王の妻問い (2)

 大津から高島までは、歩いて一日。


 故郷の宮に戻ると、雄日子は、自分の身を守って旅をしてきた護衛軍に二日の非番を命じた。


「三日後に軍議をひらくから、必ず戻れ。頼みたい役目がもう一つだけあるのだ。それが済んだら家族のもとに戻ってもよいから、それまでは頼んだよ」


 宮門の前で、武人の群れに向かって雄日子はいったが、その役目というのが、フナツを助けに土雲の里へ向かうことだと知った時、セイレンは身体がふくらんでいまに弾けそうだと不安になるくらい、胸がつまった。


 ありがとう、ありがとう――と、雄日子への感謝の言葉ばかりが頭のなかに回る。


「非番っつってもひまだろ? 働いてみる? ほら、おれたちって帰る家が高島にあるわけじゃねえし」


 藍十に誘われるので、休んでもいいといわれた二日のあいだも、セイレンは雄日子をそばで守る役目を引き受けた。


 護衛の武人に休みをとらせはしたが、その二日のあいだも、雄日子は旅の最中と同じく忙しい日々を過ごした。


 高島に着くなり、その宮で暮らす祖父――高島王のもとにいって、夜遅くまで館から出てこなかった。


 次の日も朝早くから祖父と話しこんでいたし、その合間をぬって、訪れてくる貴人の相手もこなした。


(そうか、旅をしているあいだはこうして客と会うことがなかったから、雄日子にとってはのんびりした時間だったんだ)


 それに気づくと、申し訳なくなった。


 旅の合間に、武術やら馬術やらの稽古をして、寝ずの番もして、毎日疲れると文句をいっていたけれど、雄日子ほどではなかったからだ。


 高島の宮は旅先よりも守りが堅いということで、守り人が寝ずの番を任じられることもなくなった。


 一晩中ぐっすり眠れるのはありがたいが、「では、おやすみ」と、寝所でそばを離れるのがうしろめたいと感じるくらい、雄日子の周りが落ち着くことはなかった。寝所にこもればこもったで、考えごともするだろう。


 二日が過ぎて、軍議がおこなわれる日がやってくると、またセイレンは驚いた。


 百人の武人を大庭に集めて話を進めたのは、赤大だった。


「よいか。明日のぼるのは、すくなからず厄介な山で、長居をすれば頭が痛くなったり、気が遠くなったりもする霊山のひとつだ。長居は無用だし、身体の向き不向きもあるだろう。自分にはむりだと判断したら、迷わず山を下りろ。それで、策は――」


 雄日子の護衛軍の長みずからが、土雲一族のもとへ妻問いにいく雄日子を守るふりをせよとか、そのあいだにセイレンと藍十が別の動きをするから、なるべく雄日子を飾って注意をひけとか、翌日おこなわれるはずのことをくわしく聞かせる。


 軍議の場で話をきいているあいだ、セイレンの胸はどきどき鳴って止まらなかった。


 ――自分みたいな小娘の身勝手な望みのために、これだけの人が動くのか――。


 ありえないことだが、なぜそんなことが起きるのかといえば、それを命じたのが雄日子だからだ。


 生まれ育った里の者からは「姉のために死ね」と浚われかけているのに、雄日子からはこれだけ手厚く助けてもらっている。


(なんてありがたいんだろう――)


 赤大の話をきいているあいだに、何度も涙が出そうになった。


(せめて、わたしができることをしなくちゃ。なにか、せめて――)


 軍議が一区切りして、藍十とセイレンは雄日子とともに退出することになった。


「このあとは雄日子様とともにいく連中のための話をするから、館に戻っていなさい」


 そういわれるので、セイレンは、雄日子に頼んだ。


「ねえ、宮の外に出てきてもいい? あと、布があったら欲しいんだ。森で薬草を集めて、鼻と口を守る覆い布をつくろうと思って。土雲の里で、強い毒に慣れない子どものためにつくることがあるんだ。赤大たちの分をつくれたらって――」


