第4話 初戦/初演

   ⑦

 クロマの案内に従って辿り着いたのは、市が管理する公共の自然公園だった。


 規模はそれなりといったところで、休日ともなれば子連れの主婦やスポーツに興じる学生なども集まってくる。


 しかしそういった層が利用するのは主に公園中心部の広場であり、鬱蒼と木々の茂る奥地まで入り込む人影はそうそうない。


 クロマが示したのはそんな場所だった。


『――この辺りよ。気を付けて』


 いつになく真面目な表情を携えた彼女は油断なく周囲に目を遣っている。気丈に振舞っているが、近くにいる契にはその身体がわずかに震えているのが分かった。


 怖いのだろう。……当たり前だ。


 悪魔は監視によってその力のほとんどを制限されているのに対し、人間がバックに付いている天使は全力を出せる。しかも彼らにとって人間に利することのない悪魔は討伐対象。


 当然殺しにかかってくるはずだ。


 それを知っているから、契には安い言葉でクロマを励ますことが出来なかった。


 そんなものはきっと気休めにもならない。


 証拠が必要だった。――契が天使を倒せるという、クロマを守れるという確かな証明が。


 次の瞬間、クロマがぴくっと弾かれたように顔を上げた。急いでその視線を追う。


「てめえ……悪魔だな?」


 そこにいたのは青年だった。背格好から考えておそらく大学生くらい。髪を明るめの茶色に染めていたりピアスを付けていたりするくらいで、容姿に際立って異質な部分はない。


 ただ問題なのはその背後。


 平行異界第一深層に、白装束に白い翼を生やした少女が立ち尽くしている。


 その瞳は虚ろで、感情は窺えなかった。クロマの言っていた洗脳とやらに意識を侵食されているのだろうか。さらにその両手は重そうな木製の手錠で拘束され、汚れた衣服も一部はだけていたり破られていたりと思わず目を背けたくなるほど痛々しい。


 その様に、彼女が普段どういう扱いを受けているのか容易に想像できる。できてしまう。


 契と五メートルほどの距離をとって男は足を止めた。そしてクロマの全身にじろじろと下卑た視線を向けると、生理的嫌悪を催すような不快な声で笑う。


「ひゅぅう。てめえモブキャラのくせに上等な悪魔連れてるじゃねえか。いやいやホントこいつら化け物のくせにキレーな顔してるよなあ? こいつも悪くねえが……完全な無抵抗ってのにも飽きてきたところだし、てめえのそれ寄越せよ?」


『っ』


 声も出せずに身体を抱えてしゃがみこむクロマ――それを見て、契の中で何かが振り切れた。

 

 それはまるで、スイッチが切り替わったように。


 クロマをかばうように一歩前に出た契は、内心を埋め尽くしているはずの激情を微塵も感じさせない淡白な声で低く言い放った。


「……これだから人間風情は」



 それは、これから始まる独り舞台の、開幕の合図だった。



 サングラス越しに映る男は一瞬呆けたように静止した後、おかしくて堪らないとでも言うように笑い始めた。他に誰も居ない森の中に不快な声が響き渡る。


「ひゃははははは……! 今てめえ人間風情、とか言ったの? 悪魔に憑かれて頭までオカシクなっちまったんじゃねえのぉ? ゴミクズみたいな一般人モブはてめえの方だろうが!」


