第13話 打開案


  ④

「……仕切り直しだ。一応、真面目な話をしている」


「ごめん……」


 信じたくはないが、壁にかかっている時計の表示を見るにもう朝が近付いているらしい。居間の厚いカーテンをめくれば綺麗な朝焼けなんかが拝めることだろう。


 こう舞台を整えておいて何も進展しないのは大分極まりが悪いので、しっかりと聞くことにする。……いや、そもそも契はふざけたつもりなどないのだが。


 久我の後ろで静かに控えている天使――ライラ、というらしい――の表情もいつの間にか退屈そうなそれに変化している。どうやら感情を完全に殺されているわけでもないようだ。その些細な変化は、少なくとも悪い兆候ではない。


 同じく腕時計に視線を遣って溜息を吐いていた久我は、意図的にクロマを視界から外して話し始めた。


「時間もあまりないし簡潔に済まそう。さっきも言ったように俺は悪魔狩りのエージェントで、今現在とある悪魔そこのそいつの討伐指令を受けている。……この指令ってのが厄介なんだ」


「厄介。と言うと?」


「ウチの組織はかなり大規模でな、当然中央一括管理じゃなく細かい支部に分かれてる。各地域ごとにエリアリーダーみたいな奴がいて、そこに属するエージェントの管理はそいつに任されてるんだ。


 そして〝エリアリーダーの評価〟は自身の能力じゃなく、いかにそのエリアのエージェントが戦果を挙げたかによって判断されるから、大抵の奴はノルマだったり成功報酬だったりを餌にしてエージェントを動かしてる。

 

 ここのノルマは〝月一で悪魔を一人無力化すること〟だ。別に殺す必要はねぇ。その辺で宿主を見つけられずに彷徨ってる野良悪魔を捕まえて送還するだけでも認められる。


 ……それさえ守ってりゃあの屑も口出しはしねぇんだが、緊急事態が起こるとそうも言ってられねぇらしい。体面の問題だ。自分のエリア内でエージェントが悪魔に殺られた、なんて不祥事は早いこと処理しないといけないんだろう」

 

 立場その他を全て無視して理屈だけで考えれば、まあすんなりと理解できる考えではある。


 もし自分が管轄するエリアで仕留めきれなかった悪魔――つまり契とクロマ自身のことだが――が他のエリアにまで迷惑をかけるようなら責任問題だ。少なくとも自エリア内で片を付けなければならない。そこでノルマが追加されたのだろう。


 それが久我を悩ませている原因だというわけだ。


「……ちなみに、ノルマが守れなかったらどうなるの?」


 一瞬。間があった。


 一瞬だけだった。


「俺の場合、だが。


 母親が殺されるだろうな」


 久我の表情は契の目から見てもほとんど動いていなかった。精々眉がほんの少し上がった程度の誤差。


 しかしそれは憤りを感じていないわけではなく、怒りを表現したとしても届かないことが分かっているから、激情に自分が狂ってしまわないように必死で抑えているだけだ。


「ここのエリアリーダーは屑の中の屑だ。エージェントは全員近しい誰かを人質に取られている。ノルマを守れなきゃ殺されるって寸法だ。胸糞悪いが相手は格上、並のエージェントじゃ逆らえるはずもねぇ。だから従うしかねぇ……っつうわけだ。ありがちな話だけどな」


「……なるほど」


 物語の中であれば、確かに良くある話なのかも知れないが。


「今回みたいに個人じゃなく全員への指令、ってのは初めてだから実際のところノルマが達成されなかったらどうなるのかは分からねぇ。人質を全員殺す、なんて馬鹿な真似は流石にしないだろうが、見せしめに何人か、なら充分あり得る範囲だろう。それが分かっているからエージェントは動くしかない。


 ……だが俺には無理だった。そうしないと母親が死ぬかもしれねぇっつう前提があるのは分かってるが、それは別に友達を殺していい理由にはならねぇよ」


 お前が悪魔を手放してくれれば話は簡単だったんだけどな、と苦笑する久我。数時間前の契の行動を思い出しているのだろう。あんなものを見てしまえば今更言葉で説得できるなんて思うはずもない。


