第26話 エピローグ


  Another part extra

『……それでは、これより十五分の休憩に入ります』


 閉じていく幕を目で追いながら、雪菜は歓声とともに両手を打ち鳴らした。拍手のし過ぎで若干手が赤くなっているけど、仕方ない。雪菜にはこれくらいしか感動を表現する方法がないのだ。


「すっごい切ない展開だね! あれ、私大丈夫? 泣いてる?」


「泣いてはいないです。というか満面の笑顔です」


「おおうホントだ! 見るだけで笑顔になれるなんてすごいすごい!」


「雪菜せんぱいはいつも笑ってますけど……」


 隣の紗希がそんな嬉しいことを言ってくれる。かなり唐突だけど褒められて悪いはしない。雪菜はニコニコと上機嫌で拍手を続けた。


 ――契がヒロインを演じる純愛物語。その公演の当日だった。全六部構成のストーリーはかなり長いため、時折こうして休憩が入る。


 雪菜は演劇部の面々が座る関係者席に、紗希と隣同士で座っていた。本来なら脇役の一人として舞台に上がる予定だったのだけれど、イルとのことで少し調子を崩していたのを部長に見抜かれて、残念ながら降ろされてしまった。


 今回雪菜がやったことと言えば、紗希のメイクの補助くらいのものだ。


 雪菜も頑張って食い下がったものの、部長が珍しく目を逸らして『……君たちはもっと部長を頼るべきだ。何と言っても部の長なのだから』なんて言うから引き下がるしかなかった。


 卑怯な言い回しだ……やっぱり、部長はすごい人だと思う。


 本人に言うと調子に乗って面倒だから、言わないけれど。


「んー」


 雪菜は幕の降りたステージに目を遣った。頭の中でついさっきまで見ていたシーンが回想される。ある問題を抱えているため相手の男性の想いに応えることが出来ず、彼の手を振り払って逃げ出す契。


 その演技は相変わらず完璧だったけど、ほんの少しだけ違和感があった。振り向きざまに走り出す直前、一歩踏み出すのを躊躇ったような。


「やっぱりクロマちゃんがいたのかな」


 雪菜の漏らした呟きに、紗希が小首を傾げて疑問を示す。ずいぶん可愛らしい動きだ。前は契にしか懐いていなかった彼女との距離が縮まっているような気がして、雪菜は前から気になっていたことを訊いてみることにした。


「……紗希ちゃんも、契のこと好きなんだよね?」


「あ……はい、です。大好きです」


「理由とか、訊いてもいいかな?」


 クロマはもちろんのこと、雪菜にとっては紗希だって強力なライバルだ。情報を集めるのは大事なことのような気がした。ちょっと有利過ぎる位置にいるクロマに対抗するため、場合によっては共同戦線だってあり得る。


 紗希は逡巡するように押し黙っていたけれど、やがてぱっちりと目を開いて「あんまり楽しい話ではないですけど……」と切り出した。


 親が早々に他界し、引き取り手もなく、小学生の頃から一人で暮らしてきたこと。


 そういった事情を話すのが面倒で、必要以上に他人と関わろうとしなかったこと。


 そうしている内にいつの間にか学校でも居場所を失くしていたこと。


「……毎日がとても平坦でした。この世に楽しいことなんか一つもないって思ってました。表情はつまんなそうなローテンションで統一です」


「ふうん、そうだったんだ。今の紗希ちゃんとは大違いだね!」


「え……そんなに変わってますか?」


 戸惑ったように訊き返されたけど、そんなのイエスに決まっている。雪菜ほどではないにしても、紗希だって今日の演劇を見ながら目まぐるしく表情を変えていた。雪菜の観察眼は誤魔化せない。


「うん! だって紗希ちゃん楽しそうだよ? あ、もしかしてその変わったきっかけが契とか? どう、当たってる?」


「は、はいそうですその通りです。ゆっ、雪菜せんぱいちょっと妨害しないでくださいいいっ」


 ぐいぐいと近づいていく雪菜を両手で押し戻そうとする。そんな紗希の顔には苦笑めいたものが映っていて、少なくともつまんなそうなローテンションには見えなかった。そんな些細なことが嬉しく感じる。


