第2話 出逢い、そして

   ①

「……暇だな」


 部屋に備え付けられた大きめの窓から差し込む柔らかな光が、だんだんとオレンジ色に染まっていくのを眺めながら。長谷川契はせがわけいはぼんやりと呟いた。  


 今日一日だけで何度それを言ったのか、正確には自分でも分からない。


 最初はカウントすることで多少気を紛らわしたりしていたのだが、虚しくなってすぐにやめた。そんな行為に意味はない。


 契の部屋は高校生にしては非常に簡素だ。一般的なサイズの学習机と色々な種類の本が雑多に並べられている本棚、それに長い間愛用しているためスプリングが弱ってきているベッドが置いてあるだけ。


 机の横に画鋲で留められているカレンダーによると今日は十月の第三土曜日だそうだ。つまるところは休日である。


 そう、すべては休日が悪い。


「何したら良いんだろう」


 長谷川契には何かが、あえて言うならば〝自分〟が欠けている。


 自分が何をしたいのか分からない。やりたいと思うことがない。意志や目標や欲望がない――それらは徹底的なまでの無趣味に繋がり、結果として休日はずっとベッドの上で座っているだけで消費されていった。


 日暮らし寝床に座りて思索に耽りけり、なんて飾ってみればそれらしく思えるかも知れないが、単にぼんやりとしているだけなのでそれすら誤謬がある。


 別に、感情がないわけではない。契も立派な有機生命体であるからには喜怒哀楽は持っている。友達に誘われれば喜んで付いていくし、一緒になって騒いでいればもちろん楽しい。


 そのことに関して不満などあるはずもないが……やはりどこか、受動的でしかなく。


 こうして一人になってしまうと、途端に何もかも色褪せてしまったかのように、魅力を感じなくなるのだった。


「……」


 ただ座っているのにも飽き、契はゆっくりと立ち上がって窓から外を覗いてみる。


 この行為は、今日だけでもう二十回目といったところか。前述の通り計測は途中で放棄していたからはっきりとは分からないが、きっと四捨五入すればそのくらいだろう。


 田舎とも都会ともつかない中途半端な街にあるごく普通の一軒家、その二階から見渡せる景色など大したものではない。眼下、というほど高所から俯瞰できるわけでもなく、総じて評すれば暇潰しにはあまり向いていなかった。


 

 ――ただ。この日、このタイミングにおいてだけは、その評価は改めなければならないだろう。



 オレンジから紫、そしてより深い紺色から漆黒へ。そんなコントラストに染め上げられた空の中に、見慣れない人影があった。


 屋根の上を歩いているだとか遠近法が何だとかそんなケチを付ける隙もないほど、その人物はあからさまに浮かんでいた。


 まるでそれが当たり前であるかのように平然と。


 まるでそこが定位置であるかのように悠然と。


「……は?」


 常識的に考えて有り得ない光景だ。


 どこまでもいつも通りな住宅街の中で、その一点だけが明らかに異質だった。


 呆気に取られながらも――何故か――契はその影を目で追い続けた。見失いたくない、という欲求が自発的に生まれていること自体本来なら気に留めて然るべきなのだが、今はそれどころではなかった。


 ただの好奇心なのかそれとも別の感情なのか、はっきりとしない何かに身体を突き動かされて。


 そして、次の瞬間。


 彼女がこちらを向いた。


「――ふむ。なるほどね。なかなか良い感じじゃない、あんた」


 それを契の頭が認識する頃には、既に彼女は部屋の窓に足をかけ、そんな意味不明な言葉を発していた。観察のためなのか、文字通り目と鼻の先にまで肉薄している。吐息のかかる距離。おかげで契は身動きが取れない。


 少女、だった。身長から鑑みるに、歳はおそらく契よりも若いくらいだろう。しかしその容姿は契の知る一般的な〝女の子〟のそれとは大きく違う。


 まず、腰にまで届きそうなほど長く綺麗な髪は燃えるように輝く赤色。やたらと意匠の細かい漆黒のミニドレスに良く映える。ドレスと言っても布の量はそう多くなく、惜しげもなく晒された腕や足は陶器のように儚げながら美しく白い肌で構成されている。

 

