第3話

 魔法糸のアーチを潜り、人気のない市場を走り続ける。ミリアは眼前のグロウを深く観察する。魔力の流れから、魔導具をいくつか持っているのは分かる。だが、強力な魔導具は持っていないようだった。

 ミリアはグロウに訪ねる。


「あなたは戦えるの?」

「君ほどじゃないけど、従者程度の奴らには遅れをとるつもりはないよ。でも、後ろから追ってきてるのは、明らかに勇者だ」


 ミリアも深く頷く。背後にいる刺客は、ぴったりとミリア達を追跡している。振り切れる気配がない。

 二人は入り組んだ市場の迷路を走り抜ける。どうやら、グロウはこの場所を熟知しているようだ。迷い無く市場を進んでいく。

 ミリアはこのままなら、問題なく外に出ることができるだろうと考えた。しかし、その思考を否定するように、背後から鋭利な刃物が飛来する。

 ミリアは自然に『斥力』を発動させ、右手のドレスグローブで弾こうとした。だが、彼女の右手にその魔導具はない。

 彼女はレイドに右手の魔導具を破壊されたことを、しっかり理解していたはずだ。だが、咄嗟に右手を出してしまった。気づいた時には遅い。

 彼女の右手にそのナイフが刺さろうとした。


「危ない!」


 グロウの叫びと共に、ナイフが弾かれる。彼は剣を片手にミリアに言う。


「大丈夫か?」

「ええ」


 ミリアは手を押さえながら内心、冷や汗をかいていた。グロウが助けてくれなければ、右手をやられていた。とんだミスだ。


「ありが……」


 ミリアは、視界の隅に入った何かによって言葉を奪われる。

『電撃』の魔法が宿ったナイフ。それはつい昨日、彼女は見たはずだった。

 つまり、これがあると言うことは……

 ミリアがナイフの飛んで来た方向を見ると、そこには追跡者らしき人間が立っていた。そいつは黒地に黄色で縁取られた外套を、頭を隠すほど深く被っている。手の先には服の裾のような楕円の穴が空いており、中には青白い電撃を纏うナイフがぎっしりと埋まっている。全身から放つ複数の魔力は、それが何かを物語っていた。


「魔導人形」


 ミリアの言葉にグロウが驚きの言葉を漏らす。「あれが、魔導人形か」

 ミリアは眼前の人形を見据える。魔導人形と『電撃』のナイフ。なら、追っ手の正体は分かっている。


「……デミラ」


 そう呟いたミリアの視界に、もう一体の魔導人形が現れた。

 腕を組み、仁王立ちするそいつは、ドラゴンを彷彿とさせる深紅の仮面を付けている。ファーの付いたの外衣の背には、絶えず炎が燃えさかっている。

 どうやら、デミラは今回、複数の魔導人形を用いて、ミリアを殺しに来ているらしい。


「と、とにかく逃げよう!」


 グロウが慌てるように叫ぶと、足をもつれさせながら走り出した。

 ミリアはグロウを追う形で走り出す。

 また、デミラが襲ってきた。あの陰険なストーカーはどうも自分と縁があるようだ。だが、今はあんな奴に構ってる暇はない。一刻も早くファウンドを追わなければならない。でなければ、ファウンドは確実に死ぬことになるだろう。

 ミリアは闘志を燃やしながら、鮮やかなドレスブーツで力一杯地面を蹴った。


ΨΨΨΨ


 闇市場は悲鳴と混沌に包まれる。繰り返される爆発と、突き刺さるナイフの霰。雑多に詰め込まれていた店の数々は、粉みじんになって宙を舞う。

 魔導人形達のせいで、ミリア達は闇市場の出口から遠ざかるはめになっていた。ミリアは焦燥を抑えきれない。こうしている間にも、ファウンドが死に瀕しているかもしれない。彼の元に早く駆けつけなくてはならない。

