第5話

 ファウンドは宙を舞い、ミリアは空を駆ける。金色の光と深紅の光が交互に発光し、螺旋を描く。

 エリクマリア市場区の端。街を二分する巨大なセイム川の近くで、二人の逃亡者は追っ手を撃墜しながら、疾走していた。

 二人は満身創痍。そのはずだが、機関の先兵たちはまるで歯が立たないでいた。


「何なのこいつら!」


 聖騎士の格好をした女勇者が嘆く。三人の女勇者達の内の一人だ。だが、今は彼女しかいない。一人は瀕死の重傷で離脱。一人はファウンド達を追う最中で、はぐれてしまった。

 女勇者は豪雨で増水した川の濁流を操りながら、彼らに向けて水流を放つ。しかし、それは煉瓦を弾き、住居を破壊するだけ。彼らに当たる気配はない。彼女の放った攻撃の数々はことごとく外れ、街の外観を破壊するだけだ。

 四散した街の破片を縫うように、彼らは飛翔し駆け抜ける。まるで、女勇者の攻撃を意に介していないようだ。

 彼女は歯がゆさからか、大声で叫び散らす。


「まともに殺り合いなさいよ! ふざけんじゃないわよ!」


 しかし、まるで彼らは取り合わない。ファウンドもミリアも、他の追随を許さないスピードで移動している。追いすがるのがやっとだ。

 派手に戦闘を繰り返しているせいか、周囲から勇者が集まってくる。しかし、二人の早さに追いつけず、すぐさま引き離される。

 片や空間を転移し、片や瞬く速度で飛び跳ねる。彼らの移動速度は異常すぎる。

 女勇者は『水流』のアニム使いだ。そのため、川の流れに乗ることで、それの速度で移動することができる。だから、彼らに何とか追いつけていた。

 女勇者が青い魔力の伴った剣を掲げると、複数の竜を象った水流が生成された。狙うはミリアだ。

 ちょうど飛び跳ねたミリアに向けて、女勇者は水流を放つ。ミリアに四方から水竜が牙を剥いた。

 しかし、彼女に水流が当たった瞬間。全ての水流が弾けた。『斥力』の魔導具だ。

 本来ならアニムの出力が上回るはずである。だが、それを弾くということは、ミリアの魔力量が桁外れだという事を意味していた。


「嘘でしょ! 勇者の魔力を凌ぐなんて冗談じゃないわ!」


 女勇者はいきり立つ。それもそうだ。今、軽くあしらわれたのは、勇者の本気の攻撃だ。それを造作もなく勇者でもない人間にやられたのでは彼女の面子がたたない。


「このクソ尼!」


 女勇者が再度、水流を発生させた。しかし、彼女の耳に水の濁流の音に混じって、深い重低音が聞こえた。咄嗟に剣を構える。だが、遅い。

 ファウンドの一太刀が女勇者のわき腹を叩き、彼女は川から街路に叩き出された。

 地面を何度かバウンドする。


「クソ、クソ、クソ!」


 女勇者は怒りに震え、すぐさま立ち上がろうとした。しかし、彼女の頭上から落下してくる陰によって、それは遮られた。

 金色が女勇者の右足に落下する。それはさながら神の振り下ろした鎚のようだった。

 ミリアの重力を伴った強烈な一撃は、女勇者の右足を完全に破壊する。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁ」


 地面もろとも、女勇者の足を砕いたミリアはすぐさまそこから離脱した。女勇者はそのまま意識を失った。


ΨΨΨΨ

 

 最初は怖かった。他人に殺意の目で見られる。それは耐え難い恐怖を、ミリアに与えていたはずだ。しかし、今はどうだろうか。今までの比ではない人数が、ミリアとファウンドを追いかけている。暗部が勇者達が、我こそはとこぞってミリア達を殺そうとしている。にも関わらず、ミリアはまるで恐怖を感じていなかった。理由はファウンド。彼と共に戦っているからだ。彼がいれば誰にも負けない。そう思えた。

