第19話 幕間/契の日常


  ➀

「も、もう一回」


「……でも」


「今のはちょっと油断してただけなんだから! 勝ち逃げなんて許さないわ!」


「誰にでも不得意なことはあるよ」


「うるさいっ、大悪魔たるあたしが負けっぱなしなんて我慢できるわけないじゃない! それにそのプリ……じゃ、なくて。プ、プライドが! そう悪魔としてのプライドが許さないの!」


 ――事の発端は、またしても机の上に置かれた一つのプリン。しかも下にクッキー状の生地が敷かれた、いわゆるタルトである。


 大人気商品、だそうで、開店から一時間も経たずに売り切れてしまうこともままあるというから驚きだ。


 そのタルトは今さっき、契が駅前のケーキ屋で買ってきたものだった。


 何となれば、昨日榎本との会話の中で〝怖い〟という感情を言葉にしたクロマにお詫びをしたかったから。さらに言えば以前にした約束を果たすためでもあった。



 隣で気持ち良さそうに眠っていたクロマを――半ば強引に――起こして朝一で店に向かった甲斐あって、商品は選び放題だった。クロマは最初こそ不満げに目元を擦っていたものの、次第にその瞳をキラキラと輝かせては次々に食べたいケーキを挙げてくれた。


 多少値は張ったものの、契は普段自分でお金を使うことなんてないし、そもそも今日はクロマに喜んでもらうために来ているのだ。目的が達せられた喜びこそすれ、財布の軽さを嘆く理由はない。


 後は美味しく食べてもらえればそれで良い――なんて思っていたのだが。


『――え? あんたも一緒に食べるでしょ?』と。


 クロマは家に着いて牛乳やフォークを準備するなりそんなことを言ったのだ。当然、といった顔で。コップも食器も当たり前のように二人分が用意されていた。


 それは契にとって少し予想外で、でも予想通りでもあって、だからこそ嬉しくて。


 ただ。


『……じゃあ何でケーキが奇数なんだろう』


 クロマが選んだケーキは全部で七個。そもそも契は全部クロマにあげるつもりだったのだが、彼女はそれを頑なに拒否し、それでもどれも食べてみたいから契の分は一口だけ頂戴、などと思わず赤面するようなことを言った。


 しかし、それならケーキは偶数であるべきだ。いや、最後のケーキは半分にして食べればいいか? などと契が照れ隠しも兼ねてぐるぐる思考していると、不意にクロマがニヤりと笑んで見せた。


