第三章「私の神様」2/3

 私は最近、密かにセンサーと瞬間移動の練習をしていた。

 センサーの方は、元々周囲にいる精霊の気配を探ることができる程度には素地があったので、それを拡張すればいいとして、問題は瞬間移動の方だ。

 やり方は、小一の頃リコがしぶしぶ教えてくれたのを、一字一句漏らさずアカシックレコードに記録してある。一歩間違えたら周囲を巻き込む大爆発、一手間惜しめば圧死する、そんな危険な技なので、リコには「絶対に真似しないでくださいね」と釘を刺されていた。

 あれから四年経つ。もう技術的には瞬間移動も可能なのに、リコが私にその練習をさせないのは、きっと戦いについてこられないようにするためだ。そういう扱いをされると、逆についていきたくなるものである。

 だから私は、勝手に瞬間移動を習得してしまっていた。

 瞬間移動はその性質上、移動距離によって難易度が変わることはない。センサーの範囲内ならどこへでも行ける。精霊による災害なんて少ない方がいいに決まっているが、私はある意味では、近場に精霊が出るのを待っていたのだ。

『瞬間移動の基本は、自分の体の位置情報を書き換えることです。そのために、まずはセンサーを広げて、移動先の座標を取得します』

 リコの言葉を思い出しながら、稚拙なセンサーを展開する。どうせ今日も空振りだろうけど、まあ練習も兼ねて――

「……!」

 いるじゃん、精霊!

 この方向だと、隣の市だろうか。近いけれど、私にとってはぎりぎりの距離。

 感度がいまいちなので、強さはよく分からない。

『瞬間移動自体は、センサーで取得した座標を自分の体に書き込めば終わりです。ですが、それをやってしまうと大爆発が起こるので注意が必要です』

 手に汗が滲む。ここ数か月夢想していたことが、ようやく実行できる。

『そのまま瞬間移動した場合、移動先にあるものが自分の体の体積分光速で押しのけられ、とんでもないエネルギーが生まれると考えられます。ですからそうならないために、自分の体に「周囲に影響を与えない」という情報を書き込んでおく必要があります』

 私は胸に手を当て、少しずつ外界とのつながりを遮断する。光や音も私の体をすり抜けていくので、段々暗く、静かになっていく。

 息ができないけれど、焦ってはいけない。

『影響力を完全に抑えたら、取得した座標を自分の体に書き込みます』

 ……よし。多分今、隣町に来ているはず。見えないから確証はないけれど。

『移動後すぐに影響力を戻してはいけません。もしそこが壁や土の中だったら、潰れてしまいますからね』

 まずは落ち着いて周囲の状況を確認する。こればかりは低コストな精霊センサーや熱センサーではだめだ。範囲は狭くていいから、フルスキャンする。

 空中にいるようだから、少し高度を下げて……。

 これでアパートらしき建物の屋上に足が着いた。

 影響力を抑える力を弱めると、徐々に感覚が戻ってくる。一瞬目が眩み、重力や空気の存在感を思い出す。

 息を吐いた私の目に飛び込んできたのは、百メートルほど先で荒れ狂っている巨大な精霊の姿だった。

「ア……ア……ア……」

 おぞましい呻き声を上げてのたうち回り、その巨体で民家を押し潰している。それはほとんど正気を失っているように見えた。溢れ出した精霊力が、街を侵食するように広がっていく。

 そのそばで、見覚えのある金色がひらりと舞った。――リコだ。

 リコは隣の建物に伸ばされた精霊の腕を弾き飛ばした。しかしもう一方の腕で、守ろうとした建物ごと薙ぎ払われてしまう。

 瓦礫が地面に落ちるより早く、瞬間移動で精霊の頭上に現れるリコ。そのまま青い折り畳み傘を振り下ろし、無防備な背中に一撃を決める。

 本来物体はエネルギーの塊である精霊の体をすり抜けるが、リコが精霊に干渉する意志を持って精霊力を操っているので、傘はがりがりと精霊の体を削りながらその輪郭をなぞった。

 地面に降り立ったリコは、間髪入れずに精霊に傘を突き立て、一気に力を注ぎ込む。

 その清らかで鮮烈な光は、リコの生命そのものであるように感じられた。

 明滅が収まる頃には、精霊は私が初めに見た時の半分程度の大きさになっていた。それでもまだ、四年前に私の街を襲ったあの竜巻の精霊よりずっと大きい。リコは再び武器を構えたが、精霊が軽く腕を振るっただけで跳ね飛ばされ、何メートルも転がっていく。

 まるで、癇癪を起こした子供に投げ捨てられたおもちゃのように。

 リコはそのまま動かなくなった。

「――リコ! リコ!」

 私は思わず叫びながら建物から飛び降りていた。駆け寄っても、起き上がる様子はない。近くにひしゃげた折り畳み傘が落ちている。

 精霊は動きを止め、ぎこちなく首を傾げた。

「ア……ア……わたし……なにがしたかったんだっけ……」

 精霊の口から初めて言葉が出る。苦痛の元でもある精霊力が減ったことにより、少しだけ理性が戻ったのかも知れない。

 しかし、漏れ出ている感情のエネルギーが、私にその精霊の悲しき正体を知らしめた。

「わたしのすきなもの……たいせつなもの……おもいだせない……」

 それは、代替可能な歯車として扱われ、社会に磨り潰された人間の、堪えがたい虚しさだった。

「なにをしてもたのしくない……なにもかんじない……いきていても……」

 いくら意識がはっきりしたところで、救いなどありはしない。

 彼女の心は元から死んでいた。

 心を殺された人間から生まれた精霊なのだから。

「ア……ア……」

 自重で潰れるかのように、精霊の意識はまた深い闇の底へと沈んでいく。

 そして、私に気づいたのか、それともリコにとどめを刺そうとしているのか、のそのそとこちらに這い寄ってきた。

「やめて! リコに触らないで!」

 私はとっさにリコに覆い被さった。

 息の詰まるような衝撃。精霊の大きな掌が背中に叩きつけられ、べしゃりと嫌な音がした。

 私は歯を食いしばって耐える。壊れない。壊れない。私は「壊れない」……。

 精霊はなおも私たちに腕を振り下ろす。殺意が私たちを侵そうとする。その干渉に必死で抵抗する。自分の中の精霊力が、今までに経験したことのない速度で消耗していくのを感じる。

 土煙の中、腕の中のリコを見やる。ぐったりとしているが、息はあるようだ。よかった。思わず笑みがこぼれる。大丈夫、大丈夫だよ。

 一緒に帰ろう、リコ。

 私はもう逃げることしか考えていなかった。逃げ遅れた住民のことなんて頭になかったし、ましてやこの精霊に立ち向かおうなどという気持ちは微塵も起こらなかった。

 精霊に押さえつけられながら、瞬間移動を試みる。

 しかし、私の力量では攻撃を防ぐのに精一杯で、頭が上手く回らない。

 ああ、だめだ、このままじゃ。

 絶望で目の前が真っ暗になったその時、リコが小さく身じろいだ。

「リコ……」

 リコはぼんやりと目を開けて、今にも泣き出しそうな私の顔を見る。

 それから私たちを押し潰そうとしている精霊を見る。

 リコは何も言わず、そっと私の頬に触れた。

 手から微弱な精霊力が流れてきて、私の体に情報が書き込まれていく。

 リコの力の使い方は、無駄がなく美しくて、心地いいような気すらした。

 一瞬感覚がなくなって――気づいた時には、私は自分の部屋のベッドの上にいた。

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