 ファウンドとは相容れない部分も多い。だが、戦闘だけはやりやすいと感じていた。お互いに相手がどのように行動するかが、何となく想像できるからだろう。おかげで、ファウンドとは連携がとりやすかった。

 ミリアは足の疲労で、時折地面を踏み外し、前のめりに倒れかかってしまう。暗部はチャンスとみて、ミリアに殺到してくる。だが、そういう時こそファウンドはめざとく、暗部の死角をつく。

 暗部の身のこなしは軽やかだ。勇者達に比べ一撃は軽いものの、攻撃を当てるのは難しい。しかし、死角からの攻撃はその限りではない。

 計ったかのように、ファウンドは暗部の頭上に現れると、刺突を繰り出し彼らを無力化する。おかげでミリアは何度も危機を脱することができた。

 そんな周到なファウンドだが、彼はミリアとは比べものにならないほど深手を負っている。逃走の最中、着実に動きが鈍ってきているのがありありと見て取れた。勇者達を前にして、急に立ち止まり吐血することもある。そういう瞬間を周囲の勇者達が見逃す訳もなく、アニムや魔導具を駆使して襲ってくる。

 だが、その猛攻をミリアが許すはずもない。彼らの懐へ一挙に近づくと、掌底をたたき込む。そもそも、ファウンド以外を危険視していない奴らが多い。そのため、ミリアは容易に彼らを叩き潰すことができた。

 二人は疲れ果てているはずだった。だが、この思わぬ連携力で、敵を苦無く退けることができている。

 もしかしたら、彼と勇者従者の関係だったら最強のタッグだったんじゃないか。ミリアはそんなありもしない妄想をしながら、ファウンドの黒い背中を見つめた。


ΨΨΨΨ


 逃走を初めて一時間以上が経過した。未だに、セイム川に沿って、ミリア達は高速で移動している。ファウンドはこの先に隠れ家があると言っているが、追っ手を完全にまかない限りは、隠れ家に近づけない。だが、移動する度に新たな勇者に発見されてしまう。どうしたものだろうか。

 雨を止みはじめている。そのため、少しずつ街に人が顔を出し始めていた。争いに巻き込んでしまうのではと、ミリアは考えずにはいられない。できるだけ、彼らを避けるように行動するべきだろう。

 ミリアは隣を駆けるファウンドの横顔を見る。彼はゾフィアに身体の大部分を浸食されているようだった。その証拠に、顔の半分近くがゾフィアの触腕に犯されている。だが、彼は苦痛をおくびにも出さないでいる。

 彼をそこまで突き動かす感情は何だろうか。復讐か、愛か。どちらにせよ、彼はそれに取り付かれている。それが、彼の全てであるかのように。

 ミリアがファウンドに視線を向け続けていると、急にファウンドは立ち止まった。

 ミリアも急ぎ停止する。『斥力』を前方の地面に向けて放出して、噴煙を巻き上げながら、ミリアはファウンドへと目を向けた。


「どうしたの? 早くいかないとまた機関に追いつかれるわよ」


 背後を見ると、遠くにちらほらと暗部の姿が見える。だが、それ以外の追っ手はほとんど巻いていた。


「ダメだ。引き返す」

「え、どうして? 隠れ家は?」

「おそらく、全て潰されただろう。迂闊だった」


 ファウンドは話しながら一点を見つめている。ミリアもそれにつられて、ファウンドの視線の先を見た。そこには銀髪で真っ赤な鎧に身を包んだ男が歩いていた。深紅の魔力が彼の身体からゆらゆらと上っている。

 ミリアは息をのむ。おそらく百メートル近くは離れているだろう。だが、そいつが目の前にいるように感じられる。それほどに、殺気を肌で感じた。ただ者じゃない。今までの勇者とは明らかに格が違う。

