双子の媛が出会うとき (4)
「山ごと燃やし尽くしてもかまわん。いくぞ」
まだ集落に火が残っているあいだに赤大はそういって、護衛軍を引き上げさせてしまった。
山から下りてくる武人の群れを、茂みに隠れて覗き窺う男がいた。
飛鳥を発って旅を続け、高島にたどりついた二人の男、
高島に着いてまもなく、ものものしい軍行をみつけて後を追っていたのだが、その軍が向かった先は小さな山で、こんなところになんの用があるのだと、なおさら不思議に思い、ひそかに後をつけたのだが――。
武人の群れのなかには、ひときわ豪奢な飾り馬に乗った若い男がいたので、その男の顔を知らないなりに「ごらん、たぶんあれが雄日子様だ」と、二人で話をつけていた。
雄日子という名の高島の若王と一緒に山を登ろうとした武人には、およそ百人がいた。
いずれも長身、剛健な身体をした武人ばかりで、腰にさげた剣も、背中に渡した矢筒や梓弓も立派なもの。百人と数こそすくないが、戦慣れした精兵に違いなかった。
だが、後をつけてみると、雄日子が連れていたのは百人だけではなかった。
雄日子が向かった山を囲むように、その十倍、いや、もっと……軽くみつもっても千人以上の兵が精兵軍の後を追っていた。
「なんだこれは……尋常じゃないぞ。この山の上になにがあるのだ――」
背後に従う大軍の動きに目を光らせつつ、二人で茂みに隠れて待ち続けると、やがて、山に火が放たれた。
火ははじめ山の頂きからあがったが、それが合図になったように、山裾からも火があがる。火で山を覆うような異様な焼き方で、たとえば山に逃げ込んだ賊を火で追いたてるとか、山焼きをするとか、二人が知っていた火の付け方ではなかった。いうなれば、まるで、火の熱を上へ上へと届けるような。
「まずいぞ、金村。逃げるか」
「大丈夫でしょう。山の上に雄日子様がいるのだから、この道には火が回らないようにするでしょう」
慌てた麁鹿火を金村がさとして、しばらく経つと――。火の手がややおさまって、山を登っていた武人の群れが、同じ道をくだって戻ってきた。
百人の武人は、いずれも身体中に灰を浴びていた。汗ばんだ腕や顔は黒と白の灰で薄汚れていたし、髪も衣服も灰で白くなっていた。
長身の男ばかりが連なる武人の群れには女が三人いて、よく目立っていた。若い娘が二人と三十路の女がひとりで、そのなかの娘を見つけると、麁鹿火が金村の袖をにぎりしめた。
「あの娘だ……! 俺の軍をひと息で倒した――!」
「静かに」
興奮して声をあげる麁鹿火をいさめつつ、金村はその娘の姿をじっと目で追った。
齢の頃は十四、十五あたり。身体は細いが、たおやかな雰囲気はない。森で生きる小さな獣のように、近づいていけばふっと飛び跳ねて威嚇をするような、妙に気の荒い印象がある。
衣装が独特で、腕には針のようなものが並んだ布をまき、首からは四角い箱のような形をした石飾りをさげ――。
四角い箱――と、唇の内側で反芻して、金村は麁鹿火に問うた。
「大和の軍が追い払われた時、娘が笛のようなものを吹いたといっていたな。もしかして、あれですか」
「ああ、あれだ。あの娘があれを口にかまえて吹いた後に、俺たちは身体が動かなくなって――」
「ということは、あれは――」
金村の唇がふるえた。
「あれは、土雲だ」
「土雲?」
「まつろわぬ民ですよ。知りませんか。天の御子をこばんで山の上や
金村は口早にいった。
軍勢がすべてとおりすぎてしばらく経ってから、二人はそうっと茂みのなかから出た。
金村は、山を登ろうとした。
「見にいきましょう。必ずなにかあります」
「そりゃ、なにかはあるだろうが――」
我先にと山道を歩きはじめた金村とは裏腹に、麁鹿火はしぶしぶ後をついていくというふうだった。金村のように目を輝かせられるほど、この先にあるものに興味が湧かなかったからだ。
「なあ、金村。まつろわぬ民というのは――」
答えた金村は、呆れ口調だった。
「……いま私は、はじめてあなたのことを馬鹿だと思いましたよ。剣の稽古だけでなく、すこしは勉学に励まれたらいいのだ」
「なに――」
「いえ、実をいうと、今はじめて思ったわけではなく、時おり感じていたのですよ。だいたいですね、いくら武家の裔だからと、武術の稽古だけをしていては力勝負しかできないただの馬鹿になるだけです。そんな者が戦の指揮をとれば、国家の転覆をまねきかねないわけで、実際に
「――そこまでいっておいてなかったことにする気かよ。あぁあぁ、おまえは賢いよ。俺は力勝負しかできない馬鹿だよ。どうもすみませんねえ」
麁鹿火はすねて舌打ちをしたが、金村はとくに麁鹿火の機嫌を気にするそぶりもなく、さらりとこたえた。
「まつろわぬ民というのは、大王となる者が従えていく異賊のことです。――麁鹿火、あなたの
「俺の?