 大きな瞳は髪と同じく朱に染まり、童顔でありながらも蟲惑的な美しさを醸し出していた。


 そして何より目を引くのが、背中に生えた小さな黒い翼。


 何歩譲ったところで作り物には見えない。


 浮力やら推進力やらを得るために付随しているのであろうそのパーツこそが、少女が人間でないことを如実に物語っていた。


「……」


 声が出ない。


 彼女はもう満足したのか契から身体を離していたが、それでも硬直は解けなかった。まるで強力な引力でも発生しているかのように、少女から目を逸らすことが出来ない。


 俗っぽい言い方をすれば、多分、見惚れてしまっていたのだと思う。


 少女は断りもなく部屋の中に入ってくると、おそらく足場として使用できる内で一番高い場所――つまり学習机の上に、黒のニーソックスに包まれた足で着地した。そして片手を腰に当て、もう一方の手をぴんと伸ばして人差し指を立てる。


 ニッと挑発的な笑みを浮かべた瞬間、唇の隙間から尖った犬歯が覗いた。



「あたしはクロマ――悪魔よ。

 貴方あんたが持て余してる時間をあたしに頂戴。きっと有効に使ってあげるから!」



 これが長谷川契とクロマとの出会いだった。



   ②

「どこから説明したものかしらね……」


 契が数秒の機能停止状態から復帰したとき、クロマは既に机から降りていた。とりあえずこの部屋に一つしかない椅子を差し出し、自分はベッドのふちに腰をかける。


 話を切り出そうとしながらも何故かもぞもぞ口篭っているので様子を見ていると、どうも彼女は椅子の高さを調節したいらしかった。地面に接するキャスター部分と椅子本体との接続部に小さい手を当ててがちゃがちゃと弄っている。


 ちなみにそこを回しても望みの効果は得られない。


 意図を察した契が螺子をぐるぐると回し、高さを最大に調節してやると、クロマは少し驚いたように大きな瞳を瞬かせてから「あ、ありがと」と零した。


 そして仕切りなおすように一つ二つとわざとらしく咳払いし、口を開く。


「こほん。まず、さっきも言ったけどあたしは悪魔。悪魔って名前くらいは聞いたことあるでしょ?」


 どうやら先程の自己紹介には多分に演出的要素が含まれていたらしく、今の彼女はかなり砕けた様子だ。あれが素でなくて少し安心した。


「う、うん。知ってる。寿命と引き換えに願いを叶えてくれる存在、だったよね? だけど危険視されて政府の天使軍とかいう連中に行動を規制されてるとか」


 そういう、いわゆる一つの都市伝説のようなものだ。


 悪魔の存在は民間伝承と表現しても良いほど古くから伝わっているが、そうは言っても所詮は御伽噺の類に過ぎない。実際に日本国政府が〝悪魔を狩るため天使の軍隊を飼っている〟なんてダークメルヘンチックな宣言をしたわけでも無論ない。


 確か後者はインターネットのとある掲示板から端を発した噂だったはずだ、今やそれなりに浸透してしまっているが、本来信憑性などという単語とは無縁の世界である。


 契がそれらを信じていたかと言えば、特別そういったことはない。


 しかし目の前に圧倒的にリアルな本物を置かれてもなお反論するほど熱心なアンチでもなかった。


 当のクロマは地面に届かない足をリズミカルに揺らしながらこくこくと頷く。


「大体そんな感じね。まあ正確には寿命ってより時間をエネルギーにしてるんだけど……ま、細かいことはどうでもいいわ。問題なのは後半」


 後半。悪魔は天使に監視されている。


 契が以前どこかで聞いた話では〝超人的な能力を持つ悪魔を恐れた人間が、それに対抗できるようなプログラムを作り、適性を持つエージェントに組み込んだもの〟――それを〝悪魔〟に対して〝天使〟と呼んでいるのだと結論付けられていた。


 ここまで来るともはや推測というより妄想の域で、情報というより創作の類で、うやむやの内に締めくくられていたと言った方が正しいのかも知れないが。


 そんなようなことをおぼろげな記憶から掬い出してみると、クロマはふむふむと何故か声に出して呟いてから、微妙に拗ねたような表情を見せる。


 片側の頬を小さく膨らませながら「そんな風に伝わってるんだ……」と前置いて、意を決したように口を開いた。


「違うの。あんた達人間が天使って呼んでるのは、元は悪魔(どうぞく)なのよ。でも十何年くらい前に人間に嵌められて、名前だけ綺麗に飾って奴隷みたいにこき使われてる。――あたしは、みんなを取り返すためにここに来た。だから……力を貸して欲しいの」