 クロマは反射的に言い返そうと口を開いたが、ちょっと唇を尖らせてそのまま黙ってしまった。


「……だがな、俺がお前を狙うのを止めたとして、状況は全く改善されないぜ? このエリアのエージェントの大半が今頃お前を探してる」


「じゃあどうして……いや、ああ、そうか」


 クロマは隠密行動を使っていない。いやそもそもほぼエネルギー切れ状態の彼女は今、ほとんど何もできないはずだ。だから探知系の能力を使われたらすぐにばれてしまうと思ったのだが。


「――天使と悪魔は同じ存在だから、反応を感知できたとしてもそれが天使か悪魔かは分からない。だから適当に検討を付けてその場に行ってみるしかない。そのとき、一か所に二つの反応を見つけたら普通は天使だって考えてスルーする。そんなところかな」


 久我の話を聞く限り、追うべき〝悪魔憑き〟は一人だけのはずだ。久我の近くにいるだけでエージェントの追跡をある程度回避できる。もちろんいつまでもバレないなんてことはないが、時間を稼げるだけでも充分に意味があるだろう。


「まあ引き籠ってれば数日はやり過ごせるかも知れねぇな。俺も打開策を考えるのに時間が欲しいから、それに付き合うのは構わねぇ。ただ正直に言えば、もうどうすることもできねぇよ。人質を取られてるエージェントは本気でお前らを潰しに来る。


 知ってるか? このエリアだけでも十人以上のエージェントがいるらしい。仮に俺が共闘したとしても勝ち目なんかねぇよ」


 相手の感覚に直接作用する三次元的な幻覚と、それに入り込む能力――それがエージェントの間でどのくらいの位置に格付けされるのか契には分からないが、それでも単純に考えて十倍以上の戦力差を引っくり返すのには足りないのだろう。


 むーっと小さく呻くクロマはそもそも戦闘における頭数に加えることができない。本人(本……悪魔?)もそれが分かっているから悔しがっている。多分、自分の無力さを呪っている。


 部屋に沈黙が下りた。


 秒針が絶え間なく時を刻む音だけが狭い空間を支配する。


 しかしそれは何もかもが停止していることを表すのではなく――その証拠に契の思考は動き続けていた。


「……クロマ、久我。それにライラも。


 一つ。思いついたことがあるんだけど、僕の考えに乗ってみる気はない?」

 


  ⑤

「……ど、どうかしら」


 声をかけるまで絶対に覗くな、との厳命が解かれてようやく部屋に入った契を迎えたのは、そわそわと落ち着かない様子で佇んでいるクロマの姿だった。


 いつもとは違う服を身に纏っているからか、少し恥ずかしそうにスカートの裾をきゅっと握っている。


 そう。彼女は、契やついでに久我もライラも追い出して着替えをしていたのだ。


 理由は簡単、見た目だけで悪魔であることが判別されないように。だから当然白をベースにした衣装でなければならない。デザインそのものはクロマが初めて契と会ったときに着ていたものと似ているのだが、色が正反対だからその印象は大きく違う。


 しばらく何も言わずに彼女を眺めていた契は一つ頷くと、


「とりあえずその場で一周回ってみて」


「え? ん……こう?」


 すっと重力の影響から解き放たれて空中で360度回転するクロマ。背中でぱたぱた動いている羽根は流石に黒いままだが、これは久我が幻覚で何とかしてくれることになっている。


 色を変えるだけ、それも対象がかなり小さいものなのでコストもどうということはない程度、らしい。


「うん、大丈夫。問題ないと思うよ」


 言った瞬間うわあと呆れたような声音を伴ってものすごく微妙な視線を向けられた。大きく肯定したのに何故。


「……ええと、どうしたの? ちゃんと天使に見えるけど」


「ちっがーーう! 状況はともかく女の子が新しい服着て『どう?』って訊いてるんだからまず感想を言いなさいよ! あたしのドキドキを返せ!」


 ……言い訳をさせてもらえるなら。


 契だって部長に押し付けられて様々な恋愛シュミレーションゲームをプレイしているし、そうでなくともこういうシーンは映画やドラマなんかでもあったりするから、幾度となく仮の経験をしている。


