石に還る (1)

 暗い淵の底に沈んでいくような――。


 自分の手や足の形、顔や背格好が思い出せなくて、自分が人という生き物ではなくて、小さな石にかわってしまった気がした。


 まわりに、黒ずんだ血の色に似た赤黒い炎が生まれていて、ごうごう音を立てながら燃えていた。炎の不気味さと熱が苦しくて、セイレンは、手足がなくなった石の身体を懸命にふるわせつつ、身悶えた。


 苦しいけれど、ふしぎと恐怖は感じない。



 たしか、この夢は前にみた――。



 前に一度、同じように苦しんだ覚えがあったから、「ああ、またか」と思った。 


 目はないはずなのに、隣に、小さな石粒がぽつんとあるのに気づいた。石の形がつぶさに視えているわけではないのに、自分とそっくり同じ石だとわかった。


 隣にぽつんと置かれたその石も、前に夢でみたことがあった。


(石媛? 石媛でしょう。なんだ、あんたも石になっちゃったんだ)


 それは、双子の姉の石媛が、手も足も顔も失って小さな石にかわった姿だ。


 それにしても、顔も身体も失って石だけになってしまうと、セイレンと石媛はまごうことなき瓜二つ。まったく同じ姿をしていた。


 だから、嗤った。


(あんたと一緒にはなりたくないって思ってたけど――身体をなくして石になると、身なりも顔の表情も仕草もなくなるし、違いがわからないよね。違うっていったら、もう記憶くらいかな。――なら、この記憶は大事にしなくちゃね。あのね、本当にわたしは、あんたと同じになりたくなかったんだ。だから、あんたに文句をいってる今の負けん気も大切にしなくちゃね。だってこれは、わたしが今まで抗ってきた証だもの。もしもあんただったら、腹を立てるなり落ち込むなりしても、どっちにしろ泣くだろう。わたしはべつに、泣きたくないもん。怒りたかったんだ。――本当だ。そういえばわたしって、いつも怒ってたね?)


 笑いかけるようにして隣にぽつんといた石粒を覗き込むと、その石は思ったとおり泣いていた。


 石には顔も手もなかったけれど、石の内側にいる石媛がぽろぽろと涙をこぼしている――そんな気配がした。


(あのさ、わたしがいうのもなんだけど、もう泣くのはやめなよ。どうして泣いてるの? 泣いてもさ、『かわいそうに』ってまわりに思わせるだけで、なにもかわらないんだよ。泣くだけじゃ誰も助けてくれないんだ。――本当だよ? だから、いやなことがあるなら文句でもいってさ、泣くよりも怒ってさ、早く立ち直りなよ。――違うな)


 なぐさめたつもりだったけれど、さしてうまいなぐさめ方ではなかった。すくなくとも、これまで自分をなぐさめてくれた人たちほどには石媛を助けられていない気がした。


 これまでセイレンは、いろんな人になぐさめてもらったし、助けてもらった。


 あの人たちみたいに、わたしも――。これまで力をもらったように、自分も石媛のことをなぐさめてやりたいと、記憶を探った。


(ええと……とにかくさ、わたしが一緒にいるから大丈夫だし――これは、藍十か。恥ずかしいことなんか全部笑い話にしてしまえばいいんだしさ――これは、日鷹か。それから、雄日子……雄日子はなんかあったかな。――ないな。あの男のなぐさめる文句はわりと口だけだもんなあ……。あいつだったらこういうかな。あんたは弱いんだから、弱いことを思い知ってあきらめろ、かな。そうだそうだ、あいつならこんな感じだ。優しい顔しといてさ、後で『わかったか? わかったなら僕に従え』って偉い顔すんだよね。――やっぱりあいつ、いやな奴だよな――。まあ、とりあえずさ、あんたにはあんたでいろいろあるだろうけど、いやなことばっかり考えてもどうしようもないし、悪いことは悪かったって認めてさ、次にやることを考えようよ、ね?)


 わたしもそばにいてあげるよ。誰がなんといおうが、わたしたちは双子の姉妹なんだもんね――。


 そういおうとして黙った時、隣の石にある石媛の気配が、ちらりと輝いた。


(ありがとう、セイレン。――でも、もうむりなの)


(むりって?)


