第67話/譲れなくて大切なもの

第67話


 トピアのおかげで警察官から逃げ去ることはできた。

 ただ……俺と神様のアリスは無事ではなく。


「「……オエェェ……」」


 ―――初めての空間移動テレポート体験。

 それはもう、結構なお手前でございました……。


 そんなこんなで現在、俺が小休止していたのは川沿いの公園だった。街路灯の傍のブランコ、その座板にぐたっと腰をかけ……俺の肩で腹這いなっているアリスと仲良くえずいていた。


「えっと、憑々谷君? そんなに体調が悪いようでしたら、コーラとメントス、買ってきましょうか……?」

「…………うぅ。お前の気遣いが気遣いになってないのが泣ける……」


 申し訳なさそうに様子を窺ってくるトピアに対し、俺は青ざめた顔をスローモーションで真横に振った。それだけの動作でも吐き気がしていた。


「いや、気遣いとか心配はしなくていいんで……。すまんが何かで暇潰しててもらえるか……?」

「と言われましても……。夜の公園で一人遊戯する嗜好はありませんし……」


 困惑気味に周囲を眺めるトピア。砂場、滑り台、ジャングルジムなど、有名どころの遊具は揃っていたが、この時間帯では俺達以外に利用者がいなかった。

 近所の住民に通報される可能性もあるので、暇潰しで遊ぶのは厳しい。


 不意に俺は思い出す。


「……なあ。さっき警察官に声かけられる前にさ。お前、何か俺に話しかけてたよな。あれって何だったんだ?」

「それは―――」

「考え直して話すのやめようってなら、それでも構わないんだが」

「……いえ。大会前にお話ししたかったことですから」


 トピアは俺の正面から真横―――隣のブランコに移動すると、座板に靴底を付ける。二本の鎖を握り締め、立ち漕ぎをし始めた。


 川のせせらぎを背景にギィ、ギィ、ギィ、と。金具の軋む音が園内に聴こえる。

 それを発生させている彼女の魅力的な生足が、しばらく俺の目を奪っていた(眼福)。


 そうして彼女は。ブランコの勢いが収まってきたところで華麗にジャンプ。

 全身を空中に投げ出し、ストンと綺麗に着地した。


 事もなげに振り返ってくる彼女。

 ―――だがそれは、別の意味合いからなのかもしれない。




「わたし、今回の武闘大会は棄権しました」




 そのように。

 依然として事もなげに。

 トピアは俺に告げてきたからだ。


「理由を……聞かせてもらっていいか?」


 俺は「そうか」とだけ言いたかった。だができなかった。

 大会でトピアと対戦しなくて済んで、正直ホッとしているのに。

 すぐにそう尋ねずにはいられなかった。


(……当たり前だ。大恩人の彼女が、優勝候補の彼女が、俺なんかのために優勝の席を譲ってくれたんだ)


 彼女の口から直接理由を聞かないで、どうして納得できるのか。


「実はわたしの棄権も、作戦の内なんですよ」

「作戦? それはどういう……?」

「すぐに分かりますよ。わたしの棄権は、君の優勝に必要不可欠なのだと」

「? それは……お前と本気で戦ったら俺が負けるからか? お前の戦乙女ヴァルキリーに、アリスの異能力じゃ対抗できないから」

「違います。とにかくこれはちょっとした伏線なんです。今はそうしておいてください」

「……、ヒロインが伏線とか言い出すのか……」


 このやり方、ずるくないか? 

 そりゃ気にしても仕方なさそうな内容を伏線とするならまだ分かるけど。

 絶対これ、誰だって気になるだろ……。


「不満そうな顔ですね。すみません、君にお話ししたいことは他にもあるんです。今はそちらが優先かなと、そう思ったんです」

「俺に大会の棄権を伝えた上で……か?」

「はい」


 何だろうな、と俺は頭痛に苛まれたまま思案する。

 が、特に予想はつかなかった。


 するとトピアは再び俺の目の前までやって来るや……深くお辞儀をしてきた。




「―――ありがとうございました。君が大和先生を倒してくれたおかげで、わたしの正義は砕かれずに済みました。そして過程は異なりますが、わたしの正義を異能警察に認めさせることができた気がしています」




「!? ま、待て! 顔を上げてくれ!」

「はい? 何でしょう?」


 俺はますます頭が痛くなりそうだった。いきなりトピアにお礼を言われたわけだが、実は俺はまだ彼女の身の上を把握できていないのだ。


 俺はしどろもどろになるのを覚悟しつつ質問する。


「……えーっと。お前は先生と戦う前も正義が何とかって言っていたよな? それって要は……お前の警察官としての……信条みたいなものなのか?」

「そうですね。組織全体の信条とは別に、わたし個人の信条があります。その信条を先生とわたしは正義と呼んでいただけのことです」

「信条と正義……。まぁ表現自体に大きな違いはないか。じゃあお前の正義ってのは何だ?」

「わたしの、あるがままの『心』です」


 トピアが胸に両手を添えた。


「これは誰にも譲れないものなんです。わたしがわたしである一番の証。大会なんかよりもずっと大切なこの心が『わたしは異能警察の人間だけど憑々谷君を護りたい』と。そのように訴えていたんです。ですからわたしは、のために、大会を棄権したって全然へっちゃらなんです」