 嘲笑と共に飛んでくる言葉は悪意そのものだった。内容に意味なんかない、ただ相手を傷つけるためだけの単語の羅列。


 剥き出しでぶつけられる負の感情というのは本来受け止めるのに相当なエネルギーを必要とする。


 しかし契はそれを意に介さない。興味がないから。


 逆上するようなこともなく、むしろ――哀れみを伴った表情を浮かべて見せた。


「愚かな」


 低く、作った声で厳かに告げる。そのどちらもが普段の彼ならば有り得ないような種類のものだ。今ここにいるのは契であって既に契ではない。


 圧倒的優位に立っているはずなのに上から目線で憐憫を叩き付けられた男は、苛立ったように眉を顰める。


「……あ?」


「人間、貴様はまだこちらの世界に関わって日が浅いだろう? 今すぐに退くなら見逃してやる。去れ」


 極めて冷淡に、どこまでも傲慢に。契はその男に欠片も関心がないという様子を崩さずに目線だけで後ろの道を示した。


 逃げたいのなら勝手にどうぞ、と。そうすることで逆に目の前の薄っぺらい男を煽る。


「……ひょっとして俺のことド新参の雑魚だとでも思ってるわけぇ? はっ、残念でしたぁ! こちとら二年も前からこの仕事エージェントやってるっての!!」


 二年。それは確かに自信を生むには充分な期間だ。クロマと出会って悪魔やら天使の存在を昨日知ったばかりの契とは、知識情報経験その全ての面で大きな隔たりがある。


 だがしかし、そんなものは関係ない。


 全部虚偽で塗り潰してしまえるから。


「ふむ、二年程度では知らなくても無理はないか」


「てめえ……さっきから何が言いたい」


 ついに怒りが沸点を超えたのか、男が天使を強引に連れて一歩前に詰め寄った。契から視線を逸らさないまま乱雑に右手を振って天使に合図を送る。


 白い少女はボロボロの身体で、それでも滞ることなく力を扱えるよう現実世界に転移シフト。ゴトリと手錠が外れ、男の戦闘準備が完了する。


 相手がどのような攻撃を仕掛けてくるかは分からないが、防ぐ手段のない契にしてみればどの道同じことだ。喉元にナイフを突きつけられているのと変わらない。


 それでも契は余裕の表情を崩さなかった。下がらず、むしろさらに近付いて。互いの距離はもう手を伸ばせば届くほどになる。


 相手にとっては必殺の間合いだ。


「何、無知は罪ではない。……自己紹介でもしようとな」


 そんな死地にあって、契は口元に意味深な笑みを浮かべながら、あえて緩慢な動作でサングラスを外した。


 一歩で踏み込める距離ということは、すなわち相手の顔、もっと言えば瞳などという細かい部分まで見えてしまうということでもあり――それは男が契の射程範囲に入り込んでしまったことを示している。


 ……目元に落ちた異様に暗い影。ただ見るだけで人を射殺せそうなほど凶悪な三白眼。そして何よりこの世の暗部をその一点に収束させたかのような禍々しく赤黒い眼光が、目の前の彼を捉えた。


 ゾクッ、と。


 周囲の空気が一変する。契によって支配下に置かれる。


「我は深淵に潜みし魔を統べる者――ルシファー。彼我の実力差も読めぬような低級の人間が我に近づいたこと、後悔させてやろう」


   

   Another part1

 男は自分の手が震えているのを感じていた。


(なっ、何だ、こいつは……っ!)


 相手は何もしていない。ただサングラスを外して妄想としか思えないような戯言を垂れ流しただけだ。こちらの戦力に問題はない。エネルギーだって充分だ、あとは天使に命令を一つ送るだけで目の前の障害物をこの森もろとも焼き尽くせるはずだった。


 なのに、出来ない。


 右手を振り下ろすことが出来ない。


 これ以上目の前の男に関わるなと身体が警告を発している。


(くそ……くそっ)


 男はいわゆるエリートだ。倫理道徳的観点を無視すれば、天使の扱いは非常に長けている。だからこれまで力の制限された悪魔程度に遅れを取ることなど考えもしなかったし、故に当然〝敗北〟なんて概念自体が意識から欠落していた。

 

 しかし、押し潰されるような圧倒的な重圧に、本能が反応してしまう。


 勝てない。こいつには、絶対に勝てない。


(負ける……っ? 負けるって何だ? 殺されるのか? 俺が、この俺がっ! こんなところで死ぬってのか!?)