『いいえ、最後の一つは――勝者に食べる権利が与えられるわ!』


 そう言ってクロマが掲げたのは、契の部屋にたまたま置いてあったトランプの束だった。


 ――そして現在。


 ババ抜き七並べ神経衰弱スピード大貧民ページワンと続けて六種目十五戦を戦った結果、契とクロマのスコアには十五点の差が付いていた。


「ていうか、クロマはさっきルール知ったばっかりなんだから負けてもしょうがないって……ババ抜きとかならともかく、結構定石みたいな手もあるんだし」


「あ、あたしが言い出したんだから今更そんなところに文句付けたりしないわ。悪魔に二言はないんだから。……でも、もう一回お願い。えっとそうね、何か別のがいい」


「うーん……じゃあ」


「手加減したら怒るわ」


「……じゃあ、ポーカーにしよう」


 二人でやるダウトとかなら相手の手札をすべて把握して勝敗を操作できるのだが。まあ牽制されてしまったので除外。


 ただそれでも、ノーレートのポーカー、なんていう運要素しかないくらいのゲーム選択はどうやら成功だったようで、クロマは信じられないくらいの強さを見せた。


 それはもしかしたら執念が可能にした一種の奇跡だったのかも知れない――なんて語ってしまうくらいには。


「フルハウス!」


「……ワンペア」


 とにもかくにも、ゲーム総数が四十に達した段階でクロマのスコアは契に追いつき、最後の一戦も見事な役で勝利を決めたのだった。


「やったっ」


 トランプをせっせと片付けて、すぐにテーブルに戻る。


 八重歯が見えるくらい、満面の笑みでフォークを手にしたクロマは、タルトを口に含んだ瞬間にその頬を緩ませた。


「ふぁ……これ、すっごく美味しいわ」


「良かった」


 ……何となく本気で張り合ってしまったが、実際クロマのために買ったものなのだからこれで良いのだ。むしろ勝ってしまわなくて良かった。


 そんな風に納得していると、突然目の前にフォークが突き出された。驚いて変な声が出てしまう。思わず仰け反った契に、クロマが怪訝な瞳を向けた。


「? 何してるの?」


「いや、何って――」


「さっきもやってたじゃない。一口あげる、って」


 良く見れば、フォークの先端には一口分のタルトが刺さっていた


「あーん」


「……」


 まあ。


 時間を置いたら恥ずかしさが鮮明になった、だなんて言えないわけで。


「どう?」


「……美味しいよ」


「でしょ!」


 ……こういった何でもない時間は契にとって――いや二人にとって、お互いと過ごすことが日常の一部と化していることの証明でもあった。




 契の通っている学校の部室棟は、本来一階の出入り口に鍵がかかっていて放課後になるまで入ることが出来ない。休日も同様で、担当の教員が開けてくれるのを待つ必要がある。少し面倒ではあるが、防犯やサボり対策などの理由でそうなっているそうだ。


 ただ演劇部にはこの建物に居住している部長氏が在籍しているため、内側から解錠してもらえばいつでも入れることは分かっていた。


「でもでも何か久しぶりだよね、部長にお呼ばれするのって。最近すっごく忙しそうだったもん。……はっ!? まさか部長、元気がなくなりすぎて新鮮な若い血と肉を求めてるんじゃ!?」


「ねぇよ」


「私たちは栄養ドリンクなんかじゃないのに! 飲んじゃ駄目だよ!」


「今日テンション高ぇなお前……」


 早々に突っ込みを放棄した久我が諦めたように呟いた。


 確かに今日の雪菜はいつにも増して機嫌が良いように見える。普段から楽しそうなので微々たる差でしかないのだが、ずっと近くにいた契や久我であれば容易に感じ取れるほどの差。


 少なくとも意地悪な瞳でツーンとばかりに無視を決め込んでいた昨日よりは遥かに良い。必死で謝り倒したのが功を奏したのだろうか。


 そんなことを思いながら、契は胸ポケットから取り出したスマートフォンを操作して目当てのメッセージを表示させた。


『今週の土日は顧問の先生が出張で不在のため部活は出来ないと通達してあったが、どうだろう。孤独から生じる寂しさに耐えきれなくて発狂してしまうかも知れない愛しの部長を救うと思って会いに来てはくれないだろうか。そうだな、再会に相応しい祝福の光が天頂を指し示す頃が丁度良い。ささやかな宴会を開くとしよう』


 文面を見て眉を潜めていたクロマにしたのと同じ要約をするのなら、土日使ってミーティングするから昼過ぎに弁当持って部室まで来い、ということだ。あの人にとってはSNSに投稿するだけの文章ですら芸術の一環なのだろう。


 ある意味部長らしいのだが、毎度読みづらいことこの上ない。


「今日はこの……これで全員なのかな?」


 言いよどんだのはクロマとライラがパッと目線を向けてきたからだ。この何人、という表現は誤解を招く。それは本意ではない。


 前を歩いていた雪菜が振り返り、ちっちっとリズム良く人差し指を左右に振った。


「ふっふーん、それは甘い! 甘すぎるよ契! もっと頭を柔軟に使わなきゃいつまで経っても辛くなれないよ!」


「雪菜的に、柔軟に思考できる人は……辛いの?」


「食べたことないけど多分そうっ」


「……」


 まあ。甘いだの辛いだのはどうでも良いわけで。


 部長からの連絡はとあるSNSの個人用回線で届いていた。演劇部全体に発信できる場で発言しなかった、ということは全員を呼んでいるわけではないのだろう。恐らく数人程度のはずだが、内訳までは分からない。


 ちなみに久我は一応演劇部に名前を入れている、程度の半幽霊部員だ。普段は忙しさを理由にあまり顔を出さない。今日呼び出しに応じたのは、エリアリーダー交代のごたごたでしばらく任務が何もないからだと言っていた。


「何の話だったっけ……あ、そうだ、今日来る人だよ。この三人と、あと紗希ちゃん! 結構レア度高めかも!」


 この三人、の部分で何となくデジャヴを感じる光景が展開されたけれど、自分の発言じゃないから契にはどうしようもない。雪菜なら案外何とかなるだろうから現界してみれば、とは流石に言えなかった。


 しかし、紗希か。メイク担当がリストインしているということは、次の公演の演出を考えたりするのだろうか。


「……?」


 ふと視線を感じて顔を上げると、雪菜がニコニコしながら契のことを見つめていた。


「……気になるんだ?」


「え?」


「今日来るのは誰なんだろう、何をするんだろう――そんなことだって前の契なら訊いてこなかったし、多分考えてもなかったから。どんなきっかけがあったのか分かんないけど、それでも嬉しいな」


