第7話 男の娘

   ⑥

「ほう。〝男の娘でもあなたの彼女になれますかっ?〟か」


「ええと……はい。そんな、タイトルでした」


「珍しいこともあるものだな。まさか君がこういった分野に興味を示すとは……いやはやまったく驚いた。もしや今まで何を振っても何に誘ってもいまいちばかり素っ気無い態度だったのは、ただただ守備範囲が異様に狭かったと言うだけの話だったりするのかね?」


「部長が何を言っているのか分かりません」


「君には今までいくつもの作品を勧めてきた。その中には恋愛ADV《アドベンチャー》も多数含まれていたはずだが、どんな名作を渡しても面白かっただの参考になっただのと言うばかりで自分から歩み寄ってはくれなかっただろう。


 しかしそれだけニッチな趣味なら食指が反応しないのも無理はないというものだ。いや少しばかり待っていてはくれまいか?


 男の娘だって今や立派な一ジャンルだ。君の好みに合うものだってもちろんあるだろう」


「とりあえず話を聞いてくれませんか」


「ん? ああそうだったな。では進呈は次の機会にしよう。選別は任せてくれたまえ、世界有数の大旅客船にでも乗ったつもりでな」


 ――翌日、火曜日の早朝。


 契はある人物に会うために、授業の始まる一時間も前から演劇部の部室を訪れていた。


 この学校の演劇部はそれなりに大所帯で、三学年の男女を合計すれば余裕で三桁に届く。文科系の部活としては吹奏楽部に次ぐ人数だ。


 故に部室とは言っても教室を一つ二つ借りているわけではなく、部室棟の二階部分を丸々占領している形になる。


 しかし、公演が差し迫っていたりしない限りは朝練もないため、放課後になればガヤガヤとうるさいくらいの喧騒に包まれるこの空間も、今は静寂が我が物顔で支配していた。


 そんなフロアの一室、東階段に一番近い端っこの部屋。この空間は普段の部活動では滅多に使われない。入部してから数ヶ月の一年生なら入ったことすらない人の方が多いだろう。


 毎年の部員増加で生徒会に部室増設を要求しているほどの演劇部が無駄にスペースを余らせるような真似をするのには、もちろんそれ相応の理由がある。


 何となれば、この部屋は歴代部長が代々引き継いできた置き土産が溜まりに溜まって何とも形容しがたいカオスな様相を呈しているからで――さらに加えて、既に現代部長の居城と化しているからである。


 比喩や何かではなく実際にここで暮らしているらしい部長は、だからどんなに朝早く訪れても会うことが出来る。今の契にはそれ以外のことはどうでも良かった。


 出来損ないのタイムマシンの残骸らしきものに腰掛け、下手をすれば時間を止められそうな古めかしい懐中時計を一心不乱に弄っていた部長に声をかけた。


 挨拶もそこそこに、前後の事情をスパッと省いて詳細を知りたいのだと昨日目にした同人誌のタイトルだけを告げたところで冒頭に戻ると、そういうわけだ。


「それで? その同人誌がどうかしたのか? やはりどうしても欲しいのだという話ではないのかな?」


 眼鏡の奥の瞳を静かに滾らせながら淡々と語る部長――実のところ、契はこの人の性別を知らない。というか、ゴシップ好きの雪菜の話によると、演劇部部長の性別はこの学校の七不思議の一つとして数えられているらしい。


 端正な顔は中性的で男女問わず惹きつける魅力があり、髪の毛は演技の一環なのか部室にあるウイッグでころころ変わるため参考にならない。


 制服こそ男子のものを着用しているが、以前公演のリハーサルの際に急遽欠席した女生徒の代わりにスカート着用で舞台に上がり、その絶対領域に誰もが息を呑んだという過去があるため相殺だ。


 疑問に思った部長のファンたちが職員室に押しかけたところ、引き攣った笑顔の先生が『さ、さあ~? 先生分からないなあ~』という見るも無残な対応をしたという噂も相まって今やトップシークレット扱いである。


 そんな彼――長々と解説しておいてなんだが契はそんな謎に興味はないので制服が示すとおり男なんだろうと判断している――を端的に評するなら、契と真逆の人間、ということになる。


