王の片恋 (1)

 乗ってきた馬は石媛に譲っていたので、セイレンは石媛が乗る馬の手綱をひいて、高島の都への道をたどった。


 どうせ世話を焼くなら、藍十がひく馬に乗ったフナツのほうがよかったし、ツツのほうがよかった。


 石媛のための馬番じみた真似をしてやるのが心底しゃくで、武人の群れにまじって歩いているあいだ、ずっと腹が立ちっぱなしだった。でも、こいつから目を離してなるかと、気が気ではなかった。


(ツツ……)


 藍十がひく馬は、すぐ後ろにいる。藍十の馬にはツツとフナツが二人で乗っていて、無言で涙をこぼすツツを、フナツが後ろから抱きしめていた。ツツの義父のチトネが、山の上で息絶えてしまったからだ。


 チトネは自分の腹を刺した小刀を使って黒衣の青年に傷をつけたが、それは牙王がおうの知恵だったらしい。


 山を下りはじめると牙王がそばにやってきて、そう話した。


「前にチトネから神というものを殺したいときいて、その男がなんなのかを考えたのです。大地の神――土に因しているものならば、我が故郷の術では、滅するには水をもちいます。土は火にも、光にも、雷にも、闇にも強く、土を崩すたった一つのものが水だからです。その男の身体のなかに水を入れたらどうかと助言しました。水のなかでもっとも強い呪力をもつものは、生き血です。ですから、その男を殺したいと思っているおまえの身体をめぐる血を、そいつのなかに入れてやれと――」


 牙王は真顔をしていたが、人が死んだからあえて無表情をつくっているというふうで、さして悲しんでいるようには見えなかった。


「わかったよ。もういい」


「そう不機嫌にならずに――あの男はよろこんでいましたよ」


「わかってるよ。だから、もういいっていったんだ」


 そっぽを向くと、牙王は苦笑して自分の列にもどっていった。


 




 高島の宮に戻ると、石媛を馬に乗せたまま、宮のはずれにある小屋の前までいった。チトネとツツが使っていた小屋だ。


「馬から下りろ。登るのはむりでも、下りるくらいできるだろ」


 石媛は、足首まで垂れた裳をぎりぎりまでひらいて馬の背にまたがっていた。


 セイレンから「やれ」といわれて、よろよろ動きはじめるものの、馬上で身体を支えつつ片方の側に両足を揃えるのも、そこから足場になる鐙を探してつま先をさまよわせるのも、なんとも不格好だ。


