第9話 篭絡

 男の娘になるための特訓。


 そう称された部長からの個別指導は、想像していたより難しいものではなかった。


 彼曰く、


『男の娘になるも何も、君は現時点で及第点に近いパフォーマンスを維持できている。見た目や仕種に文句の付けようはないし表情だって素晴らしい。こういったものには状況や理由、背景というものも関わってくるのだが……ふむ、もしかしたらそれも充分なのかも知れないな。だから君に教えるのは魅せるための展開構築、いわゆる〝テンプレ〟だけだ』ということらしい。


 意味は分からなくても理解は出来る。


 要するにそれらしいシチュエーションを作り出せば良いということだ。


 そこから先はひたすらに作品鑑賞の時間だった。古今東西、男の娘を取り扱った作品にひたすら目を通す。


 模倣が得意な契だから、こうしているだけで色々なものを吸収できるのだ。何故だか一緒に残ってくれた雪菜が隣で大袈裟に反応してくれるから、その時間は契にとってとても楽しいものだった。


 雪菜は〝男の娘になりたい=男だけど可愛いヒロイン役を精一杯に演じたい〟と解釈していたようだが、視界を埋め尽くす作品群――一応言い訳しておくと、モザイクが必要になるようなものは一つもない――に何を感じ取ったのか、小声で『……契はちゃんと女の子が好きなんだよね?』と不安そうに尋ねてきたりもした。


 それは多分、いや絶対に、肯定。なのだが。


 そうして色々な資料から〝そもそも男の娘という存在に本当の性別などという無粋な設定は必要ないのかもしれない〟というコペルニクス的発想を会得しかけていたそのとき、穏やかな時間は契にしか聞こえない合図によって引き裂かれた。


『あいつが昇降口から出てきたわ! 急いで!』


 ベランダから身を乗り出すようにして外の様子を窺っていたクロマの言葉が届くと同時、契は走り始めていた。荷物も何も持たず、一直線に扉を目指す。


「え? どしたの契?」


「ちょっと急用」


 戸惑ったような声を上げる雪菜に、事情を隠しながら少しだけ詳しく説明するくらいの時間ならあった。


 しかしもう展開は頭の中に描けている。そのシチュエーションを成立させるため返答はあえて短く淡白に、情報量を最小限に。


 それはむしろ雪菜というよりはもう一人に疑わせるための拙い言い訳だ。


 不安そうに表情を曇らせた雪菜は、それでも何とか笑みを形作って、


「え、でも……うん。気をつ」


「ふむ。嘘だな。嘘でなかったとしても、部長直々の特訓を抜け出す理由にしては余りにも面白くない。よって不許可だ。認められない。雪菜君、全力で彼を捕まえるぞ」


「あ、あいあいさー!」


 目論見通り追いかけてきた二人から逃げるように、契は階段を駆け降りた。


 


  Another part2

 容姿端麗成績優秀人望も厚く正義感に溢れる天使軍所属のエリート、を自称する彼は本日分の宿題を教室で済ませ、今まさに帰路に着こうとしているところだった。


 宿題を家に持ち帰らないのには理由がある。


 エージェントとしての仕事はいつ舞い込んでくるか分からない不定期なものだからだ。それは上からの指示だったり、偶然索敵範囲内に悪魔が見つかったりと様々だが、とにかく自由な時間が確保できる保証がない。


 だから彼は、学校に居る間は自分に干渉しないで欲しい、という条件付きで天使軍に参加していた。政府直轄部隊の称号は魅力的だが、しかし成績も人望もそれと等しく重要なのだ。


 遅刻早退の常習犯になったり、仕事が原因で宿題が手付かずというのもいただけない。


 彼は基本的に完璧主義者だった。


 そういった経緯で学校内だけで束の間の自由を赦されている彼だから、放課後になってもすぐには帰らないことが多かった。宿題をする以外にも、読書をしたりスマホでニュースに目を通したりと一通り満喫してから教室を出る。ここまでが日課のようなものだ。


 昇降口を出て、校庭を歩きながら何とはなしに空を見上げた。――天気が良い。


 こんな日は何か良いことが、


「ひゃっ」


 身体にちょっとした衝撃を感じた。次いですとん、ととても軽い何かが落ちる音。目線を下げると誰かが足元にうずくまっているのが見える。両手で頭を抱える仕草は妙に可愛らしい。


 上に気を取られている内に誰かとぶつかってしまったようだ。こういった衝突事故の場合どちらに責任があるのだろうか、などと考えるまでもなく、余所見をしていた彼が悪い。申し訳ないことをした。


「これはすまない。怪我は、ない……か…………?」


 地面にぺたりと座り込むその生徒に手を伸ばそうとして、その人物が恐る恐る上目遣いで彼を見上げているのに気付いて、絶句した。


 走っていたからか桜色に染まった頬、肌は太陽よりも眩しいと思えるほど白く透き通っている。肩先までのショートヘアはいかにも指通りが良さそうで、少しだけ長い前髪から覗く瞳は大きく愛らしい。


