第66話/敵が味方になること

第66話


 俺は大急ぎで制服に着替えた。それからアリスを胸ポケットに突っ込むや、トピアとマンションを後にする。


 三日近くも室内で寝続けていたからだろう。外の夜気は異様に冷たく感じられ、肺に満たすと未だ寝ぼけたままの全神経が奮い立つような活力を覚えた。

 ……のだが、


「泊まればよかったじゃないですか」

「……冗談はよしてくれ」


 隣を歩くトピアに顔を引き攣らせる俺。

 嫌でも先刻の『脱出劇』を思い出してしまう。


 作戦会議の後……ふと時計を見たら二十一時が過ぎていた。

 咄嗟に俺は学園に帰ると先生に告げた。

 そしたら俺を全力で引き止めにかかったのだ。


「『わたしと一緒に風呂入ろう。背中を流してやる』『恋愛映画を観よう。すぐに子作りしたくなる』『寝る前はわたしがマッサージしてやろう。喜べ、気づけば組体操みたいになってるやつだ』……なんて興奮気味に迫られたらさ、ますます泊まる気失せるだろ。というか俺はもう先生は好きになれないんだっての……」

「まぁ君の気持ちは分からなくもありませんが……。ただ、あれでも先生は反省しているんですよ? 君の事情を知らなかったとはいえ、君に暴力を振るい過ぎてしまったのは許されることではないと」

「え? さっき起きがけにグーで殴られたんですが?」

「……、愛情表現ではないでしょうか?」


 いやいや……。

 それはタイヘン危険な解釈ですよ、トピアたん……。


「あの、少なくともですよ?……他の執行部の警察官だったなら、先生のように自らの過ちを認めてはいないでしょうし、反省なんてしていないと思います。ですから……その」

「オーケー、露骨な先生擁護なら結構だ」


 切って捨てるように。トピアの言葉を遮ってしまう俺。


「お前は優しいからな。俺に先生を持ち上げてくるんだろ? そりゃこの三日間で先生を再評価できてるんだもんな、良い方向に」


 俺は諦観の念でトピアに笑ってみせた。

 伸びをするように頭の後ろに両手を持っていくと、


「そうじゃなければ、俺と先生のベッドシーンを目撃して『お似合い』だなんて口が裂けても言えるわけないしな。……いやぁ、あの時は裏切られたと思ったぞ?」

「! そんなことは……」

「ああ、ないだろうな。だから俺は、お前が先生に脅されてるんだとも思った。それでこのトゥルーバッドエンドは避けられないんじゃないかってヒヤヒヤした」

「トゥルー、バッドエンド……?」

「俺の妄想だ。気にしないでくれ」


 やや話を逸らしてしまったので、俺は肩を竦めて間を置く。


「じゃあこの際、俺の本音を言ってしまうぞ? 先生には大会の件で感謝こそしているが……今のお前のように擁護したくなるほどの信頼は、できない。たぶんこれからもずっとだ」

「そうですよね……」

「すまん。どうしても無理なんだ」


 敵が味方になるという展開は、ラノベに限らず漫画や映画、その他の小説などにもありがちだ。


(読者からしてみれば今後の展開が読めなくなって面白いし、好きな敵キャラだったなら尚更、胸が熱くなる。好まれやすい展開だ)


 それは著者にとっても同じことだろう。これはあくまで俺の推測だが、物語における起承転結の中で最も頭を悩ませそうなのは『転』だ。

 作品を盛り上げていく絶対的なインパクトが求められ、であれば敵キャラの心変わりはその転を担当させやすいはず。俺はそう思うのだ。


 読者にとっても著者にとっても好まれやすい展開―――敵が味方になること。

 ……しかし、だ。


(読者にも謝っておく。俺は……このラノベの主人公は、大和先生を味方として受け入れることが、できない)


 辛すぎる。他の主人公のように受け入れられたらどんなに幸せなんだろう。

 だが俺にはできない。彼女はトピアとアリスを傷つけたから。

 俺を殺す勢いで半殺しにしたから……。


(読者の声が聞きたいかもしれない。こんな風に自分でも驚くほど器の小さかった俺は、果たして主人公失格なのかどうか……)


 もし失格なのだとすれば、やはり俺はまだまだ主人公になりきれていないのだ。


「ただまぁ、そうだな。先生を信頼はできないが、本気で嫌いになることだけはない。現状のまま、ヤンデレしてるだけの先生だったならな。これは断言しとく」

「はい、ありがとうございます」


 トピアが笑い返してくる。

 ただしそれは、まだ何か心残りがありそうなぎこちなさで。




「……なあ」「……あの」




 偶然にも俺とトピアは足を同時に止める。

 そして口を同時に開いていた。


 俺達の間にどこか気まずい沈黙が流れた。とはいえ実際に気まずいわけではないので、俺はすぐに『どうした?』と尋ねようとした。


「ちょっと、そこの君達!」


 ―――しかしできなかった。

 俺が言うよりも他者の声が早かったのだ。


「うわっ……」


 俺達の進行方向から迫ってくるのは、自転車に乗った若い男性警察官だった。

 防犯パトロール用の活動服が明確な威厳を放っている。


 なぜ警察官に声をかけられたのか。特に俺には心当たりがなかった。

 ただ、一流芸能人がうろついていそうな高層住宅地に、学生服姿の男女が二人。それもこんな人気の薄れた夜道で立ち止まっていたなら、きっと警察官は気になるだろ。


「捕まったら面倒そうですね。憑々谷君、ここは空間移動テレポートで逃げましょう」

「え?」


 トピアの決断はあまりに意外すぎた。

 だが意外なのはそれだけでは済まず、


「さあ、憑々谷君。わたしに後ろから抱き付いてください」

「! ンな!?」


 どうやら本気らしい。

 トピアが俺に背を向けていた。


(……って、警察官が見ているこの状況で抱き付けと!? えっ、正気で言ってるのか!?)


「憑々谷君! 何を躊躇っているんですか! わたしは君のヒロインではありません! そう、赤の他人と言い切ってしまっていいのです! 恥ずかしがる必要なんてないじゃないですか!」

「いや必要あるわっ! というかお前、わざと警察官に聞こえるように声のボリューム上げてないか!? 赤の他人に抱き付けば普通に犯罪確定だってこと、分かってて言ってるよな!?」

「お巡りさん助けてください! このヒト痴漢です! わたしに抱き付こうとしてます!!」

「何がしたいんだお前はよおおおおおおおお!?」


 俺が頭を抱えて絶叫した直後だった。トピアが悪戯っぽい笑みで「すみません。こういうシチュエーション、少しやってみたかったんです」と俺に向かい合ってきて。




 それから、ギュッと。

 彼女は、俺の体に抱き付いてきた。




「…………………………へ?」

「じっとしててくださいね」


 反射的に見下ろせばトピアの頭頂部、赤薔薇のヘアクリップでツインテールに結われた蒼い髪が、俺の目と鼻の先にあって。

 次の瞬間、その頭頂部以外の全てが―――残像になった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」


 目まぐるしい、という表現すら生温い。

 それはまるで、生殺与奪の権を掌握されたかのような窮地の果てだ。

 視界は奪われたも同然、未体験の境地が自ずと俺に死を連想させた。


「んぎゃあっ! これキツい! 超酔う! ゲロ吐く! 頭グラグラする! お前に抱き付かれたのは嬉しいけどお願いですから止まってくださいまし――ッ!?」

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