだ。契を心配に想ってくれているが故の感情。


 自分を始末しに来たはずのエージェントにそんな言葉をかけられるのも妙な気はするが、とても久我らしい質問に誤魔化しめいた答えを返したくない。

 

 逡巡はほんの一瞬だった。


「……クロマが逃げなかったのは僕がいたからだ。僕がいなくなれば、契約者が消えればクロマがここに残る理由はない。拘束されてたのは僕だけだから、そうすれば一人で逃げてくれるかなと思ったんだ」


「っふざけ――」


「馬っっっっっっっっっっ鹿じゃないの!?」


 本気でキレたのか立ち上がりかけた久我が途中でその動きを止めてしまうほどに、激情に駆られたその声は勢いよく大気を震わせた。


 両手をテーブルに叩き付けたクロマは、どうしてか涙を滲ませた瞳を真っ直ぐ契に向ける。


「あんた、本気でそんなこと言ってるの?」


「……実際、この計画に必要なのは僕じゃなくて、エネルギーを提供してくれる人間だ。それが僕じゃなくなるのは残念だけど計画が潰れるよりいいだろう?」


 何時間か前に考えたことと何も変わっていない。自分の中に核と呼べる何かを持っていない契は、こういうとき理屈に基づいた考え方しかできないから。悪い意味で、ブレたりしない。


「あたしは……っ」


 涙でぐちゃぐちゃになった顔を両手で乱暴に拭い、クロマは大きく息を吸い込んだ。


 そして叩き付けるように、それ故に素直な言葉を紡ぐ。


「あたしは、あんたが良いの! 敵しかいない世界で心細かった時に、あんたは何の抵抗もなく受け入れてくれた。居場所を作ってくれた。今のあたしの力を知っても幻滅なんてしなかったし、それどころか勝てるかも知れないって思わせてくれた。


 そんなあんたは、少なくともあたしにとって特別よ。換えの効く存在なんかじゃ絶対ないんだから!」

 

 そしていつも通りに人差し指を契の目の前に突き出した。まるで気恥ずかしさを紛らわすように。


「女の子にここまで言わせて何もないのか長谷川契!」


 深紅の瞳は揺れることなく契を覗き込んでくる。本心からの言葉は悲鳴に近く、空気を切り裂いて契の芯まで届いた。もう何もないと思っていたその部分はしかし、共鳴するように確かに震える。


 理論に頼らず、その感覚を露わにするのは難しい。というか、先程の理屈だってあくまで自分が代替可能であることを前提にしているのだ。それが崩れた時点で論破されている。


 ……やっぱり、すごい。


「うん、僕は確かに自分にもあんまり興味が持てない。だからさっきみたいな考え方をしたし、これからもするかも知れない。


 ……でも、そんな僕なのにクロマには興味を惹かれてる。クロマのことが気になってる。自分でも理由は分からないけど、何て言うか……クロマの傍にいるときは、心が多分普段と違う風に動いてるんだ。こんな感覚は、今まで味わったことがない。


 だから、そんな〝特別〟なクロマが僕を僕として求めてくれているのなら……自分に意味があると思える」


 だから。


 何かを期待するように頬を染めて見上げてくるクロマに、片手を差し出した。


「改めて。僕を、長谷川契をクロマの仲間にして欲しい」


 泣き笑いのような表情のクロマがゆっくり頷いて――、


「……だから、そういう恥ずかしい会話は俺がいないとこでやってくれ」


 微妙な顔で黙っていた久我が少し申し訳なさそうに口を挟んだ。


「っ……! な、なによ、あんたなんてずっと冷静な顔してるけど契がナイフ引っ張ったときすっごい必死にやっぱりこんなことできるかぁああああああ!って」


「うるせえ黙れぶっ殺すぞ」


「ひゃいっ……ってそんなこと出来ないでしょ! ばーかばーか!」


「てめえ……っ」


 心なしか呆れているような空気を醸し出している久我の天使とともに二人のじゃれ合いを眺めている間、しばらく話し合いが途中で止まっていることにも気付かなかった。

 

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