 入部の際に聞いた演説まがいの自己紹介で芸術鑑賞が趣味だと言っていた部長だが、その範囲は非常に広い。彼の中では古今東西あらゆる作品が芸術なのだ。


 演劇やミュージカル、オペラ、文芸作品のようなものだけでなく日常的に目にする大衆小説やドラマ、漫画にアニメにゲームまで一切の偏見を持たない。


 最近契に恋愛もののアドベンチャーゲームなどを貸してくれる機会が多いが、それは彼の興味の対象の内、ほんの一部でしかないそうだ。


 旺盛な好奇心を持ち、興味を持った全てのことをとことんまで深く愛する部長に、契は憧れに近い感情を抱いていた。


「いえ、その。ちょっとした事情があって……読みたいわけじゃなくて、大まかな内容が分かればそれで充分なんですが」


「ふむ。本来ならあらすじだけを読んで作品を知ったような顔をされるのはあまり好ましくないのだが、事情があるということなら仕方はあるまい。しかしあれはストーリーを楽しむものとは違い、どちらかと言えばキャラクターの魅力をひたすらに余すことなく味わうことを目的とした作品だぞ? 概要だけを語るといやに淡白なものになってしまうが」


 それはもったいなくないか、と言いたげな瞳を向けられる。その理屈はもちろん理解できるが、今回の目的とは合致しない。契は話の続きを促すように小さく頷いた。


「そうか。では簡潔に。〝男の娘でもあなたの彼女になれますかっ?〟とは優希という名前の少年が幼馴染の少年に恋をし、様々なイベントを通してさらに思いを募らせ、周囲の不理解を初めとする幾多の障害を乗り越え、ついに告白をして結ばれるまでを描いた同人誌だ。


 非十八禁作品だが心情描写が非常に丁寧だと話題になり、その筋ではそれなりに有名になっているな」


「……優希という名前の、少年? 少女ではなく?」


「そうだが」


「それなら幼馴染の方は少女の間違いなんじゃ」


「いいや間違いはないぞ。この作品にメインで登場するキャラクター、優希と武は二人とも生物学的には男性だ」


「……」


 しばし考え込む。普通、恋愛は異性間でするものなんじゃないかと思う。


 思うが、別にそうしなければならないと決まっているわけではない。好きになった人がたまたま同性ということもあるのだろう。


「つまり、同性愛BLを描いた作ひ――」


「口を慎め長谷川契」


 部長がすっと目を細める。ただそれだけで部屋の温度が少し下がったような錯覚を覚えた。直接目を合わせなくとも鳥肌くらいは立つだろうと思わせるほどの鋭さを持った視線。後ろの方からひうっと小さな悲鳴が久しぶりに上がる。


 無理もない、睨んだり凄みを利かせたりといった演技を盗む際、契が何より参考にしたのが目の前にいる部長その人だ。言うなればルシファースタイルの元祖である。


 普段は温厚で悪戯心を多分に潜めた彼だが、稀に見せる怒りの表情は何というか……相応しい表現ではないと自覚しているが、完璧なのだ。綺麗だとさえ思う。


「すみません」


「ふむ。失言は誰にでもあることだ。すぐに過ちを認められるのは君の美点の一つだぞ」


 一転して柔和な笑みを形作る部長。


「しかし男の娘と同性愛を混同するのはいただけない。いや、事実関係だけを述べるなら同性同士の恋愛であることは間違いないだろう。だからそう、あえて言うなら創作として目指している方向性が違うということだ。


 BLは互いに相手を〝男として〟見ているのに対し、可憐な美少女にしか見えないが実は男性、というキャラクターを悔しいけれども可愛いと感じてしまう――といったように、男の娘は基本的に少女としての扱いを受ける」


「なるほど」


「故に男の娘は充分にヒロインになるポテンシャルを秘めているという結論に至るのだ。理解できたかな?」


「はい、ありがとうございます」


 言いながら軽く頭を下げる。


 気配を感じたので後ろをちらっと振り返ると、クロマが早くこの場を離れようとばかりに制服の裾をくいくい引っ張っていた。少し膨れた頬を見るにどうやら退屈で仕方ないらしい。男の娘について真顔で議論する二人をこれ以上見ていたくないという説もある。


 もしそうなら申し訳ない。


 エリート先輩に対する作戦は既に契の頭の中で組みあがっていた。それを実行するためには、もう少し教えてもらわないといけないことがある。


「部長」


「ふむ。どうした改まって」


 少し、ほんの少しだけ恥ずかしいような感じがしないでもないけれど。



「僕……男の娘に、なりたいんです」


 

 ――真っ向から覗き込んでいた部長の瞳が怪しく煌いた気がした。


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