 見惚れてしまうのも無理はない。……ただ、彼にとってはそれよりも何よりも気になることが一つ。


「……君は。何故男子の制服を着ているのだろうか?」


 そう、目の前の彼女は自分と全く同じ服を着用していた。不躾な考えではあるが、その胸囲にあるべき膨らみも、少なくとも服の上からは全く見受けられない。


 思わず漏らした彼の言葉に、少女は慌てたように立ち上がるとわたわたと両手を振る。それだけでは伝わらないと思ったのか、目尻にほんの少し残っていた涙を振り払うように首まで横に振り始めた。


「こ、これはっ、違うんです!」


 どうやら否定の仕種らしい。


「あ、違うのは制服の方じゃなくて、むしろこのメイクの方がおかしいっていうか」


「どういうことだ?」


「ボクは男なのに、先輩たちが次の公演でヒロイン役をやれってこんな格好……っ!」


 ボク。ボク、と来た。しかも男? この外見で男? 確かに女子にしては少し低めで掠れたような声だがそれにしても。男。


 困惑する彼を他所に少女(少年?)は怯えるように後ろにちらちらと視線をやっている。まだ遠いけれども、二人分の人影がこちらに向かって走ってくるのが見えた。心なしか彼女の顔がさっと青ざめる。


「あ、あの、もし良かったら、ご迷惑でなければ、助けてくれませんか? 今追いかけられてて、捕まっちゃったらまた」


 息を呑むほどの美少女が実は男で一人称がボクで先輩に無理矢理ヒロイン役をやらされそうになっていて涙目になりながら逃げ出して見ず知らずの自分に助けを求めて懇願している。


 ああ、やはり。


「とかく晴天は素晴らしい――これ以上なく良いことが、起きたじゃないか」


 第一深層にて待機していた天使に大げさな身振りで命令を下すと、猛禽類の如き大きな翼を携えた彼は次の瞬間、呆気に取られる少女を抱えて空を舞っていた。




 ヒュン、と風を切る音は刹那。


 邪魔をされたくない、という考えから彼が選んだ逃走先は本校舎の屋上だった。ここなら一般の生徒は来ないはずだし、学校の敷地内だから上からの指示も来ない。


 硬直したまま動けないでいる少女を静かに下ろす。どこもかしこもコンクリートの地面に座らせるのは忍びなかったが仕方がない。彼女も地面の感触に安心したのかしばらくすると引き攣っていた頬を緩ませてくれた。


 しかし何故だか手を離してくれないのは、やはりまだ少し落ち着かない部分があるのだろうか。


「あ、あの……ありがとうございます」


「礼を言われるほどのことじゃない。誰かが困っていたら助けるのは当然だ。相手がかように麗しい君なら必然ですらある」


 自称・人望の厚い男は伊達ではない。SOSを無視するなんてことは有り得ない。しかし今回に限ってはたとえ助けを乞われなくてもお節介を焼きたくなってしまったと思うが。


 それくらい、目の前の光景は彼の心を惑わして止まなかった。


「でも、その。今の……なんだったんでしょう?」


「……」


 少女の声にわずかな怯えの色を感じ取って、彼は口を噤む。彼女の視線は安定しないながらも彼の背後に向いている。今でこそ何もないが、数刻前までそこには確かに異形の羽根があった。


 その意図をほとんど正確に理解することは出来たものの、誤解によるすれ違いなどという面倒極まりない事態を招かないために無言で続きを促す。


「あのっ、もちろん、感謝してます。顔見知りですらないボクなのに、こうして助けてもらっちゃって。ただ、その……ちょっとだけ。怖かった、かなって」


 弁明するように、もしくは彼を傷付けまいとするように。


 少女はその心境を吐露してくれた。


 彼の背に召還されるのは、人間サイズに拡大された猛禽類の羽根。それは彼にとって武器ですらなく、馴染み深い移動及び緊急回避手段なのだが、確かに恐ろしさを覚えてもおかしくはない。


 一般的な価値観の範囲内で考えれば充分に脅威だ。


 たどたどしく言葉を紡ぐ少女の唇は、よく見れば震えていた。握られたままの手にきゅっと力が篭もっている。


「先輩は、ああいう力を使う方なんですか……?」


 少女は俯いて彼から目を背ける。たったそれだけで心が酷く痛んだ。


 もちろん、普段から見せびらかしているわけではない。しかし彼女を追っているのが演劇部部長だと分かった途端に使わざるを得なくなったのだ。その程度のスペックは持っているだろうと知っていたから。


 しかしそれは言い訳に過ぎない。


「君を」


 だから。だったら。それなら。


「……え?」


 彼は容姿端麗成績優秀人望も厚く正義感に溢れる天使軍所属のエリート、だ。


 しかし目の前の少女に嫌われるというのはその他のステータス全てを投げ打ってでも回避するべきことのように思えた。それくらい価値のあるもののように思えた。


「愛しい君を怖がらせるくらいならこんな力なんて要らないな」


 それは彼自身にとっても少し不自然なまでの、唐突に過ぎる心の動きだったのだが。


 今の彼にはそんなことを気にしていられる余裕はなかった。


「クロマ」


 だから下を向いたままの少女のそんな呟きにも重要な意味を見つけることができず、そんなものを探ろうとも思えず、次の瞬間には全てが終わっていた。

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