(3)



 それから二、三日は何事もなく過ぎて行った。一応念のために魔術師から送られて来た石を削って薬を作り、自らもスルクコーネの石を作りはしたものの、ミューズのときほど切迫することなく、心にゆとりを持ちながらの日々だった。

 食事もそれまでのように二人できちんと摂ることも出来たし、掃除も洗濯もシエラの指揮の下、順調に片付けられて行った。

 そんなある日のこと、二人揃って森の中へ調合材料を取りに行こうとしたときだった。


「あ、アズウさん。アズウさん。助けてくれ。家の奴が……」

「あたしんとこの子供が……」

「お父さんが大変なんだ」

 六、七人の村人たちが血相を変えてやって来た。どれもこれも泣き出さんばかりの顔だった。

「どうしたんですか?」

 瞬時に異常性を察知したアズウは、出かけるのをやめて、自分に縋りつかんばかりの村人たちを促した。

 押し掛けた村人の一人、四十代後半の男が、アズウの手を取って、

「うちの奴、最近になって微熱が続いて、でも、俺が呑んでた熱冷ましがあったからそれを呑ませたら治ったんだが、今度は体中に気味の悪い発疹が出始めて、熱が高いみたいで、苦しそうなんだ」

 と、説明をしたなら、アズウは自分の顔が一瞬引き攣ったのを自覚した。


 伝染性はないはずなのに……!


 アズウは内心で即座に否定していた。だが、

「あたしの旦那もそうなんだ。今朝起きたら呻き声が聞こえて、何かと思ったらぶつぶつが沢山出てて……」

「家の子供もそうなんです」

「助けて下さい、先生」

 集まった村人たちの訴えを聞き、アズウは病自体が変化したのかもしれないという可能性を考えた。

「分かりました。これから皆さんの家を回ります。少し準備があるので、皆さんは先に戻っていて下さい」

「はい。分かりました」

 集まった村人たちは、アズウの言葉に素直に従った。


 家路へ向かう村人たちの足は速かった。皆、自分の家族のことが心配で堪らないのだ。

 だが、おかしいとアズウは思った。

「アズウ?」

 遠慮がちにシエラが声を掛けて来る。そんなシエラを振り返って、アズウは言った。

「シエラ。君にも一緒に来てもらいたいんだけど、いいかな?」

 シエラは真剣な顔で頷いた。そこに笑顔がないのは、シエラ自身これが異常なことだと認識しているからだろう。

 アズウは仕事場に行き、薬と天秤と薬包紙などを準備して持つと、竹篭を置いてシエラと一緒に家を後にした。


 伝染性はないはずだというのは確かだと、一応アズウは思っている。ただ思っているのではなく、根拠があって思っていた。

 もしも伝染性があるのなら、今頃ヒューズも、その妻である村長の娘もミューズと同じ症状を出しているはずだ。しかし、二人にはその変調すら現れた様子がない。その上、ヒューズ一家を中心とした他の家族にもそのような症状は出ていない。出たという報告も受けていないし、助けて欲しいと来てもいない。つまり、周辺で同じ症状を発症した者がいないということだ。無論、出たとしても、これはアズウの手に負えそうにないと判断して隣村の医師の許へ行った可能性もないわけではないことも考慮してはいる。

 だが、それを差し引いてもおかしいと思う。同居している家族に症状が出ないのは。単に抵抗力の問題だと言われてしまえばそれまでなのだが、発症するならするで、何か共通する条件があるのではないかとアズウは考えた。故に、シエラにも同行を頼んだのだ。助手として、発疹の現れた人たちの共通点を調べるために。

 本当ならば、万が一を考えて置いて来ようとも思ったのだが、何となく、一人にさせると危ないような気がした。そう思ったことに根拠はない。アズウが「待っていて」と言えば、シエラは悲しそうな表情をするかもしれないがきっと家で待っていただろう。だが、アズウはしなかった。

「大切なものは目の届く範囲に置いておくのが一番だ」と言っていた師匠の言葉の所為かもしれない。何にしろ、気がついたときにはアズウは、シエラに「一緒に来て」と言っていたのだ。それを今更なかったことには出来ない。それはただシエラを傷つけるだけなのだ。

 シエラの仕事はメモを取ることだった。アズウが次々に家人に質問をし、その答えを一問一答形式でシエラがメモして行く。後でそれらのメモを見たとき、メモの見易さにアズウは驚き、感心した。片付けもそうだが、シエラは要点を押さえるのがとても上手いのだと感動した。


「では、この薬を食後に一包み飲ませて下さい。そのとき、必ずコップいっぱいの白湯で飲ませて下さい。いいですか? 後の詳しい注意事項はメモにして残して行きますから、必ず読んで守って下さい。いいですね? それでも不安なら、ちゃんとしたお医者様に診られること。僕に気兼ねなどはいりません。ではお大事に」