「分かった。手伝う」


「そうよね、すぐに頷けないのも無理はないわ。きっと天使の力を使ったエージェントって人たちと戦わないといけないし。


 でも――でもね? 確かに悪魔あたしたちは危険な存在かも知れない。でも強制的に人の時間を奪うなんてことは悪魔のプライドにかけてしないわ。あくまで力を求められて、その代償としてもらうの。人間が、それを払ってでも叶えたいって思う願いを持ってるから。


 それは、そんなに悪いこと? そんなことをする悪魔は、そんなに――ってえなんでいきなり肯定してんのよあんた!?」


 壮大な焦らしノリツッコミだった。神妙な顔で椅子からちょっと身体を乗り出して語っていたのが急に恥ずかしくなったのか、かあっと耳まで赤く染まる。やはり今まで多少背伸びして喋っていたのだろう、その様は年齢相応で非常に可愛らしく見えた。

 

 両手で顔を押さえた少女が尚も何なのあんたと問い質してくるので、契は頭をかきながら答える。


「いや……実はクロマの言った通り、僕は時間を使うのが下手なんだ。無為に過ごすくらいならそれを欲しがってる誰かに渡した方がずっと良いよ」


 むしろ積極的にあげたいくらいだ。売れるものなら半額セールでも実施したいくらいに余っている。


 ……それに。


 さっきクロマに近づいたとき、自分の中に〝何か〟が生まれたのを感じた。


 それはほんの一瞬の感覚だったし、そうでなくともその正体までは分からない。


 ただ、契としてはそれだけでも彼女に協力する理由としては十分すぎるくらいだった。


 ふうん? と分かったような分からないような吐息を漏らす少女に〝巻き込まれたい〟と、そう思ってしまったのだから。



   ③

 まだ微妙に顔が火照っているクロマは、それを隠すためなのか今度は椅子の上に仁王立ちすると、契に向かってビシっと人差し指を突きつけた。


「天使を悪魔に戻す方法は二つあるわ」


「二つ?」


 じゃあどうして人差し指だけ立てているんだ、と少し思ったが、話の腰を折ってしまいそうなのでやめておく。契は基本的に空気の読める聞き手だった。


「そう。まず、あたしたち悪魔は、単体じゃ人間界ここでまともに動けないわ。ある特定の人間と契約して、その人を〝媒体〟にしないといけないの」


 異なる世界での自分を確立するためのアイデンティティみたいなもの……だろうか。それがないと存在があやふやになってしまう、というような。


「なるほど。じゃあ悪魔は、その媒体から時間を吸収して力を使ってるのか?」


 確認のつもりだった質問に、しかしクロマは難しそうな顔をして首を捻った。


「そうなんだけど……どうもね、天使たちは違うらしいの。でも実はあたしも詳しいこと聞いてなくて」


 違うの下っ端ってわけじゃなくてただあの方があたしにだけ意地悪だから教えてくれないのいつもいつも――とかなんとか、呪詛のようなものが続けて流れてきたので止めずに半眼を向けていると、我に返ったクロマはついに椅子を勢い良くぐるっと五四〇度回転させて隠れてしまった。


 平静を装ってはいるものの、動揺に声が若干上擦っている。


「でもっ、そのエージェントたちが天使の媒体なのは確かなの。その間の契約を切ることが出来れば迷子状態ストレイになって……まあ要するに簡単に捕まえられるわ。だから問題は契約の切り方よ」

その一、と言いながら再度人差し指を差し出すクロマ。後ろを向いていても一応契の反応は気になるようで、ちらちらと振り返ろうとしてはぴくっと肩を震わせて元の角度に戻るのを繰り返している。そこまで恥ずかしいのだろうか。


 どうでもいいが、背を向けている相手にジェスチャーして見せるというのも中々間が抜けているような気がする。


 ともあれ、方法その一だ。


「えと、その一って言ってもこれはオススメしないんだけど……エージェントを、その、亡き者に。というか」


「……なるほど。それは、駄目だね」


 いくら流されやすいとは言え人殺しをそう易々と肯定できる道理はない。自己に疎い契だが、常識まで欠けているわけではないのだ。


 小さく安堵の息が漏れる。相変わらず後ろを向いたままでもその表情は簡単に想像できた。


「そうね。賛成されなくて良かったわ、そんなのあたしだって後味悪いじゃ済まないから」


「それは良かった」


 ただそうなると、実質取れる策は一択ということになる。


 クロマは二本目の指を立てると、何故かそれを瞳のそばに持っていき横ピースをキメた。……何かの影響だろうか。


「その二。物理的じゃなく精神的に契約を解除する――つまり、媒体か天使のどっちかに心の底から〝契約を切りたい〟って思わせる。まあ、狙うならこっちね。お互いが維持する意思を持ってないと簡単に壊れちゃうのが人間と悪魔の〝契約〟だから。


