第二章「60イーオンの孤独」2/3

 精霊の大きさは、基本的には溜め込んだ精霊力の大きさに比例します。

 大きくなるほど精霊力の弱い人にも見えるようになり、私のアンテナにもかかりやすくなります。

 しかし、精霊力を使えば、外見を調整することもできますし、自分が周囲に与える影響を小さくすることもできます。つまり、精霊は強くなるほど隠れるのも上手になるのです。

「夜分遅くにすみません。ちょっとお話ししたいことがあるんですけど」

 その精霊は、何の前触れもなく私の部屋の中に現れました。

「あっ、びっくりさせちゃってごめんね! 君から僕はどう見えているのかな。この姿なら怖くない?」

 私の目の前で、精霊はみるみる姿を変えていきました。私は両親より若い人にも、はっきりとした性別を持った人にも会ったことがありませんでしたが、写真で見たことがあったので、それが若い男性の姿だということは分かりました。おそらく、その精霊の記憶に残っている昔の人類の容姿がベースになっているのでしょう。

 見た目が変わっても、中身は精霊です。不信感を露わにして身構えていたら、彼は笑って言いました。

「僕はカノン。君と友達になれないかと思って来たんだよ」

「……?」

 どう対応していいものか測りかねていると、彼は語り始めました。

「君からしたら僕らは悪者なんだろうけどさ、まあとりあえず聞いてくれよ。こっちにもいろいろ事情があるんだ」


 ――その辺にいる小さい同胞たち。多分彼らはまだ、自分がそこにいることに気づいてない。でも苦しみは感じてる。

 人間の赤ん坊とおんなじさ。自我はなくても感情はあるんだ。

 僕らの体をまとめているのは感情の力だ。だから、似た感情を帯びた同胞同士はお互いを引きつけ合ってくっついてしまう。そして気づいた時にはもう、一個の人格を持った存在になってしまっているんだな。

 こっから先は個人差があるけど、まあ大抵のやつは自殺するよ。自分を消すのに力を使えばいいだけだからね。苦痛に耐えて存在し続けることを選ぶやつは、何か目的があるやつだ。恨みを晴らしたいとか、理想を実現したいとか、とにかく暴れてやらんと気が済まないとか。

 僕の場合はこう思ったんだよ。これ以上この世に生まれて苦しむ同胞を増やすわけにはいかない。自殺するために生まれるなんて悲劇を繰り返してはならない。早く人類を撲滅しなきゃってね。

 目的のある僕らは、弱いままじゃ何もできないから、気の合う同胞と合体して強くなるんだけど……。そうすると一緒に嫌な気持ちも集まってしまうから、すごく苦しいいんだよ。いっぱい力を溜めてから行動を起こした方が効率がいいってことは分かってるんだけど、途中で耐えられなくなって力を使っちゃう。小さくなったら、また合体するところからやり直しさ。

 でもまあ、何もしないよりはマシかなぁと思って頑張っていたんだけど、君のせいで、君より強くなるまで我慢しなきゃいけなくなっちゃっただろ? そこで相談があってさ――。


「君は殺さないと約束する。もし理念を共有できない同胞が君を狙ってきたら全力で守る。だから君も、僕の邪魔をしないでもらえないだろうか」

「そういうわけには……」

「君のご両親を殺すのは最後にするから!」

「……」

「やっぱ無理かぁ」

 当たり前でした。私は皆様に、未来はなくても穏やかで幸せな余生を送っていただきたかったのですから。

「あの……。放っておいても、人類はあと百年もしないうちに絶滅しますから……少しだけ待っていただけませんか……?」

「え? 百年をわずかな期間だって言うのかい? へえ、生きることに楽しみがあると、そんな風に思えるんだね」

 それは決して嫌みではありませんでした。彼は純粋に、価値観の違いに驚いたのです。その邪気のない物言いに、ああ、本当にこの方は、生きていても何も楽しくないのだと思い知らされて、私はとても悲しくなりました。

「ごめんなさい。あなたとはお友達になれません」

「そっか……。じゃあ仕方ないよなぁ。残念だけど」

 その瞬間、青年の姿が綻び、ぶわりと恐ろしい力が溢れ出しました。

 家が壊される!