 紗希は一息ついてから続きを話し始めた。


「高校入学式の次の日、新入生歓迎会があったじゃないですか」


「あ、契が花嫁役だったやつだ」


「それ、です。あの演技を見て……紗希、同性なんですけど、一目で魅了されちゃいました。それでこっそり近付いて調べてみて、その実態を知ったんです」


 実態。例の、何事にも興味が持てないというやつだ。自分がない、確固たる芯を、欲を持っていないとも言える。あと、契は異性。


「それでちょっと、紗希に似てるなって思いました。ううん、むしろ紗希より酷いです。でもそれなのに、せんぱいはあんなに魅力的に笑ってました。もちろんあれはステージ上の演技ですけど、作り物でもあんなに素敵な笑顔は見たことがなかったので……憧れて、しまったのです」


「憧れ……」


 契の演技はちょっとレベルが違いすぎる。だから気を抜くとすぐ心を奪われそうになるんだけど、紗希が言っているのはそういうことではなさそうだ。


 本心ではない、偽物の表情なのにあれだけ人を惹き付ける。それこそ紗希が憧れを抱いた部分。


 だって、人の心を動かせるほどの偽物なら、それはきっとその人にとって本物だ。


「だから何ってことはないんですけど……その。雪菜せんぱいは、もう決意してるんですよね?」


「……うん、そうだよ」


 氷柱のような鋭さとは縁遠い雪菜でも、紗希の言わんとしていることは分かった。どうしてこの話をする気になったのかも、分かった。



 一時期変わったかと思われた契は、再び前のような状態に戻ってしまっていた。



 多分それは、イルやクロマのような、いわゆる悪魔が絡んでいる問題なんだと思う。でも、詳しいことは尋ねていない。だって雪菜のやることは前と同じだから。


 雪菜はこれからも契が興味を持てるような何かを探して、ひたすらに誘いまくる。そういう意味ではクロマだって仲間だ。パーティーメンバーが増えるのはとても心強かった。


 イルがいないのは残念だけど、悲しいけど、それでも雪菜はゴールを目指すのを止めない。今の契と一緒に歩くと決めた。


「だって、意思とか自分の芯とか魂とか……そんな難しいことは良く分かんないけど。そんなのどうでも良いってくらい、私は契のこと大好きだから」


 吹っ切るようにそう言った。


 そんな雪菜を見つめて、紗希はそっと溜息を吐いた。小さく、小さなそれは、どこか自嘲のような響きを伴っていた。


「紗希が言いたかったのは、そんな状態のせんぱいに救われた人もいるって、ただそれだけの話なんです。もしどうにもならなくても、それはそれで悪いものじゃないですよって慰めようと思ってしまっただけなんです。


 ……笑えるくらい後ろ向きな発言してますか、紗希。やっぱりメインの器じゃなかったです……ね……って」


 段々と落ち込んでいく紗希を、雪菜はがばっと大げさな身振りで抱き締めた。小さな身体からはほんのり甘い香りが漂ってきて、それが気持ちよくて思わず頬をすり寄せる。紗希は抵抗していたものの、やがて諦めたのかされるがままになっていった。


「紗希ちゃんが契のことすごく好きなんだってこと、良く分かった」


 少しだけ赤らんだ耳に囁きかける。


 別に、雪菜の方針と食い違っていたからと言って紗希が気に病む必要はどこにもないのだ。正解なんて誰にも分らないんだから、自分が決めた道を進むしかない。


 それに雪菜は知っている。常に契を全面肯定する紗希という存在が、契をどれだけ支えていたか。中学校時代に彼女に会っていれば契はもっと楽しい生活を送れたかも知れない、なんて嫉妬さえ浮かんでしまうくらいだ。


 クロマに、雪菜に、紗希。それに久我や部長だってそう。


 こんなにたくさんの人が契を想っているんだから、幸せな人生にならない方が嘘ってものじゃないか。


『間もなく第六部が開演いたします。ご着席になってお待ちください』


 休憩の終了を報せるアナウンスが鳴り響いた。雪菜と紗希はお互い恥ずかしそうにしながら着衣の乱れを直す。何となく、いかがわしいことをしてるみたい。どうしてだろう。


 ステージ上では、幾多の問題を薙ぎ払った主人公が、ついにヒロインのところまで辿り着いていた。二度目の告白シーン。その手を今後こそ取り、目尻に涙を浮かべながら微笑む契の姿は、息を呑むくらい美しくて。


 当然の如く、舞台は拍手喝采の中に幕を降ろした。



 ――カーテンコールで顔を出した契の隣に、自慢げに腕を組む悪魔の姿を幻視した。                          

                           

                           完

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Demonic Joker 久追遥希 @haruha

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