エッセイ なぜ挨拶をしなくてはいけないのか

なぜ挨拶をしなくてはいけないのか。




道場へ行くと、子供たちが私に行った。


「お姉ちゃんが来た。」


決して間違いではない反応だが、一応私はここの先輩にあたるわけだ。


お姉ちゃんが来たという反応は、まるでいとこが来たような挨拶である。


もはや挨拶をしていないといえる。


私は今まで考えたことがなかった。子供たちが挨拶をすることは当たり前だと思っていたし、それは親や先生、近い人たちが教えてくれるものだと思っていたからだ。


だから、自分がいざここにいる子供たちの「近しい人」になったと感じた瞬間だった。


この子たちに挨拶をする理由を教えるにはどうしたらいいのだろうか。


ふと考えた。


私が小学生の頃は防犯上の理由で学校に入ってきた大人には挨拶をしようという教え上がった。不審者の侵入を防ぐためだったと思う。


私は、挨拶をすることが当たり前だと思っていた。


何故かというと、そう教えられたからだ。


けれど、君たちは違う。挨拶をしなさいといえば、きっと「なんで」と聞いて来るだろう。


敬意という心がある。


これは、自分以外の人に対して、現れる言葉だ。私にももちろん君たちに敬意がある。


敬意とは具体的にどんなものかというと、私は今違う道場に所属しているけれど、時々こうしてこの道場にやってくるよね。


その時に、教えてくれる先生や、一緒に稽古してくれる君たち、同じ時間を共有することへの感謝の気持ちがわいてくる。


こんばんは。


宜しくお願いします。


ありがとうございました。


さようなら。


そんな気持ちを込めてこれらの挨拶ができたら自分もとても気持ちがいいし、一緒に同じ時間を共有したみんなも気持ちがいいと思うんだけどどう思う?


演武を始めるときに合掌礼をするよね。稽古の始まりと、終わりには正面に礼もする。


これらの意味を考えてみると、普段の挨拶がいかに大切かわかると思う。


正面に礼。なんて、正面は壁だし、何に対して礼をしているかわからないと思う。


じゃあ、何に礼をしていると思う?


正面というのは、目の前にあることだけをさすのではなくて、心の正面という意味もある。心の正面とはいろんな人や、物事とまっすぐに向き合える瞬間のことを言うと私は思っているのだけれど、そういうものを持っていてほしい。


例えば、正面に礼。そういわれて私がまず思い浮かべるのは、道場に対してありがとうと言う気持ち。この場所がなければ少林寺拳法はできないし、仲間に合うこともできないからね。


そして、先生に対してありがとうと言う気持ち。先生がいなければ拳法を習うこともできない。先生は誰にも代えられないんだって思うよ。


そして、仲間に対してありがとうと言う気持ち。少林寺拳法は組手主体って言って、二人一組で練習するのが普通なんだ。だから、仲間と一緒に稽古できることに対してありがとうと思う。


そして、最後に、正面に礼をして、あらゆるものにありがとうと言う気持ちを伝えて、今日の稽古を終えている。


そんな風に理由があるんだ。


けれど、これは道場での話だと思うかもしれない。


私は、中学生になって、部活動を始めたけど、少林寺をやっていてとても良かったと感じることがあった。


それは、挨拶がきちんとできて、感謝するという気持ちが当たり前にもてたこと。


少林寺拳法は道着を着ていなくても、できることなんだって、思えたきっかけだった。


例えば、朝起きて、朝ごはんを作っているお母さんに挨拶をする。


「おはよう。」


「おはよう。ご飯ができるから顔を洗ってらっしゃい。」


お母さんは朝一番の君の顔色を見ているよ。今日も元気良く起きてきてくれてありがとうと思っているはず。だから、挨拶をしよう。


お父さんも、新聞をめくりながら、君の元気な顔を見ているから、一緒にご飯を食べる前に「おはよう」と言えると良い。


その日の始まりに、その人の様子がわかる。それが「挨拶の声」だ。


学校へ行くと、友達や先生がいる。「挨拶の声」は人を安心させるし、自分も元気になると思わないかな。


さようならも同じだ。


明日また会うとしても、今日の日はさようなら。元気でね。そんな意味を含んでいる。


いただきます。この言葉もとても大切だよ。


ご飯を食べるときに「いただきます。」と言うけれど、何に対していただきますと言っているかわかるかな。


そうだね。命だね。


例えばカレー。


人参、ジャガイモ、玉ねぎ、お肉、ご飯。全部もとは私たちのように、息を吸って、運動をして生きていた命だ。


それらを殺して、私たちは生きる糧にしている。だから、その命をいただくために、「いただきます」と感謝する気持ちを込めて挨拶するんだ。


なぜ挨拶をしなくてはいけないか。わかるかな。


100パーセントこれが理由と言うものはない。けれど、私たちの心の中で理由を作ることはできるよね。それが人に対して、私自信に対して向いて来るということを知ってほしい。


挨拶は始まりであり、終わりであるということ。


挨拶は心の安らぎであり、希望であること。


挨拶は人と人、ものと人をつなぐ大切な言葉であることを知ってほしいと思います。

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