河の都 (3)


 火の色の星がまたたくような布箱の下を通り抜け、そばにいるのが雄日子だけになると、セイレンは小声で文句をいった。


「また、わたしが寝ずの番?」


 こうして宴から連れ出されるのは、雄日子をそばで守る役目を任されたからだ。雄日子の守り人には寝ずの番と呼ばれるものがあって、誰かは夜通し起きて、雄日子のそばで守ることになっている。前役と後役の交代制で、セイレンが前役を任じられたからには、誰かが夜半にやってきて役を代わってくれるはずだ。


 でも、歩き通して疲れた身体に鞭をうって見張りをしなければいけない寝ずの番は、つらい役目だ。いやだなあ――と渋面をしていると、雄日子が微笑んだ。


「おまえは本当にすぐ顔に出るな。そういやそうな顔をするな。藍十か誰かが来たら代われ」


「――わかったけど。ねえ、夜伽ってなに?」


 前に別の宮で宴に呼ばれた時も、雄日子は「夜伽をしろ」といってセイレンを連れ出したが、セイレンはその言葉の意味を知らなかった。


 雄日子はさらりと答えた。


「添い寝だな」


「添い寝? ということは、あなた、添い寝をしてくれってわたしに命じながら出てきたの? 子どもみたいじゃない? あの秦王って人にあなたが子どもっぽい人だって思われない? そういえばさっきも目をまるくしていたし――あれ、そういうことだったんだ!」


 セイレンの顔が険しくなる。雄日子はぷっと吹き出した。


「夜伽は大人の添い寝のことだ。幼いとは思われないから安心していい。僕を心配してくれたのか、ありがとう」


「大人の添い寝? そんなのがあるの?」


「ようは寝ている邪魔をするなという意味だ。ああいっておかないと、夜に僕に会いにくる奴がいて面倒なのだ。僕は一人でゆっくり寝たい」


「一人でって、あなたはいつも一人で寝ていないじゃない。寝ずの番をしてる誰かはいつも一緒にいるじゃない」


 セイレンが首を傾げると、雄日子はすこしうつむいて肩をふるわせた。


「もういい、セイレン。あまり詮索してくれるな。真面目に答えるのが恥ずかしくなる」


「恥ずかしい? そうなの?」


 セイレンはしかめっ面をした。よくわからなかったのだ。






 館の入口に焚かれた松明の両隣には番兵が二人立っていて、雄日子がやってくると矛を持ち直して姿勢を正す。


 館の中に入ると、薄暗い広間には火皿が置かれて、ちらちらと火がくゆっていた。真ん中に雄日子のための寝具が用意されている。


 雄日子の足はまっすぐに寝床に向かって、さっそく敷布の上に腰を下ろすと、掛布を広げて自分の身体にかける支度をした。そこで、手を止める。


「そうだ、忘れていた」


 寝ずの番の支度をしようと、セイレンは雄日子の枕元にあぐらをかいていた。


 敷布の上で雄日子は衣の内側を探っていて、懐から小さなものを掴むと、セイレンに差し出した。


「髪飾りだそうだ。珊瑚さんごの色がおまえに似合うと思って、さっきもらっておいた」


「髪飾り? 珊瑚?」


「珊瑚は南の海に住む貝の仲間らしい。僕もまだ見たことがないからよく知らないが、宝玉の一つだよ。濃い赤が美しい」


 雄日子の手から受け取ったものは、小さな円い珠がいくつも連なった御統みすまるの形をしている。夜の風に冷やされていて、色はよくわからなかった。周りが暗いせいだ。


「これ、赤いの?」


「明日、明るくなったら見てみろ。血の色のような深い赤できれいだよ。おまえに似合う」


「――ありがとう」


「ああ、髪に飾れ。僕は寝る」


 そういって寝転んだものの、雄日子はしばらく目をあけていた。なにかを話すでもなく、ぼんやりと虚空を見ている。


「今日は眠るの遅いね。考えごと?」


「すこし思い出していたんだ」


 自分の腕を枕にして、雄日子は枕元であぐらをかくセイレンの顔を見上げた。


「おまえは、大人になりたいのか」


「――なんの話?」


「たとえば、誰かに見惚れるような女になりたいのか」


「ああ、さっきの話?」


 「見惚れる」という言葉を知らなかったせいで、藍十あいとおにからかわれていた時の話だ。


「そんなどうでもいい話、わざわざ蒸し返さなくてもいいじゃないか。――あ! わかった。あなたもわたしをからかう気でしょ」


 藍十と同じく、雄日子もセイレンを子ども扱いしてからかう一人だ。


 でも――。と、セイレンは早朝のことを思い出した。朝霧に包まれた森の中で、そういえばセイレンは、そこで出会った青年に見惚れたのだ。それで、藍十の代わりに雄日子に仕返しをするような気分になった。


「そうだ、わたしね、見惚れるっていうのを知らないわけじゃないんだ。見惚れたことがあるんだ」


「急に元気になったな。見惚れたって誰にだ」


荒籠あらこ


「荒籠に?」


「今日の朝方に川で出くわしてね、とてもきれいな人だなあって見惚れた。うん、あれ、見惚れたんだ」


「――大人だな」


 雄日子は苦笑して、まぶたを閉じた。


「寝るよ、おやすみ」


 自信をもって仕返しを楽しんだはずだったのに、雄日子の反応はあっさりしている。それが、ひどく癪にさわった。


 また子ども扱いをされた――! そんなふうにも思う。


 頭に血がのぼるような、苛立つような。結局、歩き疲れた身体とは裏腹に、目が冴えてしまった。

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