第4話『不釣り合いな同居人』

(1)


 満月の夜には貴重なものが手に入る


 今は亡き師匠の言葉を思い出す。

 本当に、昨夜は素晴らしいものを手に入れたと、アズウは、庭先で洗濯物をしながらしみじみと思った。思ってから、シエラは人間なのだから物扱いしてはいけないと自分をいさめる。

 昨夜はシエラの手作りの夕飯を食べた後、夜も遅いからということで、早々に休んだ。

 勿論部屋は別々だ。来るわけがないと思いつつも客室を作っていて良かったと、昨夜ほど思ったことはなかった。ただ、作るだけ作っておいてろくに掃除していなかったおかげで、アズウはまたも怒られることになった。が、自分の部屋よりは片付いているその部屋が駄目ならば、とてもではないが自分の部屋は見せられないと思い、大慌てで二人で掃除をして一日だけ我慢してもらった。それこそ、昨夜のシエラの顔を思い出すと、かなりアズウが譲られた部分が多かったと判断する。

「本当はもっと片付いていることもあるんだけどなぁ……」

 絶対にだらしない人間だと思われたと落ち込むアズウ。

 実際のところ、本当に家中が綺麗に片付けられているときはあるにはあるのだ。ただ、どれだけ綺麗にしたところで実験や調合に掛かりっきりになると、ついついその辺りのことが疎かになってしまうというのがアズウの言い分なのだが、こんなことならもっとマメに掃除をしておけばよかったとつくづく後悔した。


 だが、今朝のことを思い出したなら、アズウは嬉しさのあまり知らず知らず、頬を緩ませた。今朝、シエラが朝食を作ってくれていたのだ。

 いつもは不規則な時間に起き、気が向いたり、よっぽどの空腹を覚えていたりしたら作って食べる朝食。それが今日、作らずとも目の前に用意されていた。感動ものだった。

 最初は、自分の耳に届いていた包丁とまな板のぶつかる音が、現実か夢か判断できずにまどろんでいた。次に、それが現実の音だと認識したとき、軽いパニックに襲われた。


 誰かが勝手に台所を使ってる?!


 慌てて服を着て部屋を飛び出したなら、たゆたう金色の髪を首もとで一つに束ねた女性の姿が飛び込んで来た。一瞬、誰だか分からなかった。だが、それがシエラだと認識すると、昨夜のシエラとの出会いから自分が眠るまでのことが夢なのではなく、全て現実のことだったのだと理解した。理解するとじわじわと嬉しさが込み上げて来て、アズウは元気に朝の挨拶をした。我ながら子供染みていると思わなくもなかったが、まさか嬉しいという衝動に突き動かされるままに抱きつくわけには行かない。

 シエラは一瞬驚いたように肩を竦ませたが、振り返って自分の顔を見ると、困ったもんだと言わんばかりの苦笑を浮かべて「おはよう」と返してくれた。

 そんなささやかな挨拶が、アズウはとても幸せなことのように思えた。

 別に、一人暮らしが長かったアズウにしてみれば、今更一人が寂しいとは思わないし、一人でいることが不幸だと思いもしないが、それでも、朝起きると自分のために朝食を作ってくれる人がいて、声を掛けると当たり前のように返してくれる人がいるということが、とてもいとおしく思えた。

 朝食は炒めご飯とスープだった。もう少し材料があればもっと別な物も作れるんだけど……と、シエラは言っていたが、十分アズウは満足していた。


「そうだ。食料も調達しなきゃいけないな」

 ふと、手を止めて思う。

 元々一人だったために、適当に材料を使い切るような形で食材を処分し、なくなったらまとめて買いに行く。という方法を取っていたため、いきなり二人になって、元々ない材料が更にないという状況を呈していた。

 料理は出来る? と聞いておきながら材料がないのでは話にならない。いくら何でも錬金術で食材は出せないし、ない状態で料理を作れるわけがない。

 後で馬を借りられたら馬を借りて、もし借りられなければ借りられないで荷車引いて買い物しに行こう。ついでにシエラの着る物も買ってあげよう。何がいいかな? お金は貯めたのがあるし、何なら薬や布とか売りに行けばいいし大丈夫だろ。今日は午後から買い物かな?