 尋ねると、石媛の気配がちらちらと瞬く。燃え尽きかけた炭の底火が、最後に小さな火花を散らすようだった。


(災いの子か――。いまなら、すこしだけ意味がわかる。きっと私もあなたも、二人とも災いの子だったんだね。だって私たち、二人で別々のことをしていても、結局同じ場所に居合わせて、同じように土雲の滅びを望んでしまったんだもの。同じことを考える人が二人いて、その二人がまったくべつのやり方で願いを叶えようとしたら、きっとどんな願いでも叶ってしまうんだろうね……。私とあなたの区別がつかない神様や、私でもあなたでもどちらでもいいっていう雄日子様のような方もいて――でも、私たちの違いが見えてくると、どちらかが選ばれてしまって)


 石の中に、丸いかたちをした水粒がぽとりと落ちた。それが石媛の頬を伝った涙だと、セイレンは疑わなかった。


(土雲は、きっとはじめからどこかがあやうくて、おかしかったんだ。だから、同じことを考える二人が、二人分の目で別々に見ると、こんなのは駄目だ、おかしいって気づく人が現れるって、昔の誰かが怖がったのかもしれないね。結局こうなって、土雲の里はなくなってしまった。私がみんなを……どうしよう、セイレン、どうしよう……私、〈箱〉にあんな力があるなんて知らなかった――ううん、知ってた。みんないなくなれって、あの時の私は願っていたんだもの。どうしようセイレン、私……どうしよう――)


(石媛……だからね、それは違うんだ。土雲の里を滅ぼそうとしたのはわたしも同じだよ。あんたがやらなかったら、わたしだってみんなが死んでいくのを黙って見てたはずなんだ。あんたと同じなんだ)


(ううん、でも……私だったもの。もともとのはじまりになったのも、私だったもの。あなたのことを引きずっちゃってごめんね――。たくさん迷惑かけて、ごめんね――。あなたをここに連れてきてしまったのも、私――でも、双子でよかった。こういう時にも一人じゃないんだもの。――あのね、私、死んだの)


(――え?)


(私が死んだから、一緒に生まれた時みたいに、あなたが一緒に来てくれたの。あのね、いまの姿はね、私たちが生まれる前の姿なの。生まれる時と死ぬ時だけ、わたしとあなたはこうしてぴったり重なって同じになるの。でも、すこしでも離れると……)


 小さな石粒のなかで、石媛はぴかりと笑った。


(私は双子に生まれて、あなたと一緒に大きくなれてよかったと思う。ありがとう、セイレン――。もういっていいよ。私は一人で大丈夫だから。あなたも、一人で大丈夫なんだもの)


「えっ?」


 自分の声を聞いた気がした。まだ石粒の姿になっているはずなのに。


 次の瞬間。とんでもなく大きな足に踏み潰されたような、妙な圧迫感を感じた。


 悲鳴と、「いまのなに?」と脅えた驚嘆の声が混じって、何度もそれを叫んだ。


 上から踏まれたと思ったら、横からも、下からも踏まれる。同じ時を空けて別々の方向から順番にもみくちゃにされるようで、痛いというよりは重い。


 石媛の気配が、すこし遠い場所からいった。


(いまね、私とあなたが離れているところなの。いまはぴったり重なっていたから静かに感じていたけれど、私たち、思った以上にそっくりで、同じだったの。そっくりなものが近すぎる場所にいると、こうなるの。もうすこし離れたらいままでみたいに楽になるから、もうすこし待って)



 離れるってなんだよ。

 離れるって――。



 叫び声をあげたけれど、セイレンがいた場所は騒がしくなっていて、自分の声などきこえなくなっていた。


 耳鳴りがして、遠くのものが近づいてきたり、遠ざかっていったり。わん……わん…と音と唸りで身体を叩きつけにくる。


 そうか、さっき、身体が踏みつけられたと感じたのは、このうねりのせいか。このうねりの中に放り込まれたせいか――。そうだと気づくことができたのは、身体をもみくちゃにしていたうねりの波が、すこしずつゆっくりになっていたからだ。


 はじめはわけがわからなくなるくらいぐちゃぐちゃだったのに、いまは「波だ」とわかるし、「もうすぐくる」と覚悟をつける暇があるほどには、押し寄せてくるまでの間隔もあった。


