第23話 忘れていた過去のこと

  Another part6

 その日は、確か天気が悪かった。

 

 いつものように契と遊んでいた雪菜は、突然降ってきた雨をどうにかやり過ごすため、彼の手を引いて公園の隅にある東屋へと駆け込んだのだ。


「あめ、ふってきちゃったね」


「あめだとボールであそべない……」


 肩を落とす契を持ち前の明るさで慰めて、狭い東屋の中でも出来る遊びに切り替えた。あや取り、しり取り、あっち向いてほい。どれも一時は楽しいのだけれど、特に体を動かしたい盛りの契には物足りなかったみたいで、すぐにやめてしまった。


「あ、ネコ」


 その小さく愛らしい存在に気付いたのは契の方だった。雪菜は基本的に動物が好きだ。今年入学した小学校ではウサギを飼っていて、四年生から当番制で世話が出来ると聞いていたから、今から立候補するつもりでいた。


 だからそのネコに惹かれてしまうのも無理はなかった。


「かわいい~」


 両手を伸ばしながら近づく。人に慣れていないのか、それとも雪菜に非があるのかは分からないけれど、そのネコは簡単に触らせてはくれなかった。途端に始まる追いかけっこ。


 ネコよりボールで遊びたいらしい契を放っておいて、雪菜は一人でネコを捕まえると決めた。


 雪菜の猛攻に耐えきれなくなったのか、ネコがついに東屋を抜け出る。植えられている木々や遊具の影を上手に通りながら、濡れずに走っていく。


 負けじと雪菜も雨空の下に躍り出た。契の静止の声も聞かずに、ネコだけを視界に入れて追いかける。


 ブランコの間を通り抜けて、滑り台を一瞬の雨傘代わりに使ってみたりして、ベンチの上を勢いよく飛び越えて。


 長かった茂みをモゾモゾと脱出すると、すぐ目の前に先程から追いかけ回していたネコの姿があった。どうだ追いついたぞ、と不敵な笑みを浮かべて、もう逃げられないように一気に駆け出した。


「ゆきなっ!」


 ――茂みを抜けた先が公園の敷地でなく道路だということを、雪菜は知らなかった。いや、毎日通る道だから知ってはいたのだけれど、本来道の繋がっていない二か所を頭の中だけで繋げられるほどの能力はまだなかった。


 その日が雨で、視界が悪くなっていて、もしかしたらブレーキの効きも少し悪くなっていたのかも知れない――とにかく、公園脇の道を走っていた車は、突然飛び出してきた雪菜を避けきれずに跳ね飛ばした。


 運転手はフラフラと車を降り、雪菜の方に向かって歩いてきたけれど、途中で奇声を上げながら逃げてしまった。


 そんなに酷いのだろうか――なんて、他人事みたいに思った。酷いに決まっている。だって血がたくさん流れている。もうそろそろ、考えるのも億劫だった。


「ゆきな、ゆきなっ」


 目を開けているのも辛くなって、暗闇になった世界に契の声が届いた。手を握ってくれているのが感触で分かる。それがすごく頼もしくて、逆に言えば雪菜に頼れるものはそれくらいしかなくて。


「け、い……たすけ、て」


 無理難題を、押し付けた。



 薄れゆく意識の中で、契ともう一人、別の誰かの声がぼんやりと響いていた。




  ⑤

「……って、まあ私は見ての通り明るく元気に育ったわけだから、バッドエンドなんかじゃなかったんだけどさ」


 無理やり作ったような笑みで、少し重くなった空気を霧散させようとする雪菜。


「……」


 彼女が語っている過去は契と共通の思い出のはずなのに、ここまで聞いても契に思い当ることはない。雪菜が長い間入院していたなんて事実もないはずだ。


 そんな疑問に答えるように、雪菜の昔語りは続く。


「次に私が目覚めたのは病院じゃなくて、ここ。お母さんとお父さんに聞いてみたら、具合が悪そうだった私を契が連れて帰ってきてくれたって言うの。


 身体中ぺたぺた触ってみても怪我なんてなかったし、契もそんなの知らないって言うし、夢でも見たのかと思った」


 僅かな振動を感じて隣に視線を遣ると、クロマの肩が小さく震えていた。俯いたままじっと黙り込んでいる姿は何というか、らしくない。雪菜の話に感化されてしまったのだろうか。