 直感が叫び、私は部屋から飛び出しました。両親を引っ掴んで脱出するのと、家が崩れるのはほぼ同時でした。

 振り向かなくても分かる、その精霊力の大きさ。私は恐怖しました。彼は、私が街を守れるなどと浮かれている間、ずっと力を溜めていたのです。身を潜め、気の狂いそうな苦痛に耐えながら。

 私は両親を連れて逃げ出しました。立ち向かう勇気は、ありませんでした。

 辺り一帯が爆発したかのように吹き飛びました。精霊は私を追ってはきませんでした。その代わり、多くの人を殺して回りました。私が殺したようなものでした。


 死者百二名、負傷者約百五十名。

 その日、人類最後の街の総人口は、ついに千人を切りました。


 リロードによって、被害の因果関係は「ガス管の断裂を発端とするガス爆発」に置き換えられました。

 私は広場の隅に立ち尽くし、次々に並べられていく遺体を見つめていました。

 私が出しゃばって、精霊と戦おうなどと思わなければ、こんな酷いことにはならなかったのです。私が精霊を強くしてしまった。取り返しのないことをしてしまった。そして、これが私のせいだということを、誰も知らない。

 きっと誰にも理解できない。だから、誰も私を責めてくれない。

 それどころか、街の方々は私を気遣って、優しく接してくださるのです。捜索活動にも参加させてもらえませんでした。「危ないから」「あなたにまで何かあったら大変だから」……本当は、私こそが加害者なのに。

 世界の脆さと優しさに打ちのめされていたその時、どこからか楽しそうな笑い声が聞こえてきました。

 独特の甲高さを持つ、聞いたこともない不思議な声。例えるなら黄色いような、耳をぴりぴりと刺激するような――それは、幼い子供の声でした。

 ふと辺りを見回すと、知らない人がたくさんいて、私よりも小さな子供たちが走り回っていました。広場は祭りで賑わっており、若い人々が屋台で買い物をしていました。

 私は幻覚を見ているのでしょうか。夢に見ることさえできなかった幸福な情景に見惚れていると、やがて広場は静かになり、人々はすっと溶けるように消えてしまいました。

 今度は一人の若者が現れました。若者はそわそわとして落ち着きがなく、誰かを待っているようでした。そこにもう一人、若者が駆け寄っていきました。二人はお互いの目を見つめ合い、何か大事なことを話しているようでした。緊張した面持ちでしたが、薔薇色に染まった頬を見れば、二人の未来に不安などないことが分かりました。

 また景色が切り替わり、二人は年を重ねて白髪になっていました。背骨は曲がり、もうあの頃のように走ることはできません。けれど、手をつないでゆっくり歩く二人は、とても幸せそうでした。

 その夫婦は、今、私の目の前で、亡骸となって横たわっています。

 私はいつの間にか、この広場のログに深入りしてしまっていたのでした。

「……っ、うっ……」

 喪失感で胸がいっぱいになり、私はその場で泣き崩れました。

 そして同時に、残ったものを守りたいと、強く思ったのです。


 どんなに世界が豊かでも。

 戦争が起こらなくても。

 命のバトンを落とさなかったとしても。

 宇宙に寿命がある限り、人類は必ず滅びます。

 遅かれ早かれみんな死ぬのです。最後には何も残らない。財産も、功績も、遺伝子も、愛も。

 生きることに意味はあるのか、と考えると……きっとないのでしょう。

 それでも私は構いませんでした。意味があるから生を尊んでいるのではないのです。ただ純粋に、目の前の幸福を守りたいだけ。一秒でも長く幸せな時間が続けばいいと思うだけなのです。宇宙にとって価値がなくても、私にとって価値があれば、戦う理由としては十分でした。

 あるいは私は、今生きていることそれ自体に意味があると信じているのかも知れません。しかし少なくとも、意味とか価値とか、正義とか道徳とか、そんな高尚なことは考えていませんでした。私はただひたすら、自分の好みで、全くもって利己的な理由で、人の世を愛し守ることに決めたのです。


 アカシックレコードの個々の領域には、パソコンで言うところの「システムファイル」に相当する部分があります。ここをいじって自分を強化する、というのが私の考えた究極の作戦でした。

 とは言っても、そこに広がっているのは、ログ以上に人智を超越した概念の海。アクセスするだけでも畏れ多いので、今まであまり見ないようにしていたのですが、じっくり見たところでほとんど何も分かりませんでした。

