第10話 事態収束/反省

  ⑧

「ねえ、クロマ」


「なによ?」


「何だか心が痛いんだけどどうしたらいいのかな」


「……そんなのあたしの方が訊きたいわ」


 校舎屋上にて先輩と対峙してから約一時間後。隠密特性を駆使して何とか家まで逃げ切った契は、美少女メイクを落とすのも忘れて疲れ切った身体をベッドの上に投げ出した。


 玄関に辿り着くなり実体を取り戻していたクロマも、ぐったりとその隣に座り込む。小さく溜め息を吐く音が聞こえて、思わず真似してみたりもした。


 特に気分が晴れるようなことはなかった。


 ――作戦は、作戦そのものは想像していた以上に上手く嵌ったと言える。


 まずもって大筋は、先輩を契に惚れさせるというものだ。


 最初に契の男の娘化計画。見た目だけなら紗希の手によって充分以上に可愛くなれることは知っていたから、あとはそういう〝らしさ〟を身に付ける必要があった。


 テンプレート、それをそれと表す既存の記号のようなものはやはりどうしたって抜きには出来ないから。


 そういった全てを部長のレッスンで補い、そのシチュエーションを活かせる機会があれば実行、という流れである。


 そして初日にして〝先輩に無理矢理女装させられている男の娘〟というそれなりに〝アリ〟な状況になっていることに気付き、すぐにクロマに指示を出して先輩が通りすがるのを待ったのだ。


 合図に従って飛び出したあとは偶然を装って出会い、どうにかして相手が天使の力を使わざるを得ないような状況を作り出し、怖がって見せる。


 気になっている相手のそんな姿に動揺し、自らの持つ天使の力を少しでも忌み嫌ったなら、その思いを〝感情誘導〟で増幅できる――以上が作戦の概要だ。


 もちろん、本当ならこんなに早く結果が出るとは思っていなかった。そんな甘い予想をしていたとしたらその人は大した自信家だ。賭博家にでもなればきっと幸せで刹那的な人生を送れるだろう。


 契としては、もっと時間をかけるつもりだった。とりあえず隠密行動さえ切らさなければクロマが見つかる危険はない。だからゆっくりと近づいて、色々な角度からアプローチをかけて先輩の気を惹く算段だった。


 しかし――唯一の計算違いは、今回の対象者となる彼が想像していたよりずっとずっと、良い人だったということだ。


 良い人。もとい、純粋な人物。


 偽者の契を純粋に想ってくれたからこそ、至極簡単に罠にかかってしまった。


「……何というか、僕が悪者みたいだ」


 みたいというか、事実。


 人の好意を利用して逆手に取って、挙句心を弄ってまで自らの利を押し通す。そんなのは論じるまでもなく悪に分類されるだろう。


 そもそも人を騙すという行為はそれ自体があまり良いものとは言えない。演劇部でやるような、観客がそれを演技だと分かって見ているものとは違い、今回の演技は相手を欺くためのそれだ。


 最初から相手を傷つけることが分かっていたはずの嘘。擬態。偽物。


「それを一番得意としている――いや、そうでもしないとまともに世界と関わることも出来ない僕は、本当に」


「それ以上はやめなさい」


 不意に白い手が契の頬に伸び、乱暴にこすった。ベッドにうつ伏せになって横たわる契の頭のすぐ近く。見上げると唇を尖らせて不機嫌をアピールしているクロマが、いつの間にか流れていたらしい契の涙を拭おうとしていた。


「あんたのしたことは確かに誉められるようなことじゃないわ。他の誰かに非難されたっておかしくない。でも、その理由はあたしがお願いしたから、でしょ? あんたはあくまで代理で仕事をこなしてくれただけなんだから、責任を感じる必要なんてないの。おーけー?」


 赤く大きな瞳は契から微妙に逸れている。どうやら励ましてくれているらしい。

 

 それで恥ずかしいから目が合わせられない、という様子か。


「……クロマはどうも思わないの?」


 それは意地悪な質問だったかも知れない。どうも思っていないなんて、そんな訳がない。だからこれはただ、クロマがどんな答えを返してくるか気になっただけ。

気になる。心が揺れる。


 ……やはり最近の契は以前とどこか違う。自分でもはっきりと分かった。クロマと出会う前の契なら、こんな疑問など抱いていない。


「……」


 少しの間黙って考えていたクロマだったが、やがてニヤりと八重歯を露わにして、契よりもよほど意地悪な笑顔を浮かべながら言った。


「責任なんてぜんぜん、感じるまでもないわ――なんたってあたしは、泣く子も黙る大悪魔様なんだから! だから悪者なのは当然なの!」


 それはどこか自嘲するような響きを伴っていたような気がしたのだが、彼女の表情を見るに、きっと文字通り気のせいだったのだろう。




  Another part3

「……くそ」


 男はたった今届いたメールを忌々しげに睨みつけ、吐き捨てるように悪態をついた。


 最悪だ。こんなことになるなら――と悔いてみても、実際それは彼にとって完全に想定外のことだった。対処のしようなどなかった。仕方ない、なんて諦めの台詞だけは吐きたくないのだが。


 数時間前に見た景色を思い出す。天使と悪魔の対峙。それは悪魔側の一方的な勝利に終わった。それはつまりこのエリアに悪魔が、悪魔を使役する人間が残っているということだ。


 だから近くに控えていたエージェントであるところの彼に上からの通達が届いた。


 対象を殲滅せよ。


 普段は一定期間内に一人か二人、その辺りの野良悪魔を拘束して本部に送還すれば最低限のノルマはクリアできる。しかし今回は既にエージェントが一人無力化されているため、いきなり指名手配の死刑判決だ。


 それでも、もしそれをやるしか手がないのなら、彼は実行しただろう。いくらでも躊躇するだろうし、あとでどれだけでも悔いるだろうけれど、それでもそうせざるを得ない理由がある。


 ただ。


「……」


 メールに記載されている名前をもう一度読む。睨み付ける。いくら眼光を鋭くしても、文字が変わるようなことはなかった。


 どうして。


「どうして、お前なんだよ……くそ」

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