(2)



 二人は森の中を走った。アズウがケルンに向けて放ったのは強力な閃光弾。眼を瞑っても真夏の日差しぐらいの明るさを感じるほどの強烈なものだった。そんな光にいきなり眼を焼かれたなら、下手をすれば失明に近い状況になるだろう。そうでなくとも、確実に暫くの間は、視力はないものとなる。その間にアズウとシエラは森の中を走り抜けていた。出来る限り人の目に付かないように。ケルンに見つからないように。そして二人は均された道に出た。

 本来ならゆっくりと歩いて通るはずだった道だった。

「ここまで来ればもう大丈夫だろう」

 シエラと二人、肩で息をしながらアズウは勤めて明るく言った。


「こ……ここは、どの辺になるの?」

 生まれてこの方ここまで走ったことのないシエラは、痛いほど酸素を求めている胸を押さえながら訊いた。対する答えは、「僕にも良く分らない」という、頼りないものだった。

「でも、このまま下って行けば目的の場所に着くのは間違いないんだ。そもそも、一日じゃその場所にも着くものではないから、近くの村か町に泊まらなければならないんだけどね。でも、ケルンは追い付いて来ないと思うから大丈夫だよ」

「だとしても、もう一頑張りはしなければならないのね?」

「そうだね。さ、行こう」と、アズウがシエラに手を差し出したとき、

「行かせないぞ、錬金術師!」

 憎悪を凝縮した禍々しい制止の声が、二人の動きを硬直させた。あり得ない声だった。聞くはずのない声だった。ケルンは視力を奪われて暫くは動けないはずだった。視力が回復して追って来ても追い付かないほど、森を通ることで距離を稼いだはずだった。それなのに、

「ケルン……」

 シエラが掠れた声で追っ手の名を呼んだ。


 そこには、馬に跨り、顔の右半分を手で押さえ、左半分を怒り狂った表情に歪めたケルンがいた。まさか、ケルンが馬を持っていたと思わなかった。徒歩なら追い付かれることはなかっただろうが、相手が馬なら話は違う。ずっと森の中を進んでいてはシエラも辛いだろうと思い、道に出てしまったアズウの失念が招いた誤算だった。

「追い付いたぞ。どうやら神は俺の味方のようだな」

 ケルンが、悪意に満ちた笑みを浮かべながら馬から下り、左手を伸ばして言った。

「さあ、その女を渡せ」

「渡さないと言ったはずだ!」

 アズウはシエラを後ろに庇うようにして下がらせながら、真っ向から拒絶を示す。

 しかし、その当然の反応に対し、ケルンは不敵な笑みを浮かべた。

「だったら力づくで奪うまでだ。大人しく渡せば命だけは見逃してやろうと思ったが。やっぱりお前は目障りだな」


 次の瞬間、アズウもシエラも眼を見張った。ケルンの左手、その手の中の銃を見て。

「銃……」

 シエラの声が震えていた。アズウも自分の鼓動が早くなるのを感じた。銃は剣と同様人の命を奪う道具だ。それも、剣とは違い、自分は安全なところにいながら相手だけを簡単に殺すことの出来る代物だ。引き金一つ。人差し指を動かすだけで、人の命が呆気なく消えるのだ。

 かつてアズウはその脅威を見た。惨状を見た。悲しみを見て、絶望を見た。その銃を生み出したのが錬金術師なのだから、その手に掛かって大事な人を無くした者たちが錬金術師を恨むのも仕方のないことだ。そんな銃を、まさか持ち出して来るとは思いもしなかった。

 だが、だからと言って、シエラをケルンに差し出すつもりはアズウにはなかった。むしろ、絶対に渡してはならないと思った。

「そんな銃で脅して、本人の意思など全く無視して手に入れようとする傲慢なあなたに、シエラは絶対に渡せません。たとえこの命と引き換えにしても」

 と、アズウが堂々と宣言したなら、

「ただの脅しだと思ったら大間違いだぞ」

 勝ち誇った笑みを浮かべて、ケルンはいきなり発砲した。

 乾いた音を立てて、アズウの足元が抉れる。背中でシエラが小さな悲鳴を上げたのが聞こえた。脅しではないと言うことは分っていた。アズウ一人を追い込むためだけに、無関係な人々の命を奪うケルンが、今更脅しのために銃を出すわけがない。

 だからアズウは考えた。ケルンの持っている銃の形状からして、弾は全部で五発。内一発を今発砲したために、残りは多くて四発。火薬は湿ると火薬の意味を失うため、湿らせないよう注意が必要となる。つまり、湿らせてしまえば銃も怖くはなくなるのだが、手元に水気はない。弾が残り何発か分らないが、貴重な一発を威嚇用に簡単に発砲するから推測するに甚振るだけの弾数があると判断するのが妥当だった。

