双子の媛が出会うとき (2)
「囲め」
背後から武人が駆け出して、土雲の民を囲んで半円をつくっていく。武人の手には矢をつがえられ、わずかでも動けば――と、土雲の民を狙った。
最後のとどめとばかりに、部下たちがじわりと囲いこんでいく様を、雄日子はみつめていた。
あるとき雄日子は、セイレンの肩越しに土雲媛へ声をかけた。
「どうした。僕に仕えるかどうか、こたえをいえ。沈黙は拒んだものとみなす」
その声は、セイレンの耳がぎくりと驚くほど冷えていた。
振り返らなかったから自分の目ではたしかめなかったけれど、きっと、首尾をみつめる雄日子の双眸も、声と同じく冷えているのだ。
でも、セイレンはそれでいいと思った。
それくらい冷酷なほうが、自分も迷わずに済む。
かわいそうだとか、うしろめたいとか、胸にある暗い想いも、雄日子の冷えた声で凍えさせておきたかった。
ふと目線を下げると、ハルフの影で地べたにうずくまる土雲媛と目が合った。
土雲媛の目はセイレンを睨んでいて、視線で痛いほど刺してくる。
なぜおまえは、土雲の民のくせにそこにいるのだ。
これはすべて、災いの子のおまえのせいか。
やはり、おまえなどは早々に命を落とせばよかったのだ。
祖母の心の声をきいたと思うと、冷えた胸の底に、小さな怒りが湧いた。
(勝手に決めるな。いつどう死ぬかを決めるのはわたしだよ。だいたい、わたしが災いの子かどうかも、あなたに決められたくない――ううん、怒るな)
深く息を吸った。頭を冷やせ、落ち着けと、自分をいいきかせた。
(あなたのことは嫌いだけど、違う。わたしがここに立っているのは、あなたを恨んでいるからじゃないんだ。ただ――わたしは、災いの子でいるのがいやなんだ。この男のそばにいればわたしは災いの子じゃなくなって、たとえ死んでも、災いの子じゃないまま死ねるんだ。わたしは、あなたが決めたように死にたくないんだ)
まばたきをするのも惜しんで、皺に覆われた祖母の目をみつめ返した。
表情は落ち着いていたはずだし、雄日子を背に守って立つ姿も凛としているはずだ。
伝わったのか、そうでないのか。
そっぽを向くように土雲媛はセイレンから目を逸らして、ゆっくりと膝を立てていく。
土雲媛はもともと身体が細かったが、大勢の武人に囲まれて地べたにしゃがんでいると、覚えている姿よりもさらにかよわいものにみえた。でも、劣勢に屈しようとはせず、か細い身体を懸命に起こした。
「おのれ、たかが人の子のくせに――みな、怯むな。〈箱〉をかまえよ」
土雲媛はみずからを手本とせよとばかりに、骨ばった指で首からさがった〈雲神様の箱〉をたぐりよせた。
「なぜ、我ら土雲の民が神の裔と呼ばれるのか。この男は、そのまことの理由を知らぬ愚かな人の子だ。我ら土雲は大地の神の裔。それを思い知るがよいのだ」
セイレンの目が、土雲媛の手元に吸い寄せられる。
(〈箱〉――?)
