第21話 怒り

  ③

「……ん、あれ?」


 最初に異変に気付いたのは、クロマだった。


 微かな音――振動音。それは数秒続いただけですぐに止まってしまったものの、何やらカラフルな光を伴っていたので発信源はすぐに分かった。机の上に置かれている携帯電話だ。


「スマートフォン、とか言ってたやつね」


 クロマにはあまり馴染みのない機械ではあったが、契に教えてもらったので用途は知っている。他人と連絡を取るためのものだ。


「む……」


 どうしようかな、と思った。契は今、意識がない状態だ。いわゆる補給中、というやつ。エリアリーダーとの戦いではクロマのエネルギー消費など微々たるものだったが、元々十全だったとは言いにくい。だから余裕のある内にという契からの提案だった。


 違和感なく密着出来るこの時間を手放すのは――違う。そうじゃなくて、充電が途中で途切れてしまうのは惜しいが、もしかしたら重要な要件かも知れない。違うかも知れないが、それを判断するのは契の方だ。


「……仕方ないわね」


 心中で溜息を吐きながら、クロマはゆっくりと契の意識を解放した。




 唐突に視界が戻った。眠っていたわけではないので、状況の把握自体はすんなりと終わる。しかし、カーテンの隙間から窺える外の景色だけが、契の想定とは違うものだった。


「クロマ、おはよう……じゃないみたいだね。何かあったの?」


 契の胸にもたれかかるように背を預けていたクロマに声を掛ける。彼女は何故か少しだけ不満げに体を起こすと、勉強机に近寄って契のスマホを手に取った。そして間髪入れずに投擲。

 

 山なりの軌道で飛んできたそれは見事に契の手の中に納まる。


「それ、何か鳴ってたわ。だから一応、と思って起こしたの。感謝しなさいよ」


「そっか……ありがとう」


 なら別に投げる必要はないだろうとは思ったが、口には出さなかった。


 微妙に受け取り損ねたのか少し痛む右手で着信履歴を確認する。契に連絡してくる人間なんてそもそも限られているし、この時間となればなおさらだ。案の定、履歴の一番上に表示されていた名前は良く見慣れたものだった。


「雪菜か。あれ、でもこれ」


 雪菜なら夜遅くに電話をかけてくるのも珍しいことではない。何か面白いことを思いついたのがたまたま夜中だった、というだけだろう。だが、それにしては妙だ。


 着信があってから、たった三秒でコールが切れている。


「クロマ、電話に出たりした?」


「あたしがそんなのするわけないじゃない。というかやり方も知らないわ。それが勝手に切れたの」


「……」


 契は画面を睨み付けるようにしながらしばし考え込んだ。悪戯の説は、雪菜に限って有り得ない。なら何か伝えようと思って、途中で気が変わった? それならメールやSNSで『やっぱなし!』とでも言ってくれればいいのに。


 そして最悪の想像としては――雪菜がどうしてか通信を継続できないような状況に陥っている、という可能性。


「っ」


 言い知れない悪寒が契の背中を駆け抜けた。早く払拭して欲しくて、咄嗟に雪菜に電話を掛ける。しかし返ってきたのはお決まりの定型文。お掛けになった携帯電話は只今電波の届かない所にあるか、電源が入っていません。


 聞きなれた人工音声は契の不安を掻き立てるだけだった。


「……クロマ、ごめん。今日の充電は中止」


 契はスマホをポケットの中に叩き込むと、椅子の背にかけていた上着を羽織った。服装は問題ない。部屋着だが、今日は寝ないつもりだったからパジャマというわけでもない。咎められるようなことはないだろう。


 クロマは契の形相に気圧けおされたように、小さく一度頷いた。




 幼馴染みというだけあって、契の家から雪菜のマンションまでは徒歩一分もかからない。過去最高記録を樹立しながらエントランスに駆け込み、ちょうど一階で待機してくれていたエレベーターに二人して乗り込む。雪菜の家は四階の角部屋で、エレベーターの真正面だ。


 廊下に面する窓のすぐ脇に設置されている赤い箱から消火器を取り外すと、そうでもしないと見えない位置に鍵が張り付けてあるのが分かる。鍵を忘れて待ちぼうけを食らうことが多い雪菜の弟のための仕様らしい。それを使って静かに玄関のドアを開いた。


