第72話/謝罪と罪滅ぼし
第72話
最強の異能力者になれた俺は、しかしその事実を熾兎以外の誰にも口外せず、更なる高みを目指した。
タイタンからフェニックス、フェニックスからオーディン、オーディンからシヴァ、シヴァからラー、ラーからフェンリルと。
神話の生物に平気で化ける彼女に末恐ろしいものを感じつつも、俺はひたすら強さを求めて躍動した。本物の神々にはさすがに勝てるはずがないが、それでも勝ったような気がして爽快だった。
ところが。中学三年の五月頃だった。
「……ねぇお兄ちゃん。あたし、サタンより強いモンスターはいないと思うの……」
「は……? いや、もっといるだろう!?」
俺はそんなわけあるかとつい怒鳴ってしまったが、熾兎の事情はおおよそ把握していた。現在の彼女の中の『モンスター最強ランキング』では、どう考えを巡らせてみてもサタンが最も強かったのだ。
だからそう。彼女にサタンよりも強いモンスターに化けてもらうためには、とにかくその最強ランキングのトップからサタンを引きずり下ろす作業が不可欠となっていた。
「……図書館に行くぞ」
「えっ」
「何でもいい! 色んな文献読んで、サタンより強いモンスターを見出せ!!」
熾兎がこうなる事態は危惧できていた。ただ俺は、サタンを瞬殺できるようになったこのタイミングで打ち明けてくるとは思いも寄らず腹が立った。いくらなんでも遅すぎだ!
「ご、ごめん……」
俺の思考を見透かしての謝罪。
しかし熾兎の謝罪は、この時だけでは終わらなかった。
毎日毎日、俺は彼女を連れて図書館に行き、あらゆる文献を彼女に読ませた。
なのに彼女は、いつまで経ってもサタンより強いモンスターを見出せなかった。
「いつまでサタンなんだ!? あれから三か月だぞ!? いいかげんにしろよ!!」
「ご、ごめん……」
相変わらず熾兎が化けるのはサタンだった。もちろんそんな雑魚ではとっくに成長できないほど強くなっている俺は、彼女と顔を合わせる度に苛立ちを隠しきれなかった。
「ごめん、ごめんごめんごめんごめんごめんごめん……‼」
熾兎はあの日以来ずっと泣き出しそうな顔だった。
さらに目の下にはクマができ、頬は痩せこけ、唇は瑞々しさを失っていた。
あまりの彼女の醜さに呆れてしまい、そこでようやく俺の怒りが冷めた。
「ああいい、俺が悪かったよ。お前に頼りすぎた。当分はあの異能力を発効しなくていい」
「え? ど、どうして……?」
「そりゃお前、今の夏休みが明ければ高校受験の勉強を頑張らなくちゃいけないだろ。……俺はな、お前と一緒に日本異能学園に進みたいんだよ」
「! お、お兄ちゃん……!」
「だから特訓は一時中断するぞ。これからは受験だけに集中するんだ」
「う、うん!」
そうして夏休みが明けると、俺と熾兎は放課後の校内で仲良く受験勉強をするようになった。元々一緒に下校していたことも災いし、俺は大勢の生徒からシスコンと揶揄されるようになった。
一方で熾兎をブラコンと揶揄する生徒は一人もおらず、それが俺には大層不満だった。
「ねぇねぇ、シスコンのお兄ちゃん?」
「お前が言うな。ブラコンの妹よ。……で、何だよ?」
「そろそろお家に帰ろ?」
冬休み直前。
にっこりと笑った熾兎の顔に、数か月前までの醜さはすっかりなくなっていた。
その後、俺達は受験戦争に大勝利。
中学校を笑顔で卒業し、異能力者が集う日本異能学園へ学生生活の舞台を移した。
「ねぇ、武闘大会が五月にあるみたいだよ。お兄ちゃんそこで最強デビュー飾ったらどう? テレビで生中継もされるって書いてあるし」
「ん、悪くはないが……。うーん……」
学園の敷地を散策しつつ年間行事予定を確認している熾兎。
俺は彼女からの提案に対して声を詰まらせた。
なぜなら、最強の異能力者と世に知らしめるには、正直俺はまだ不満足な状態だったからだ。せめて次の……サタンよりも強いモンスターを倒さなければ。
そう。あの時から俺の強さは停滞したままだった。
それだけに一度この強さを更新したくて仕方なかったのだ。
「よし分かった。お前の提案通り、俺は来月の大会で華々しく最強の異能力者デビューする。そうと決まれば早速今日から特訓を再開させるぞ」
「えっ。あ、うん。……場所はあたしの寮部屋でいいよね」
案の定その日熾兎が化けたのはサタンだった。久しぶりの戦闘なので俺はだいぶ腕がなまっていたが、ほんの十数秒もあればサタンの視えないHPをゼロにすることができた。
―――そしてまた時が少し経ち。
俺達の兄妹仲を引き裂く出来事が、とうとう起きてしまった―――。
「おい熾兎! 大会のエントリーは明日までなんだぞ!? このままじゃ出場できないだろうが!!」
「ご、ごめん。でもやっぱりあたし……。サタンより強いモンスターは……もう」
「うるさい! 何ならこの俺を想像してみるか!?」
「! そ、そんな! お兄ちゃんは最強だけどモンスターじゃない!」
「ああよく分かってるじゃないか! だったら今すぐサタンより強いモンスター出せよッ!!」
熾兎の寮部屋にもかかわらず俺は声を張り上げていた。男子生徒は女子寮に立ち入ってはならない規則だが、今の俺には彼女に激怒することが最優先だったのでお構いなしだった。
はっきり言って彼女には心底失望していた。
「だいたいなぁ!? 中学三年の時あれだけ俺に怒られたんなら、普通は……普通はッ! もう怒られたくない気持ちが募って、サタンより強いモンスターになれるよう、陰で努力しとくはずだろうが!?」
「えっ、だ、だってお兄ちゃんが特訓は一時中断って……」
「俺が中断って言ったら何なんだ!? 俺が許可するまでサタンより強いの想像しちゃダメって受け止めたのかよ!? バカかお前は!?」
理不尽なことを言っているのは百も承知だった。だが口が止まらない。
日頃の鬱憤を晴らすかのように止められない。
さらに言いたいことが、数々の疑念と共に浮かび上がってきた。
「いいか!? 別にお前がいなくたってな、俺は自力で最強の異能力者になれたんだよッ!!」
「や、やめて……」
―――熾兎がいなければ最強の異能力者になれなかった。
そうと分かっていたのに。
「お前は元々あれなんだろ!? 俺が最強の異能力者になって、当然有名になって! そしたら俺を裏切る気なんだろ!? 兄が最強になれたのは何年も特訓に付き合ってあげてたあたしのおかげですってなッ!!」
「ねぇ、やめてよ……」
―――真実熾兎のおかげだ。裏切るなんて一体何のことだ。
そうと分かっていたのに。
「だからいっつもいっつも俺の傍にいたんだろ!? 従順っぽく見せて、内心じゃあ死ねとか思ってたんだろ!! 差し詰めアイドルにでもなりたかったから我慢してたんだよなァ!? お前は何だかんだ可愛い顔してるもんなッ!?」
「もう、怒らないで……。お願い、少し落ち着いてよ……」
―――熾兎はアイドルを目指さないし売名行為も働かない。
そうと分かっていたのに。
「そんな残念すぎる妹だったらな、俺はこれっぽっちも欲しいとは思わないんだよッ!!」
「…………いッ、」
―――熾兎は決して残念すぎる妹じゃない。
そうと分かっていたのに。
「イヤあああああああああああああアアアアアアアアアアアアアァァァァァ!?」
熾兎が―――発狂した。
彼女の異能力、オニイチャンだけのエクストラボーナスステージが突如として発効される。寮部屋が一瞬でバスケコート並の赤黒いドーム状の空間に切り替わった。
そして。つい今しがた地獄の底から絶叫するような……あるいは人格が壊れたように白目を剥いていた、妹の熾兎は。
「!? なっ……」
―――それは、怪物だった。
サタンではない。様々な生き物の体の部位が混ざったような怪物。
そうとしか形容できないグロテスクな姿に、気の狂った熾兎は化けていたのだ。
初めて目にしたその怪物の総身を前にし、咄嗟に俺はこう思った。
(…………かっ、勝て、ない……!?)