 そう言って、最後の一軒を後にしたのは、陽も沈みかけた頃だった。

「一応終わった……。こう言うのもどうかと思うけど、ホッとしたらお腹が空いて来たよ」

 と、帰り道にアズウが言えば、

「そう? じゃあ、帰ったらすぐにご飯を作るわね」

 笑顔を浮かべながらも、少しばかり疲れを滲ませてシエラが答えた。

「簡単にすぐ出来るものでいいよ。シエラも今日は疲れただろうし。何なら僕が作ってもいいし」と、半ば本気でアズウが言えば、

「大丈夫よ。私よりあなたの方が疲れているでしょ? また倒れられたら困るもの」

 と、やんわりと断られた。シエラが来てから一度だけアズウが食事を作ったことがあるのだが、そのとき、久々の料理なのと、シエラが食べるのだと思ったのと、作っているのを見られていると意識した所為で、アズウは物の見事に失敗した。

 見た目が悪くても味が良ければ救いはあるが、見た目が良くても味が悪ければ、そこには救いも何もない。見た目に騙され一口口に入れた瞬間、空気共々二人の動きは硬直した。


 気まずい沈黙だった。アズウは一言だけ「ごめん」と謝り、シエラは一言「大丈夫よ」とだけ返した。

 シエラが来るまではアズウは自炊していた。たまに出来たものを貰ったこともあったが基本的には自炊だ。

 そのときは「美味しい!」と絶賛出来ないまでも、普通に食べられる範囲内で味は安定していた。だが、あのときばかりは違った。

 きっとシエラは、「一体今までどういう食生活をしていたんだろう………」と呆れたに違いが、アズウは、その後一切名誉挽回の機会は与えられていなかったため、誤解されたままだった。だからこそ今が名誉挽回のチャンスだと思ったのだが、どうせ食べるのなら美味しいに越したことはないと、あっさりと引き下がる。故に、それ以上意地になることもなく、「じゃあ、お願いするね」と、アズウは頼み、シエラが「任せて」と引き受けたとき、

「あ、アズウさん!」

 前方で、精一杯腕を伸ばして自己主張をしているミューズに名前を呼ばれた。

「あれは、ミューズちゃん?」

 と、薄闇の中認識したなら、ミューズはもう目の前まで来ていた。


 ずっと、家の前で待っていたのだろう。そして、自分たちを見つけた瞬間駆け寄って来たのだということを想像したなら、アズウは片膝を突いてミューズを抱き止めた。

 ミューズは恥ずかしがることもなく、アズウの首に腕を巻いて抱きついた。

「おかえりなさい、アズウさん! おねえさん!」

 ミューズがアズウから離れて元気に挨拶をする。

「はい、今晩は。ミューズちゃん。もう大丈夫なの?」

「うん。だいじょうぶ」

 シエラに問われて満面の笑みで答えるミューズ。

 薬がきちんと効いたことが分かって、アズウは心の底から安心した。

「本当にどこもおかしいところはない?」

「うん。とってもげんきよ」

「でも、どうして僕たちがここにいることを知っていたの?」

 と、アズウが尋ねれば、ミューズは楽しそうに答えた。

「あのね、ミューがげんきになったのは、アズウさんのおかげだからきちんとげんきになったすがたを見せにいこうね。って、おとうさんがいったの。で、みんなでアズウさんのうちにいこうとしたら、アズウさんたちがこっちにきて、いろんなおうちまわってるってきいて、だったらここでまってたら、アズウさんとーるよね? っておとうさんにきいたら、おとうさん「とおーよ」って言ったから、まってたの」

「ありがとう」

 アズウは素直にお礼を言った。

「ミューズちゃんの元気な姿を見れただけでとっても嬉しいよ。でもね、暗くなってから一人で出歩いちゃ駄目だよ。お父さんもお母さんも心配するよ?」

 と、注意をしたなら、ミューズは得意げな笑顔で言い切った。

「だいじょうぶ。あそこでおとうさんもおかあさんもこっちを見てるから」

「え?」と、指差された方を見たなら、確かに、道の前に出てこちらに頭を下げている二人の姿がそこにあった。

「あのね、おとうさんもおかあさんもアズウさんにおれいがしたいんだって。だからいっしょにごはんをたべてもらいたいんだって。ミューもおてつだいしてたくさんつくったんだよ。もちろんおねえさんもいっしょだよ。きてくれるよね? いっしょにたべてくれるよね?」

 と、突然言われたなら、アズウとシエラ、二人は思わず互いの顔を見合わせた。あまりに突然だった。互いに「どうしよう」と、その眼は物語っていたが、

「きてくれるよね?」

 などと、不安そうに尋ねられれば、二人は同時に苦笑を浮かべた。

「お言葉に甘えさせてもらいます。って、おとうさんたちに伝えてくれるかな?」

「うん!」

 ミューズの返事は早かった。そして行動も。返事をするが早いか両親の許へ走り出す。

 そんな後ろ姿を見てアズウは立ち上がり、二人揃ってミューズの家へと足を向けた。

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