 ……やはり契は、傍から見てもそれと分かるほど変わったらしい。長い間一緒にいた雪菜だから気付いた、というのもあるかも知れない。それでも確かに変化している。


 返答に困り、縋るようにきっかけ――クロマに目を遣ると、不思議そうに首を傾げられた。




「ようこそ――我が城へ」


 相も変わらずカオスな様相を呈しているため使い物にならないその部屋から部長を連れ出し、隣の教室で昼食を取ることになった。城なら使用人でも雇って掃除させれば良いのだ。あれは人を招けるような空間ではない。


「今日のおべんとーは何だろなっ」


 机を寄せ合って座るのは小学校時代の給食を思い出させる。そんな光景をクロマが少し羨ましそうに眺めていたので、契はこっそり手招きして彼女を膝の上に抱いた。


『……そ、そんなに言うなら座ってあげるわ。別に寂しくなんかないけど。悪魔だからっ』


 ふわっと女の子特有の甘い香りが広がる。契は軽い酩酊感を覚えながら誤魔化すように食事を始めた。


「ふむ。久我弘臣くんの料理の腕前は理解していたつもりだったが、評価が低すぎたようだな。それともこの僅かな期間の間に特殊な訓練でも積んだのか?」


 契と同じく久我産の弁当を忙しなく口に運んでいた部長が、ふと顔を上げてそんなことを言った。確かに、言われてみればいつもよりクオリティが高い。いや元々十二分に美味しいのだが、これは何というか作りが丁寧だ。

 

 下味からじっくり染み込ませてあり、また見た目にも気を遣っている。


 同意見だ、という意味を込めて久我を見つめると、彼は少し逡巡してから口を開いた。


「……ああ、これは俺が作ったもんじゃねぇからな。やっぱまだ全然敵わねぇよ」


「ふむ。味だけならそう差はないと思うが。しかしならばこれは」


「そうだよ、これを作ったのは俺の母親だ。……張り切って準備してたぜ。誰かさんへの感謝の気持ちなんだと」


「ほう……?」


 意味深な久我の台詞に興味を示した部長だったが、重ねて詰問したりはせずにすぐ引き下がった。奔放に生きているだけのように思えるこの人は、意外にもと言うかだからこそと言うべきか、踏み込んではいけないラインを見極める能力に長けている。


 そしてライン云々どころか競技の枠を飛び越えてしまうのが雪菜だった。


「良く分かんないけど美味しそうだから一口ちょうだい!」


「……ああ、勝手に食え」


 わーいと口で喜びを表現しながら箸を伸ばす。そんな雪菜に不遜な態度で弁当箱を突き出している久我の表情は、しかし穏やかだ。良く見れば目元の隈が少し薄くなっている。母親が戻ってきたことで弟妹の世話に関する負担は相当軽減されたらしい。睡眠も取れるようになったのだろうか。


 契は誰にも気付かれないよう、こっそりと安堵の息を吐いた。……作戦自体は成功していたが、そもそもの目的は、大切な人を奪われた〝友達を助ける〟ことだったのだ。


 またあんなことになるのは嫌だから――また?


 契は自分の思考に違和感を覚えて首を捻った。また。また、ということは過去に友達を救おうとしたことがあるのか? いや、契の記憶にそんなものはない。本当に? もし該当するものがあったとして、それは、結局、どうなった?


 ……カタン、と蓋を閉める微かな音で我に返った。いつの間にか部長が食事を終えている。契と比べた場合、部長は間違いなく早食いに分類されるタイプなのでこの差は致し方ない。


 しかし後にミーティングが控えていることを考えるとあまりゆっくりしてもいられない。


「……ふう」


 ただ、贈られた感謝の証――久我や部長の持つ箱よりも明らかに大きいそれを、ひたすら咀嚼し攻略しきるには、契の実力ではまだまだ時間がかかりそうだった。


 


  ②

 今日の集会はやはり公演の打ち合わせが目的だったらしい。昼食を終えるなり教壇に飛び乗って語り始めた部長の演説を、雪菜だけは目を輝かせて聞いていた。


 部長には確かにそういうカリスマ性がある。拡声器を持たせて街中に立たせれば、恐らく数時間後には数十人単位の信者を獲得しているだろう。


 そういった事情を良く知っている久我と契は、最初から話の内容しか聞いていなかった。話術において内容以外の部分はすなわち相手を引き込み、騙し、持ち上げ、煽り、徹底的に墜とすための余計な修飾だ。聞いた時点で負ける。


