第二章「60イーオンの孤独」3/3

 もう誰も私を覚えていない。

 私が死んで悲しむ人はいない。

 そう思うと、どんな無茶でもできました。

 どんなに強い精霊が襲来しても、逃げることは考えません。全力で相手の力を削り、街に及ぶ被害を最小限に抑えます。精霊力が尽きた頃に受ける一撃は、当然ですがものすごく痛いです。骨は折れ、内臓は破裂し、何度も体がばらばらになりました。

 けれど、怪我も死も分け隔てなく、リロードの時間が来れば全部元通りでした。辻褄合わせの際に最も優先されるのはシステムファイルです。そこから「死の機能」がなくなっている私は、現世の状態もログの内容も、必ず死の概念を失う直前の状態に修正されました。私はいよいよ不死身になったことを確信し、自分の命のことはどうでもよくなりました。

 不死身とは言っても、死んでしまうと次のリロードまでは死にっぱなしです。その間に精霊は街を襲います。でも、私との戦いでごっそり力を持っていかれているので、もうあのガス爆発事故のような規模の災害が起こることはありませんでした。

 精霊が複数同時に現れることがほとんどなかったのは幸いでした。滅亡の危機に瀕して一人一人が放出する精霊力が多くなっているとはいえ、少ない人口では、力を溜めることに苦痛を感じる精霊たちが足並みを揃えて成長することはできなかったようです。

 私は有事の際以外、人に姿を見せませんでした。人々は私を見れば喜ぶでしょう。子供だ、この街の外にも人類の生き残りがいたのだと。しかしそれはぬか喜びでしかありません。事情を話したところで、翌日には私は「いなかった」ことになるのです。この世の理から外れるというのは、そういうことでした。

 そうして私は戦い続けました。

 死ぬことも大人になることもないまま、五十二年の時が過ぎ――人類は穏やかな最期を迎えました。


 人間がいなくなれば、精霊もエネルギーが尽きて消えていきます。

 精霊は負の感情の化身であると同時に、人間が頑張って生きている証でもありました。また、精霊にも個性があって、大きな精霊は特に頑張り屋さんなのです。そんな精霊たちを、私は幾度も屠ってきましたが、嫌いだと思ったことは一度もありませんでした。

 だから、人間に続いて彼らまでいなくなってしまうのは、酷くさみしい心地がしました。

 人類滅亡から数日後、精霊のカノンさんが私のもとを訪れました。結局彼を倒すことは一度もできなくて、私を悩ませ続ける存在でしたが、戦いながらも優しく話しかけてくれるという変わった一面がありました。

「おつかれさま」

「おつかれさまでした」

「何度も殺してごめんね。信じてもらえないだろうけど、僕は本当に、君とは仲良くしたかったんだよ」

「私もですよ」

 やがて彼は小さくなって、幸せそうに消えていきました。


 誰もいなくなった街を後にして、私は当て所もない旅に出ました。

 延々と続く廃墟の世界。どこかに人類の生き残りがいるかも知れないという淡い期待は打ち砕かれ、寂寞が胸を押し潰しました。

 ――もう本当に私しかいないのですね。

 生きていても意味がない。システムファイルをぐちゃぐちゃにいじってしまえば、存在ごと消えられるでしょうか。そんなことを考えていた時、私は「最後の精霊」と出会いました。

 辺りが無人になってから数百年は経っているというのに、まだ消えないで残っているところを見ると、この精霊は元は想像を絶する強大さであったはずです。そのためか、彼女の精神はほとんど崩壊してしまっていましたが、時折うわごとのように思い出を語るのでした。

 世界戦争の頃、一人の人間と共に精霊退治をしていたこと。その人は自分たちを化け物と呼ぶのをやめ、「精霊」と呼んでくれたこと。その人が話してくれる星や宇宙の話が好きだったこと。今となってはもう、何人救って何人殺したか分からないこと。

 彼女の話を聞いて、私は死ぬのをやめました。

 これから地球上に新たな知的生命体が誕生するかも知れませんし、「今の宇宙が終わったら新しい宇宙が始まる」という説もあるそうです。新しい世界があるのなら、そこは一人でも多くの人に救いの手が差し伸べられるところであってほしいと思いました。私が救いたいのではなく、ただただ救われてほしかった。

 もしその機会を増やす力になれるのなら、私は永遠の時を生きましょう。


 最初の百年は、保存状態のよい図書館にこもって本を読みました。

 歴史のこと、宇宙のこと、人生のこと。

 亡き妻に贈る愛の詩。

 他愛もない日常を綴ったエッセイ。

 私のように、世界でたった一人になってしまった男の物語。

 昔誰かが考えたこと。

 しかし、本の形が残っている時間はそう長くありませんでした。


 次の千年は、人の生きた証を探しながら地球中を巡りました。

 植物が生い茂り、虫がぶんぶん飛び回っている世界です。「火山の冬」で大量絶滅があったので、動物は比較的少ないようでしたが、それも徐々に数を増やしていきました。

 その頃には精霊力の扱いが相当に上達しており、日射病や獣に怯えることなく地上を歩き回ることができました。木々の間に錆びた鉄筋が挟まっているのを見つけて一人で喜んでいるような、そんな日々でした。


