(6)
ここからはスピード命だ。俺は門扉の隙間を素早くすり抜けて玄関の鍵を開け、迷わず家の中に踏み込んだ。おばあちゃんには、勝手口にすぐ行けるキッチン近くに陣取るように予め指示してある。その指示通り、おばあちゃんはキッチンの入り口近くに椅子を置いて、肩を落としてへたり込んでいた。
俺は素早く犯人どものポジションを確かめる。まるでこの家の主人であるかのように、応接のソファーに小柄な男がふんぞり返っていて、その隣の来客用ソファーにごつい男が二人並んで座っていた。実行役の二人は、普段はサングラスで人相を隠しているのだろう。だが、脅迫の時には視線が強烈な凶器になる。二人ともサングラスは手に持ち、揃って素顔を曝していた。
そのごつい二人が立ち上がる前に、俺は足早にリビングを横切って、おばあちゃんとそいつらの間に割って入った。
「なんだ、おまえは!」
ごつい男の一人が俺に詰め寄ろうとしたのを、小柄な男が制止した。そして、無表情に俺を非難した。
「人の家に勝手に入るのは不法侵入だな」
「おあいにく様です。勝山さまから旅行プランの見積もりが欲しいので、この時間に家に来るようと伺ってます」
「商談は、俺らの方が先だ」
「ああ、商売っていうのは、必ずライバルが居るんですよ。コスパの悪い海外旅行は、どうしてもご免被りたいという勝山さまのご意向なので」
それまで悠然としていた小柄な男の形相が、急に変わった。
「この婆……漏らしやがったな!」
「あほか。強要される旅行は旅行とは言わないよ。それは誘拐だ」
俺は鞄から国内旅行のパンフを出して、ぴらぴら振る。
「旅行なら、国内の近場で充分さ」
連中がまだ行動に出ないのは、突然飛び込んできた俺が警察関係者かどうか分からないからだ。もし俺が警官なら、過激な行動に出た途端に間違いなくお縄になるというのが連中には分かってる。
俺は振り返って、おばあちゃんに退場を促した。
「勝山さん、外に出て下さい」
俺の合図を待っていたかのように、おばあちゃんがあたふたと勝手口から外に出ていった。
俺とおばあちゃんが連れ立って逃げたなら、実行役の二人がすぐに俺らの足止めに動いただろう。だが俺はばあちゃんの逃げる時間を稼ぐために、あえて動かなかった。
連中は俺は凝視したまま動かない。おばあちゃんという切り札を失ったことを気にしていない。まあ……そうだろうな。おばあちゃんは人質であると同時に目撃者になる。俺に手を出したところをおばあちゃんに見られれば、それがどう漏れるか分からないし、大きな物音を立てれば近所に異変が知れるからな。順番からすれば、まず俺を始末してからばあちゃんを連れ戻すということになるんだろう。
連中が慌てていないのは、俺が警察官でないことを見切ったからだ。俺が警察関係者だとすれば、これまでの俺のアクションは囮捜査にあたる。連中は、警察がそれを出来ないことを知っているんだろう。だとすれば、俺が単なるお節介焼きの無鉄砲なバカだってことはすぐに見破られる。俺一人くらいどうにでも出来ると。そういうことだ。
「ということで」
俺は、のんびり連中に言い渡した。
「あんた方の持ってきた商談は破談だよ。とっとと帰れ」
「業者にしてはずいぶん態度がでかいな」
「それは俺のセリフだ。この家のご主人はおばあちゃんであって、あんた方じゃない。夕食時に男三人でずかずか上がり込むのは非常識だろうが」
「あんたはどうなんだ?」
「商売の常識だろ? ちゃんとアポを取ってるよ。さっきも言っただろが。この時間に来てくれって言われてる」
「……」
「おばあちゃんがあんたらの話を断るには、見積もり書を持って俺が来ないと難しいだろうからさ」
「……」
「もう八十近いおばあちゃんが、知らない連中と海外旅行なんざ気違い沙汰だよ。ふざけた商談吹っかけてないで、とっとと帰れ」
小柄な男は俺をじっと見ていたが、隣にいた二人に無表情に命令した。
「バラせ」
「うす」
二人がぬっと立ち上がった。得物は? まだ何も持っていない。俺の抵抗を見てその場で考えるんだろう。
どれ。俺はパンフレットをゆっくり鞄に戻すと、代わりに柴崎さんに作ってもらったものを慎重に取り出した。長い尻尾の付いた水滴形のガラス。それを二人の男の前にかざした。
「あんたら。これを知ってるか?」
「あんだ?」
俺に近寄ってこようとしていた二人の男が足を止めた。
「涙だよ。あんたらに食い物にされてきたお年寄りのな」
「ふざけたことはあの世で言え」
二人のうちの一人が素早く間合いを詰めてきた。俺を殴り倒した後で、首を絞めるつもりだろう。そのパンチが出る寸前。俺はその男の目の前にガラス玉を突き出して、その尻尾を手のひらに隠し持った小さなニッパーで折った。
ばんっ! 小さな破裂音。
突っ込んできた男がのけぞって倒れ、顔面を押さえて悶絶するのを蹴倒して、もう一人の男の目の前にもそれを突き出す。
「なっ!」
そいつも俺に殴り掛かってくる。あほー。
同じように、そいつの目の前でガラス玉の尻尾を折る。
ぱんっ!