 男は千切れそうなほどに強く唇を噛んだ。いや、実際に少し切れているのだろう。血の味がした。それを理解したからと言って冷静になれるはずもなかったが。


 ――怖い。自分のコントロールを一切聞き入れてくれない身体を支配するのは、恐怖というたった一つの感情だった。冷たい汗がだらりだらりと流れる。拭う余裕などありはしない。激しい動機が邪魔だった。


(嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だっ! 何でだよ! ありえねえ! 何でこの俺がこんな目に遭わなきゃならないんだよ!)


 大幅に弱体化された悪魔をひたすら狩るだけ。エージェントの仕事内容なんてそんなものだったはずだ。


 事実今まで窮地に立たされたこともなかったし、支給された天使で遊びながらでも適当にこなせるものだった。それなのに、契約違反だ。どうか嘘だと言ってくれ。


 悪魔を統べる者? ――そんな規格外と対面させられるなんて、聞いてない。


「ちくしょぉおお……こんな、こんなことなら……天使になんて関わらなきゃ良かったぜぇええ!」


 絶望し切った表情で慟哭する男は、だから。すぐそばに佇む契がニヤリと口角を上げたことに気付かなかった。

 


   ⑧

「クロマ!」


『う、うんっ』


 男が膝を付いた瞬間、傍らに立つ天使の身体にノイズが入ったようなブレが生じた。それ自体は一瞬で収まったものの、どうやら契約とやらが切れたのは間違いないらしい。


 拠り所を失い、存在がどこか希薄で不安定な様子。クロマ曰くの〝迷子状態ストレイ〟だ。


 契の合図と同時に、気配を消して機を窺っていたクロマが天使に接近する。そしてその手に持っていた指輪のようなものを彼女に触れさせると、どういう原理なのかその身体が跡形もなく掻き消えた。


 消失する寸前の天使の表情はやはり沈鬱なものでありながら――ほんの少し、微笑を浮かべているようでもあり。


 契は先程よりもさらに冷酷な瞳で男を見下した。


「哀れなものだ……所詮力を与えられただけの偽物に過ぎぬか」


 ビクッと大袈裟なくらい男の肩が震える。もはやその目に映っているのは何の変哲もない高校生であるところの契ではない。自分の思い描く絶対的な恐怖の象徴を契に重ねてしまっている。


 現実など捉えられるはずがない。


「――失せろ。天使を失った貴様など殺してやる価値もない」


「あ、あ、ああ……うわぁあああああああああああああああああああ!」


 男は地獄の底で蜘蛛の糸でも見つけたかのように、奇声を上げながら脇目も逸らさずに全速力で走り去っていった。



   ⑨

「ふう……」


 作戦終了、である。


 肌を刺すような緊張感がようやく解け、契は思わず手近な木に寄り掛かりながら大きく溜め息を吐いた。運動をしたわけでもないのに全身が疲労を訴えている。


 男と向かい合って喋っている間中ずっと強張っていたのだ。そしてそれが一切相手に伝わらないよう自然に押さえつけていた。


 疲れるのも無理はない。


『あ、あの……』


 楽な体勢を探しながら腕や足の筋肉をほぐしていると、どこかから控えめな声が飛んできた。少し億劫に感じながらも出所を辿る。視界の端――数メートル離れた木陰に身を隠したクロマがおずおずと顔を出したり引っ込めたりしていた。


 何をしたいのかちょっと良く分からない。


「どうかしたの?」


 完全無欠に隠れているつもりだったらしいクロマは契の声に身体を跳ね上がらせるほど大仰に驚いたあと、ちょこんと木の腹に片手を付いて半身だけ姿を見せた。その表情はひどく怯えている。