 それから一万年。人造物はほとんどすべてが、風化するか、微生物に分解されるか、埋もれるかの運命を辿りました。

 あの万里の長城でさえも、次第にその痕跡を見出すことができなくなっていったのです。


 一億年も経つと、地球上には人類の知らない生き物が溢れていました。

 寒冷期と温暖期が繰り返され、自然環境は大きく変わりました。

 長期的に見ると、地球は温暖化傾向にあります。太陽の核融合が進み、徐々に輝きを増していくためです。気温の上昇に耐えられる生物だけが生き残ります。


 人類滅亡から十億年後。

 海は蒸発し、地球は死の星となりました。

 ああ、なんて畏ろしい。すべてを与え、すべてを奪う、母なる太陽。

 灼熱のゆりかごの中、私は静かに自死します。


 ふと気づくと、私は冷え切った大地に立っていました。

 太陽も月もありませんが、星は綺麗です。

 音は聞こえません。

 そんな一瞬が、何度も、何億年も、数えきれないくらい繰り返されます。


 やがて、ログがエラーの履歴で埋め尽くされるようになります。

「地球及び地球の構成物の領域は展開できません」

 そのようなエラーが、ひたすら続きます。言葉では表現できないし、概念でも理解できない、果てしない時間が流れます。


 宇宙は膨張と冷却の果てに熱的死を迎えました。

 エントロピーが最大になった宇宙では、もはやいかなる現象も起こりません。希薄で、均一で、静止した世界が広がります。

 ログに新たな情報が記録されることがなくなった時、アカシックレコードは現在の状態を「無」と判断しました。

 次のリロードでは、空間が構築されませんでした。

 宇宙は「点」になりました。

 それは、世界の始まりの一点と同じものでした。


 目が覚めた時、私はマグマの海の中にいました。

 次は百気圧を超える高温ガス。すべてを吹き飛ばす嵐。

 精霊力のおかげで一瞬だけ生きていられるのですが、あっという間に意識がなくなるので、何が起こっているのか全く理解できませんでした。

 呼吸ができるようになったのは、約四十億年後のこと。

 私はようやく「帰ってきた」ことを認識しました。

 そこは地球。新たな宇宙に生まれた、私たちの星だったのです。


 私は生物の進化を見守りました。

 昆虫の時代。恐竜の時代。哺乳類が誕生し、鳥が空を飛び始め――。やがてサルのような生き物が現れ、一部は二足歩行をするようになりました。

 五百万年ほど経ったある日、私は生まれて初めて赤ん坊の産声を聞きました。

 泣き声を上げることで外敵に見つかるリスクを、仲間の気を引き庇護してもらうメリットが上回ったのです。それは、共感とコミュニケーションの能力が発達し、高度な連携によって群れを守ることができるようになったということでした。

 その在りようは、私の知る「人間」と同じでした。


 人々がまた生きてそこにいてくれることが、私は嬉しくて仕方がなくて、精霊のことだけでなく何でもして差し上げたい気持ちでいっぱいでした。

 しかし、生者の資格を失った私にできることは限られています。この身が世界に与えた影響の多くは、リロードの際に消えてしまうので、例えば危機を回避するための情報を伝えても意味がないのです。

 飢饉を阻止しようとして失敗し、疫病を阻止しようとして失敗し、戦争を阻止しようとして失敗し、奴隷化を阻止しようとして失敗し、迫害を阻止しようとして失敗し、恐慌を阻止しようとして失敗し……。

 精霊力を使って与えた影響なら因果関係が修正された上で残るはずだと思い、地面にメッセージを掘ってみたこともありました。翌日そこにあったのは「風化によって生み出された模様」でした。それは意味ありげにも見え、もしかしたら暗号に変換されたのかも知れませんが、誰にも、私自身にさえも解読されることはありませんでした。

 精霊力による事象改変があまりに不自然である場合、つまり、精霊力の関与しない形でその結果になったという歴史に修正することが不可能である場合には、原因だけでなく結果の方にも修正がかかるのです。それは、逆から言えば、「運」で説明のつく範囲のことなら私にもできるということでした。

 川で溺れたが、目が覚めたら岸辺に流れ着いていた。台風で崩れた家の下敷きになったが、奇跡的に無傷で済んだ。道すがらにそんな幸運を届けつつ、人に危害を加えようとする精霊を探して戦うことが、私の日課になりました。

 二周目の世界は、一周目の世界と比べると、僅かながら事故や災害の少ない世界になったはずです。正確な統計があるわけでもないのに私がそう思えたのは、歴史に若干の変化が見られたためでした。大筋は変わらないとはいえ、ほんの少しだけ平和な期間が長くなり、世界を破滅に追いやる「不景気」の到来が遅くなったのです。

 けれどその先は地獄でした。

 人口の増加により、精霊の数は大分前から私一人の手には負えないものとなっていましたが、世界戦争が始まると、それまでの比ではないほどの被害が次々に発生するようになりました。毎日毎日死ぬまで戦って、それでも状況がよくなっているとは到底思えない、絶望の時代が幕を開けました。

 「最後の精霊」とそのパートナーは、現れませんでした。

 彼女は「何人救って何人殺したか分からない」と言っていましたが、きっと正気を失いながらも、壊すより多くのものを守ったに違いありません。

 人類の滅亡は一周目の世界より早く訪れ、私が再び「故郷」の土を踏むことはありませんでした。


 そしてまた、地球上から生物がいなくなり、その地球もなくなり――私は新しい宇宙で目覚めます。


 そんなことを繰り返し、今は六十周目の世界。

 私はミカゼさんと出会いました。

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