「ああ、どうぞ」


「ありがとう」


 許しを得ると、セイレンは笑顔になって駆け出した。


 目指すは、高島の宮の外。森に入って薬草を探すつもりだった。


 宮の外に続く門に向かって駆けていると、後ろから藍十が追いかけてくる。


「待てって。一人でいくな。一緒にいこう」


「でも、雄日子の守りは? 日鷹も帆矛太ほむたもまだ大庭にいて、赤大の話をきいてるだろう」


 藍十が追いついて、二人並んで歩きはじめると、藍十はそっぽを向いた。


「雄日子様がおまえといけっておっしゃったんだ。ほら、おまえは宮の外にひとりで出るとあぶないんだろ? ここは高島の宮で、守りの番兵も大勢いるから、わざわざ守り人がつく必要はない……と、おっしゃっていた」


「やけに人ごとみたいに話すね。雄日子が、自分の守りはいいからわたしを守れっていったのがいやだった?」


 藍十の態度は渋々ここにいるというふうだ。


 理由を察して笑いかけると、藍十はようやく目を合わせる。


「そういうわけじゃねえけど……」


 藍十は諦めたようなため息を吐いている。それから、セイレンの頭のうしろに手を伸ばして、わしわしと髪をかき混ぜた。


「おまえって、口は悪いし男みたいなところもあるけど、素直でかわいい、いい子だよなあ」


「なんだよ、突然ほめ出して」


 からかわれているのか、面白がっているのか。


 ははっと笑って藍十の顔を見上げるものの、藍十はどちらかといえば暗い顔をしている。


「まあいいや。いこう。雄日子様がいけっていってんだから、おれも薬草探しに付き合うよ。なんだっけ、覆い布づくり? それも手伝ってやるからさ」


「やけにやけくそっぽくない? べつにいいけど――ありがとう、助かるよ」


 藍十と二人がかりだったせいで、薬草はすぐに数が揃ったし、らくに持ち帰ることもできた。


 宮に着くと、雄日子が布を用意させておいてくれたので、材料も揃った。


 生乾きの薬草を布でくるんで形をととのえ、晩までには、一緒に山をのぼる全員のための覆い布を仕上げることができた。


 つくったぶんのうち一つを、ためしに自分の顔に巻いてみるが、仕上がりは上々。


 覆い布越しに息を吸うと、薬草のすっと鼻に抜ける涼しい香りが鼻の奥に溜まる。土雲の里で使われていたものとほぼ同じ出来に仕上げることができた。


 毒の風を吸い込むものは鼻と口だ。その鼻と口を布で覆って、毒の風を和らげる薬草と一緒に息を吸えば、身体が蝕まれるのをおさえられる。


(もう山魚様が去っているはずだから、山にあった毒気は薄れてるはずだ。前に雄日子が山に登った時よりも、いまのほうがずっと登りやすくなっているはず。だけど――)


 とはいえ、霊山は霊山。山の下とまるっきり同じというわけでもない。


(こんなものを使っても、気休め程度だろうなぁ)


 いよいよ土雲の里がある山にのぼるという日の朝、セイレンは、出かけることになった武人すべてに覆い布をくばって、手ずから顔に巻いていった。


 男たち一人ひとりをしゃがませて頭の後ろに結び目をつくりながら、助言することも忘れなかった。


「山の上には、わたしがもっている〈箱〉と同じものをもった奴が大勢いる。いいか、〈箱〉を向けられたら、息を止めるか伏せるかして風上に逃げろ。山の毒気は防げても、〈箱〉で雲を吹かれたら、こんなものじゃ役に立たないから」


 本当に恐ろしいのは、一族の者が使う〈雲神様の箱〉だ。


 〈箱〉は、土雲の一族同士で相手を殺す時にも使う。


 セイレンは一族のなかでも身体が強いほうだが、それでも〈箱〉から出た雲を浴びたらその場で動けなくなる。


 土雲の一族でもなく、雄日子や藍十のように土雲媛の宝珠を飲んだわけでもなく、赤大や日鷹や、ほかの武人たちが毒の雲を浴びたら――。


 最後の一人に覆い布を巻きつけてから雄日子のもとへ向かうと、不安が口をついてでた。


「ねえ、雄日子――山の上にいってわたしの一族の誰かに会ったら、手荒なまねをしちゃだめだよ。あなたたちに脅えた誰かがこの〈箱〉を向けたら、雲を浴びた全員がその場で倒れるから――。ううん、やっぱりあぶないよ。あなたたちをあぶない目にあわせるわけにはいかない――やめよう。わたしとチトネでいくから――」