「とろいなぁ――」


 見ていられなくて、結局手を貸してやった。


「……ありがとう」


「いいから。入りな」


 馬から下ろすと、小屋の戸をあけて、なかに入るようにいった。


「薬入れをちょうだい。本当は〈箱〉ももらっておきたいんだけど――」


 山の上で、石媛は土雲の一族をすべて眠らせてしまった。人だけでなく、大地の神とかいう男まで――噂が本当なら、その男は石媛の夫のはずだ。


 小屋の壁には、突き上げ式の木窓が四つあった。


 太陽は西に傾きはじめていたので、木窓から射し込む光は琥珀色に色づいている。小屋のなかに充ちた光も、濃い蜂蜜色に染まっていた。


 追いやられるようになかに入った石媛は、小屋の真ん中にぽつんと立って、セイレンが手を差し出すと、ゆっくりとした仕草で腕から薬入れをはずす。


 石媛の薬入れには、染め具を贅沢に使って何度も染め上げた糸で縁飾りがされていた。


 水濡れを防ぐ工夫だけが丹念にされたセイレンの武具帯とはまるで別物で、いずれ土雲媛になる娘の持ち物にふさわしい、華麗な布道具だった。


 石媛は武術を習わないので、セイレンの腕にある武具帯と違って、吹き矢の針をしまう差し込みはなかったし、内側にしまわれた薬の種類も違うはずだ。


 手渡された薬入れを眺めつつ、セイレンはため息をついた。


「さっきの……どうやったんだ? 土雲媛になる奴は、一族だけを殺せる薬を持ち歩いてるのか? おっそろしい――」


 石媛が〈箱〉を使った時、〈箱〉から出ていった雲は、雄日子が焚いた炎の熱に負けることなくまわりに広がった。


 冷気に似ていて、雄日子のそばにいたセイレンも「寒い」と感じたし、ということはつまり、その雲は、雄日子や高島軍の武人たちにも届いていたはずだ。


 でも、雄日子を守る武人は誰一人倒れなかった。倒れたのは、土雲の一族――それも、雄日子を敵とみなしてはむかおうとした者だけだ。


「それは……ううん――」


 石媛はなにかをいいかけて、うつむいた。


 茜色の光のなか、石媛はぼんやりと立っている。正面に立って間近でみればみるほど、同じ顔だ――と、セイレンは思った。


 石媛とセイレンは顔つきも背格好もほとんど同じで、見た目で違うところは髪の結い方と身なりだけだ。


 セイレンの髪は、細かい房に分けて結って小さな飾り布を五つくくりつける、一族の娘風の結い方をされていたが、石媛は黒髪を背中まで下ろしている。


 身なりも、セイレンは動きやすい旅装束だが、石媛が身にまとうのは足首までを覆う長い裳と、広い袖のついた上衣。


 それは、石媛がいずれ土雲媛を継ぐ貴い娘で、毎日おこなうのは祈りの稽古であり、野良仕事や狩りをして働いたり、武術の稽古をしたりしなくてもよかったからだ。


 向かい合って二人で立って、茜色の光のなかでしばらく過ごした。


 うつむいた石媛のまつげの長さや、頬のまるみや、いまにもふるえそうな唇を、じっと見つめる。


 白い首や、ふるえそうな肩や、薬入れを差し出した時のまま宙に浮いた華奢な指や――。


 石媛にあるものが、たとえ自分の身体にあるのとそっくり同じだとしても、セイレンから見たら、目の前にいる石媛はまるっきり別の人だ。


 とくに指は、自分のものとは違った。セイレンの指は切り傷だらけだったし、爪もところどころが削れていて、洗ってもとれない汚れもあった。



 ああ、やっぱりこいつは自分じゃない。

 わたしはわたし、石媛は石媛だ――。



 そう思うと、ようやく息がすっと吐けるようになる。気が落ち着いて、声をかけることもできた。


「ごめん、わたし、いくよ。フナツとツツもここに連れてこなきゃいけないし――」


 フナツとツツは、藍十が面倒をみてくれているはずだ。


 あいつも忙しいのに、任せっぱなしにするわけにいかないし――。そう思って、ここを去ろうとすると、石媛ははっと顔をあげて呼びとめた。


「あの……」


 目と目が合った。


 目の前に、なにかいいたそうにじっとみつめる目と、自分にそっくりな顔がある。


 石媛の顔は、泣き出す手前のようだった。まるい目には涙が溜まって潤んでいて、小屋に充ちた茜色の光を浴びて、にぶく輝いている。


 哀しそうにしているわりに、きれいな顔だ――心の底からは悲しんでいない奴の顔だ――そう思うなり、目を逸らした。


 嫌気がさしたわけではなくて、鏡に映った自分の顔を見せられた気がしたからだ。


「――わたしに、あんたに文句をいうことなんかできないんだよ。わたしもね、フナツが助かったことのほうが、あの里が滅びるよりもうれしいと思ってるから。だから、あんたと同じだよね。でも――」


 声がふるえた。喉まで込み上げた責め文句もあった。



 でも――もうすこしやりようがあったんじゃないか?

 もうすこし、躊躇ちゅうちょしてもよかったんじゃないか?

 だって、あんたは一族の貴いお姫様だったはずだろう? 