里に広がった火の手は弱まることなく家々も森も燃やしたので、雄日子の周りにはまだ天へのぼる熱と風が充ちている。
雲がうまく操れないのは今も変わらないはずだが、土雲媛の老顔に浮かんだ笑みは報復に悦ぶふうだった。
ハルフや、土雲媛を近くで守る男たちも〈箱〉を口元に寄せた。男たちの顔はそろって翳っていて、これからはじまるなにかに脅えていた。
「みなのもの、〈箱〉を――」
土雲媛が命じる。でも、最後までいう前に言葉を飲み、よろこんだ。
「お出ましだ。お出ましになられた――」
土雲媛が気にしたのは、背後。
火でつつまれた地面の上を、ゆらりゆらりとやってくる影がある。
集落は半分以上が焼け落ちていて、ゴン……と、柱や屋根が崩れる音がやまびこのように轟いている。崩れ落ちた屋根や壁にも火がうつって、土雲の里は真っ赤に染まり、まるで炎の湖に沈んだようだ。
やってくる影は背の高い男のかたちをしていて、燃え盛る炎のなかを進んでいた。
生身の人にはできないことだが、男は炎に脅える気配がなく、炎の波をかきわけるようにして、ゆっくりゆっくりと近づいてくる。
男が身にまとう装束は漆黒の色をしていた。その黒は、赤い炎の海のなかにいると、長年火にあぶられて焦げた炭――これ以上は焦げそうにない特別なものにも見えた。
右足、左足……と、男は地面を踏みしめるように近づいてくるが、表情も気配も異様だ。男は、殺意でつくられた小蛇を身にまとっているふうだった。
その男は若い青年の姿をしていて、背中まで下りた黒髪に、小さな飾りが八つほどついている。頬や目尻には
男の目はつり上がっていて、顔には憎悪しかなく、口の両端が引きつっている。男は、雄日子のもとをまっすぐに目指していた。
「おのれ……きさまか」
「――僕は、おまえに覚えがないが」
雄日子が静かにはむかうと、男は冷笑した。
「人の子ごときに用はない。我は、きさまについている天の光に用があるのだ」
「天の光?」
雄日子が、口に含むように反芻する。
青年は、ちょうど炎の壁を出たあたり、土雲媛を背に庇うような場所で足をとめて、炎を背に軍勢の前に立ちふさがった。
うずくまった土雲の民のほうから、「大地の神様……」とすがるような声が洩れきこえる。
それで、セイレンは眉をひそめた。
(そうか、こいつが――)
きいた話が本当なら、いま目の前にいる男は「大地の神」が人の姿にかわったものだ。
「大地の神」というのは、土雲媛が神の土穴で祈りを捧げる相手で、土雲一族を守る神らしい――と、セイレンはきいていた。
でも、神の土穴に入ることができるのは土雲媛だけだったので、セイレンは大地の神というものを見たこともないし、加護を受けた覚えもない。
だから、畏れは抱かなかった。
(神? 神ってなんだ)
そもそもの部分がわからなくて、かえって頭は冷めていく。
この男は石媛の夫で、石媛とフナツを閉じ込めてしまった奴だ。土蜘蛛の里でセレンを殺したのも、自分を石媛とまちがえて殺そうとしたのも、この男。
セイレンにとってその男は、それだけだった。その男から「神様」を思わせる壮大な気配を感じなかったからだ。
その男もセイレンに気づいて、驚いた。
「
顔を合わせるなり睨まれ、そんなふうにいわれるので、「はあ――?」と、腹の底から唸り声が出た。
怒りが熱くて胃の腑が焦げそうだ。
一瞬のうちに腹のなかが沸騰したようになって、細かく息を整えていないと、湯気を散らす怒りが、身体を突き破って飛び出してしまいそうだった。
ちょっと待て。いまの、きき間違いだよな?
あんたは神様なんだよな。だから、ばかな奴がするような勘違いなんか、しないはずだよな?
あんたまで、わたしが石媛から土雲媛の宝珠を盗んだと思ってるわけか?
しかも、天の子を夫にした裏切り者って――それは、石媛だろ?
あんたのなかじゃ、わたしが盗人で裏切り者でって、そんな話になってるわけか?
