第3話

 足を引きずりながらミリアは懸命に歩く。彼女の逃げた先には使用されなくなった下水道があった。彼女の放った魔法が奇跡的に旧下水道への道を繋げたらしい。迷路のように入り組んだ水路が、彼女を安心させる。これなら容易に見つかりはしないだろう。

 ミリアは暗闇の中、明かりも付けずに壁を伝って歩いている。明かりを付ければ自分のいる場所を教えているも同然だからだ。廃棄された下水道だけあって、明かりはまるで灯っていなかった。

 彼女は闇に眼が慣れてくると、自分の魔導具が放つ微かな魔力で、周囲の様子が見えるようになってくる。

 彼女は丁度いい窪みを発見すると、そこに座り込み息を整えた。下水道に満たされた冷えた空気が彼女の頬を撫でる。

 彼女は考える。自分を追っていたのは、仮面の男達だと思っていた。いや実際、そいつらも追っていたのだろう。だが、きっと工房を飛び出した当初から追跡してきていたのは、あの容赦のない男だ。狙撃用の魔導具を持っていたことから、それは明らかだ。

 彼が勇者だとすれば、正面から挑んで勝ち目はない。どうにかして、逃げるしかない。

 そんな思考をしながら、ミリアは傷に応急処置を加える。

 持っていた最後の医療用魔導具を使う。足の傷が塞がり、流血が止まる。これで軽く走る程度なら、問題ないだろう。

 現在彼女の持つ魔導具は、追っ手が放った『電撃』のナイフが一つ、人を監視するための魔導具であるフーウィルが一つ。それと、身につけているドレスグローブとブーツだけだ。

 彼女は目を瞑り、深く息を吐く。彼女は静かに自問自答をする。自分はどの立ち位置にいるのだろうかと。正義なのか、悪なのか。どの場所にいるのだろうかと。

 この逃走の最中に起きた出来事は、彼女を打ちのめすのに十分すぎるほどの衝撃を与えた。彼女はその目まぐるしい出来事を一つ一つ、直視する気にはならなかった。恐怖が、信じたくないという気持ちがそれを阻害していた。

 だが、今は違う。機関が父を騙していると知って、追っ手の粗暴な人物像を見て、ミリアは怒りを感じずにはいられなかった。機関や勇者のあり方があまりに悪のそれで、ミリアは許せなかった。それが彼女に現実を見る力を与えた。


「あの男が勇者だったなら、それはおかしい」


 デミラの造作もなくミリアを傷つける姿。人をくったような態度。彼が目の前にいた時は、恐怖しか感じなかったが、今思い出すと腹立たしいことこの上なかった。

 この極限的な状況下で、捨て鉢になっているだけかもしれない。だが、少なからずミリアに気力が戻っているのは確かだった。


「奴に聞かないと」


 ミリアは決意する。彼が勇者であるかどうかと、彼の行動の真意。それを聞きだす必要がある。

 彼女はおもむろに立ち上がった。その時、彼女の背後の壁から腕が生えた。


「ひっ」


 それは壁を砕いて突き出している。そのまま、その腕はミリアの腕を掴んだ。


「何!」


 ミリアは混乱し、腕を振り払おうとする。だが、まるで離れない。むしろ、彼女の二の腕を握りつぶす勢いで、締め付けてくる。

 彼女は慌てて『斥力』を腕めがけて放った。腕は異様な方向に曲がり、たまらず彼女から手を離した。

 腕はまるで蛇のように、壁に空いた穴へと戻る。その穴からは微かな光が漏れている。どうやら、隣接する通路から壁越しに、追っ手が攻撃してきたようだ。

 ミリアは壁から離れ身構える。あの腕は完全に魔導石だった。彼も魔導石で身体を置換してる。それにしてもどうやって、自分の居場所を特定したのだろうか。追っ手の執拗さには何か秘密がある。もし、常に自分の居場所を把握できるような魔法を使用しているなら、もう逃げるのは無意味かもしれない。