 だが、魔導人形達はミリアとグロウを逃がさない。適度に攻撃を仕掛けては、すぐに身を引く。まるで、追い込むことだけが目的かのように。

 二人は息を荒げながら一際大きな建物の陰に身を潜める。グロウが呟く。


「少しここに隠れてやり過ごそう。どうやら、彼らは自分たちを見失ったようだ」

「そうかしら? デミラがそう簡単に、私たちを見失うはずがない」

「でも、ここは魔力探知は無力化されているはずだ。だから、俺たちの居場所は分からないはずだけど」

「確かにね。でも、私がこの闇市場にいるって特定してきた以上、油断できないわ」


 二人は肩を並べ、壁にへばりつく。感づかれないように魔力を抑え、息を潜める。

 グロウが再度呟く。


「魔導人形がこんなに厄介だったなんて、知らなかった」

「そうね。全然、壊れないし。動きも読みづらいし。何より、どんな攻撃にも恐れない事が一番やっかいよ」

「確か、バグラムって人がファウンドに協力していたはずだけど」

「それがどうしたの?」

「その人なら、何か対策を知っているんじゃない? その人と連絡はとれないの? 魔導人形の元権威って聞いてたけど」

「彼は……死んだわ」


 グロウはミリアを見つめると、静かに言った。


「すまない……」

「あなたが謝ることじゃないわ。謝罪すべきは機関よ。あとあのクソ野郎」

「クソ野郎?」

「デミラよ。バグラムは実の父を殺したあげくに、散々彼を馬鹿にしてた。きっと、あのクソ野郎は自分で気づいてないのよ」

「何に?」

「自分の方が父親より劣ってるって事」

「彼のどこが、劣ってるんだい?」

「そりゃあ。全部だけど。なにより、魔導具の技術はバグラムの方が上でしょ。アニムを機関の援助無しで発動できる魔導具を開発した訳だし。それに比べて、デミラはバグラムの後追いでしかない。雑魚ね。クソ雑魚」

「そうか」


 グロウは簡素に告げると、そのまま黙りこくる。何か苛立っているような、そんな印象を受けた。


「ここから出た後の話だけど」


 ミリアは話を変えようとそう切り出した。グロウは答える。


「なんだい?」

「どうするつもりなの?」

「新しい隠れ家を見繕ったんだ。そこに一端、避難する」

「新しい隠れ家?」

「昨日、ファウンドは隠れ家が機関に全てバレたって言ってただろう? だから、調べたんだ。そしたら、幸運にも一つだけ気づかれていない隠れ家を見つけた」


 ミリアはそんな虫のいい話があるとは思えなかった。確かに、隠れ家が全部ばれてしまったというのは、ファウンドの推測でしかない。だが、あの鬼畜で神経質そうなレイドがそんなミスを犯すだろうか。


「罠って可能性はないの?」

「実際に行って確かめたけど、機関の姿は見えなかった。確かに罠ってこともあるかもしれないけど、他にあてがない以上、行ってみるしかない」


 ミリアは目を瞑る。これからここを出て、隠れ家に避難する。確かにそれは順当な行動だろう。生き延びるためならば。

 しかし、彼女はもうそんな事は微塵も考えていなかった。だから、グロウに告げる。


「ごめんなさい。折角用意してくれて申し訳ないけど、もう隠れる気はないの」

「どういう事だい?」


 ミリアは真っ直ぐグロウを見つめる。彼は明らかにミリアの行動に戸惑っているようだった。だが、それでもミリアは言う。


「ファウンドを助けにいきたいの。彼は今、一人で戦いに行ってる。彼を一人にはしておけない」


 グロウは考え込むように黙ると、ゆっくり口を開いた。


「つまり、君はレイド達と戦うっていうのかい? あの化け物達と?」

「い……」


 ミリアは喉まで出掛かった言葉を、咄嗟に飲み込んだ。そうじゃないと言おうとした。ファウンドはレイド達と戦う事が、主の目的じゃないと言おうとした。だが、思いとどまる。

 何故、彼はそのことを知らないのか。

 ファウンドに知らされなかったのだろうか。いや、そんなはずはない。ファウンドの目的を達成するためには、グロウの力を借りる必要があったはずだ。その真の目的を聞かなかったとしても、ファウンドの要望にグロウが答えていたなら、気づいたはずだ。ファウンドの本当の目的を。

 ミリアはグロウと距離をとり、目を細める。

 グロウはミリアに露骨に警戒されて気分を害したのか、険のある表情をする。


「どうしたんだい、いきなり。何か気に障る事でも言った?」

「いいえ」


 ミリアはグロウのつま先から、頭の天辺まで目を凝らして見つめた。すると、少しだけ見えた。細くひも状の魔力が彼から出ているのを。それは遠隔で魔導具を操作している確たる証拠だ。