「ええ、そう。私が知っている名は
山道を早足で歩きつつ、金村は気がせいたふうに話を続けた。
「つまり――この山に住んでいるのが、あの娘……土雲に関わりのある場所だったら、雄日子様の狙いは――ああ、もう、これ以上はいえません」
くくっと、金村は言葉を飲み込むついでのような笑いをこぼした。
山を登るにつれて、物が焦げる臭いがきつくなっていく。
しだいに道はばが広くなり、真っ黒に焦げた門が見えてくる。
門の向こう側にはまだ火が残っていた。
二十以上の小さな家が点在する集落で、一番奥には、唯一焼け残った大きな館が見えている。
黒焦げになりながらも屋根や柱にちらちらと火を灯す家々の前に、百人くらいの人が積み重なるようにして倒れていた。
矢が刺さっている者もいたが、ほんの十人程度で、そのほかは怪我もなく、血を流すこともなく、眠るように倒れている。眠っているにしては静かで、寝息を立てることもなく、誰一人、ぴくりとも動かない。
「……死んでる?」
麁鹿火の声がふるえた。
似た状況に心当たりがあったが、麁鹿火は、自分が覚えているのとは様子が違うと思った。
前に自分がやられた時――たった一人の娘が吹いたなにかに触れて気を失った時は、その後で目が覚めた。
でも、目の前で積み重なる人からは、この後で起き上がるような気配がなかった。
それに、麁鹿火はいまここに充ちている気配を知っていた。それは、死んだ奴にある気配だ。
新しく土が掘り起こされて、盛り土がされている場所があった。盛り土の大きさからいって、埋葬の痕。だが、一人分か、多くても二人分だ。
埋葬されたその一人か二人以外の大勢は、命を落とした瞬間の姿で倒れていた。まるで、そのまま時が止まったように。
「まるで、皆殺しにされた後だ」
山ごと集落を焼かれて、住んでいた者はことごとく命を奪われて――。
呆然と立ち尽くす麁鹿火のそばで、はっはっはっは……と、金村が、気が狂ったように笑いだした。
背中をまるめて、目をみひらき、ひきつけを起こしたように身体中をふるえさせる。
「やるねえ、雄日子様は。やることはしっかりやってらっしゃるんだ! 大王に仇なす異賊を滅ぼすのは、天の御子の宿命。はっはっはっはっは――笑いが、笑いが止まらない……」
ひい、ひい――金村は、喉を鳴らして笑っている。目尻には涙を浮かべていた。
「もうだめだよ、麁鹿火。
いったいなにがおかしいのか。麁鹿火にはわからなかった。
「なんの話なんだ。土雲というのを滅ぼすのが、そんなに大事なことなのか」
「滅ぼすというか、従えるというか? なにかしら新しい御代がはじまる時には、必ず異賊がかかわるからねえ。
「はあ? 歴史を学んでいるかどうか? たったそれだけで片づけられるような問題なのか、これが!」
麁鹿火は、目の前に積み重なる屍の山を指さして大声を出したが、金村はそれ以上こたえなかった。ひい――と、息を切らしつつまだ笑っている。
「いやあ、まいった。雄日子様はすごい方のようだね、麁鹿火。――なんといえばいい、鋼の意思? 冷酷? 徹底的? やろうと思えばここまでする方なのに、飛鳥が素通りされたのはなぜだ? ……わかる、わかるよ……いまの飛鳥など取るに足らないと判断されたからだ。
「おい、金村……」
「だって、そうでしょう。負けが決まっている戦に身を投じる奴がどこにいますか。雄日子様に飛鳥は敵わないと判断したら、窺見なんてものをやる必要はないでしょう? つまり、私とあなたは、雄日子様と稚鷺王のどちらにつけばいいのかを、これから調べにいくんですよ」
「話が違うじゃないか……!」
叫びかけて、麁鹿火は唇を閉じた。
これ以上こいつに大事な話をするものかと、警戒したからだ。
(誰がこいつを信用するものか。こんな奴――)
とはいえ、いまにはじまった話ではなかった。麁鹿火はずっと前から金村のことを油断のならない奴だと思っていて、だからこそ苦手だった。
「いきましょう、麁鹿火。ここにはもうなにもありません。生きている人もいないでしょう」
「ここに俺を連れてきたのはおまえだろうが」
金村は先に歩き出していたが、望むところだと、麁鹿火も後を追う。むしゃくしゃしていたので、歩幅は大きくなっていた。
いらいらと数歩進んだところだった。ちょうど弔いの盛り土をされた場所のそばで、麁鹿火は足を止めた。
地面が真っ黒になっていたからだ。真っ黒な煤と
何百年ものあいだ建っていた稀有な炊ぎ屋があったとして、その梁に長年かけてしみついた煤や灰が何層にも重なって、溶けたような。
はじめは「黒いな」と思っただけだった。しかし、地面にこびりついた煤と脂が、なにかの形にみえると感づくと目が離せなくなり、青ざめた。しかも、その形は――。
(これは、人の形をしていないか。まるで人がこの場で焼け死んだような――)
みればみるほど、麁鹿火は煤と脂でできた形に人の姿を想像した。まるで、背の高い男が力尽きて地面に倒れ、溶けたような――。地面にできた黒い染みは、おぞましい形をしていた。
(なんだこれは――)
息を飲んで足もとを見た時、影のちょうど真ん中に視線が落ちた。
それが人の形だとしたら、ちょうど胸のあたり。そこに、ぽつんと置かれたものがあった。
親指と人さし指でつまめるほどの大きさの石で、でこぼこと細かく膨らんでいて、いびつな形をしている。あちこちに孔があいていて、内側の仕組みはよくわからなかったけれど――。
腰を落としてそれをつまみあげるなり、麁鹿火は目を見張った。
「これは……」
きっとそれは、土雲とかいう異賊の娘がもっていたのと同じものだ。
口元にあてて息を吹きこみ、自分と、自分が率いた百人の兵を眠らせてしまったものだ――。
「麁鹿火、おいていきますよ。さっさといきましょう」
ここには用がないとばかりに、金村はもう門をくぐって山道に戻っていた。
「あ、ああ」
金村にこたえつつ、麁鹿火はその石飾りを、腰にさげた小袋にしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます