第24話 告白


  ⑥

 家か、公園か、学校。

 

 契の知りうる限りの、クロマの行動可能範囲はそんなものだ。終電もとっくに出発してしまったこの時間に娯楽の街へ繰り出すのは厳しいし、球技場も夕方過ぎには施錠されてしまう。


 泡沫候補ならいくらかあるが、有力なものはそれくらいだった。


「普通は、少し遠いところに行きたくなるよね……」


 それか高いところだ。人を拒絶し、孤独で居たい気分を慰めてくれるような存在は、この世に海か空くらいしかないから。


 海は、残念ながらこの街からは見ることも叶わない。しかし空なら近付くのは簡単だ。


 ただ、上れば良い。


「屋上か」


 女装した契が天使の翼によって招かれた、校舎の最上階。あそこなら最適だろう。


 南階段側から屋上に出るドアの鍵がずいぶん前から壊れている、なんて生徒間のみで出回っている情報を知らなくても、クロマなら空から直接入れる。


 予測を立て終えると、契はすぐに駆け出した。




「来ないでぇっ!」


 やっとの思いで本校舎屋上まで辿り着いた契の耳にまず届いたのは、そんな落雷のような悲鳴だった。踏み出しかけた足が思わず止まる。


 クロマは落下防止用フェンスの傍で立ち尽くしていた。俯いたまま地面に言葉を叩き付けるその姿はどこか危うい。


「落ち着いて、クロマ。どうしてそんなに……泣きそうなの?」


 いや、実際泣いていたのだろう。晴天続きで乾ききった屋上の床に落ちている大粒の水滴はそれ以外に説明のしようがない。今もはっきりと分かるほどに声が震えている。


 何故。思考の大半を占めるのは疑問だった。雪菜の話に、クロマがここまで感情を揺さぶられるようなポイントがあっただろうか。いや、そんなことはないはずだ。そもそも当時の契はクロマに出逢ってすらいない。


 クロマは不器用に頬を引き攣らせ、自嘲するような笑みを浮かべた。


「泣きそう……? そう、そうね、こんなの泣きたくもなるじゃない! 全部、全部ぜんぶあたしのせいなんだから!」


 振り絞るように叫ぶ。あえて自分を貶めるような言葉の選択は、否応なく契の不安を掻き立てた。自分が悪い、という事実は口にするだけでさらに重くのしかかってくるものだ。それはさながら呪いのように自身を苦しめるようになる。


「それはどういう、」


 会話の主導権を引き戻そうと何とか紡ぎだした言葉は、しかし最後まで続かない。



「――あたしなのっ! 雪菜の話に出てきた、あんたと契約した悪魔ってあたしのことなの!」



 いつの間にか、クロマは顔を上げていた。


「その時のこと自体はもちろん覚えてるわ。あたしの犯した一番の間違い。まだ幼かったあたしは、〝時間〟じゃなくて〝魂の一部〟を対価として要求した。無知じゃ済まされないその罪は、未だにあたしの中に深く根付いてる。


 ……でもそれがよりにもよってあんただったなんて全然知らなかった! あんたから大切なものを奪ってたのがあたしだったなんて、知らなかった!」


 何度も目を逸らそうとしながら、それでも懸命に契と向き合っていた。


「あたし、一週間前に会ったとき、あんたに何て言ったか覚えてる? あんたを暇人扱いして、その時間を寄越せって言ったのよ? あんたが時間を持て余すようになるきっかけを作ったあたしが。あんたにそんな不自由な人生を強いていたあたしが!」


 自分を罰しろと。


 償わせてくれと。


 そう、懇願しているようにも見える。


「……それに一つ、気付いちゃった。あんたはあたしに興味があるって言ってくれた。特別だって言ってくれた。――嬉しいって思ったわ。でも違うの、それもあたしが特別だったわけじゃない。


 あたしが、あの時に奪った魂をまだ消化せずに持ってるから――だからあんたは、あたしと一緒にいると〝自己〟を取り戻せる。あんたが感じてくれた居心地の良さは、そういうことなの。ただそれだけ」


 返す方法なんて一つだって見つかってないのにね、と半ば投げやりな様子で吐き捨てるクロマ。両の掌でもう一度乱暴に目元を拭う。その瞳が表すのは、覚悟だ。


 自分の全てをさらけ出し、相手にどう受け止められても文句が言えない状況――それが故の、自暴自棄な決意。


「…………」


 契は一度深く目を瞑った。頭が酷く混乱している。情報の整理が必要だ。


 ――契とクロマは、十年ほど前に契約を交わしていた。


 それは交通事故に遭って死にかけていた雪菜を助けるためで、その願いは叶ったが代償として契は魂の一部を失うことになる。それにより、判断基準たる自分の〝芯〟がない人間になった。さらにその事故の記憶もなくしてしまった。


 そしてつい先日。たまたま偶然契と再会したクロマは、契に気付かず改めて契約を交わす。


 そんなクロマに特別な何かを感じていたのは、彼女が消化――エネルギーへの変換ということだろう――を行っていなかった自らの魂とリンクしているような状態になり、擬似的に物事への興味や関心が戻っていたことをそれと錯覚していただけ。


 そういうこと、だろうか。


「本当は」


 暗闇の中に響く声は、先程よりも弱弱しい。


「本当は、あんたと一緒に居たいって思ってた。仲間として、相棒として隣に立てたらって思ってた。でもそんなのは、あたしが叶えて良い願いじゃないわ。散々あんたを苦しめてたあたしにそんなことは許されない。


 ……それなのに! それなのにあんたの魂は未だにあたしが持ってる。あたしが離れたらあんたはまた元に戻っちゃう。ねえどうすれば良いの!? あんたの傍で、邪魔にならないように一生償ってれば許してもらえる!?」


 ついにクロマは頭を抱えてしゃがみこんでしまった。嗚咽を漏らし、時折いやいやをするように首を横に振る様は、全てを拒絶しているかのようだ。


「クロマ……」


 そんな姿は見ていられない。自責の渦を遮りたい。クロマの言葉を否定したい。しかしそれでも、契は一歩踏み込むことが出来なかった。


 言葉が、何も浮かんでこなかったのだ。


 クロマを笑顔に変えられるような言葉が、何も。


 宥めることも、慰めることも、落ち着かせることすら出来そうにない。自分の言葉はこれほど無力だっただろうか。


 悔しさに顔をしかめる契は――だからなかなか気が付かなかった。


「え……?」


 暁の地平線から飛来する影。


 いつの間にか視認できる距離まで近づいていたそれは、余りにも現実味がなくて笑ってしまうような光景。


 すなわち――天使の軍勢だった。


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