 唯一理解できたのは、「死」という概念です。これを削除すれば、私は不死身になれるのでしょうか……。

 こんなに重要そうな項目に手を加えたら、エラーが発生して私の存在そのものが維持できなくなるかも知れません。古今東西には、不老不死を求めて破滅した人の話がいくつも残っています。ろくなことにならない予感はありました。

 ですが、何をためらうことがありましょうか。何もしないのであれば、私も街も滅ぼされるまでです。失敗するとしても、せいぜい私が消えるくらいでしょう。他の領域にプロテクトがかかっていることは把握済みです。他に理解できる概念もない以上、この手にかけるしかありません。例えこの世の理から外れた存在になってしまうとしても。


 ガス爆発事故から十日後、私は十二歳の誕生日を迎えました。

 まだ復旧作業で忙しいにもかかわらず、街中の方が祝ってくださって、私はたくさんのお菓子を抱えて新居に帰宅しました。

 リビングのドアを開けると、テーブルにはご馳走が並んでいて、両親が「おかえり」と微笑みました。

 あまりに幸せで、優しくて、泣き出したくなるような誕生日。

「お父様、お母様」

 私は十二年間分の愛を込めて言いました。

「お二人の子供に生まれることができて、私は本当に幸せです。ありがとうございます。これからもずっと大好きです」

 両親は突然何を言い出すのかと笑いながらも、嬉し泣きをごまかせていませんでした。そんな両親が愛おしくて、つられて泣きそうになるのを、何とか堪えました。

 私はこの日にアカシックレコードの改変を実行すると決めていました。もしこれが、両親と過ごす最後の時間になるのなら、両親が最後に見る私の顔は、笑顔であってほしいと思ったのです。

 何があるか分からないので、万全を期しました。まず、この一週間で、早めに就寝して深夜のリロード前の時間に起きる生活リズムを作りました。これは、死の概念がなくなることで体の時間が止まる可能性を考慮した行動です。もし死の概念を削除する直前のリロード時の状態で身体状態が固定されるなら、リロード時に寝ているわけには行きませんし、死の概念を削除した瞬間の状態で固定されるなら、睡眠を取ってすっきりした状態で挑むべきなので、必然的にこうなりました。

 次に装備を整えます。誕生日プレゼントとして両親から贈られた砂色の外套に、必要だと思うものを入れたポシェット。武器にも使える、丈夫な青い折り畳み傘。非常食として、街の方々からいただいたお菓子も少しポシェットに入れておきます。これも、死の概念がなくなることで体の時間が止まったら、所持品や衣類の変更ができなくなるかも知れないためです。

 これで準備は整いました。

 私は自分の領域の中から、死の概念を削除しました。

 指ですっとなぞるような気軽さで、それはあまりにあっけなく終わりました。

 そしてリロード時、私は一瞬意識を失ったような感覚を味わいました。


 少し時間が巻き戻ったような……?


 ログはエラーだらけになっていて、もう「どうしようもない」感じを漂わせていましたが、私は確かにそこに存在していました。

 死んではいないからそこにいるけれど、死なないということは生きてもいないということだ――。宇宙の理からは、そんな判断を下されたようでした。

 朝になるまでじっくり時間をかけてログを読み取ってみたところ、あらゆる生命活動がアカシックレコードとの「ずれ」とみなされて、私の体は死の概念を失う直前の状態に「修正」されたということが分かりました。

 それはつまり、リロードのたびに怪我も成長もリセットされるということでしょうか。

 とりあえず存在が消えなくてよかった。安堵して、ふと顔を上げると、朝日に照らし出された室内があまりに殺風景であることに気づきました。いつの間にか、今まで座っていた備えつけのベッドも剥き出しの状態になっていて……。

 私は急に怖くなりました。そんな。まさか。

 足早にリビングへ向かうと、扉の向こうから両親の会話が聞こえてきました。

「実際に住んでみると、この家、『二人暮らし』にはちょっと広いですよね」

「きっとすぐに慣れますよ。『余った部屋』は物置にでもしましょう」

 ……私はドアノブにかかる手をそっと離し、静かに家から立ち去りました。

 人々を守る力の代償として失ったもの。

 それは、私の過去と未来でした。

 命あるものの証である「死」を放棄した私は、現世に痕跡を残せない存在となっていたのです。

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