天の御柱、光の歩み (1)

 賀茂の王宮を焼き、王の乙訓おとくにをきつく咎めたのち、赤大あかおおは軍を連れて、賀茂の王宮を後にしていた。


 戦った相手――大和の軍勢は散り散りになって逃げていたので、これからは、残党からの敵襲に備えての移動になる。


 街道を進みながら、角鹿つぬがと赤大は馬上で話を続けた。


「赤大、捕らえた大和兵を逃がしたのは、失策だったのではないか。一人残さず殺しておけば、このように注意を払いながら移動をすることもなかったが――」


「ですが、武具は奪いました。それに、敵であれ、捕虜を――無抵抗のだれかを殺すのは、妙な力が要ったり、妙な流れが生まれたりするものです。我らは百人しかいないのですから、貴重な戦い手を無駄に疲れさせるわけにはいきません。――次につなげましょう。それより思うのは、高島を出るときから、百人ではなく大軍で移動しておけばよかった、ということです。そうしておけば、昨日のように戦になって大勢の捕虜を得たときに、敵地に見張りの軍を残していけます。いずれ、その地に戻ってきたときに、新しいくにを築く礎にもなるか、と――」


「しかし、大軍だと目立つ。――つまり、最良の策がまだ見つかっていないということだな。まずは、いまある力を温めるべきか――」


「ええ、そうです。それに、我々には時間もなかった。――とにかく、雄日子おひこ様をお探ししなければ。藍十あいとおがそばについているので、もしもここを通ったなら印をつけているはずですが――印は、ありませんね。街道をさけて、森を進んでいるのでしょう……」


 雄日子の守り人は、武芸だけでなく、異国へ続く道の在りかや、方角の調べ方、痕跡の消し方など、さまざまなことを叩きこまれる。


 そのうちの一つが、草文字と隠れ場の在り処だ。離れ離れになった時に、互いにやり取りをするための方法だった。


 日鷹ひたかは街道を離れて、その印を探していた。


 草文字は、遠目からも目立つ大樹の幹の裏に隠されることが多かったので、街道沿いに並ぶ樫の巨木の裏側を一本一本調べていたが、あるとき、草を手にして一行のそばに駆け戻った。


「角鹿様、赤大。草文字を見つけましたが――藍十が残したものではありませんでした。帆矛太ほむたのものです」


「帆矛太の?」


 帆矛太は雄日子の守り人の一人で、密使として先に高島を出ている。


 日鷹が見つけたのは、茎の細いかずら草だった。その草に込められた意味は、「隠れ場でしばらく待つ」。


 茎が手のひらの長さになるように摘まれて、結び目が五つつくられている。


 その草で編まれる場合、結び目は日にちを表す。つまり、「五日間そこで待つ」という意味だ。


 一緒に編まれたかずら草の茎は、三本。三本の茎をまとめて使う場合、「課せられためいを果たした」という意味を持つ。


 そして、下のほうには、特別な手順を覚えていないと編み込めない複雑な結び目がある。種類は全部で五つあって、それぞれが「高島」「高向」「難波」「飛鳥」「そのほか」の意味を持っていた。また、丹念に覚えていないと編めない形なので、その草を編んだのが仲間だということの証でもある。日鷹が見つけた草文字にあったのは、「難波」を表す結び目だった。


 その草は、日鷹の手から角鹿、赤大の手へと渡っていく。


「課せられた命を果たし、近くの隠れ場で五日間待つ。もしそこで落ちあえなければ、次は難波へ向かう、か――。角鹿様、北の隠れ場に向かって、まずは帆矛太と合流しましょう。おそらく、藍十も、私たちを探して山背やましろの隠れ場を目指すでしょうし、進む方向が同じなら、出くわすこともありましょう」