 災いの子じゃなくて――。



 口をつぐんだ。どうしてもいえなかった。


「ごめん、いまはあんたと話せない。いくね――」


 石媛に背を向けるのは、鏡に映った自分の情けない顔から目を逸らすような気分だ。


 数歩進んで、戸口をくぐる直前。後ろから石媛の声がした。


「セイレン……ごめんね、ありがとう――」


 涙声だった。振り返ると、石媛は小屋のまんなかにぽつんと立って、目を潤ませている。


 だから、苦笑した。


 やっぱりこいつは自分じゃないと安堵もした。


「いいよ。あんたが無事でよかった」






 小屋を出るなり、早足になった。すこし遠ざかると小走りになって、最後には脇目もふらずに駆けた。


 誰の目にも入らない場所にいってしまいたかった。自分に泣き顔をみせた石媛のように、セイレンも泣きたかったからだ。


 小屋からすこし離れたところに林があった。そこに駆け込んで、一番奥までいって、まわりに誰もいないことをたしかめると、目に入ったなかで一番太い幹にしがみついた。


「――どうすんだよ、本当にみんな死んで、いなくなったよ。生き残った土雲媛はあの馬鹿だけで、全然頼りにならないし――もう里も焼かれてないし――どうすんだよ」


 ああ、泣きそうだ、泣く……と怖くなって、人の目がない場所まで逃げてきたのだが、ごつごつとした幹を掴んで呻き声を出しきると、涙はひいていった。


 頬にこぼれた涙は、一粒か二粒。思ったよりも涙が出なかったことに安堵するような、悲しいような、「人でなし」と自分を思い切りあざけりたいような――。


 幹に背中をもたれて、頭上にひろがる空を見上げた。


 樹幹のずっと上のほうまで、木の枝は続いていた。枝葉は樹のてっぺんに乗る緑の冠のように四方にひろがっていて、隙間から、紫がかった色をした夕空が覗いている。夕暮れ時が終わり、夜が近づいていた。


(藍十のところにいかなきゃ。フナツとツツのことをきかなきゃ――)


 やらなくてはいけないことはあるのに、腰に根っこが生えたように動けない。


 足は動かないのに、手が、胸もとに伸びた。癖のようにひとさし指と親指でつまんだものは、首からさがった石飾り。〈雲神様の箱〉と呼ばれる一族の秘具だ。


 〈箱〉はどちらかといえば四角い形をしていたが、岩から削り落ちたようないびつな形をしていて、内側に向かって無数の孔があいている。


 その石飾りのことは物心ついた時から知っていたし、土雲の里に住むすべての者がもっていたから、これまでは気づかなかったけれど――はじめてセイレンは、その石飾りのことを不気味だと感じた。

 


 これ……なんだろう。

 雲神様って、なんだろう。

 大地の神ってやつも土雲媛もいなくなったのに、どうしてこれは残っているんだろう。



 ため息をついて、石飾りから手を放した。


 自由になった手のひらで膝頭をかかえこんで、うつむく。


「土雲ってなんだろう。もうみんないないのに――。わたし、これを捨てる時がきてもいいのかな――。どうしよう」


 うめき声の続きのように、不安が口から出ていった。




  ◆  ◇    ◆  ◇ 




 小屋が石媛ただ一人のものだったのは、それほど長い時間ではなかった。


 セイレンが出ていってしばらくすると、声と足音が近づいてくる。


 声は藍十という青年のもので、一緒にいる誰かをなぐさめるているのか、しばらく一人でしゃべっていた。


「すこし落ち着こう。な? フナツもなんとかいってやってよ。な?」


 「あけるよ」と声がかかって、木戸があく。


 そして、藍十という名の青年が、背の低い子どもの背を押して小屋のなかに入ってきた。たしかその子の名はツツだったと、石媛は思い出した。


 藍十は小屋のなかを見回して、真顔をした。


「セイレンは? ここにいないのか」


 石媛がうなずくと、藍十は指先で首筋を掻いた。


「そっか、どこにいったんだろう。雄日子様のところ……じゃ、ねえよなあ。今日のあれのあとじゃ――どこかに隠れてるかな……。わかった、ちょっと探してみるわ」


 そういって藍十がどこかへ去ろうとするので、石媛は思わず声をかけて、駆け寄った。


「あの……すみません、雄日子様はどこにいらっしゃいますか。私は雄日子様にお会いしたいのです」


「はい?」


 衣にしがみついて見上げると、藍十は目を白黒とさせた。


 この男はあの人の居場所を知っているのだ――。そう思うと、石媛は藍十の衣を握り締めた指をほどけなかったし、藍十の驚嘆顔を見上げる目には、涙がこみ上げた。


「お願いします。雄日子様にお会いして、お話ししたいのです。お願いします……」


 真上を向いて訴え続けると、藍十は口元を押さえて、横を向いてしまった。


「やべえ、すげえへんな気分だ――セイレンの顔をした子から、女の子女の子したお願いされちまうと」


 藍十はしぶったが「お願いします」とくり返すと、了承した。


「わかったわかった。でも、会えるかどうかはわからないよ。あなたが会いたがってると伝えることはできるけど、あなたに会うか会わないかを決めるのは雄日子様だからさ」



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