第6話 ストーカー 

   ④

 じっとりと汗ばむ左手を制服のズボンに擦り付け、息を潜めて前方を窺う。


 万が一にも見つかるわけにはいかないから、その動きは慎重にならざるを得なかった。


 いわゆるスニーキングミッションとやらをこなしている様な気分だ。それにしてはチートがすぎるかも知れないが、どんなに策を張り巡らせていても怖いものは怖い。


 バレるときは一瞬、なのだから。


 クロマはと言えば契の後ろに隠れて腕を思いっ切り伸ばし、半ば抱き着くような形になりながら彼の手を握っていた。未成熟な肢体が背中にぎゅうっと押し付けられ、余計に高鳴る心音が周りに聞こえてしまうのではないかと神経質になる。


「……あっちか。行こう、クロマ」


 一体何をしているのか。


 ――時間は、約一時間半前に遡る。




 放課後になり、久我から教えられたとおり三年生の教室のあるフロアをうろついていると、自称・天使軍のエリート先輩はすぐに見つかった。当然のことながら顔など知らないが、何のことはなく、彼は昨日見た天使と似たような半透明の少女――ただし乱暴されているような跡はない――をすぐ後ろに控えさせているのだった。


 もちろん平行異界だが、第一深層あさいそうにいるらしく肉眼でも見て取れる。


 契は開いていた窓から顔を出し、何気ない風に目線を動かしながら観察を始めた。ネクタイの色なんかを変えて学年を識別する慣習はこの学校にはないため、堂々と覗いていれば意外と注意を向けられることもない。


 真面目そうな表情、冷ややかなイメージのある細い銀縁のメガネ、一ミリの隙もなくセットされた黒髪。とりあえず目立つ身体的特徴だけ頭に入れてその場を離れる。


 教室から遠い方の階段で待機していたクロマのところに戻ると、彼女は一瞬安堵の息を漏らして契に近づき、ハッとしたようにその手を引っ込めた。


『お、遅かったじゃない。ちゃんと見つかったの?』


 クロマを連れて行かなかったのは、もちろん第一深層くらい相手にも見えてしまうという都合のためだ。それも肉眼で。


 感知系の力を使われるとここにいてもバレてしまうが、それはこの学校のどこにいても同じことなのでそうならないことを祈るしかない。


 というより、だからこそ校内のエージェントは早めに対処する必要がある、ということでもあるわけで。


 人気のない屋上付近に移動しながら、契は小さく頷く。


「うん。顔は覚えたよ」


『そう……それで、どうするの? あたしが全力を出せるなら、ホント楽勝なんだけど。でも今はちょっと無理だから……またルシファー?』


「……あのさクロマ。演技してないときにルシファーって呼ぶの、出来れば止めて欲しいんだけど」


 自分で演っておいて何だがあのキャラクターは相当痛いというかそこはかとなく青いと言うか、まさしく厨二病と言うべき現代の難病に罹患していた。平常時にネタにされると狂おしいほど恥ずかしい。いやこの場合、羞恥を感じない方が問題なのかも知れないが。


 器用に手すりの上で片足立ちして遊んでいたクロマがそれはそれは愉しそうにニヤリと口角を上げた。唇の隙間から白い犬歯が覗く。


『えー? どうしよっかなー』


 どうやら契の弱みを見つけて喜んでいるらしい。悪魔としてなかなか良い雰囲気で登場できた割に小さな口論で負け続きなのがお気に召さなかったのか、クロマはまさに悪魔のように挑発的な視線を伴って、


『それで天下の†堕天使†であらせられるルシファー様はいつ降臨なされるんですかひゃうっ』


 終焉の如く赤黒い瞳を覗き込んで可愛く悲鳴を上げた。俯いた一瞬の隙に装着していたカラーコンタクト(ルシファーモデル)の効果は抜群だ。


 人をおちょくることが趣味のような部長の近くにいるせいで契のカウンタースキルは異常に高かった。


 コンタクトを外してごめんごめんとクロマの機嫌を直してから、会話を再開する。


「そうだね。第一印象だけど、多分あの人はああいう方向だと通じないと思う」


『あんなの間近で見て正気を保ってられる人類がいるって言うの!?』


「いや……まあそりゃ全然いると思うけど……そうじゃなくて。怖がってくれたとしても、それで〝天使と契約したことを後悔する〟なんて無駄なことするタイプには見えなかったんだ。絶望的な状況になっても恐怖っていう感情を無視して理性で動ける……かも知れない」