「これは玩具なんかじゃない。お前が望むならお前を殺して女を奪ってもいい。でも俺はお前のような偽善者が嫌いなんだ。綺麗ごとばかり並べてたる人間が嫌いだ。だからお前がただの人間であることを認めて命乞いをし、女を差し出すのなら命を助けてやろうと言うんだ。誰だって死にたくはないだろ?」

 と、問い掛けられたなら、アズウはシエラを庇いながら答えた。

「確かに、僕だって人間だ。死にたくはない」

 背後でシエラが息を飲む気配がする。

「でも、あなたがシエラを大切にするとは到底思えないんだ。僕よりシエラを幸せにしてくれる人だったら、僕は喜んでシエラを譲る。でも、あなたは信用出来ない」

 と、警戒しながら言葉を紡ぐも、答えはやけにあっさりとしたものだった。


「確かに。俺があんたの立場でも同じことを言ったかもしれないな」

「だったら!」

「だが! 俺は女より自分の命を選ぶね。意地を張って無駄死にでもした日には、一体誰が女を守る? 女も守れず、自分も守れないで終わるより、女を譲って生きながらえた方がどれだけましだか分らないだろ?」

「でも」

「馬鹿じゃないなら考えろ? 俺にはお前を殺すことが出来る。殺した上で攫うことが出来るんだ。でもしない。何故か分るか? 俺にだって慈悲の心ぐらいあるってことさ」

 それはつまり、どうやってもアズウ自身がシエラを裏切ったという事実が欲しいと言うことだった。アズウが自分の命惜しさにシエラを引き渡したなら、信じていた分シエラにとって大きな衝撃となるだろう。絶望のどん底へと落ちて行くことになる。引いてはそれがケルンのアズウに対する復讐のようなものだと言うことが推測出来た。

 信頼関係を絶つ。アズウはいつまでもシエラを我が身可愛さで売り渡したことを後ろめたさとして抱え続ける。そうすることでケルンはアズウを見下したいのだと、アズウは思った。だからこそ、どうやっても頷くわけには行かなかった。

「僕がもしも、自分の命惜しさにシエラを差し出したなら、僕は一生自分を許せないだろう。そして、一生後悔することになるだろう。僕はそんな人生に生きている意味はないと思う。だからこそ、僕はシエラを渡すわけにはいかないんだ。僕のことが目障りなら、二度とあの村には近づかない。今後一切薬を作ることを止めてもいい。だから、シエラのことは諦めてくれないか?」

 と頼んだなら、ケルンは一瞬考え込むかのように眼を閉じると、微苦笑を浮かべて言った。

「やっぱり俺は、お前が嫌いだな」

 刹那、パン。という乾いた音が一つした。


 アズウもシエラも一瞬何が起こったのか理解出来なかった。先に理解したのはアズウだった。アズウは自分を見下ろした。右の腹部に鈍痛があった。服の色が徐々に変色して行った。撃たれたのだ。と理解した瞬間、腹部から背筋を通って脳天を突き抜けるほどの激痛が走った。

「はっはあ! 馬鹿が。大方銃弾の入っていない銃を持って、ハッタリをかましてるとでも思ったんだろうが、お前の期待を裏切るための芝居だったんだよ!」

 ケルンの勝ち誇った嘲笑が聞こえたような気がしたが、すぐに静かになった。

 自分が死ぬということを漠然と理解し、死ぬのはこうも呆気ないものなのかと、他人事のように思った。確かに、少し前には死にたいと口にしたが、いざ本当に死の直面に立つと、死ぬということがどういうことなのか理解が出来なかった。思考の停止。いや、死ぬということの拒絶。死に瀕している自分の状況をなかったものとして抹消しようという意識が、頭の中を真っ白にしていた。

 その内、自分が膝を付いて倒れたことすら、アズウには理解出来ていなかった。見上げれば、泣きながら何かを叫んでいるシエラの顔と、森の木々と、その合間から青い空が見えた。


 ああ。シエラは何を泣いているんだろう? 何故、シエラの声が聞こえないんだろう?

 僕は死ぬのかな? そうか、それでシエラは怒っているのか。そうだよね、契約違反だものね。ずっと一緒にいてあげると言ったのに。シエラには笑っていてもらいたいのに。最後の最後で泣き顔。だめだなぁ……僕は。だけど、出来れば……


「笑ってよ、シエラ」


 と、アズウは言ったつもりだった。

 そう言って、シエラの顔に手を伸ばしたつもりだった。

 だが実際は、アズウの口から出たのは言葉ではなく、真っ赤な鮮血だった。

 伸ばし掛けた手も、シエラの顔に届く前に落ち掛け、シエラが掴んだ。


 ああシエラ。僕は死にたくないと思うよ。君を残しては死ねない……。生きたいよ。しえら…………いきて………ずっと、いっしょに………………。


 そこで、アズウの意識は途切れた。

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