 でも天使は人間に従うよう洗脳されてるから、エージェントの方にそう思わせなきゃ駄目みたい」


「……つまり戦って圧倒して、立ち塞がる相手自ら天使を手放させる?」


「そのとーり!」


 言葉とともにようやく振り返ってくれたクロマは得意げな笑みを見せた。どこかはしゃいでいるようにも感じられる。


 椅子に正座したまま背もたれを両手で掴んで撥ねるという和やかな芸当を見せているので、自然短いスカートの裾がひらひらと気になって仕方が無かったが、契はなるべく視線を上方に固定して話を続けた。


「それじゃ、クロマがどんな力を使えるのか教えて欲しいんだけど」


「…………んぇ、あー、えっと、ううーん」


 沈黙。そして狼狽。


 そのままうわ言のように意味のない言葉を繰り返しながらしばらく目を泳がせていたクロマだったが、契が首を傾げたまま何も言わずに待機していると観念したのか小さく溜め息を吐いた。


「か、勘違いしないでね。あたしは元々すっっっごい悪魔なんだけど……だからこそ使える力が高コストのものばっかりなの。エネルギーをたくさん注ぎ込まなきゃいけないの。


 でもその、あんたが言ったように、天使の監視があるから大きな力は使えないわ。というより、過剰にエネルギーを吸収すると感知されて攻撃されるようになってるのよ。そういうことだからあたしの力はほとんど役立たずっていうか何ていうか……ああもう! いいわよ全部説明してあげる!」


 ……何故か半ギレ状態の彼女が叩き付けた情報は酷く乱雑だったので、簡単にまとめてみた。ちなみにコストというのは〝その力を使うのにどれくらいの時間をエネルギーとして消費するか〟で表現するらしい。


 曰く。


 思念感知(コスト:一時間)――悪魔なら誰でも使用出来る、〝悪魔の存在〟を察知する力。


 隠密特性(コスト:二時間)――使用した悪魔本人及び直接触れられている人は周りから姿を認識されなくなる。持続時間は三〇分。


 感情誘導(コスト:二時間)――〝感情操作〟の圧縮版。使用した悪魔の思い通りに対象の感情を動かせる。ただし本来のそれより小さいコストで使用するため強制力はなく、また大まかな誘導しか出来ない。さらに発動には〝対象に直接触れること〟が条件。


「……以上よ」


「ぇ」


「だから、これだけ」


 契は当然悪魔の力の詳細について知るのなんて初めてで、だからクロマのそれがどの程度のものなのかは判断できない。

 

 だがそれにしても、何というか地味だ。

 

 もっと言ってしまえば想像していたより大分貧相というか……少なくとも戦闘という面で考えたら、何一つとして有効に活用できそうになかった。


「……」


「が、がっかりした? そうよね……でもっ! でもあんたがさっき協力するって言ってくれたの、忘れてないから! 嫌でも手伝ってもらうのっ!」


 まるで契を騙して言質を取ったのだと言わんばかりに悪魔的な――実際悪魔なのだが――笑みを浮かべて声を張り上げるクロマだったが、その表情はどうにも無理してそう思い込んでいるようにしか見えなかった。


 そしてそんな自分を責めている。自分は役に立たないと落ち込んで、悔しがっている色が抜けていない。


 キッと威嚇するようにこちらを睨みつけることで思惑を隠そうとしているのかも知れないが、それくらい契に見抜けないはずがなかった。


 他でもない、契に。


「……騙せば、良いんじゃないか」


 確かにこんな力じゃ天使の一人も回収できないだろう。エージェントの一人ともやり合えないだろう。しかしこちらがどんな能力を隠し持っているかなんて相手には分からないのだ。


 だったらそれを利用してやれ。お前の目の前にいるのは、手を出すのも憚られるレベルの敵なのだと思い込ませてしまえ。


「騙すって……そんなの、どうやって」


「知らなかった? 僕、演劇部員なんだ」


 心の一部が欠けてしまった契。彼には〝自分〟がない。そして、だからこそ。



 その特技は〝自分ではない誰かを演じること〟。

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