 当然ただの推測だ。


 もしかしたら昨日と同じようにしても上手く行くのかも知れない。


 しかし、相手がどうであろうと契とクロマに戦闘能力はないのだ。万が一にもそれに気付かれる可能性は排除したかった。


 相変わらず手すりの上をあっちへこっちへ忙しく行き来していたクロマは契の言葉を受けてむーむーとしばらく唸っていたが、やがて小首を傾げて降参した。


『じゃあ……どうすればいいの?』


「とりあえずは基本中の基本かなあ」


 昨日開示されたクロマの力。それは確かに微妙な代物で、こと戦闘においては無いに等しかったが、全く使えないというわけではない。


 余計に疑問符を浮かべるクロマに苦笑して、契は言葉を改めた。


「情報収集、だよ」



   ⑤

 そして現在。情報収集といえば尾行、というわけで契とクロマの二人は下校する先輩をストーキングしているのだった。それも万難を排すために隠密特性で姿を消すという徹底ぶり。


 どうやらこの〝姿を消す〟というのは〝平行異界第三深層に潜む〟のと同意らしく、見えないどころか天使が何らかの力で感知しようとしても無駄、なんだそうだ。

 

 しかしそう分かっていても心拍数は戻らない。


 先輩は学校近くで電車に乗り、三十分と少し揺られてからある大きな駅で降りていた。〝使用者と直接触れていなければならない〟条件のため契はクロマを半ば引きずるようにしながら、人と人の合間を縫って改札を抜ける。


 当然、と言うと感じは悪いが無賃乗車だ。駅員さんに頭を下げておく。


 外に出ると、すぐに背の高いビルがいくつも並んでいるのが目に入った。まさに都会、といった様子。しかしオフィスビルのような堅苦しさはなく、むしろポップな文字や巨大なポスターで彩られていて華やかですらある。

 

 そこかしこに密集しているのはライトな本屋にゲームセンター、アニメや同人のグッズショップなど。いわゆるサブカルチャーに属するありとあらゆるものが凝縮されているような街だった。


 その辺で普通にメイド服あるいはどこぞの高校のような制服を着た女性がビラ配りをしている光景が珍しいのか、クロマはきょろきょろと落ち着きがない。


「へ、へえ……随分派手なところじゃない。お祭りでもやってるの?」


「いや、ここはいつもこれくらい混んでるみたいだよ。というか休日はもっとすごい」


「……人間ってそんなにうじゃうじゃいたかしら」


 少しだけ引き攣ったような笑みを浮かべるクロマ。自分と同種じゃない生き物が視界いっぱいに動き回っている状況というのは、想像してみると確かに少し怖かった。


 契にしがみつく力が段々強くなっているのも頷ける。でもちょっと痛い。


 手をしっかりと握り返してから前を歩く先輩へと視線を戻した。どうやらはっきりと目的地が決まっているらしく、中央通りを外れると裏路地のような場所を立ち止まることなく進んでいく。



 道沿いに佇む、直接的な表現は避けるが恐らくノーマルな街では営業できないであろう店をちらちら見ていたクロマが不安そうに口を開いた。


「ねえ、ここ……大丈夫なの?」


「随分漠然とした質問だけどそう感じるのも無理はないって思う」


 第一大通りからしておかしいのだこの街は。どこを向いても二次元のヒロインもしくは三次元のアイドルが映る。

 

 実は契も演技で使用する衣装――コスプレと同意だがなかなか自分では認めたくないというのが心情。ちなみにルシファーもこの地で誕生した――を購入するために何度も訪れているのでそれなりに詳しかったりするのだが、初めて来たときは思わず動揺してしまった。