 雄日子は笑うだけで取り合わなかった。


「まだ試してもないのに? なぜそう不安がる」


「悠長な――余裕すぎるよ」


 本気で心配しているのに、話をきくそぶりすらされないので、セイレンは呆れた。


樟葉くずはの戦でわたしがやったのを見たでしょう? 風向きさえよければ、わたし一人でも百人くらいあっというまに倒せるんだよ。土雲の里には、わたしみたいのが百人くらいいるんだよ。怖くないの?」


 「風向き――」と雄日子は反芻して、くすりと笑った。


「おまえが欲しいからだよ。育ての親を助けたら、これからずっと僕のそばにいて僕を守ると、おまえは誓っただろう?」


 セイレンは、おかしいと思った。


「わたしは、あなたの命があぶないっていってるんだよ? たとえ、あなたがいう妻問いっていうの? それがうまくいって話し合いで済んだとしたって、あなたが命を晒すことになるんだよ? それなのに、引き換えになるのがわたしじゃ釣り合わないよ」


 雄日子は苦笑してみせた。


「勘がよくなったな。まあ、僕も、それなりのものはもって帰る気だよ。それに、もしもおまえの一族の者から襲われることになっても、こちらもなにもしないつもりではないしな。全員に弓矢はもたせた」


「弓矢と雲じゃ、雲のほうが――」


「それで、先に訊いておきたいのだが――もしも僕がおまえの里で殺されそうになったら、僕は相手を殺してでも自分の身を守る。それでもいいか」


 土雲の一族は、決して寛容な性分をしているわけではない。


 十歳になって、里の子どもがはじめて〈雲神様の箱〉をもらう時、はじめに教わるのは威嚇の仕草だ。「ひるむな」「戦え」と教わるのだ。


 弓矢を背負った百人の武人の群れが里に現れれば、土雲たちは脅えて牙を剥くかもしれない。そうしたら、双方で戦うことも起こりうる。


「わたしの里の人も、その時はあなたを殺そうとすると思う。いいよ――わたしも、もしも殺されそうになったら、きっとそうする……」


 セイレンの頭のなかにも、これからなにが起きるのかが鮮明に描かれていった。


 育ての親のフナツは、石媛と一緒に神の土穴に閉じ込められているという。


 土雲媛やハルフや、ほかの連中に怪我をさせたくないからといって、フナツが囚われたままでいいとは思わない。フナツをいじめる奴が笑うために、フナツが我慢を強いられていいわけがなかった。


「誰かを助けにいくって、誰かを殺しにいくことになるかもしれないんだね。誰かを傷つけてしまうかもしれなくても、それでも……わたしはフナツを助けたいんだ」


 雄日子は微笑んで、うなずいた。


「なにかをしようと思えば犠牲はつきもので、そうなるものだ。――まあ、挑んでみたところで歯が立たなそうなら逃げるしかないのだがな。その時はおまえにも、かわいそうだがその女のことは諦めてくれというかもしれない」


「それは、もちろん――その時は自分でどうにかするよ。あなたは身体が強くなっているはずだから、赤大とか日鷹とか、ほかの連中ほどじゃないけど、あなただって怪我をさせるわけにはいかないんだからね?」


 真剣にいったのに、雄日子はからかうようにくすりと笑うだけだった。


「いつのまにか、しっかり守り人だ」


「ほんとに、いつも笑ってるよね。余裕すぎだよ。土雲の里だよ。わたしが百人くらいいるようなものだよ。囲まれて〈箱〉を吹かれたら、わたしも抗えないんだよ?」


「そうだな――」


 雄日子は笑っていた。


 でも、一度だけ、その笑顔を見上げたセイレンの背筋が、ひくりと凍えた瞬間があった。


 薄気味の悪い冷たい風が、ふっと胃の腑をとおり抜けたような――。


 いま感じたものが幻か白昼夢ひるゆめだったかのような、ふっと我に返った時の戸惑いだけが残る。でも――。


 雄日子はいつもどおり、涼しげに微笑んでいる。


 雄日子の笑顔を見上げて、セイレンは唇を結んだ。いま身体のなかを吹き抜けた寒気に、心当たりがあった。


(いまの、狸の顔だった――)


 雄日子の腹のなかにもう一つ顔があるとしたら、それは、いま浮かべているような笑顔ではないのだろう――そう思った。



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