罠 (2)

 寝所を出て連れていかれたのは、離宮に仕える侍女たちの棟だ。建物はほかと同じだが、裳やら上衣うわいやら飾りやら領布ひれやら、大きな布がそこらじゅうの壁に掛かっていて、やたらと色が多い。


 香木の香りで満ちていて、ふっと漂うだけだと心地よいと感じる香りも、濃くなれば鼻が曲がりそうになる。鼻をつまんでいると古参の侍女から「はしたない」と手をどかせられるので、口だけで息をしなければならず、とても息苦しかった。


 そこで、セイレンは侍女と同じ姿にさせられることになった。


 これまで着ていた衣のかわりに着けられたのは、足首までを覆う丈の長い裳。雄日子や藍十が身につける上衣に似たものを着せられて、赤味がかった飾り着を重ねられる。


 髪も梳かれて、侍女たちと似た形に結いあげられた。髪を結いあげる時には油をたっぷり塗られたので、髪がべったりと濡れたような気分で気味が悪いやら気持ち悪いやら。


「いままでお召しになっていたものは洗っておきますから」


 着ていた服は奪われてしまったので、これだけは渡すまいと、薬と吹き矢を仕込んだ武具帯と、首からさげた〈箱〉と小刀は、しがみつくようにして決して放さなかった。


「まあ、品のないこと……」


 侍女たちからは嗤われたが、気にはならなかった。


 いくらみっともなく見えようが、大切なのだから守るしかない。


 手首まである袖の裏に武具帯を巻いて隠して、〈箱〉も首からさげる。問題は、帯から提げていた武具をどこにしまうかだ。


「もういいんだろ? わたしいくから」


「まだ、お化粧が――」


 侍女の不機嫌な声に呼びとめられたが、服は着替えてやったし、髪もいじられてやった。もう十分だと、セイレンは侍女たちの棟を飛び出した。


「雄日子、どこだ!」


 館を出て、庭を大股で横切る。


 足首まである裳は足を出すたびにからみついてきて動きづらいが、髪だけはいまのほうが楽だった。土雲流の結い方のほうが髪を細かく結わえるので、つねに引っ張られる状態になるのだ。


「雄日子!」


 きっと雄日子は寝所に使っていた館にいるはずだ。


 探していると、角鹿つぬが赤大あかおおをともなって離宮の道を歩く雄日子を見つけた。


 着替えたのか、雄日子もすこし身ぎれいになっている。


 侍女の姿になって駆けるセイレンを見つけて、にこりと笑った。


「よく似合う。おまえがこの姿になってくれると、とても助かる。この姿なら、宴でおまえを連れて抜けても妙な目では見られないだろうな」


「――動きにくい」


「慣れろ。僕は、藍十あいとおに近づく稽古をするくらいなら、その姿で動ける稽古をしてほしい。僕は、おまえらしいおまえに守ってもらえるほうがいい」


「わたしらしいわたし?」


「藍十は二人いらないんだ。一人で十分。――おいで。おまえにしか頼めないことがある」






 雄日子を追って歩きながら、セイレンは喰いつくように尋ねた。


「ねえ、どこにいくの?」


「――今日は和邇わにの王と会うことになっている」


「和邇の王?」


「明け方、出かけていた荒籠あらこの部下が戻ってきて知らせた。朝に和邇の都を出たはずだから、昼ごろにはここに着く」


「――ごめん、和邇わにってなに?」


「一族の名前だ。飛鳥の端に住んでいて、秦王はたおうと似た役目を果たしている。――もっと簡単にいおうか。和邇の一族はいま飛鳥のために働いているが、僕は飛鳥を裏切って僕の仲間になってほしいと思っていて、一族の長の男を荒籠の部下に呼び寄せてもらったのだ。それで、これから会う」


 そういえば――と、セイレンは昨日のことを思い出した。


「つまり――昨日、ここに着いてすぐに馬飼うまかいが四人出ていったのは、その男の人に会いにいってたってこと?」


「そういうことだ。それで、これから会って話す。狐と狸の話だ」


 雄日子が冗談をいうように笑うので、セイレンは唇を突き出した。


「狐と狸って、自分でいうかな、それ。それで、なんでわたしがこんな格好をさせられたわけ?」


「いまは、稽古かな」


「稽古?」


「今日みたいに、信用できるのかそうでないのかわからない相手と会う場合、僕はそばに守り人を置きたいのだが、あまり大勢連れていくと相手に警戒される。でも、おまえなら武人ではないやつに化けられるだろう? 相手を出しぬける」


 つまり、こういうことだ。


 そのへんにいる侍女のふりをして雄日子についていって、その姿のまま守れというのだ。藍十や日鷹たちみたいに、いかにも強そうな武人の身体をした男だと相手がいやがるから――。