「――仕方がない」


 角鹿もじわりとうなずいた。


 赤大の手の上に乗ったかずら草は、少ししおれていた。からからに乾いているわけではなく、茎を摘まれてから一日ほど経ったという程度。


 かずら草を手のひらに置いて、赤大はぽつりといった。


「帆矛太がこのあたりに来たのは、昨日か、おとといといったところか。山背やましろに着いていたのなら、昨日の夜に、賀茂の宮が焼けたのにも気づいたはずだが――。まあ、帆矛太なら、隠れ場で待つという草文字を残した以上、かたくなに隠れ場に留まるかな。――日鷹、これをもとの場所に戻してこい。ついでに、新しい草文字を並べておけ。おまえの印でいい。もしもこの後で藍十が見つけたら、あいつも隠れ場を目指すだろう」


「はい」


 日鷹が森へ戻っていく。


 その後ろ姿を目で追ったのち、角鹿は天を仰いだ。


「空が晴れているな。これなら、森を進むのも楽だろうし、我々の姿も目立つだろう。――赤大、我々はゆっくり道を進んで、囮になろう。いま私たちができることは、なるべく目立って、追手の目を雄日子様から逸らすことだ」


「そのようですね。わかりました、角鹿様。山背の隠れ場はただすの森の端です。ここからいくなら、今日のうちに着くでしょう」






 ただすの森を抜ける街道は、森の中を流れる大河のそばにあった。


 その川は、雨の季節になるとよく氾濫して新しい川筋をつくるので、大河からはいくつも支流が分かれ、時には水の中を歩いて進まなければいけなかった。とはいえ、山道のように木や岩で行く手を塞がれることもなく、水がひいたよく晴れた日には気持ちよく歩ける道だ。


 道の行く手も背後も見通しがよく、また、逆も同じだ。


 空の上から見下ろしても、それは同じだった。


 自分の手でつくり出した幻の鷹に魂を乗せて、鷹の目で見下ろす柚袁ゆえんは、その道を進む一行がいるのにすぐ気づいて、近づこうと、風に乗っていた。


(人が大勢いる。――なにか光った)


 百人からなる人の列は、木を伐るために徒党を組んだきこりの列にしては大きかったし、なにより、その行列にはきらきらと光るものがたくさんあった。


 列には馬が十頭以上いて、それぞれが鉄の馬具をつけていた。


(光ったのは、馬具だ。間違いない。雄日子様の軍だ)


 空はよく晴れている。大きな鳥の影は青空によく映え、とても目立つので、気づかれて射落とされでもすれば厄介だ。


 様子を窺うなら一瞬だと、鷹の内側で柚袁は息を飲んだ。


(雄日子様は? それに、昨日見た土雲の娘は――)


 昨日の晩、口元から恐ろしい雲を吐いて、大の男たちを大勢地面に転げさせた若い娘。柚袁にとってその光景は強烈で、つい目が探してしまうのも、雄日子ではなく、記憶にある少女だった。


(細い身体をした娘だった。十五? 十六? それくらいだ。――しっかりしろ。いま、私は何をしている? 私は雄日子様のお姿を探すんだ)


 手が自由に動かせるなら、ぴしゃんと自分の頬を叩いてやりたい気分だった。


 空を滑り、上空を旋回する。弧を描いて回りながら、行列の後ろに回る。行列の真上を、背後からすり抜けながら、見下ろした。


 列は、男ばかりだった。揃いの剣を腰に佩いて、旅用の小さな鎧を身につけている者もいる。


 行列の中に、馬は十頭ほどいた。どの馬にも鞍がつけられて、人が乗っていた。いや――一頭だけ、人が乗っていない馬があった。鞍は空っぽで、きらきらと太陽の光をはね返している。しかも、その鞍だけ、馬具の色がほかとは違っていた。鉄の黒銀色ではなく、太陽の日射しの色に似た金色をしていた。


(あの馬に人が乗っていないのは、主がここにいないせいだ。おそらく、雄日子様の鞍――雄日子様は、ここにはいない)