 ミリアが追っ手の出方を伺っていると、今度は穴から巨大な球体が転がり出てきた。

 それは複数の色を発光させると、宙に浮かび上がった。

 ミリアは眉をひそめる。周囲に漂う魔力のせいで、その魔導具の魔力を見分けることができない。だが、その雑多な光の色を見れば一目瞭然だった。思い当たることは一つ。


「魔導人形……」


 ミリアは全力で『斥力』を発動させた。その場所から瞬く速度で離脱する。だが案の定、宙に浮かぶ魔導人形はミリアを追尾してきた。

 ミリアはその魔導人形の追跡を振り払おうと、全力で移動し続ける。だが、暗闇の中で移動するには彼女の移動速度はいささか早すぎた。彼女は目の前に迫る壁を避けられず、そのまま激突する。

 そして、遅れて飛んできた魔導人形は強烈な光を発しながら、猛烈な爆風を吹き出し、下水道を赤く染めた。


ΨΨΨΨ

 

 至る所で火がくすぶり、下水道の闇を払う。

 デミラは瞳を緑色に光らせながら、注意深く周囲に視線を向ける。

 彼が放ったのは、自爆式の魔導人形。狭い場所では、例え機能が分かったとして避けられるものではない。そこらで気絶しているか、もしくは重傷で倒れているだろうとデミラは思っていた。


「嬢ちゃーん。迎えにきましたよー。居たら返事をしてくれねぇーかい」


 デミラの言葉は下水道に木霊するだけ。誰の反応も返ってこない。

 デミラは自爆した魔導人形の欠片を拾い上げる。


「ここらに居るはずなんだけどなぁ」


 そうデミラが呟いた時、彼の右手側から複数の瓦礫が飛んできた。それが彼の身体に何度も叩きつけられる。常人なら身体に無数の打撲が出来るほどの威力だが、彼は煩わしそうに手を振るだけだ。

 デミラは物が飛んできた方向見ると、そこに少女はいた。

 輝く金髪と透き通った肌は、今や泥と埃で汚くクスんでいる。彼女は水路の窪みに身を隠し、爆風を凌いだようだ。


「本当に幸運に恵まれてるねぇ」

「あんたに聞きたいことがあるわ」


 デミラはミリアの瞳を見る。彼女から強い覇気を感じる。先ほどまでは、死人のような顔をしていたはずだが。

 デミラは大仰に両手を広げる。


「おいおい。先に俺の質問に答えてくれよ?」


 そのデミラの言葉を無視して、ミリアは問いかける。


「あなたは勇者?」

「どうだろうなぁ? 一応、肩書きは勇者だな」


 ミリアの顔がより一層険しくなる。

 デミラは、気迫を取り戻した少女を観察しながら考える。どうやら彼女はご立腹らしい。しかし、どうも腑に落ちない。どうしてこの少女はこの状況で、そんなどうでもいい事を聞くのだろうか。

 ミリアは再度、デミラに答う。


「あなたにとって、勇者ってなに?」

「っふっふっふ。今度は勇者とは、ときたか? その次は人生とは何かとでも聞くのかい? 幸福とは何かとか? 俺の価値観を聞いて、何の意味があるんだ」

「あなたが本当の勇者かどうか知りたいの。答えによっては、ファウンドの居場所を言ってもいい」

「なるほどなるほど。俺は自分が勇者だと証明しないといけない訳か。嬢ちゃんは俺の必中の攻撃を三度も退けたからな。その幸運に免じて答えてやろう」


 デミラはわざとらしく頭上を見上げ、自分に酔っているかのように愉悦の表情を浮かべる。


「勇者は正義の象徴……とでも言ってほしいか? だとしたら残念。勇者はそんな代物じゃない」

「ならなに?」

「資格だよ。アニムを使うための資格。機関に従順な態度をとれて、世間の想像する勇者像を演じることができて、そして幾らかの戦闘の素質さえあれば誰でもなれる。そんな存在さ」

