第三章 私の神様

第三章「私の神様」1/3

 寝る前に、いつもリコのことを考える。

 誰よりも可愛くてかっこいいリコ。優しくて勇敢なリコ。

 あの冒しがたい透明さを思う。

 今もリコに守られていることを意識する。

 幼い頃は、そうして安かな眠りにつくことができた。


 リコと友達になった次の日、リコは約束通り私に会いにきてくれた。それも、普通に我が家のインターホンを押して。

「ミカゼちゃんに上級生のお友達がいたなんてね! それもすっごく礼儀正しくて、しっかりしてて。お母さんびっくりしちゃった」

 この地域では外国人の子供もそれほど珍しくないので、母は学校の友達だと思ったらしい。上機嫌で私を送り出してくれた。

「こんにちは、ミカゼさん」

 明るいところで見るリコは、髪も肌も眩いばかりに輝いていて、抱き締めたくなるような可憐さだった。どうしてこの人はこんなにも綺麗なのだろう、謎が深まるばかりだ。

 私たちはまず、昨日私から生まれた精霊が傷つけてしまった男性のお見舞いに行くことにした。リコには彼の居場所が分かるらしく、淀みない足取りで、けれど幼い私に合わせた速度で歩いていく。

 途中で小さな精霊を見かけても、リコは何もしなかった。

 これ、放っておいてもいいの?

 訊いてみようかな、と思って顔を上げたら、リコもこちらを見ていた。

「ミカゼさんにとって、精霊は嫌なものですか?」

「うん、まあ……。小さいのは不気味だし、大きいのは人を襲うし」

「そうですよね。私も、昔は精霊が怖かったです」

 リコは私を安心させるように微笑んだ。

「でも、すべての精霊が人間に害をなすわけではないのですよ。ほとんどは無害ですし、人間を陰ながら守ってくれている精霊もたくさんいます」

「えっ、そうなの?」

「はい。彼らの行動原理は苦しみをなくすことです。人を襲うにしても、助けるにしても」

 そうなんだ……。私、精霊はみんな悪者だと思って、小さい精霊を何匹も潰しちゃったよ。悪いことしちゃったな。

 そう言って項垂れる私を、リコは優しく励ましてくれた。

「そのことは私も噂で伺いました。でも大丈夫ですよ。精霊たちも怒ってはいませんでしたし」

 リコ曰く、精霊の世界にも常識や倫理があって、合意なしに他の精霊を吸収したり消滅させたりすることは非道徳的であるそうだ。

 しかし、彼らがトラブルとして想定しているのは、自我が芽生える前の小さな精霊を取り込んで「自殺するという選択肢を奪う」とか、意見の合わない精霊を攻撃するというもので、何もしない小さな精霊をただただ消滅させるというのはあまり例がないらしい。その上私は人間だ。

 精霊に「死は不幸である」という通念がないこともあり、彼らは私の行動に驚きはしたが、非難することはなかったという。

「元はと言えば、私がもっと早くあなたに気づいていれば、一人で無理をさせてしまうこともなかったのです。申し訳ございません……」

「そんな、リコが謝ることないよ」

 それから私たちは精霊の話をしながらしばらく歩き、コンビニの前までやってきた。

 すると、ちょうど昨日の男性がコンビニから出てきて、私に目を留めた。

「あっ、君、昨日俺が自転車で転んだの見てた子でしょ」

 ああ、やっぱり精霊はいなかったことになっている。

「子供があんな時間に出歩いてちゃだめだよ」

 男性は兄貴風を吹かせて軽く説教すると、自転車に乗って去っていった。どうして私にだけ言うの。リコだって子供じゃん。

 でも、元気そうな姿に安心した。


 次の日も、その次の日も、リコは私に会いにきてくれた。

 その度に、母は私に友人がいたことを喜ぶ。

 最初は物忘れが激しいな、と思っただけだった。しかし、すぐにおかしいと気づいた。

 リコは精霊と同じで、次の日には歴史から消えているのだった。

 リコは私にいろんなことを教えてくれた。精霊の生態や、力の使い方。アカシックレコードのこと。もしまた精霊に襲われたらどうしたらいいか。

 でも、リコは自分のことを語らない。訊いても困ったように微笑み、こう答えるだけだ。

「ごめんなさい。今は、まだ。ミカゼさんがもっと大きくなられたらお話します」

 だから私は、リコのことをほとんど知らない。どこに住んでいるのかも。年齢も性別も。

 リコが人間のふりをした精霊だというのなら、それでも構わなかった。けれどどうにも、リコは人間からも精霊からも少し離れたところから物事を見ているような節がある。

 人間でも精霊でもない、何か。

 そんな正体不明のリコを、友として、また師として信じ続けることができたのは、何も言わずに街を眺めるリコの横顔が、はっとするほど美しく、慈愛に満ちていたからだ。

 わずか十二歳程度の幼い体に、あらゆる母性と父性が内包されているようなアンバランスさは、神聖さを通り越していっそ背徳的であるようにすら感じられた。

 一体どれほどの経験をすれば、人はあんな表情をするようになるのだろうか。

 その計り知れない優しさは、とても演技とは思えなかった。

 リコの言動に家族や友人の影が全くちらつかないことも、私の胸をざわめかせた。精霊の知り合いは各地にいるようだが、個人的な付き合いというよりは「人間愛護団体」とのコネクションという感じだったし、自殺する精霊が多いからメンバーの入れ替わりも激しいらしい。

 もしかしてこの人は、とっても孤独なのでは?