 うねりが押し寄せるたびに身体が散らばって、また集まる気がしていた。


 天高い場所から地面に叩きつけられるような、自分の身体だったものが重いものに投げられて、ぶつかって、散らばって、また集まって――そして、波がひいていくと感じる間に天高い場所に掴み上げられていって、また落とされる――その繰り返しだ。


 何回か耐えていると、だんだん自分が削られていくのがわかった。


 叩きつけられて、散らばった後に戻ってくるものは、叩きつけられる前の自分よりもすこし足りなくて、減っていた。


 強い雨風が岩を削ったり、川の水が岸の土を崩したりするように、セイレンは波に削られていた。


 身体から削れて遠ざかっていくものの中に、石媛の涙を視た気がする。


 その瞬間に、気づいた。


 うねりに削られて身体から失っていくのは、双子の姉の石媛の部分なのだ。

 


 いやだ、嫌いだ、あいつと一緒になんかなりたくない――。



 物心ついてから、セイレンは毎日そう願い続けてきた。


 そいつの気配が、重い地面に叩きつけられるたびに散らばって、身体から離れていく。「待って」と呼びかけても、戻ってこなかった。


「違う――。そんなんじゃない。わたしはあんたと同じでいるのが嫌いなんじゃない。あんたのことだって嫌いなんかじゃない。ただ……あんたがどこかで笑っていると思うと――わたしが泣いている時にあんたが笑っているのを見るのが、とてもつらかったんだ。つらくて――。だって、本当は同じなのに、みんなが違うっていうから……」


 飛び去っていくかけらを集めたくて、腕を伸ばしたかった。


 でも、石の身体では腕は思うように伸びなかったし、細かな塵や粉になって飛んでいく石媛の残り香は、追いつこうとしても追いつけないはるか彼方へと、またたく間に飛び散っていく。


「わたしは、あんたが羨ましかったんだ。母様やお婆様に大事に育てられるあんたが羨ましくて仕方がなかったから、あんたのことをずっと見ていたんだ。見ないふりをしても、羨ましくて、楽しそうに笑うあんたの顔を見ていられなくて、あんたと同じだと思いたくなかったんだ。それだけだから――わたしが悪いんだ。わたしがあんたと一緒になりたくなかったのは、わたしが弱かったからだ。わたしが悪いんだ」



 いやだ、違う――。待って――。



 抗おうとしてもうねりは同じ間隔でやってきて、セイレンを天高い場所に引き上げると、地面に叩きつけてばらばらにする。散らばった後で戻ってくるものもあったけれど、風のようなものに浚われて、どこか遠い場所へと運ばれてしまうものもあった。


 待って――と、飛び去っていくかけらに手を伸ばした。


 でも、分かれていったかけらは一粒すら手元に戻ってくることがなく、いつのまにか、身体が粉々に潰されるようなうねりはゆっくりになっている。


 うねりや波のようなものが、おさまりかけていた。石媛の気配も遠のいていた。それはきっと――と、理由に気づくと、セイレンは気を失った。


 それはきっと、二人がばらばらに分かれてしまったから。石媛が、もう二度と出会えない場所にいってしまったからだ。


 さっき叫んだセイレンの声に、石媛の声が答えた。


 その声は、はるか彼方――遠い場所からきこえていた。


(うん――私も同じ。あなたのことを考えない日は一日もなかった。私も、あなたのことが羨ましくて仕方がなかった。だから、あなたになりたいと思った。きっと、あなたの真似をして、あなたが思ったように、土雲を捨ててもかまわないって思ったんだ。――あなたもきっと……私がもっていたもの――土雲のすべてを、壊したいと思ったんだよね?)



  ◆  ◇    ◆  ◇ 



 びくっと身体が跳ねて、起き上がった。


 身体がばらばらになりそうな痛みがないことに驚いて、悲鳴が漏れた。


 咄嗟に手のひらが、肩と腕、胴へとつぎつぎ伸びる。身体のありかをたしかめようと自分を抱きかかえた腕はふるえていたし、唇も顎もがくがく揺れていた。


 身体はちゃんとあった。小さな石粒になってはいなかったし、粉々にもなっていない。


 でも、妙に足もとが苦しい。足が、ぞっとするくらい軽くて、生まれた時からそこにあったはずのものが消えていた。


 背中に、温かなものが触れる。手のひらだとわかったのは、そばに雄日子がいて、すこし高い場所から耳に落ちてきた声を聴いてからだった。

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