 そう考えると、アズウはとてもウキウキして来た。自分一人が世界中の誰よりも幸せな人間のように思えて来て、とても笑顔を堪えることが出来なかった。

 それはもう満面の笑みで洗濯を続ける。もしも知らない人間が、いきなり今のアズウを見たならば、どれだけ洗濯することが好きな人なんだろうと誤解すること間違いなしだった。


 今日も空は晴天だった。風はとても爽やかだった。見下ろした村は輝きに満ちていた。

 幸せは同時にやる気も引き起こした。

 最後の一枚を洗い終え、洗濯板を脇に除け、汚れた水を一気にぶちまける。次いで、木で出来ているタライに新しい水を淹(い)れて固く絞った服を入れ、すすぐ。初めは手で、だが途中から面倒になって、ブーツを脱ぎ、ズボンを巻くって素足でタライの中に入ると、洗濯物諸共踏み付ける。この方が早く汚れが落ちると小さい頃教わり、濯ぎはアズウの仕事だった。いい歳になってもやることが子供と変わらない自分が少し情けないような気もしたが、それも一瞬のこと。幸せの前には些細なことだった。

 しっかりと洗濯物を濯いだ後は水切りだ。洗濯籠の中へ一旦濡れた洗濯物を入れ、濯ぎ用の水を捨てたなら、再びタライに洗濯物を戻す。再び踏む。水が出たら捨て、また踏む。それを何度か繰り返したら、樹と樹の間に張ったロープに干して行く。きちんと叩いて皺を伸ばして洗濯バサミで飛ばないように止めて行く。それをロープ一杯に全部干し終えたなら、アズウは満足げに頷いた。

 洗濯物が風に靡き、雲はゆっくりと流れている。小鳥が楽しげに歌い飛び交い、いつもの風景が特別なことのように思えた。

 そう思えるのも、シエラが来てくれたからだった。昨日の今日で、シエラはアズウにとって特別な存在になっていた。

 こんなにも浮かれている自分がとても久しぶりで新鮮だった。


「さて、洗濯も終わったことだし、家の中はどうなったかな?」

 いつまでも一人で幸せ気分に浸っているわけにもいかず、アズウは現実に戻って来る。

 振り返れば、家の窓という窓、玄関扉までが全開に開けられている状態が視界に入って来た。シエラが部屋の換気をしているのだ。

 洗濯物はアズウが、部屋の掃除はシエラが担当だった。これから家事もするのだから、自分が使い易いように各種道具を片付けるのが目的だった。

 初め、家の持ち主であるアズウに半ば反対を許さない雰囲気で伺いを立てて来たシエラだが、アズウに反論するつもりは微塵もなかった。頼んでやってもらうのだから、やる人がやり易い環境を作りたいと言ったなら二つ返事で了解するのが当然だと思っていた。

「もう終わったかな? それともまだかな?」

 洗濯籠とタライを持って我が家へと向かうアズウ。

 まるで他人の家にお邪魔するような不思議な感覚を抱きながら玄関から中を見て、アズウは呆気に取られた。


「うわぁ……」

 本当に知らない家のようだった。ゴミも塵もない。殺風景だった壁には記憶の奥底に埋没していた見覚えのある風景画が飾られ、お世辞にも片付いていたとは言えない散乱していた調味料は綺麗に片付けられ、棚にどうやっても納まり切らず外に出しておいた食器類も綺麗に収められ、フライパンの焦げも新品のように落とされて壁に下げられていた。

 いつも足をぶつけていた木箱はどこに行ったのだろうか? 中に入っていた食器や鍋たちはどこへ?

 しかも、床も壁もぴかぴかに磨かれていようものなら、自分がいかに怠けていたか突きつけられたようだった。

「この家の台所って、本当はこんなに広かったんだなぁ……」

 自分で立て直しておきながら、そう言えばこんな感じだったかもしれないと思い出し、一人感慨深い思いに浸るアズウ。そこへ、

「あ、アズウ。ちょうど良かった。あらかた片付いたから、後はあなたの仕事場だけよ?

 きっとあなたが使い易いように置かれているものとか、絶対に捨てちゃいけないものとかあると思ったから手を付けなかったんだけど、私が片付けちゃってもいいの? それとも一緒にやる?」

 長い髪をお団子に結い、頭に青いスカーフを三角巾代わりに被っているシエラが、袖をまくって訊ねて来た。

 アズウは言葉もなく頷いた。自分がもしここまで片付けるとしたら、それこそ一日を要するかもしれないというのに、自分が溜まった洗濯を干している間に終わらせてしまうシエラの手際の良さに、純粋に感動していた。

 だが、いつまでも感動していられるほど余裕はなかった。

「さ、アズウ。一度中の物を全部こっちに出しましょ」

「え?」

 かつて自分も一度やろうとして、あまりに時間が掛かるということで断念したことのあることをサラリと言われ、我に返される。が、

「え? じゃないわよ。一度出してしまわないと、本当に必要なものかそうじゃないのか判断出来ないでしょ?」

「で、でも、結構な量があると思うんだけど……」

 と、若干弱気な発言をしたなら、シエラの眉が斜めに上がった。怒った。

「言い訳はいいからさっさとやる! 量があるのは昨日見て分かってるわ。一人では時間が掛かるものでも二人でやれば半分の時間で終わるわ。分かったらさっさとやる! いい?」などと言われれば、アズウも逆らえなかった。

「はいーっ!」と、慌てて部屋へ飛び込む。

 が、叱られることすら久々で、アズウは淡い幸せを噛み締めた。


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