「ぐああっ!」
破裂音の後で、そいつも床に転がって悶絶した。小柄な男は、憮然とした表情でそれを見下ろしていた。
「実行犯には、腕っぷしより、もう少し頭のいいやつを選ぶんだな。あばよ」
◇ ◇ ◇
俺が勝手口から外に出ると……。おばあちゃんが、サングラスをかけたひげ面の男に羽交い締めにされていた。
「……」
その俺の背後で。家の中から、ぱすっ、ぱすっという小さな破裂音が響いて来た。銃を手にした小柄な男が、勝手口からのそっと出てくる。男は、取り押さえられているおばあちゃんと立ちすくんでいる俺を交互に見て、満足そうに頷いた。
「ふん。俺が見張りをつけないわけないだろうが」
「……」
「残念だったな。婆はやっぱり海外旅行がいいとよ」
小柄な男はサイレンサーの付いた銃口を俺に向け、にやりと笑った。
「あんたのガイドは要らないよ。ここまででいい。婆には少なくとも現地に行ってもらわないとならないからな」
その男が、とっさに両腕で顔面をガードした俺に向かって無造作に引き金を引いた。
ぱすっ! ぱすっ! 心臓のあたりに強い衝撃を感じて、真後ろに倒れる。
「よーし!」
それを待っていたかのように、俺の背後でおばあちゃんを羽交い締めにしていた男が、おばあちゃんから素早く離れて小柄な男の銃を叩き落とした。一瞬、何が起きたか分からないという表情をした男は、その後どっと集まってきた大勢の警官に押し倒され、あっという間に取り押さえられた。
俺は、胸を押さえながら何とか立ち上がる。ぐええ……き、きっつぅ……。
江畑さんが気遣ってくれた。
「おい、みさちゃん。大丈夫か?」
「ううー、防弾服って言っても、至近距離からだと堪えるんですね」
「まあな。衝撃でろっ骨にひび入るくらいは覚悟しないと」
「いてて……。あ、おばあちゃん、大丈夫でした?」
「あ……う……」
おばあちゃんは、目の前で起こったとんでもないことを消化出来ずに、完全に腰を抜かしていた。まあ、怪我がなければそれでいい。それにしても……。俺は背広に開いた穴に指を通して、溜息をつく。あーあ。一張羅に穴が開いちまったよ。まあ、体に風穴が開くよりゃずっとマシだけどさ。
この男は、銃の腕前も相当だ。単に場数踏んでるってだけじゃないね。どこかで密かに訓練していたんだろう。ただ、それが俺には幸いした。
いくら腕でガードしてると言っても、頭を狙われたら命に関わる。だけどこいつは、暗いところじゃ頭を狙っても外す確率が高いと考えたんだろう。確実に心臓を狙ってきた。だから、防弾服の効果がフルに発揮されたというわけだ。痩せっぽちの俺には、衝撃だけでも充分痛いんだけどな。
変装に使ったひげをべりべりと顔から剥がした江畑さんが、這いつくばっている男に言い渡した。
「
そう。現行犯以外には、こいつらをしょっ引ける手段が何もなかったんだ。連中を撹乱して俺に手を出させるという大博打が、何とか当たってくれた。そのことに……安堵する。
俺はゆっくりと屈むと、地面に押さえ付けられている男の耳元で囁いた。
「なあ、戸倉さん」
「……」
「あんたも、さっきの間抜けな二人に負けず劣らず底抜けのバカだな。見張りがいるなんざ百も承知さ。外に配置されるはずの四人。真っ先に潰してるんだよ。あんたらは、最初からもう俺たちに囲まれていたのさ」
「ぎっ!」
組み伏せられている男が歯を噛み鳴らした。
「俺に手口がバレたところで、諦めてさっさと引きゃあいいのに。バカのくせしてくだらんプライドだけ高くてよ」
「く……」
「俺に負けるのが我慢出来なくて、最後にババ引いちまったよな。口喧嘩で勝てなくてセンセの前で手ぇ出しゃあ、怒られるのは手ぇ出した方だぜ。そのトシになって、まだそんなことも分からんのかよ。ぶぁあか」
俺は目一杯挑発する。ここでこいつを言葉でがっつりぼこっておかないと、万が一のことがあるからな。手錠をかけられてよろよろと立ち上がった男に、小声で囁き続ける。
「なあ、戸倉さん。あんたが絞首台に乗っかる時は、行きたい地獄ツアーのパンフレットを差し入れしてやるよ。どこがいい? 血の池か? 釜茹でか? どこよりも安くしてやるからよ」
ぽんと男の肩を叩いて、俺は思い切り高笑いした。
「はあっはっはっはっはあ!!」
目を血走らせた男が、俺を食い殺さんばかりの勢いで暴れだした。
「がああああっ!!」
だが。男は引きずられるようにして護送車に乗せられ……連れ去られていった。
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