 だからクロマの気持ちは良く分かる。


「あんまり深く考えちゃダメなんだよ、きっと」


「…………そう、かもね」


 自分に言い聞かせるように何度も頷いているらしく、背中にぽすぽすと軽い衝撃が来るのを感じた。思考放棄スルー。いつかの契と同じ方法でクロマは目の前の光景に一応の納得をしてくれたようだ。


 そしてそれからおよそ十分後。


 先輩の一人っきりの行軍は、やがて唐突に終わりを迎えた。


 店だ。いや、それはもう描写せずとも当たり前なのだが、契には辺りに雑多と存在するそれらとの違いがあまり分からないので、ただただ一軒の店舗に先輩が入っていったのだとしか表現のしようがない。


 恐らくドイツ語であろう店名は残念ながら読めなかった。


「どうするの?」


 クロマの声には少し焦りが混じっている。何となれば、一回につき三十分しかもたない隠密特性の効果時間がもうすぐ終了してしまうからだ。


 契がクロマに捧げた生贄の〝時間〟は八時間に少し足りないくらい。昨日の天使を探す際に使用した思念感知で一時間、そして今、二回分の隠密特性で四時間のコストを消費しているから、残りは三時間もない。


 ここで三十分延長のために二時間も使ってしまうのは少し躊躇われた。


 そうなるともう、クロマは全くの無力になってしまうから。


「ううん……そうだね、とりあえず入ってみようか。まだ十分くらいは大丈夫だから、先輩がどんな目的で、どういったものを買うためにここに来たのか程度は分かるはずだし。もし分からなくても危なくなったらすぐに出よう」


「ん、分かったわ」


 息を整える。大丈夫、まだ、今は誰にも見つからない。


 意を決した二人は次の客が扉を開いたタイミングで滑り込むように店内に入り――、


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」


 視界を覆いつくす肌色から目を逸らすように、クロマは思いっきり契の背中に頭を打ちつけた。最初の声にならない悲鳴と違う意味でのうめき声が微かに漏れる。


 ――そこは、いわゆる同人誌を中古で扱っている店だった。


 同人誌というのは、基本的に公式の商品ではなく個人が作成した冊子形態のもので、イベントや何かで販売(頒布?)される。オリジナルも二次創作も存在するとのことだが、契はそちらの方面に関してはあまり詳しくない。


 もとい興味がない。


 それに関しては前述の通り、そちらの方面にも、と表現した方が正確なのだが今はどうでも良いだろう。


 ただ個人の趣味全開となるため一部過激なことになってしまう、ということだけは確かなようで。


 頭上の表示を見れば店舗の中心あたりから左右に一般/十八禁とコーナーが分かれているのだが、そうとは知らず入ってはいけないゾーンに踏み入っていたらしい。そそくさと一般エリアに逃げ帰る。


 ちらと後ろを振り返ると、顔どころか耳や首筋まで真っ赤に染めたクロマが嫌な記憶を彼方に飛ばそうとでも考えているのかぶんぶんと頭を振っていた。


「……ええと。これは、その、ごめん。配慮が足りなかった。申し訳もございません」


「……! …………っ!」


 耐性がなくどうしようもないほど錯乱した少女(悪魔)への対処方法求む、なんてたとえ某知恵袋に訊いても悪戯以外の答えが期待できなかったので、おろおろしながら放置。自分のことながら甲斐性がなさ過ぎる。