「最低ね」

「最低? 嬢ちゃんは随分と夢見がちと見える。これは事実さ。まぎれもないな。勇者を決めるのは、一般的に言われている『正義の心』だと本当に思ったのか? それが勇者機関が見定めているとでも? まったく笑える話だ。機関は勇者の選定に、そんなことは、まるで判断基準にしていないというのにな。そもそも、勇者の半数が元傭兵だって知ってるか? 勇者が台頭するようになって仕事を失った傭兵達は、自分たちが勇者になるか、それとも夜盗になるかしか無かったわけだ。勇者になれば仕事に困ることはない。奴らも必死に勇者になれるように努力したのさ。もともと、戦闘に身を置いていた奴らだ。そこらの素人よりよほど腕が立つ。奴らは正義を志して勇者になった訳じゃない。生きるために勇者になった」 

「例え生きるために勇者になったとしても、悪行を肯定することにはならない」

「悪行をしないで、どうして勇者が勤まる? 魔物を殺して、人を殺して。勇者はつまるところ、生物を殺すことに特化した職業だ。そんな人間が正義の殉教者になれる訳がないだろう」

「あなたは問題をすり替えているわ。自分の過ちが、さも全ての勇者の問題のように言っているけれど、そうじゃない。例え勇者の半数が傭兵だろうと、人や魔物を殺す職業だろうと、人を思う気持ちを持った勇者はいるわ。それが本来の勇者のあり方で、あなたはそこからかけ離れてる。あなたは人の命を何とも思ってない。あなたは他の勇者とは断じて違う」

「どこから、そんな自信が来るんだ? お前は本当に勇者を見てきたのか?」

「それは……」

「おしゃべりは、ここまでにしておこう。俺も時間に余裕があるわけじゃないんだ。さあ、ファウンドの場所を教えてくれ」

「言わないわ」

「おいおい約束が違うぜ」

「私は勇者に答えるって言ったの、あんたみたいなゲスに答える事は何もないわ」


 デミラは激しい苛立ちにかられる。とんだ遊びに付き合わされた。時間の無駄だ。この小娘は最初から答える気なんてさらさらなかった。もうファウンドの事は後回しだ。こいつを早く殺そう。

 彼はミリアを蔑むように見下ろすと、ミリアに言葉を吐いた。


「……まあいいさ。もう、容赦はしない。貴様もあの老いぼれのように、惨めに地面で這い蹲って死ぬといい」

「何ですって?」

「あのボケた老人だ。俺と血縁だなんて嘘みたいだ。本当に残念な男だった」

「あなた、もしかして……」

「おや、聞いてなかったかな。そうか自己紹介がまだだったな。俺の名はデミラ。デミラ・バグラムだ。以後よろしく」


 ミリアは眼を見開く。そんなミリアを前にデミラは嘲笑しながら語る。


「最後まで自分の技術が唯一無二の物だと思っていたみたいだな。お前も知ってるだろ? 魔導人形も魔導石の置換も機関ではすでに運用されている。俺が開発したものがな。父さんは勝手に機関の先を越したと思っていたみたいだが、大間違いだった訳だ。笑えるだろ?」


 デミラは老人の最後を想像し笑い続ける。ミリアはその間ずっと沈黙していた。


「悲しいなぁ。本当に無意味な人生だったんだなぁ。しかも、ファウンドなんかと組むだなんて、頭が悪いとしか思えない」


 話続けるデミラはミリアの様子を見ていなかった。ミリアがいったいどんな表情を浮かべているか見ていなかった。


「あなたは絶対に勇者じゃない」

「いいや、俺は勇者だ」


 デミラがミリアを見る。すると、彼女を囲むように瓦礫が宙を漂っていた。薄暗い下水道が彼女の魔力によって照らされる。金色の魔力が彼女の周囲を旋回し、彼女の荒ぶる感情を表現していた。

 デミラは意識を切り替える。今、目の前にいるのは今まで対峙していた小娘ではない。魔力量も発する覇気も、勇者に相当する。

 デミラは自分を恥じる。どうやらいたずらに、眠れる獅子を起こしてしまったようだ。手早く息の根を止めるべきだった。これはやっかいな事になった。


「決めた」


 彼女は俯いていた視線をデミラに向ける。その瞳に映る金色の業火が、デミラを射抜く。


「あなたを絶対に叩きのめす」

「出来るかな?」


 幾ばくかの沈黙の後、二人は同時にその場から跳躍した。


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