「……お邪魔します」


 小声で呟くと、クロマが小さな声で復唱した。二人分の声は静寂と暗闇の中に良く響く。


 ……全員眠っているのなら、それで良い。雪菜の幸せそうな寝顔でも見ることが叶えば、ここまで来た労力も十二分に報われるというものだ。


 それは希望というか願望というか、とにかく現実味のないものだったが、それでも契は一縷の望みをかけて廊下を歩く。


 玄関から数えて二つ目の部屋。ノックはしないで押し開いた。


「……っ」


 ――想像していたよりもずっと酷い有り様に、思わず顔を背けた。しかしそれも一瞬、すぐに雪菜の所在を確認しようと頭だけが冷静に動き出す。


 ペンキをぶちまけたような血の海。その終着点には胸に穴を開けて仰向けに寝転んだ一人の少女と、その傍らで崩れ落ちる雪菜の姿があった。


「雪菜っ!」


 大声をあげて近付くと、ようやく気付いたのか雪菜がぼんやりと虚ろな視線を漂わせる。その瞳は真っ赤に腫れていて、目元も頬も涙でぐちゃぐちゃだった。


「け……い……?」


 精神的なダメージが大きすぎるようで、漏れ出す声には生気が籠もっていない。


 その原因は間違いなく倒れている少女だろう。契は誰にともなく謝ってから彼女の腕を取った。今時学校の授業でも習うような脈拍の調べ方はしかし、状況が絶望的だということを示すのみで。


 いや。しかし契は、別に医療に精通しているわけではない。絶対に助かることなんてない、などとどうして言えるだろうか。


「……雪菜、救急車って呼んである?」


 雪菜はふるふると、力なく首を横に振る。それなら、とスマホを取り出そうとした契をクロマが制した。


「駄目よ。……この子、あたしたちの仲間だわ」


 仲間。クロマの仲間……つまり、悪魔。


 確かにそれなら病院に運んだところで助かるとは思えない。公的機関なんかに引き渡そうものなら瞬く間に組織に奪われてしまいそうだ。利用方法などいくらだってあるだろう。


「いや……」


 ……第一、この少女はもう完全に死んでいる。脈拍云々より以前に、体のど真ん中に大穴を空けて生きていられる訳がないだろう。現実を見ろ。無責任な希望は逃避と何も変わらない。


「……」


 悪魔の少女が死んでいる。何故か? この疑問に対する答えを契は既に持っている。


 そんなの、悪魔だからだ。


 人間は悪魔をその名の通り悪と設定し、それを封じるための力として天使の軍勢を用意した。この構図が成り立っている以上、天使は、それを使役する人間は、その存在意義を全うするために悪魔を狩る。


 その結果、どうなった?


「契……契ぃ……イルが、イルが死んじゃった……!」


 雪菜が、契の大切な人が深く傷ついた。


 訴えかけるような涙声は激しく契の心を揺さぶる。彼女の言葉は支離滅裂だったが、単語の断片から何があったのかは大体予想できた。余りにも想像の通りで吐き気がした。


「クロマ」


「……無理よ。この子はもう、助からないわ。あんたも分かってるんでしょ? たとえ生きてても、今のあたしじゃ傷を癒すことも出来なかったけど」


 エネルギーがたくさんあれば別だったんだけどね――クロマは無力な自分を悔やむように、小さく唇を噛み締めていた。彼女にとっては同族の死ということになる。雪菜とはまた違った悲しみがあるのだろう。


 しかし契は意識的に表情筋を動かし、穏やかな表情を作って否定した。


「そうじゃないよ。……リングを」


「……あ……でも、いいの?」


「うん」


 そうしないと、いつまでも落ち着くことが出来ないと思うから。


 契はクロマに指示を出してから片膝を突き、雪菜と目線を合わせた。縋るような眼差しには、しかし、応えてあげることが出来ない。


「雪菜、今から僕はちょっと酷いことをする。でももう事前キャンセルの期限は過ぎちゃったから、苦情は後からお願い」


「え……?」


 その声を合図に、クロマはどこからともなく取り出した銀色のリングを掲げ、横たわる少女にこつんとぶつけた。瞬間、その身体が冗談のように掻き消える。床一面に広がっていた血液さえ、跡形もなくなっていた。


 状況が理解できず、雪菜は困惑を色濃く含んだ瞳できょろきょろと少女の姿を探す。そんな痛ましい姿から、契もクロマも目を逸らしはしなかった。


「あんたの友達は、あたしが責任を持って元の世界に返すわ。残念だけどあんたに返してあげることは出来ない。もし嫌だって、認められないって思うなら――あたしのことを、悪魔とでも呼べばいいわ」


「……」


 放心したように黙り込む雪菜の肩に上着を掛けてから、契は勢いよく立ち上がった。その目付きはいつになく鋭い。心の中を、制御できないほどの暴力的な感情が支配していた。


「ごめん、雪菜。雪菜が落ち着くまで、ちょっとだけ外に出てるよ。すぐに戻ってくるから」


 だからだろうか。そんな下手くそな言い訳しか思いつかなかった。

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