 しばらくするとようやく落ち着いてきたのか、背中に伝わってきていた振動が収まる。


「だ、大丈夫?」


「ええ……でも、このテロ行為に関してはきっちりとお詫びを請求させてもらうわ。エ、エネルギーさえ使えればこの店ごと吹っ飛ばしてるところよ」


「テロ行為って。一応、僕が悪いわけではないと思うん――」


「……ひっく」


「仰せのままに」


 罵倒されるのならともかく。泣かせてしまうというのは非常に問題がある。悪魔の割にナイーブ過ぎると思わないでもないけれど、流石に口に出すほど愚かではない。


 お詫び。何をしたらいいのかさっぱり分からないが、善処するしかないだろう。


 それから十八禁の棚から遠ざかるように店内を巡っていると、半ば忘れかけていた標的の人物が一冊の本を手に取っている場面に遭遇した。


 幸運にも、と言わざるを得ない。


 彼は眼鏡の奥の鋭い視線で表紙をガン見して、満足げに頷くとそのままレジへと向かっていく。


「ど、どんな本買ってたの?」


 どうやら身長の関係で見えなかったらしい。クロマは契の背中から顔だけ出して背伸びをするも、早々に諦めて上目遣いで問いかけてくる。


「タイトルは見えたんだけど、それだけじゃちょっと内容まで分からないかな。中は読めないみたいだし……一冊買っていこうか」


 先輩が既に店を出たことを確認してから棚に近付いた。ショートカットの女の子がこちらに振り向いて可愛らしく微笑んでいる、そんな表紙。細部までしっかり描き込まれたその絵は素人目にもかなり上手いことが分かる。


 契が手にしているそれが残り一冊だったようで、下から売り切れ御免の文字が現れた。


 値段を確認しようと裏までチェックしていると、いつの間にかクロマがジト目で身体を少し引いているのに気付く。一応、手は離さないでくれているが。


「そんなにじっくり見て……あんたって、もしかしてそういうの興味あるの?」


「え。いや、僕は」


 これに限らず、興味なんて。


 そう言おうとした瞬間――切れた。


 隠密特性の効果時間は唐突に終わりを迎える。警告も何もなく。だから本当なら、常にタイムリミットを警戒していなければならなかったのだ。


 ……男性ばかりの集まる同人誌売り場に突然現れた男女。漆黒のドレスを纏った赤髪の少女が制服の少年に、まるで抱き着くように密着している。少女の頬はどういうわけか傍目にも分かるくらい上気していて。


 意味が分からない。


 ざわめく店内から必死で逃げてそのまま走りに走って電車に飛び乗るまで、二人は一度も後ろを振り返らなかった。




 時間が悪かったのか、はたまた都会が悪いのか。


 二人が駆け込んだ車両は、満員でこそなかったものの、座席は全て埋まっていた。周りの目を気にする余裕もなく、契は閉まったドアに、そしてクロマはその契に背中を預けてぐったりとしながら荒い息を整える。


 隠密特性が切れたとは言え、クロマは平行異界第一深層に引きこもっているから感触はないのだが、しかしこの体勢を見るにもしかしたら向こうから一方的に触れることは叶うのかも知れない。そんなことをぼんやり思った。


 周りからちらちらと向けられている視線はまず間違いなく契の異常な行動を咎めるものだろう。もしくは純粋に面白がっているか。どちらにせよこの居た堪れない空気は実質一人で立ち向かうには強敵すぎた。


「察して……」


 小さく小さく吐き出した声に近くのカップルがビクっと反応して身体ごと目を逸らす。


 ――さて、どうしよう。


 首筋を掻きながら、少しだけ冷静になった頭の中でぐるぐるぐるぐると考えてみる。さすがにこの状況でクロマと喋るわけにもいかないから、一人で思考の海に沈んだ。


 どうするのが最善か。


 最初に思い浮かんだ行動は、偵察を断念して素直にルシファる(動・るしふぁ――る。堕天使ルックでクールにキメること)というものだった。


 次点で対象の変更。同じ学校内に天使軍のエージェントがいると色々と不都合はあるが、それでも絶対に排除しなければならないと言うほどではない。だから別に無理して先輩を追う必要はない。


 前にある人物から教えてもらった類のゲームであれば、画面上にそういった選択肢が並列表示されているだろう、そんな場面。契自身にどちらを選び取りたいという意思はないが、効率や何かから判断のしようはある。


 ……後から思えば、この時の契はやはり頭が冷え切っていなかったのかも知れない。


 そうでなければ、の選択肢なんて選ぶはずもないのだ。


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