「でも、それから契の様子が変になったの。クラスのみんなと遊ぶのにも全然参加しなくなったし、放課後私を誘いにも来なくなった」


 今の――正確に言うなら、クロマと出会うまでの契はまさにこの状態だった。何事にも興味を持てないから、自発的に何かをすることが出来ない。ずっとそうだと思っていたのだが、明確な〝始まり〟があったらしい。


 つまりね、と雪菜は人差し指を立てる。


「私の体が治って、契は〝何か〟をなくした。


 ――覚えてる、契? 幼稚園に置いてあった、一つを代償に一つを叶えてくれる悪魔の絵本。そうそう、二人とも好きで良く読んでたシリーズの。あれにそっくりだって思った。そう意識してみたら、思い出すのは簡単だった」


 意識不明瞭な中ぼんやりと響いていた声――それは記憶できていなかったわけではなく、霧がかかって見え辛くなっていただけだった。そういうことか。


 そしてその内容は、


「契が、誰かにお願いしてた。ゆきなを助けてって泣いてた。『代償をくれるなら』って答えたその人は、多分女の子だったと思う。


 契は代償の内容も聞かないで、何でも持っていっていいからって叫んだ。そしたらその人は私の体に手をかざして――何かを唱えたの。そこから意識がなくなっちゃった。


 結果はこの通り、ってことです」


 雪菜は両手をクロスさせてどこかの戦隊モノのようなポーズを取って見せた。それが何を意味するのかは契には伝わらなかったが、とりあえず元気なのは分かる。契の知る限りでは無遅刻無欠席で早退もゼロだ。


「そんなことが……あったんだ」


 確かに、例えばどこかのタイミングで気紛れに伝えられたとしても、信じ切れたかどうかは分からない。いくら雪菜の言葉でも、あまりにファンタジー要素が強すぎる。


 しかし今なら、それは非日常でこそあれ、間違いなく現実のものとして考えることが出来る。すなわち、契は幼い頃、悪魔と契約を交わして力を借りたのだ。そして願いが成就するのと引き換えに、時間ではなく魂の一部を支払った。


 それは妙に納得出来る説だった。


「でも、最近の契はちょっとずつ変わってきてるよ。この私が言うんだから間違いない!」


 少しずつ明るさまでも取り戻し始めている雪菜は、そのままの勢いでベッドの上に立った。天井を掴めそうなくらい、さらにその向こうに広がっている星空に向かっていっぱいに手を伸ばす。


「イル……私たちの願いは、ちゃんと届いてたよ。どうかどうか、契に幸せな出逢いが訪れますように……って」


 その視線の先には俯いたままのクロマの姿。果てしなく偶然のように思われた契とクロマの出逢いも、もしかしたらイルという少女によって曲げられた運命のせいだったのかも知れない。


「…………あれ?」


 そこまで考えて、少し違和感を覚えた。


「素敵な、出逢い……それは、あたしのことを言ってるの……?」


 久しぶりに耳に届いたクロマの声は掠れている。――何かを間違えていないか? もし仮に契の中の〝芯〟であるような、魂の一部を代償に力を借りたのだとすれば、クロマが現れたことをきっかけにしてそれが戻ってくることはあり得ない。あまりにご都合主義に過ぎる。


 だったら、それは――。


「そんなわけない……契はっ、あたしなんかと出逢わなければ! ずっと幸せに生きていられたんだからぁあ!」


 目尻に涙を溜めて思いきり叫んだクロマは、契が止める間もなくドアから外へ飛び出していってしまった。


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