 いつしか私は、リコの「弱さ」を知りたいと思うようになっていた。

 私の気を知ってか知らずか――多分後者だろう。リコは自分に向けられる感情に対しては結構無防備なところがある――リコは私の前では絶対に弱音を吐かないのだ。


 リコはほぼ毎日私に会いにきてくれるが、一回当たりの滞在時間は短い。

 平日は朝と放課後にふらっと現れて(放課後の方は来ないこともある)、私が特に問題を抱えていないことを確認するとすぐに帰ってしまうし、休日だって一日中一緒にいてくれることはほとんどない。それは決してリコが冷淡であるからではなく、私に普通の小学生としての日常を過ごしてほしいという心遣いによるものだった。

 私はリコのおかげで必要以上に精霊を恐れることがなくなったので、またそれなりに学校の友達とも付き合うようになった。けれど、これでいいのだろうかとも思うのだ。こうしている間にも、リコはどこかで戦っているかも知れないのに。

 リコは世界中に「精霊センサー」を張り巡らせていて、一定以上の精霊力が感知されたらすぐさまそこへ駆けつけるようにしている。私と話している最中にそれが起きた時、私はリコの凛とした一面を垣間見ることができる。

「すみません。精霊が暴れているみたいなので、私、行きますね」

 その後に続く言葉は、大体この三パターンだ。

「しばらくしたら戻ってくると思いますが、もし戻らなくてもお気になさらないでください」

「戻れるかどうか分からないので、今日はお開きということにしましょう」

「今日は多分もう帰ってこないと思います。また明日」

 そしてリコは瞬間移動でどこかへ行ってしまう。翌日には怪我一つない姿を見せてくれるので、きっと私が心配する必要はないのだろうが、やはり心配だ。

 現地にはリコと一緒に戦ってくれる精霊もいるのかも知れないが、私は早くから、人間に友好的な精霊は概して弱いということに気づいていた。

 精霊にとって、精霊力とは溜めれば溜めるほど苦痛が募るもの。心穏やかに人助けをしようなどと考えていられるうちは、恨みや怒りでぎらぎらしている精霊の熱量には遠く及ばないのだ。

 私の街の北部には、「サチコちゃんを忘れない会」という精霊のグループがある。元は交通事故で亡くなったサチコちゃんを悼む気持ちから生まれた精霊が、事故の記憶を風化させないために現場付近で心霊現象を起こしていたものだが、次第に交通事故が原因で生まれた精霊が集まってきて、今では交通事故を減らすために活動している。

 彼らには、車両との接触が予想される歩行者を足止めするくらいの力はあるが、あの竜巻の精霊を止めるほどの力はどう見てもなさそうだった。メンバーを全員集めてきても、私の方が精霊力の総量が多いのではないだろうか。

 そんなパワーバランスなので、私は早く一人前になってリコのように世界の平和を守りたいと思っていた。精霊と戦うということがどういうことか、知りもせずに。


 十一歳になる頃には、リコとの身長差はほとんどなくなっていた。リコが出会った時から少しも年を取っていないのは明らかだった。

 リコはもう、通学路で待ち伏せしていたり、インターホンを押して我が家を訪問したりしない。私の部屋にいつでも瞬間移動してきていいと伝えてあるからだ。その日もリコは突然現れたが、それが私たちの日常だった。

 私は学校であったことや、昨日見たテレビの感想など、他愛もない話をする。リコは私の隣に座り、真剣にその話を聞いている。

 どんなことにも興味を示し、素直に喜んだり驚いたりしているリコは本当に可愛い。

 リコは多分、学校に行ったことも、テレビをちゃんと見たこともないのだと思う。見た目通りの年齢ではないだろうに、その辺の小学生よりずっと純粋で、当たり前のことを知らなかったりする。最初にアニメの話をした時は、私がまだ幼く説明が足りなかったのもあるだろうが、現実のニュースと混同して主人公の街を救いにいこうとしたくらいだ。

「カラフルマンはすごいですね。どんな強敵が現れても負けませんものね!」

 アニメやドラマの中では、リコは特にヒーローものを好む。自分の境遇と重ね合わせているのかと思ったら、そういうわけではないらしい。ヒーローは立派だが、自分はそんなに立派じゃない、というようなことを言っていた。

「ヒーローは絶対に勝つって決まってるんだよ。負けちゃったらハッピーエンドにならないもん」

 笑ってそう返したら、リコは一瞬固まったように見えた。

「……それもそうですね!」

 何だろう、今の間は。

 しかし、それについて深く考える前に、リコが急に立ち上がった。

「精霊?」

 こういう時のリコは、驚くほど冷静だ。対精霊用の武器にしている折り畳み傘の柄を伸ばしながら、私に一瞥をくれる。

「すみません、今日は多分帰ってこないと思います。また明日お会いしましょう」

 簡潔に別れの挨拶を済ませると、ふわりと風を残してリコは消えた。

 いつもそうだ。リコは私を連れていってくれない。

 私が戦いに関わろうとすると、リコはどこか辛そうな顔をする。きっと子供の私を巻き込みたくないとか、そんなことを考えているのだろう。

 でも、じっとしてなんかいられないよ。

 だって、私には精霊が見えるんだもん。見て見ぬふりなんて、これ以上できないよ。

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