 だからもちろんどういう返しが適切なのかも分かっているのだが……今回の場合は『命を狙われるのを避けるため仕方なく着替えた』わけで、だからちゃんと偽装出来ているかの方が大事だと考えた。それだけだ。


 感想を、と言うのならすぐにでも浮かぶ。別にゲームの定石なんかに従うまでもない。


「大体あんたはっ――」


「可愛い」


「ふぇえっ!?」


「すごい可愛い。黒も似合うけど白も良いかも。赤って黒にも白にも合うんだ」


「な、なななななな」


「まさに天使って感じの、儚くて無垢でそれでいて芯の通った強さが見えるところが良いね。知ってる? 天使って言葉はそれだけで綺麗な女性を差す形容詞にも使えるんだ」


「分かった! もういいから恥ずかしいから止めて!」


 それはどこか理不尽じゃないか、などと思いながらも契は言われた通り口を閉じた。感想自体は本音だったが反応を楽しむために言葉を飾ったのは事実だったから。




 午前六時二十分。学校に行くにしてもまだ大分余裕のある時間。寝ている人だって少なくはないだろう。契だって普段ならベッドから出てもいない。


 だから流石に彼女と連絡を取るのは躊躇われたのだが、意を決して携帯を鳴らしてみると一コール終わるよりも早く繋がった。半ば予想していたもののやはりビビる。


 電話の相手はこれから会いたいという契の申し出を二つ返事どころか食い気味に受け入れ、いつでも来て良いと言ってくれた。今回の用事は多分それほど時間もかからない。相手が学校に遅刻してしまわないようすぐにお邪魔することにした。


「いらっしゃいですせんぱいっ」


 玄関を開けるなりふわっと甘い香りが鼻孔をくすぐる。待ち侘びていたと言わんばかりに瞳を輝かせた紗希の顔がすぐ目の前にあった。挨拶をするよりも早く腕を取られてリビングに連行される。


 ……契一人ならともかく、久我が一緒だと余計な疑問が浮かぶだろうということで彼には家で待機してもらっている。もしこの場にいれば舌打ちの一つでもされていたかも知れない。


 ただでさえ後ろからクロマとライラのじとっとした視線を感じるのだ。いつの間に仲良くなったのだろうか。良いことではあるが。


「今日はどんなご用件でしょう?」


 契のすぐ隣に腰掛けながら、下から瞳を覗き込んでくる紗希。狭い部屋というわけでもないのにこの距離感はどうなのだろう。平行異界第一深層にダイブ中のお二人は半眼のまま対面に座った。ライラはただクロマの真似をしているだけのようだが、圧力は確かに倍増している。


「……ええと、前回の借りも返せてないのにこんなこと言うのは申し訳ないんだけど、今日もちょっとしたメイクをお願いしたいんだ」


「もちろん良いですよっ」


「いつかちゃんとお返しするから。ごめんね」


 紗希が断るなんて有り得ない、ということが分かっていながらこんなことを頼んでいる自分が嫌になりそうだった。出来る限りの形で報いなければ契自身が罪悪感で潰れてしまう。


 紗希は小さく笑って答えた。


「いいえ。紗希は、いつだってせんぱいの味方ですから」


 その表情は、出会ったばかりの彼女からは想像できない種類のものだ。


「ありがとう」


 これほど自分を慕ってくれる後輩のためにも、契は天使に殺されてやるわけにはいかないのだった。

 



 紗希に礼を言って別れ、その後クロマに『大体あんたは』で始まる数十パターンの非難を浴びせられながら家に帰った。そう遠くはないはずなのにずいぶん長い道のりに感じた。


『大体あんたはガードが緩すぎるの! あんな分かりやすい誘惑に流されちゃ駄目じゃない!』


「……いや、別に流されてはいないような」


『接近を許してる時点で駄目なんだから! あ、あんな、あんな近くて、キスでもするのかと思ったじゃない!』


 日常的にはクロマの方がよっぽど近いとも思う。しかし反論する元気はもうなかった。最初の内はクロマと一緒にびしっと契に指を突き付けたりしていたライラも、そろそろ飽きたのかあくびなんかしている。