 ファウンドはミリアを横目で一瞥してから、叫ぶ。


「逃げるぞ!」


 ミリアがそれに答えようと口を開いた。だが、彼女より先に、違う誰かが返事をする。


「誰から逃げるのかしらぁ! 勇者殺しさぁぁん!」


 ファウンドの足下から剣が突きでる。それがファウンドに到達する前に、深紅の光を明滅させて彼は消えた。


「もう、あとちょっとだったのに」


 言葉と共に剣の持ち主が姿を現す。そいつはミリア達を執拗に追ってきていた三人の女勇者の内の一人。彼女は地面の中から、地上に顔を出した。

 彼女は地中を移動できるのだろう。そういうアニムの使い手だ。


「うりゃぁぁぁぁぁ!」


 ミリアは女勇者に向かって跳び膝蹴りを放つ。


「おっと」


 女勇者は即座に地面に隠れた。


「元気なお嬢ちゃんだこと」


 女勇者は姿を見せない。やっかいな相手だ。こいつに構っている余裕があるだろうか。

 ミリアは真横から強いプレッシャーを感じていた。あの得体の知れない勇者が近づいているのだ。焦燥感がミリアを包む。

 ミリアは金の魔力を放出し一気に後退した。今はともかく逃げることが重要だ。


 彼女は背後を見ながら街路を駆ける。ファウンドの姿が見えないが、どこにいったのか。

 ミリアが視線をさまよわせていると、正面から暗部が突撃してきた。暗部はナイフを振りかぶっている。

 ミリアは即座に回避行動をとろうとした。しかしその時、路地から子供が飛び出してきたのが視界に入る。しかも、暗部はそれに構わずナイフを投げた。

 ナイフの軌道から子供に当たるのは明らかだ。ミリアはそれに気づいた瞬間、自然と前に飛び出していた。


「放っておけ!」


 ファウンドの声が彼方に聞こえる。ミリアの中に見殺しにするという選択肢はない。

 ナイフより先にミリアは子供を抱えた。子供を守ろうと抱き寄せる。そして、ナイフは彼女の眉間に迫る。避けることはできそうにない。

 だが、ミリアは寸前で『斥力』を発動した。ナイフは跳ね返り、暗部の足に突き刺さる。


「がぁ」


 暗部の呻きを尻目にミリアは子供の様子を確認する。子供は目を丸くしている。よほどの衝撃だったのだろう。

 ミリアは安堵する。子供は傷つかずに済んだみたいだ。良かった。

 右手の広い路地から、子供の親だろう二人が血相を変えて走ってくる。ミリアは子供を離すと叫んだ。


「早く逃げて!」

「は、はい!」


 子供の両親は愛しそうに子供を抱き上げると、走って逃げ出した。

 ミリアは暗部に視線を向ける。彼は倒れて動かない。気絶したのだろう。

 ミリアは今度は人がいない場所に逃げようと、周囲を見回した。だが、それを遮るように女勇者の声が響いた。


「はあ、私も焼きが回ったのかしら」


 ミリアは振り返る。

 家族の前に女勇者が立ちはだかっていた。彼女は何をするつもりなのだろう。


「こんな手は趣味じゃないけど」


 女勇者は家族に向けて剣を突きつける。


「こうでもしないと、あんた達を止められそうにないし」


 女勇者はため息をつきながら、ミリアを見る。


「さあ、どうする? 投降してくれれば、この家族は助けて上げるけど」


 ミリアは歯噛みする。女勇者は家族を挟んで反対側にいる。攻撃しようにも、家族が邪魔だ。

 目の前の子供が泣き始める。怖い怖いと母親に抱きついている。母親は落ち着かせようと子供を抱いている。子供の父親が二人を守るように前に出た。


「人質だけなら私だけでいいだろう?」

「あらいいお父さんね。そうね。あなただけでいいかも。子供を殺すなんて後味悪いしね」


 女勇者が母親に目を合わせ、早く行けと指示する。母親は子供を連れてその場から離れた。


「さあ」


 女勇者がミリアを見つめる。


「どうする? できれば私も家族の前で父親を殺したくない」


 女勇者はその父親の首に剣を押しつける。ミリアは思い悩む。無関係の人間を巻き込んでしまった。彼を死なせる訳には絶対いかない。だけど、このままむざむざと掴まれば、機関によって私は殺されるだろう。