 理解はしたが、卑怯だと思った。


「なんだよそれ。騙し討ちみたいでいやだ」


「おまえは、狩りをする時に罠を使うことはないのか」


「あるけど。獣道に落とし穴を掘ったり、木を裂いてくさび罠をしかけたり――」


「おまえの見た目は、落とし穴や楔の罠と同じだと思え。おまえは娘なんだから、娘の見た目も存分に使えばよい」


「ええーっ」


「どうして納得できない? なにか理由があるのか?」


 並んで歩きながら、雄日子はセイレンを見下ろしている。その目をちらりと見上げて、ぽつりといった。


「――わたし、娘らしい格好をするのがいやなんだ」


「どうして?」


「だって――石媛に似る気がするから」


 渋々と答えると、雄日子はくすっと笑った。


「双子の姉か? おまえと姉姫は似ていないだろう」


「顔はそっくりだよ? 背格好も……」


「僕は、おまえにはじめて会った時も姉姫とは別人だとわかっただろう? おまえと姉姫は全然似ていないよ。見かけはそっくりだけどな」


 ぽかんと呆けた。


 セイレンと石媛は生まれた日も見かけも同じなのに、かたや聖なる姫と、かたや災いの子として育てられた。見かけ以外は、性格も喋り方も表情もまったく逆だと思っていたし、違うことが嬉しかった。


 というより、同じになるのが心底いやだった。


 きっとそれは、どこかでは自分と姉姫が似ていると気にしていたからだ。


 「全然似ていない」ときっぱりいった雄日子は、どうやって二人を見分けたのか。


 じゃあ、なにが違うの? あなたはわたしと石媛をどうやって見分けたの――?


 もっと詳しく聞きたかったけれど、なぜか答えを聞いてしまうのが怖くて、尋ね文句はなかなか口からは出ていかない。


「どうした、急に黙ったな。――なら、どうしておまえは藍十と同じになりたいんだ?」


「どうしてって――」


 雄日子は「どうして藍十と……」と訊いたが、頭のなかにはべつの問いが回る。


 「どうして石媛と同じになりたいのだ」と訊かれた気がして、ぞっと寒気を感じた。


(違う。わたしは石媛と同じになりたくないから、石媛みたいな格好をするのがいやなんだ。似てしまうのが怖いんだ)


 唇を閉じていると、雄日子が小さく首を傾げる。


「おまえはおまえだろう。この世にたった一人しかいないというのはうれしいものじゃないのか?」


「――あなたはそうなの? 『高島の若王の雄日子様』はこの世にあなた一人しかいないけど、それがうれしい?」


 ふっと胸に湧いた言葉を口に出しただけだった。でも――。雄日子の表情が、寂しげに曇った。


「――痛いところをつく」


(あれ?)


 どきりと胸が震えた。見てはいけないものを見た気もした。


「高島の若王の雄日子様、か。僕は、いまの僕ではない男に――ほかと同じになりたいと思ったことがあるよ。でも、もうかなわない夢だ。一度動きはじめたら決して止まらないものも、この世にはある――」


 独り言をつぶやくようだった。


「いまの――」


 いまの顔はなに? どうしたの? なにか――苦しいことがあるの?


 尋ねたかったが、雄日子は先に話を終わらせてしまった。


 その後は話が弾むこともなく、後ろをついてくる角鹿つぬが赤大あかおおと一緒に、無言のまま歩き続けた。





 雄日子が向かったのは、離宮の中央。


 前に秦王はたおうに招かれて宴をひらいた場所に近かった。


 馬飼が数人待っていて、荒籠あらこもいた。


 荒籠は、雄日子の隣に着飾った侍女がいるのに気づくと真顔をして、セイレンの顔をじっと見た後で笑った。


「誰かと思ったらセイレンか。かわいらしい。馬子にも衣装だ」


 そんなことをいわれるので、顔が赤くなる。


 荒籠と目を合わせないようにもじもじしていると、隣で雄日子が笑う。それも気に食わないので、懸命に唇を一文字に結んだ。


 互いに歩み寄ると、雄日子と荒籠は小声で話した。


「見張りが戻ってきました。まもなくお着きになります」


「わかった」


(まもなく着くって……和邇わにっていう一族の長の男ってことか。見張りって? 荒籠がいってるんだから、馬飼の誰かがその和邇の一族がくるのを門の外で待っていたのかな)


 自分が着替えている間に、いろいろと動いていたんだなあ。


 そう思うと、一人だけ取り残されたような気分になるが、そもそも、自分が知らないところでいろんなことが動くことはこれまでもたくさんあった。


日鷹ひたか帆矛太ほむたがここを出たのは、黒杜くろもりっていう人と合流するためらしいけど、合流したらなにがはじまるんだろう。戦? 次はなにが起きるんだろう……)


 ぼんやりしていると、声がかかる。


「おいで、セイレン」


 雄日子だった。


 目が合うと、セイレンの心がすっと落ち着いた。雄日子の目が、見慣れた冷たい目になっていたからだ。


(狸の目だ)


 雄日子の目は一度、すこし遠い場所を向いた。そこには、秦王の離宮の門から続く道をやってくる一行の姿がある。


 肩に雄日子の手のひらが触れる。すこし近寄れと命じるような仕草だ。


「僕のそばにいて軽くうつむいていなさい。僕や荒籠がどんな話をしても決して口を挟まず、ただ僕のそばにいればいい。いいね?」


 異論はなかった。


「はい――」

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