 凝視しなければ分からないほど、微量な魔力。普通なら気づかない。いや、気づかれないように彼は意識して、魔力を絞っていたのだろう。


「あなた何者?」

「何って、グロウさ。ファウンドの従者」

「じゃあ、聞くけど。ファウンドが今、どこにいるか知ってる?」

「正確な場所は分からないよ。だが、レイドを殺しに向かってどこかへ行ったはずだ」


 ミリアは一歩後ろに下がる。やはり、彼は知らない。彼はやはり偽物だろう。しかし、となると本物のグロウはどこに行ったのか。


「グロウをどこにやったの?」

「だから俺がグロウだって!」


 グロウがミリアへと詰め寄ろうとする。


「来ないで!」


 ミリアの拒絶の叫びが放たれる。グロウは険しい表情でミリアに言葉を返す。


「そんな大声を出したら、外の奴らに聞こえるだろ!」

「もう演技は結構よ」

「分かった分かった。どうしたら、信じてくれるんだい?」


 彼は両手を上げて、降参の態度を示す。


「もう、あなたを信じられはしないわ。そもそも初めから違和感があった。あなたは逃げている時、どこか余裕があった。話し方も雰囲気も妙だった」

「……」

「それに、その背中から伸びてる魔力は何? 私に隠して、何かしようとしてるのは見え見えよ!」


 ミリアは、左手を彼に向けて構える。すると、グロウは堰を切ったように笑い出した。


「失敗したなぁ。こりゃぁ。まったく柄でもないことは、するもんじゃぁねぇ」


 彼の声が途端に無機質になる。彼は大仰に手を上げると、首を横に振る。

 その声、その仕草。見覚えがある。ミリアを執拗に追いつめ、苦しめた男。自身の父親を殺し、平然としている男。


「あなた、デミラね」


 彼は大振りに手を叩くと、おもむろに帽子を被った。


「ご明察ぅ。さすが、ライエン家のご息女様。天才は違うねぇ」


 デミラは慇懃無礼にミリアにお辞儀をする。


「お嬢様、私の演技は如何でしたかぁ?」

「大根もいいとこね」

「これはぁ手厳しいぃ」


 デミラは下卑た笑みを浮かべている。相変わらず人をくったような態度だ。

 ミリアは考える。デミラは再度彼女の前に現れた。彼はミリアとファウンドを殺しにきたはずだ。だが、それにしては不思議な事がある。何故、彼はグロウを名乗って現れたのか。彼は魔導人形を使って、安全な場所から攻撃を仕掛けることができたはずだ。にも関わらず、わざわざ生身の身体を晒すリスクを犯してまで、ミリアの前に現れた。

 ただの傲りか。はたまた、理由あってのことか。少なくとも、自分の関知しないことが起こっていることは確かだ。

 ミリアの頭に警鐘が鳴り響く。デミラは何か仕掛けてくる。今すぐここから逃げるべきだ。

 そんなミリアの疑念を馬鹿にするように、デミラは笑う。


「どうしたぁ? 不気味そうな顔して?」

「あなた、随分しつこいわね。もう二度と会いたくなかったのに」

「これは残念。俺が相手だとぉ、不服かなぁ」


 瞬間、ミリアはデミラへと飛翔した。デミラは何を仕掛けてくるか分からない。だからこその先手の一撃だった。

 しかし、ミリアの最速の蹴りは、デミラに到達する前に停止する。


「相変わらず荒っぽいなぁ」


 デミラの背後から、無数の触手が伸びていた。それらはミリアの足に接触すると、彼女の魔力を削った。『魔力吸引』の魔法。その足一つ一つから発せられる紫の魔力が、ミリアの魔力を絡め取る。彼女は遠のきかける意識を必死に引き戻し、即座にデミラと間合いをとった。

 デミラは困ったような顔をする。


「恐ろしいなぁ。気軽に話せやしない」


 デミラの脇に十本の足に長細い頭部の、イカのような魔導人形が控える。ミリアは目を細める。どうやらデミラの操る魔導人形は三体いるらしい。いよいよ、この男から逃げるのが難しくなった。