 ようやくたどり着いた自宅のリビングに入ると、出かける前と寸分違わぬ姿勢で待っていた久我が顔を上げ、わずかに驚いたように眉をひそめた。


「……契か?」


「うん、ただいま。……そんなに迷うほど変わってはいないよね?」


「まあ確かにそうなんだが、髪型ってのは顔の印象を大きく変えるからな」


「久我は僕のことを元々知っているから論外だけど、知らない人ならどう見えるかな?」


「ああ……なるほど。それなら充分誤魔化せると思うぜ」


 契の考えた作戦、その第一段階はこうだ。


 見た目だけでなく、周りのエージェントに契自身を悪魔狩りのエージェント――仲間だと思わせること。


 久我はこのエリアのエージェントについて、『十人以上いるらしい』などと口にしていた。らしい、だ。気になってあとで問い詰めてみたところ、基本的に単独あるいは少数で行動するエージェントは、あまり他のメンバーについて詳しくないようだった。


 久我は約十人の名前と大まかな特徴しか情報を持っておらず、他の人も同様だろうと言う。


 そこである一人の顔が浮かんだ。


 クロマと契が初めて倒したエージェント……彼は悪魔憑きに敗れたエージェントのご多分に漏れず、報告もなしに逃げ出しているらしい。その不在が発覚するのは次の月例ノルマの期限――まだ十日以上ある。


 つまりそれまでの期間なら、成り変われるということだ。


「チャラい大学生みてぇな茶髪とピアス、それと天使に対する性的虐待嗜好持ち……それくらいしか知らねぇからな。お前がそれっぽい特徴を身に着けてあいつだと名乗れば他のエージェントは特に疑う理由もねぇよ。単独で接触すればまあ怪しまれるだろうが、俺と行動するわけだしな」


 ちなみに覚えている限りの――人を見ることには多少の心得がある。それなりに精度は良い方だろう――他の特徴も注文してみたので、彼をよく知る人物でもなければ見破られることはないだろう。


 人間の記憶と言うのは都合の良いもので、一度会ったことがある、くらいの人は目立つ特徴しか記憶しないのだ。細かい部分は再び会ったときに勝手に修正がかかる。


「ちなみにあの人、名前は何て言うの?」


木崎武司きざきたけしだ。そういやあいつも相当な屑だったな」


「……そうだったわね」


 第一深層から抜け出てくつろいでいたクロマが心底嫌そうに唸る。無理もない、あれで嫌悪以外の感情を抱く方が難しいだろう。というかもしかしてクロマが帰り道の間中ずっと契に怒鳴っていたのはこの格好の所為だったのだろうか。失敗した。ルシファーよりはトラウマ度合いも低いはずなのだが。


「……木崎になりすますのは成功したようだし、これから情報収集ってとこか?」


 立ち上がりつつ、久我はライラに何やら指示を出した。ライラの白く細い指先に光が生まれ、それは音もなく浮遊するとクロマの羽根に吸い込まれる。


 次の瞬間には、漆黒に染め上げられていたクロマの羽根は真っ白に上書きされていた。


「ちょ、ちょっといきなり何するのよ! びっくりしたじゃない!」


「必要な処置だろうが。それに痛くもかゆくもない」


「一言あってもいいでしょー!?」


 まあまあと暴れるクロマをなだめながら背中を確認してみる。久我の幻覚は一度体験しているから分かってはいたが、やはり視覚だけではどうやっても見破れまい。どんなに顔を近づけてみても黒かった痕跡などない。完璧だ。


 ふと気が付くといつの間にかクロマが大人しくなっていた。耳まで赤く染まり、少し潤んだ抗議の瞳を契に向けている。


「ちょっと契……近い、よ」


 ……見ようによっては抱き付いているような格好ですね。


 自覚したら恥ずかしくなってきた。


「ご、ごめん。そう、そうだ、まずは情報を集めたい。クロマは今エネルギー切れみたいなものだから、今日のところはライラに思念感知をお願いしたいんだけど……頼めるかな」


 微妙な空気が流れる中、ライラだけは機械的にこくんと頷いてくれた。

 

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