『闘争の歴史が……相対性理論で……融解するのね』


 いつの間にかクロマの瞳からハイライトが消えていた。うわ言のように繰り返す。その単語から演説の軌道を推測するのは流石に契でも不可能だった。


「……部長」


「発言を許可しよう長谷川契」


「もう三十分以上経ってます。そろそろ始めませんか」


「ふむ……なかなかどうして、一理あるな」


 満足げに一礼してから降壇する所作を眺めながら、契は頭の中で部長の発言を整理する。曰く、


 前回の物を少し修正した脚本が完成したこと。


 既に台本も刷り終わっていること。


 そして今日はメインヒロインである契の外見設定をきちんと作り上げるために、被験者の契、正当な評価を下せる久我と雪菜、そして神の手を持つメイク担当紗希を呼んだこと。


 三行で、とはいかないまでも箇条書きの項目三点で説明が終わった。これだけの内容を数十分に膨らませる、というのは一体どんな才能なんだろうか。


 ……まあ、それはともかく。そうなると、まだ一人足りないということになる。


「あれ、でも紗希ってまだ来てないで――」


「呼びましたか!? もしかして紗希のこと呼んでくれたんですかせんぱいっ」


 もしこれが映画ならコマ落ちを疑うほどのタイミングで、契の目の前に後輩の少女が現れた。少しだけ頬が上気し、息遣いが荒いところを見ると全力で走ってきたのだろう。いや、それにしても速すぎる。


「……どこから出てきたの。すごいビックリしたんだけど」


「普通にそこのドアから入ってきましたよ? せんぱいの声が聞こえたときはまだ

一階にいたから気付かれなかったのかもです」


「一階……」


 とんでもない地獄耳なのもそうだが、契が言葉を言い終えるよりも早く二階ここまで辿り着いたその脚力は文化系クラブの物ではない。階段部、なんて部活もあったなあと以前読んだ小説に思いを馳せた。


 それは不可解な現象に対する思考放棄とも言う。


 紗希は一度契から離れると、照れくさそうに笑みを見せながら他のメンバーに挨拶をし始めた。


 ……そう言えば、彼女はこの部活に入ったばかりの頃、周囲に壁を作り、誰とも関わろうとしていなかった。何故か最初から契には懐いていたのだが、それでも今のような笑顔を見せたりはしていなかった。


「紗希ちゃんやっほー! 私服すっごく可愛いねっ」


「あ、ありがとうございます、雪菜せんぱい」


「……遅れてきたようだが、大丈夫か? 何かトラブルなら遠慮なく頼れよ」


「いえいえ、その、ちょっとした用事なのです。お気持ちはとっても嬉しいです、久我せんぱい」


 誰とでも仲良くなれる雪菜や超が付くほど他人想いな久我。仲良くなるハードルが低い二人ではあるが、上手くやれているようなら今後もっと友達は増えることだろう。最初は気を遣って距離を置いていた演劇部員たちも彼女のメイクを頼りにしている。


 その技に、そして彼女自身に興味を抱いている。


 それが否定的な感情のはずもない。


 親に似た心持ちでその横顔を眺めていると、あらぬところからジト目の返答があった。


『さっきから見つめ過ぎ……馬鹿』


「……」


『良いけど。別に全っ然良いけど。でもあれなんだから、身体中舐めるように視線を向けるのって犯罪なんだから!』


「あーえっと……ごめん?」


『あ、あたしは怒ってないって言ってるじゃない! あの子に謝らなきゃ意味ないでしょ!』


「紗希に謝っても困惑されるだけだと思う」


『~~~~~~~~~~~~~もういい!』


 クロマは効果音が付きそうな勢いで契から顔を背けた。……契にだって彼女の言いたいことは分かる。恐らく、相棒を取られるのが嫌なのだ。契は、分不相応かも知れないが、それでもクロマの唯一無二の相方という立ち位置にいる。それが侵されるのを嫌うのは当然とも言える感情だ。


 紗希は物理的な距離がかなり近いから、そういった心理がより刺激されたのだろう。


「……うーん」


 一応。契もそれなりにアピールしているつもりなのだが。


「? せんぱい、なにか言いました?」


 クロマと話している間に挨拶は一通り済んだらしい。いつの間にか近くに来ていた紗希が不思議そうに覗き込んでくるのを避けるように、契は小さく首を横に振った。


「……いや、何でもないよ。それよりこれからどうするの?」


 ヒロインの外見。純愛ものというのは登場する主人公、そしてヒロインをいかに魅力的に出来るかが完成度を大きく左右するため、そこに妥協はできない。脚本があるのだから性格は決まっているわけで、そこから服装なんかを決めていく作業だろうか。


 しかし予想に反して紗希は小さく笑んだ。それは、今の環境にある契が使うと違和感のある表現になってしまうが――どこか悪魔的で。


「せんぱいには、紗希の着せ替え人形さんになってもらいます!」


 彼女に借りを作ってしまっている契には既に退路などないことを、いとも明瞭に表していた。


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