 ミリアは悩んだあげく、手を上げた。


「人の命には代えられないわ」


 ミリアは降伏の姿勢を見せる。今は彼女の要求に従った方がいい。隙を見て、父親を逃がせるかもしれない。

 女勇者はミリアの様子に安堵したのか、微かに力を抜いた。それを彼は見逃さなかった。

 空気が強烈に振動すると、銀の軌跡が空を切った。

 女勇者の腕がアニムと共に切り飛ばされる。


「ああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 ファウンドは間髪入れず女勇者の腹を聖剣シールの柄で殴打した。

 女勇者はもがきながらその場に倒れる。

 ミリアはあまりの手際に目を瞬かせる。少しでも手間取れば父親は死んでいただろう。ファウンドは父親を助ける最適のタイミングで、女勇者を攻撃した。

 父親も何が起こったか分かっていない様子で、口を大きくあけたまま立っていた。

 ミリアは彼に言葉をかけようと口を開いた。


「ファウンド」

「早くそいつの息の根を止めろ!!」


 ミリアの言葉を遮って、焦った様子でファウンドが叫んだ。

 ミリアは咄嗟に背後を見る。そこには気絶していたはずの暗部がナイフを持っていた。

 彼はその視線をミリアでもなくファウンドでもなく、遠くに向けている。完全にやぶらかぶれにナイフを放とうとしている。下手をすれば家族に当たってしまう。

 ミリアは暗部の頭部に向けて蹴りを放つ。それは見事に彼の顎にたたき込まれた。だが、ナイフは彼の手を放れ、投擲されてしまう。

 ミリアは振り向く。ナイフは危惧したとおり親子に向かって飛んでいった。ミリアの心臓が早鐘を打つ。まずい、彼らが死んでしまう。

 母親は子供に覆い被さる。子供を守ろうとしている。しかし、無情にもナイフは親子に迫り、そして……

 重低音が響いた。


「ここは危険だ」


 荒い息をしながら、ファウンドが呟いた。彼の左腕に弾かれて、ナイフが地面に転がっている。彼は身を挺して家族を守った。


「早く行け!」


 ファウンドの鬼気迫る形相を見て、母親と子供はすぐさま立ち上がり駆け出す。父親はファウンドに軽く会釈すると、二人を追って走っていった。

 ミリアは未だに納まらない心臓を落ち着けようと深呼吸を繰り返した。

 ミリアは逃げていく家族を見ながら思う。自分は足手まといだった。暗部が気絶していないことに気づきもしなかった。ファウンドがいなければ家族は死んでいた。

 ミリアはきつく拳を握り、ファウンドを見る。ファウンドは肩で息をしている。アニムの連続使用で魔核に負担がかかっているのだろう。

 彼は人殺しでありながら、必死に人を救った。ミリアよりも遙かに上手く人を救った。彼なら多くの人を助けることができるだろう。それでも彼は救える人間は限られているという。彼ほどの実力がありながらそう言わしめるほど、現実は無情なのだろうか。

 彼は復讐のためなら、悪行だろうとなんだろうとすると言った。だが、彼は本心ではそんなこと、したくないのではないだろうか。彼が家族を救おうとする必死さ。それを目の当たりにすれば、そう思わずにはいられない。彼の本質は誰よりも正義の味方らしく、誰よりも勇者らしいのかもしれない。

 ミリアはファウンドから家族へと視線を移す。

 どうか、彼らが今後、こんな戦いに巻き込まれずに幸せになれますように。ミリアは神に願った。

 雨はいつの間にか止んでいた。雲の合間から光が射し、街路を朱く染める。

 ミリアとファウンドは家族を見つめる。その家族の将来を願い、幸せを見守るように。

 そして……


 父と母と子供の頭から鮮血の花が咲いた。

 

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