 若干泣きそうになりながら、それを隠すように震える指をビシィっと契に尽きつけた。


『あ、あああああんたのその顔が怖すぎるのっ! ちか、近付けるわけないじゃない! はやくなんとかしてぇ!』


 悲痛な叫び。


「……あ、ごめん忘れてた」


 相手がいなくなったことで失念していたが、契は今〝魔界の王〟スタイルなのだ。その出来は実際に悪魔であり、そしてタネを知っているはずのクロマでさえこうして震え上がるほど。完璧に仕上がっていると言って良い。


 ――契の言う小細工とは、要するにメイクのことだった。


 小柴紗希。彼女は契の後輩で、演劇部に所属する生徒である。と言ってもあれで案外あがり症な一面を持っているため、自ら舞台に立って演技をするわけではない。


 裏方、それも〝メイク/特殊メイク係〟という、高校生の部活動にしては割と限定的かつ本格的なポジションに付いていた。


 彼女は入部早々にその圧倒的な才能を見せつけた挙句、一年生にして既にほとんどの演者のメイクを担当している。だから当然契も良くお世話になっていた。


 演技をより本物に近付けるため、彼女の力は不可欠と言って良いほど重要だ。……その分の交換条件をいつ支払わされることになるのかを考えると頭が痛いが、〝ストーリークリア後に出てくる最強の裏ボスにして全ての黒幕みたいな感じ〟という無茶振りに笑顔で応えてくれたのだから、何を要求されても充分に釣り合ってしまうだろう。


 心の中で感謝しつつ、用意してあったウエットティッシュで顔を適当に拭う。


 これくらいで綺麗に落とせるとは契自身も思っていないが、とりあえずクロマに避けられないくらいにまで顔面を復旧し、禍々しい輝きを放つカラーコンタクト(特注。高い)を外した。


 契の視力は両目ともにAなので矯正のためにコンタクトを入れることはないのだが、鏡がなくてもすんなり着脱が出来る程度には慣れている。


 長髪で気障な印象のウィッグも外しながらもう一度優しめに声をかけると、ようやくクロマが近寄ってきてくれた。取り乱していたことが恥ずかしかったのか、むすっと膨れながらも頬が赤くなっている。


『お、お疲れ様……なかなかやるじゃない』


 誤魔化すようにそんなことを言いながら右手でぎゅっと握り締めていた小さな何か――指輪を、契の目の前に掲げた。シンプルながら美しい銀色のリングで、宝石の類は付いていない。

 

 先程天使を吸収(?)していたものだ。


「迷子状態の天使は簡単に捕まえられるって言ってたけど、その指輪が?」


 クロマがこくりと頷く。


『そう。えっと、あたしの……上司? みたいな人から渡されたものなんだけど。これは、魂の欠片フラグメントって言うの。大勢の人間が一斉に死んじゃうような、戦争とか事故とか天災とか、そういうときに生まれる〝魂の集合体〟』


「ふむ……」


 急に途絶えてしまった魂がいくつも集まり形を成したもの、ということか。由来が由来だけに少なくとも軽々しく扱って良いようなものには思えない。


 しかし、


「……それが何で天使を吸い込むんだ?」


『ほら、悪魔は人間の媒体がないとこの世界でまともに活動できないって言ったでしょ? 迷子状態の天使には拠り所がなくて不安定なの。だから近くにこんな強烈な人間の反応があれば、取り憑かずにはいられない。


 この魂は形だけで、見せかけでしかなくて、本当はもう失くなっちゃってるものだから……媒体にしても逆に存在が薄れちゃうんだけどね』


 それで一時的に実体が保てなくなるの、と続けるクロマはどこか悲しげに指輪を見つめていた。そこには天使が――かつての仲間が封じ込められている。理不尽に虐げられていた彼女を想い、クロマは契に向けて宣言した。


『あたし、この子連れて帰ったら心を取り戻せるまでずっと付き合う。いつまでも諦めないで頑張るって約束する。――だから、助けてくれてありがと』


 


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