 探していた相手は、いなかった。ならば、長居は無用。さっさと離れよう――。


 柚袁の魂を乗せた鷹は翼をはばたかせて、飛ぶ方向を変える。


 しかし――ある時、「見つかった」と脅えた。地上を見下ろすと、空っぽの鞍を乗せて歩く美しい茶毛の馬のそばに、黒衣をまとう男がいる。


 その男は、帯に赤や黄、白など、さまざまな色をした布を下げていて、一緒に街道を進む武人の中では目立っていた。


 その男が、空を見上げていた。その男の目は、空を滑る鷹の動きをじっと追っている。


(あの男はおそらく、雄日子様を守っているというまじない師だ。出雲王がひそかに雄日子様へ贈ったとかいう――。私に気づいたというのか)


 その男は、手を上げて近くの武人を呼び寄せている。


 声をかけられた武人は背中に手を回し、背負っていた弓矢を引き抜いて、天に狙いを定めた。


(射る気だ。まずい!)


 柚袁は、精一杯翼をはばたかせた。


 せめて飛ぶ向きを変えて、矢の動きから逸れなければ――。


 飛ぶ速さと傾きを変えたのが功を奏して、地上から放たれた矢は、柚袁が飛んでいたのと少し離れた場所に飛んできて、そのままゆっくり落ちていった。


(よかった、はずれた――)


 ほっとしたのもつかの間。地上から柚袁を狙う武人は、すでに二本目の矢をつがえていた。ひゅん、と弦がしなる音が大きくきこえる。二本目の矢が飛んだ先は、柚袁が逃げた先だった。


(しまった)


 このままでは射られる。


 仕方なく、急いで魂を切ることにした。


 幻の鷹の中に入っている自分の魂を操って刃の形をつくり、自分の魂と鷹がつながっている部分を、切り落とす。


 自分で自分の魂を断ち切るのは苦しいが、鷹の中にいるまま射られて、死にゆく思いを味わいながら、いまと同じ真似をするのは避けたい。


 すぐに、気が遠のく。目の前にあるものが、天高い場所から俯瞰する森の景色ではなくなり、木々の幹を真横から眺める、森の中の風景に変わった。


 柚袁は馬の背にいて、そばには師匠の斯馬しばがいる。


 眠りこけているかのように動かなかった柚袁が、突然びくりと震えて、はっ、はっ、はっと小刻みに息をしはじめると、斯馬は馬の脚を止め、鞍から飛び降りて、柚袁のそばに駆け寄った。


「大丈夫か、柚袁」


「え、ええ――斯馬様」


 手で大丈夫だと合図をしながら、柚袁は懸命に息を整えた。


「ならば、待とう。休みなさい、柚袁。おまえの身体から震えがとれるまで待っていることにしよう」


 斯馬はそういって、供の武人たちからなる一行の歩みごと止めてしまった。


「みな、いまのうちに休もう。道のきわに寄って、水で喉でも潤そうじゃないか」


 くつろぐ支度を始めさせる斯馬を、どうにか柚袁はそばに呼び寄せた。


「お、お待ちください。先に知らせを――。雄日子様のお行方は、わかりませんでした。しかし、雄日子様の供の軍は、糾の森――賀茂にある古の森ですが、そこを、暗部山に向かって進んでいるのです。雄日子様の軍が、わざわざ主から遠ざかる動きをするわけがありません。ですから――」


 一息にそこまでいってから、柚袁はふらりと倒れかかった。


 斯馬は柚袁の手をとって、地面に座らせることにした。


「わかったから、馬を降りなさい。このままでは落馬してしまう」


 柚袁はしばらく、けんけんと喉を震わせて咳をしていた。


 森の穏やかな気配にそぐわない、苦しげな咳の音がなくなるのを待ちながら、斯馬は自分も草の上に腰を下ろして、考え込んだ。


「柚袁、おまえがいったのはつまり――。雄日子様の軍に、雄日子様がおらず、しかも、暗部山の方角へ向かっているだと? 雄日子様の軍の目的が、その方角にあるということではないか。連中の目的など、雄日子様以外にない。つまり、雄日子様は糾の森から暗部山方面のどこかにいて、しかも、守りの軍とは離れておられるということ――」


 柚袁は喉をおさえながら、かすれ声を出した。


「そうなのです、斯馬様。雄日子様はいま、土雲の娘と、もう一人の武人との三人でいるのです。私が晩に見たとおりです。三人は、夜のあいだに古の森に逃げ込みました。つまり――」


「いまなら、守りが少ない。雄日子様に術をかけるなら、いまが絶好の機と、そういうわけか」


「はい、斯馬様」


 けん、こん、と、柚袁の咳はまだ続いていた。




 斯馬はもともと、どこにいても方角がすぐにわかる。朝、太陽がのぼる方角を見て、山の端から光が顔を出す場所を覚えておくのは日課だったし、真西と真東――春来はるこの日と冬来ふゆこの日に太陽がのぼる聖なる場所も、いつでも正しく見極めることができた。


「東はこちらの方角だ。森の奥へいこう」


 いくら人の往来が少ない森の中といえども、うっかり誰かがとおって見られたり、邪魔をされたりしたら、ひとたまりもない。


 連れの武人たちも引きつれて、船着き場から続く街道を離れ、森の奥へと分け入った。


 半分目を閉じて、気配だけを感じ取ろうと、気を研ぎ澄ませる。


 すると、森の奥のほうに、とても清々しい、からっぽの気配を見つけた。


 気配を頼りに歩いていくと、小さな岩場が現れる。


 岩は、ところどころが苔に覆われていたが、大きな木は根を張ることができないので、岩があるあたりだけ、森の中にぽっかりと隙間が空いていた。


「よい場所だ。東を向けば、岩場がやしろのように構えている――」


 岩の色は白く、爽やかな緑色の苔に飾られている。大岩は四方に壁をつくるように転げていたが、ちょうど東の方角にだけ隙間があり、森を覗くこともできた。


 日の光が頭上からさんさんと降りそそぎ、岩場の中に、澄んだ光を溜めていく。周りを見渡して、斯馬はほうと息を吐いた。


「美しい、いい場所だ。潔斎きよめの域にふさわしい……しかし――」


 斯馬は、ぽつりと小声でいった。


大王おおきみとは、なんなのだろうか。万民が仕える血とは……大和一の貴い血脈の理由は、なんなのだろうか」


「斯馬様……?」


 怪訝そうに、柚袁が眉をひそめる。斯馬は苦笑した。


「ときどき、考えるのだ。大王とは、大地に光を与える太陽の神、天照大御神あまてらすおおみかみの末裔だ。はるかな昔、神代かみよでは、大王は類まれな力をもち、昼と夜を思いどおりに入れ替えたり、霧から聖なる鳥をつくって、大八島おおやしまの空を自在に行き来させたりしたというよ。私は、魂をつかさどるまじない師だ。昼と夜を入れ替える技は知らないが、幻の鳥をつくって自在に飛ばすことはできる。しかし、私は大王ではないし、もちろん神でもない。大王に仕えるまじない師で、ただの人だ。――なあ、柚袁。神とは、なんなのだろうな。太古の大王おおきみは、どのようにして類まれな力をお持ちになったのだろうか。我々のように漢籍を読みふけって、日夜稽古に励んでいたのだろうか。それとも、はじめから作り話だったのだろうか」


「斯馬様……」


「すまないな、柚袁。いってみたかっただけだ。私は、いまの大王を裏切り、恐れ多くも、新しい大王を試そうとしているから――いったい大王とはなんなのかと、すこし気になったのだ。大王が本当に神の末裔なら、私は、神に逆らい、神を試すことになるのだから――。大丈夫だ。そう心配そうな顔をするな」


 小さく笑って、斯馬は岩に腰を下ろし、あぐらをかいた。


「よい場所だ。武人たち、しばらくこの岩場から離れてくれ。柚袁、おまえは私の背後に座り、場を清めてくれ。――すぐにはじめよう」





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る