怒りが熱すぎて言葉にすることができずに、唇をふるわせるセイレンを、青年の目は蔑んでいた。
「きさまが生きているから、このようなことが起きるのだ。双子の片割れなど、生まれてすぐに山魚の腹に入るべきだったのに、きさまなどが生きているから――」
ついには、見るのもいやだとばかりに目を逸らされる。
「いい。おまえは後だ。まずは、いまいましいあいつの足を我が土から払ってくれる」
地面のはるか深い場所から、どん、どん、どん……と太鼓に似た音が響きはじめる。
音がするたびに地面の底から突きあがる揺れもあって、地震が起きたように地面はぐらぐら揺れた。
はじめこそ悲鳴があがったが、ぐっと地面を踏みしめていれば倒れずに立っていられる程度だ。
セイレンは足を踏みしめた。こんな奴の妙な手にひっかかって倒れてやるかと、奥歯を噛んだ。
(前と同じだ。
前にセイレンは大地の神に殺されかけたが、結局なにも起きなかった。「息がつまって死ぬがいい。土に還ることもできずに永久にさすらうがいい」と、地鳴りを起こした奴にいわれたが、ただ地面がふるえただけだった。
セレンが殺された時も妙だったとチトネはいっていた。神なら神らしく異形のわざを使ってみせればいいのに――と。
こいつにはなにもできない。そう思うと、青年を睨みつける視線が冷めていく。
青年と雄日子のあいだに立ちふさがり、セイレンは肩幅にひらいた足に力を入れた。
「こいつに矢を撃ちこめ。当たったら倒れるかもしれない。こいつに矢を撃ちこめ!」
(わたしは盗人でも、天の子を夫にした裏切り者でもないよ。だから、こいつも「神様」じゃない)
胸のなかに生まれた怒りが成りかわったものは「射殺せ」という号令だった。
隣に立つ赤大や雄日子の背後に並ぶ武人たちを振り返りながら、セイレンは声を張り上げた。
「こいつにはなにもできないよ。神様じゃなくて魔物だもの。鼻息荒くいってるだけで、なんにもできない、人にそっくりな魔物だよ。人と同じ殺し方しかできないし、人と同じように勘違いも間違いもする。だから、人と同じように死んでいくよ。矢を撃ちこめ!」
セイレンの声を機に、弓矢がかまえられる音が連なる。
ぎりぎりと
「放て」
赤大の号令で、いっせいに弦がしなる。どっ、どっ――鈍い音をつぎつぎ響かせて、百のやじりは黒衣の青年の身体に突き刺さった。
頭や顔、肩や胸、腹、脚。百人の武人が放った矢が命中して、青年の身体は矢だらけになった。
土雲の一族から悲鳴があがる。
でも、青年は倒れなかった。血も流れない。
小虻を鬱陶しがるように手で刺さった矢をよけて、抜こうとした。
「矢が効かない――?」
部下たちのあいだに動揺が湧いたのを、赤大は声で振り払った。
「死なないなら張り付けるまでだ。矢をつがえよ。地面に引き倒して、この場に縫い付けてしまえ」
ふたたび、ぎりぎりと弦の音がしなる。
でも、次に矢が放たれることはなかった。赤大の号令が響く前に、青年がのけぞって、うめき声をあげたからだ。
青年の背後に飛びこんだ小柄な男がいた。
チトネだった。
チトネは小刀をかまえていて、青年の背中から刃を突き刺していた。
刃の部分は青年の身体をつらぬいていたので、身体の外にあるのは柄の部分だけ。
両手で柄を握りしめて、チトネは気が狂ったようにげらげらと笑った。
「やった……やってやった……」
青年はぐらりとよろけて、地面に片足をつく。背中から、黒い
「おぉ――」
武人たちから歓声があがる。「神」というものが手傷を負ったのだから。
「矢をつがえろ。とどめをさせ」
赤大が声を張り上げる。
ぎりきりと弦が引き絞られていく音に、気の高ぶりが重なっていくが――。やがて、一人、また一人と、矢羽根をつまんだ指先から力を抜いていった。目の前で起きていることの異様さに、男たちは茫然となった。
大勢の目がみつめるなかで、チトネは一度小刀を引き抜いた。
自分もよろけながら、チトネはその小刀を自分の腹に向けて、迷わず刺した。
血しぶきがあがるのもものともせずに、自分の腹を刺しつらぬいた刃を引き抜くと、赤い血にまみれた刃を、ふたたび黒衣の青年の横腹に刺し入れる。
傷口から黒い脂のようなものがどろりと垂れていくが、そこに、チトネの腹からこぼれた赤い血も混じって落ちていく。
チトネはよろけて、男の脇腹に刺した小刀を抜くことなく柄から手を離した。地面に崩れ落ちて、笑いころげた。
「邪術だよ。神を殺すには邪術がいいんだ。あの男がいったとおりだ。――
血まみれの腹を庇おうともせずに、チトネは地面をころがって笑っている。
セイレンの手からも力が抜けていた。
吹き矢筒を地面に落とさずに握り続けるのが、精一杯だった。
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