「……、」


「もちろんこんなのは安っぽい回答です。こんな回答で世間やこの小説の読者さんから理解を得られるとは微塵も思っていません。『危険人物に味方して警察官失格だ』なんて怒られてお終い。わたしには反論の余地がありません。わたしの心はそのこともよく分かっています」


「俺はお前を警察官失格とは思わないけどな……」


 俺の一言に、しかしトピアは優しく首を振った。


「当事者の君では客観的な視点に立てませんよ。……でしたらアリス、あなたならどう思いますか?」

「…………んー」


 ずっと俺の肩でぐったりしていたアリス。

 彼女が生気のない顔で気怠そうにトピアの声に応じる。


「まぁさぁー? 『ツっきんは完全無害』だって証拠が出てこないと、ケーサツも向こうの読者もトピアの行動には賛同できないっしょ? 例えばツっきんだって『警察官が犯人に加担した』ってニュース知ったらキレない? 余裕でキレるっしょ?」

「!……そ、それは……」


 返答に窮してしまう俺。


「はい。その子の言う通りですよ憑々谷君。わたしが間違っているんです。誰からも理解されず、非難されるのが自然。ですが気にしないでください、わたしは何も悲しくなんかありませんから。異能警察を騙して君を大会に出場させられる。わたしの心は今、清々しい気持ちで一杯なんです」

「あははー、トピアが悪役になったー」

「…………」


 俺は歯噛みした。それはもう悔しかった。

 二人の指摘にぐうの音も出なくて。トピアが悪役に見えかかっているのもそう。

 それを否定したくても肝心のその材料が、ない。


(ただ……だけど。だけどだ。俺にだって譲れなくて大切なものが、ある。)


 それはもちろん―――俺の心だ。


「一つだけ……一つだけいいか?」


 俺はブランコから立ち上がり、トピアと目の高さを近くする。

 彼女が「どうぞ」とだけ言って唇を引き結ぶ。


 俺達しかいない夜の公園。それなりにいかがわしいムードがあったりなかったりするわけだが、俺は至って真面目に告げた。


「これは俺の憶測でしかないが……。少なくとも読者は、お前のこと悪く思ってないと思うぞ」

「……、なぜですか?」

「俺の心がそう訴えているからだ。お前は悪くないって。読者の心もきっとそうなんじゃないかって」

「……、憑々谷君……」


 俺達に読者の心を直接窺う術はない。

 あるとすれば著者に頼んで窺ってもらう方法しかないのだろう。


 だけど俺は、そんなことをしなくても読者はトピアに理解を示してくれている自信があった。そりゃ確かにさっきのは安っぽい回答だったし、俺を護りたいと思った動機が、事実上スルーされているけど―――。


(なあ読者、お前だってもう充分なんだろ? その重要な動機をさ、今までの彼女を読んだり見たりして、お前自身で補完できてるんだろ? そして俺と同じように……彼女は悪くないって、お前の心が訴えているんだろ?)


 そうじゃなかったらすまん。全力で謝る。けど俺の心はそう訴えているんだ。

 彼女は悪くないって。彼女が犯罪に値する行動をしていても、やっぱり俺の心は今あるがままなんだ。


 俺は制服のズボンで右手を拭くと、それを彼女に差し出し、


「俺の方こそありがとな。今日まで色々俺を助けてくれて。お前がいなかったらきっと俺は著者の思う壺だったはずだ。……って、しまった、お前は著者の創作キャラだったな―――」


 感謝の言葉を上手く伝えられなかった俺は頬を掻く。

 その直後だった。




「―――




 トピアが俺の右手を握ってきた。

 そして俺と握手を交わしたまま、


「わたし自身は、君からここが小説の中だと明かされてからずっと……著者の創作キャラをした心地で過ごしてましたよ」

「え? 卒、業?」

「はい。つまり物心がついた時にはわたしのキャラが確定していて、あとはわたしが自分の意志で好き勝手に動いていると。―――そんな風に考えなければ、ここが小説の中だとは信じられませんよ」

「……はは! そうきたか……!」


 著者め、やってくれるじゃないか。よく創作家は『物語を描いているとキャラが勝手に動く』という境地に至ったりするらしいからな。トピア本人にそれを認めるようなことを言われたら……俺はもはや彼女を、本物の人間としか思えなくなる(歓喜)!


「ツっきんってば、著者に文句つけてるっぽい割に、すっごく嬉しそうだねー?」

「ああ! そりゃトーゼンだろ! 俺だってな、トピアが著者に操られていないと信じたいんだからな!」


 俺はトピアの右手を強く握り返した。

 彼女の存在がより強く感じられ、彼女の魂がたった今、俺の魂と繋がっているかのような、そんな感動を確かに覚えた。


「ふふっ。武闘大会、絶対に優勝しましょうね」

「おうよ! 退学してたまるかってんだ!」


 かくして俺は。

 棄権してくれたトピアの分までしっかり頑張ろうと、決意を新たにした。

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