 彼女の背後にはさきほど遭遇した、ニ体の魔導人形が待機している。ミリアはそれを魔力から感じ取っていた。飛び出すタイミングを計り損なえば簡単に殺される。

 デミラは目を光らせ、広角をつり上げる。


「さあ、状況を把握した気分は如何かなぁ。早くファウンドの所に行きたいのに、行け無いことがわかりました。残念ですなぁ」


 デミラの言うとおり、ミリアは焦っていた。デミラの相手をしている暇はない。だが、デミラは簡単にあしらえる相手ではない。デミラを倒すことに集中しなければ、ミリアは死ぬことになる。

 ミリアは苛立ちながら、デミラに言い放つ。


「あんた、その口、どうにかできないの?」

「これは生まれついての物でね。文句なら俺を育てた親父に言ってくれぇ。まあ、もう死んでるんだがな」


 ミリアは思い出す。デミラの父――バグラムの事を。彼は優しい心をもった老人だった。孤独と嫉妬心に苦しみながら、必死に人生と折り合いをつけて生きていた。しかし、そんな老人は実の息子によって殺された。死ぬ直前まで気にかけていた息子のその手で、息の根を止められた。そんな惨い事があるだろうか。

 ミリアは目の前で、ふざけている男を見つめる。この男はバグラムの事を微塵も考えていないのだろうか。欠片も気にせず他人のように彼を葬ったのだろうか。

 そう考えた瞬間、ミリアは思い至った。デミラがバグラムを意識していない訳がないと。

 ミリアは途端に笑いがこみ上げ、そのまま声に出して笑い始める。


「ふっふふ」


 ミリアの様子にデミラが首を傾げる。


「いきなりどうしたぁ? 気でも狂ったかぁ」

「あなたが何で、生身でわざわざ現れたのか分かったら、可笑しくて」

「それが何故面白い?」

「当たり前じゃない。だって、あんたはバグラムの事が気になって気になってしょうがないから、それを私に聞きたかったんでしょう? だから、さっきわざと、バグラムの事を自分から話題に上げたのよ。バグラムと自分だったら、自分の方が優れていると納得したいためにね」


 デミラはミリアの言葉に聞き入っている。どうやらデミラとしては予期していない答えだったのだろう。

 ミリアはそんなデミラに構わず続ける。


「そう考えると色々と見えてくるのよ。あなたの行動が。雨の中、わざわざ私の前に現れたのも、直にバグラムの魔導人形に触れたかったから。それが自分の魔導人形より劣っていると納得したかったから。だけど、実際は違った。自分の魔導人形よりバグラムのそれの方が優れていると分かったんじゃない? だからあの時、驚いて、私の攻撃に反応すらできなかった。勇者のあなたなら、私の攻撃くらい避けられるでしょう?」

「何を知った口を」

「分かるわよ。あなたの行動は単純。ただの子供だもの。嫉妬心まるだしで、ほんとうに見ていて呆れるわ。そんなに父親より優れていると証明したかったなら、対等な場所でそれを証明すればいいのに」

「うるさい」


 デミラの目がすわっている。彼の怒りが表に現れ始めている。

 ミリアはだめ押しとばかりに続ける。


「やっと本性が現れ始めたわね。あなたはいつも、どこか他人事のように話して、人の揚げ足をとっている。それが達観していることだと勘違いしているようだけど、大きな間違い。すこしつつかれただけで、こんなにも動揺しているのがいい証拠よ」

「うるさいぞ、このクソガキが! 今すぐ殺すぞ!」


 デミラは途端に怒声を放った。ミリアの真を捉えた発言に耐えきれなかったのだろう。すると、はたと気づいたように笑みを作る。だが、顔がひきつって、思うように笑みを作れていない。


「少々声を荒下てしまったぁ。嬢ちゃんは人を怒らせる天才だなぁ」

「あんたの精神が貧弱なだけでしょ?」

「このっ」


 デミラは声を詰まらせる。手が震え、正常な判断を下せそうな様子ではない。

 ミリアはそんなデミラを冷めた目で見据える。


「その痛みはバグラムの味わった物に比べれば、ほんの僅かなものよ。知るといいわ。本当の痛みってものを。もう、あなたが自分の殻に籠もることを、私は許さない」

「そうかぁそうかぁ。そんなに俺に殺してほしいのかぁ」

「ええ、やれるもんなら……」


 ミリアの内包された魔力が一気に吹き出す。彼女の怒りが金色の粒子となって、蠢き蜷局をまく。


「やってみなさいよ!」


 その言葉と同時にミリアは、高密度の魔力を放ち地面を蹴った。


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