勝てない。
いや、これまでの戦闘経験から、俺の現状の実力ではこの怪物とまともに戦えないと容易に判断できた。それに何より―――。
「……オニイチャン」
「!?……う、うぐっ……!!」
ただでさえグロテスクな姿で、この怪物に化けているのが熾兎という事実。
俺を呼ぶ彼女の声はどこか幽霊じみており、それを耳にした瞬間、いよいよ俺は激しい吐き気に襲われた。
手で口を抑え怪物に背を向けた俺は、とにかくこの空間から脱出しようと精一杯走った。移動系の異能力を発効すれば楽に脱出できただろうか、俺の今のコンディションで異能力の発効は不可能だった。
そう、つまりは。
最強の異能力者であるはずの俺は、戦いの土俵にすら立っていられなかったのだ。
彼女が新たに化けた、あの怪物を相手に。
「がはっ……。うがっ……。げえええええぇ……!!」
熾兎の寮部屋に抜け出すと、俺は洗面所に急ぎ胃に溜めていたモノを全てぶちまけた。洗面ボウルにぶちまけてぶちまけて。これが夢であると切に願ったが、
「……お兄ちゃん?」
「っ!?」
俺は反射的に洗面ボウルから顔を上げた。
そこには鏡に映った……怪物。
「!! く、くるなアッッ!!」
俺は手元にあった清掃用のタワシを強引に掴むや、それを振り返りざまに怪物へ投擲した。
だがタワシは怪物に当たらなかった。顔のすれすれを過ぎていったのだ。
しかもその顔は、驚きに両目を瞠っている熾兎のものだった。
相当気が動転していたためか、俺は鏡に映った彼女を……怪物と錯覚してしまったのだ。
「っ!? し、熾兎。……い、今のは……」
混乱の極みに達し、弁明の言葉が出てきそうにない俺。
そんな俺に対し、熾兎は。
「……はは。お兄ちゃんったら自称最強の異能力者のくせにビビったの? まさかこのままひよったりしないよね?」
怒っているようでも呆れているようでも笑っているようでもある―――そんな曖昧な表情を俺に向けてきたのだった。
その日を境に俺達には微妙な距離が生まれ、俺は熾兎との特訓をしなくなった。
武闘大会にエントリーする意欲もすっかり失い、最強の異能力者である自覚もまた、失ってしまった―――。
「こら憑々谷! お前何度言ったら分かるんだ! 女子生徒達への破廉恥行為は止めろ!」
「なら大和先生の胸揉ませてくれよ。先生、ドMなんだろ?」
「ど、ドMではない!」
「じゃあドS? うーん、そうは見えないけどなぁ。……お、可愛い子いるじゃん。パンチラさせてこよっと」
「って、わたしの話を聞けぃ! ああくそ、お前はなぜそこまで怠惰と欲情を抑えきれないんだ―――ッ!?」
……そうして。
中学時代に異能力の特訓や受験勉強でほとんど青春できていなかった俺は、その反動なのか女子生徒の尻を追いかけてばかりの日々を送るようになった。
男友達と夜の街でナンパ活動もしたりして、寝坊と遅刻は日常茶飯事だった。
「ん~、こりゃ中々な美ケツしてるじゃないか……。やっぱりケツも侮れないよなぁ……」
「起きろタワシ!」
「ぐごッ!?」
「起きてさっさと死ね!」
なお熾兎は―――あの日のことを余程根に思っているのか、俺をお兄ちゃんではなくタワシと呼ぶようになった。言葉遣いも態度も以前とは比べものにならないほど汚らしくなった。
だがそんな兄への扱いが酷くなった彼女を俺は許容していた。
なぜなら俺の方が素行が悪くなったのは明らかだったし、兄として彼女を怒ってやるためには、まずは俺が彼女に『謝罪』しなければならないと思ったからだ。
そう。あの時、ただのデタラメで彼女を傷つけたことを。
あのグロテスクな怪物に、俺がひよってしまったことを。
……ずっと彼女の中で、最強のモンスターにさせていることを。
早く謝罪したかった。本当は女子生徒の尻ではく彼女のところに向かいたかった。
だが口で謝罪するだけなら誠意が籠らないし、そんなではきっと彼女は許してくれなかった。
だから倒すのだ。今度は自力で強くなってみせた上で、あの怪物を。
あの怪物に化けた彼女を倒してやることこそが、彼女への謝罪であり俺の罪滅ぼしだ……!
「ねぇ憑々谷君? 熾兎ちゃんが飼ってる怪物さんをどうにかしたいって気持ちは分かったけど、焦って無理しちゃダメだよ?」
「ああ。いつもサンキュな癒美。やっぱりお前の治癒系の異能力はすごいな。腕が千切れたって治せるんじゃないか?」
「さ、さすがにそれは難しいかな……。でも怪我のことならわたしに任せてね!」
幼馴染の癒美には『妹の異能力が半ば暴走し、妹の中に怪物が誕生してしまった』という諸事情だけを伝えた。
これが嘘のような本当の話なわけで、いきなりの告白に彼女は最初こそ勘繰っていたが、彼女の真に受けやすい性格が幸いし、俺は彼女から治癒サポートを受けることに成功した。
これが大助かりだった。一人で特訓してて傷も自分で治すのでは特訓の効率が悪かった。彼女には控え目に協力を仰いでいたが、ずっと付き添っていて欲しいのが本音だった。
そんな俺の心情を察したのか、彼女は積極的に治癒サポートをしてくれた。
俺が特訓していると知れば、飛ぶように駆けつけてくれたのだ。
わたしも熾兎ちゃんを助けたいから、と。
しかし間もなく、彼女の治癒サポートを受け続けるわけにはいかなくなる事態に陥った。俺がトピア先輩と手合せし、その時に誤って彼女を巻き込んでしまったのだ……。
―――とまぁ、こんなところだろうか。
以上が俺、憑々谷子童自身が忘れてしまった、過去の記憶の一部だ―――。
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